
福田正夫(1893-1952)
明治26年3月26日ー昭和27年6月26日 59歳
静岡県小田原市早川・久翁寺

雲乱れ、海暗くわき上がるとき
風にまつわる夕べの潮騒――
月光はまだ水平線の下にある。
いたずらに悔ゆるを止めよ、
大空にまろく描く自我の章に、
爽かな力を求める歓気がある。
吹きなびく丘の花野から、
生め、明日への精神の高貴を――
無窮の生命が予兆を胎んでいる。
光乱れ、海かがやきわたるとき
風にまつわる夜の潮騒――
月の出に水平線もゆめ見るがごと……
(予 兆)
雷と夕立が好きだった。雷が鳴り始めると喜び勇んで「そーらきたぞ!」と二階からかけおりてきて、気持ちよさそうに家の中を歩き回っていたと娘の美鈴さんは述懐する。たびたびの詩誌を主宰し、おおらかな包容力で多くの若い人材を擁護したのであったが、昭和26年9月11日、日課であった水浴の最中、二度目の発作で倒れてしまう。幸いにも病に打ち克とうとする精神力の強さから、3日ほどで歩けるようにはなったが、その力も1年はもたなかった。翌年6月26日午後8時45分、最後の力も消え失せた。いし子夫人の追悼句がある「最愛の骸冷えゆく梅雨に哭く」。28日の葬儀の最中、いっときの激しい雷雨があった。
小田原・城址公園の碑「われらは郷土から生まれる われらは大地から生まれる われらは民衆の一人である」、福田正夫の「民衆詩人」たる由縁であろう。城からもさほど遠くない早川の一夜城跡の標識を後追いながら、石垣山の登り口にあるという詩人の菩提寺をさがし歩くと、寺の経営になるのであろうか小さな老人ホームの裏にひっそりと隠れてあった。自筆墓碑銘「福田家之墓」、あるがまま、里はらのごとき一角、赤錆た鉄柵に囲われて、田舎道の辻に立つ道祖神の風様にもおもわれる柔和な石塊。風は止み、新幹線の轟音が人知れぬ奥津城の静寂を切り裂き、山かげに遠のいてゆく。正夫が最後の年、2月6日のメモ帳に書いてあったという二句「冬いちごたべてこの世は終りなり」「冬いちご正夫悔いなく死にぬべし」、詩人福田正夫の死はここにとどまりて時を流している。
