萩原朔太郎(1886-1942)
明治19年11月1日ー昭和17年5月11日 56歳 (光英院釈文昭居士)
前橋市・政淳寺

日は断崖の上に上り
憂ひは陸橋の下を低く歩めり。
無限に遠き空の彼方 
続ける鉄路の柵の背後に 
一つの寂しき影は漂ふ。
ああ汝 漂泊者! 
過去より来りて未来を過ぎ 
久遠の郷愁を追ひ行くもの。
いかなれば蹌爾として 
時計の如くに憂ひ歩むぞ。
石もて蛇を殺すごとく 
一つの輪廻を断絶して 
意志なき寂寥を踏み切れかし。
ああ 悪魔よりも孤独にして
汝は氷霜の冬に耐へるかな! 
かって何物をも信ずることなく 
汝の信ずるところに憤怒を知れり。
かって欲情の否定を知らず 
汝の欲情するものを弾劾せり。
いかなればまた愁ひ疲れて 
やさしく抱かれ接吻する者の家に帰らん。
かって何物をも汝は愛せず 
何物もまたかって汝を愛せざるべし。
ああ汝 寂寥の人 
悲しき落日の坂を登りて 
意志なき断崖を漂泊ひ行けど 
いづこに家郷はあらざるべし。
汝の家郷は有らざるべし!
(氷島・漂泊者の歌)

 「黒幕の影からいよいよ角を出し」、「行列の行きつくはては餓鬼地獄」
 枕頭の手帳に書きとめられたこの二句を遺して朔太郎は逝った。その最後に見た幻想は何であったのだろうか。漂泊の果てに行きついた餓鬼地獄とは、朔太郎にとっての孤独な旅の終着駅なのか。昭和17年5月11日午前3時40分、幻想を見続けながら寂寥の人は逝った。この年、朔太郎が敬愛した二人が逝った。同月29日には与謝野晶子が、11月2日には北原白秋が逝った。

 前橋郊外に点在する丘陵のひとつにある寺の門前にたどりつくと、右手前方にむっくりと赤城山が起きあがった。自然がとりまくこの寺は、以前は町中の榎町にあったが昭和47年にこの地に移ってきたという。萩原家墓所は本堂右手の墓地入口のすぐ左にあった。一昨夜の雪が溶け残っている塋域の墓石をながめていると、さっき鐘撞堂で老婆と戯れていた灰色の子猫がみゃあと跳ねていった。