長谷川万次郎(1875-1969)
明治8年11月30日ー昭和44年11月11日 93歳 (高徳院殿彰誉硯香如是閑大居士)
東京・文京区向丘・清林寺
真赤な血が皮膚の外に送り出るとき、人々は飽かず殺し合う。
真赤な血が真自な皮膚の色を淡紅に染めて、その下を流れる時、人々は飽かず抱擁し合う。
この抱擁――――血の温か味に蒸された、この抱擁を外にして、二人以上の人間がこの世に産れ出た理由が何処にあるであろう。
地上の悦楽は、そこに始まり、そこに終ると、人々は唄う。
けれども、その淡い血の色が、霜に染められた紅葉のように真紅に燃ゆると、人々は狂い出す。
その物狂わしさは、血を呑んだ獣のそれよりも恐ろしい。
血の兇暴は、強いものの前には鎮まる。何物も鎮めることの出来ないものは愛の兇暴である。
皮膚の下を流れる血は、皮膚の外に迸る血よりも恐怖である。
そこに二つの別なものがあるのではない、同じ「血」があるばかりである。
そこに二つの別なものがあるのではない、同じ「人間」があるばかりである。
(血のパラドックス)
病弱が早死にとは限らないという見本のような生涯であった。幼少から病弱な上に青年期には胸を病み、30歳まで持たないといわれていたのだが、生涯独身、酒も煙草もやらず、「是ノ如ク閑ナリ」を実践した生活ぶりによって93年もの長寿を得た。昭和44年11月4日、腹痛を訴えて小田原市立病院に入院、病院にあってさえも気随気ままな性格は医師を困らせていたが、11日11時17分、静かに灯火は消えた。
本郷通りのこの地域は道の左右に江戸以来の古寺が林立している。そのうちの一寺、清林寺本堂裏の最奥、小学校の校庭を背にして、野球に興じる少年たちの声がネット裏から容赦なく降り注いでくる塋域に、黒光りする御影石の碑面に周囲の墓影を映して「長谷川如是閑墓」はある。墓前の芭蕉が3本、幹の途中から切られている。「高徳院殿彰誉硯香如是閑大居士」、これ以上ないほど贅沢な戒名が刻まれ、八十歳を越してからの心境を「人の命斯くも短きは人の世を 永遠に新たにあらしむため」と詠んだ「孤高の独創人」はここに眠る。