浅井和枝(1943-1992)
昭和18年1月25日ー平成4年9月6日 49歳
東京都青梅市・宗建寺
美智子さん、あなたが考えていた革命とはどのようなものでしょうか。私もまたカクメイを考えています。もう一度〈世の中〉とか〈人間〉とかの言葉を臆面もなく使って、ものを考えなくなっています。この二十年という変化の激しい時を生き、今は母親となった私は、片足は現代人の岸に片足は生物の岸にひっかけ、急速に離れていく両岸のために股裂きになりそうになりながら、女性性器に力をこめて踏み耐え、失語症的奇声を発するこっけいな女性闘士にならざるを得ません。
アァウゥアァウゥアァゥウゥ、何かをもう一度もとのところから考え直そうよ。アァウゥアァウゥアァウゥ、私はあなたが好き、男が好き、仕事も認めている、働いてくれて有難いとも思っている、でも、もう仕事はいいから、こっちへ来て……。
けれど美智子さん、情報の時代の人間である私は、女たちが言葉にならない言葉で訴えようとしているアァウゥに対する、背筋も氷るような一つの、そして最もあり得るかもしれない応答も知っています。主婦症候群という心や体の変調に陥った女たち、寂しさから浮気に走った女たちのレポートの中で、一人の夫が言った言葉です。
〈私はもう妻が何を考えているのか、いちいちかかわりたくありません。だが、私が一生懸命働いている間に、妻が暇をもて余してわけのわからないことを考えていたのかと思うと、すべてが虚しくなります〉
けれど多くのあり得る応答の中から、答を言ってくれるのは生きた人間の声です。日々生きている人間は、まだプログラミングされていない、思いがけない応答を返してくれるかもしれない。私たちはもっともっと惑乱して、男たちに語りかけるべきなのでしょう。私たちは男たちに、ではなく、私は夫に。
(樹下の家族)
昭和60年代に干刈あがたの青春はあったのだが、いわゆる全共闘世代のなりゆきとして、理想と現実の間に横たわる、深く切り裂けた暗渠をも覗いていたに違いない。時代特有の傷を背負いながら疾走し、求め、抗い続けたのは何のためであったのか。個の確立、女の痛み、夫婦の調和、どれをとっても結論は難しく、胃がんに冒され入退院を繰り返しながら問い続けた彼女に、その答えを出す時間は残されなかった。平成4年9月6日、咲き揺れるコスモス花を想いながら、意識は虚しくも暗転した。
旧青梅街道沿いには、数々のなつかしい映画看板が古い商店街の軒上に掲げられて、レトロな雰囲気がそこかしこに漂っている。干刈あがたの実家、柳家の菩提寺である宗建寺はそんな青梅の町中路地を下ったところにあった。青梅七福神の毘沙門天が祀られているこの寺の新墓地、「柳」とのみ刻された大墓の傍らに「干刈あがた」墓はひっそりと息づいている。毎年9月の命日に近い土曜日にコスモス忌が催され、いまも多くの参詣者が訪れるというこの墓の主、碑裏に俗名浅井和枝とある。離婚した後も復姓しなかった彼女の心情に、強い志を見る一瞬でもあった。