福原麟太郎(1894-1981)
明治27年10月23日ー昭和56年1月18日 86歳
雑司ヶ谷霊園

「私は他人の精神の中に我を忘れることが好きである。私は、歩いていないときは、本を読んでいる。私はじっと坐って考えていることは出来ない。書物が私のために考えてくれる。」ラムはそういう。「書籍読書に関する断想」のはじめの方である。「書物が私のために考えてくれる」という一行が有名である。そして重ねて「私は、いやしくも書物というものならば、何でも読むことができる」という本好きなのであるが、書物という名に値しない書物があることをも主張している。それは「書物でない書物」(ビブリア・アビブリア)というものである。紳士録・科学論文・暦・法令一般、そんなものをいう。なるほど、それらは非書籍的書籍に入れても良いが、ラムは、そのほかに、哲学者ヒウム、史家ギボンまで数えているにはおどろく。「その他一般にいわゆる「紳士の書斎に欠くことのできない』書物はことごとく」という。しかしそう言われてみると、なるほど「紳士の書斎」なるものに不信感が湧いてくるから不思議である。
「書物の着物を着たこれらのものが、似而非聖者のように聖堂内に闖入して、御本尊を押除け、正当の神殿を横取して書棚の上にのっかっているのを見ると、実のところ、むらむらと癇癪が起る」という。次第にラムのいう書物なるものが解ってくるようだ。アダム・スミスも嫌いであるらしい。
(チャールズ・ラム伝)
福原麟太郎は一生を英文学教師として過ごし、昭和56年に死んだ。読書家であった彼の文学観はいわゆる世間一般の小説偏重の文学観とは違うようである。成熟した感性と人生の叡知を感じさせる書物、何よりも豊かな人間性を漂わせた書物を求めて読んだ。「一冊の本」という書に「饗庭篁村集」を彼は選んだ。
雑司ヶ谷のこの墓地は大小の樹木に覆われて都会の喧噪を防いでいるが、岩野泡鳴の碑と背中合わせの筋にある「福原家之墓」は、高速道路に面と向かってそれは叶わない。日和ぼっこをしながらの読書を何よりも好んだ彼に、今日の日光は読み耽るに十分な明るさであろうが、この騒音はいかにも気の毒である。
