深尾須磨子(1888-1974)
明治21年11月18日ー昭和49年3月31日 85歳 (桃光院清玉法順大姉)
兵庫県明石市人丸町・月照寺



斑猫です
南の国の夏のさかりに
甘え ふざけ こびる斑猫です
色の主題はとりあつめた焦点の黄色で
とり合わされるのが濃青と臙脂と
そして紫です

斑猫です
誘っては逃げ 誘っては逃げ
たくみに身をかわし 身をそらし
捕えようとする手の尺ばかりを
つねに先がけ
つねにあとしざり

斑猫です
花よりもきれいな
宝石よりも美しい
そのくせ捕え手に死を与える恐しい
しかしただ一匹の昆虫です
うまくつかまえて襟飾りにでもしてください
(斑猫)

 大正元年24歳の時、須磨子は京大生の深尾贇之丞と結婚するのだが、大正9年、鉄道技師となった贇之丞の死によってわずか8年間の結婚生活に終止符を打つこととなる。文才もあった夫のために遺稿詩集「天の鍵」を出版し、追憶の詩を載せた。「かはいさうな彼/生まれる時から寂しさをもって生まれて、/その暗いかげから遂に離れえないで/自分のきらひなお役所に/朝から晩まで働いて、/作りたい詩も作る時をもたず、(中略)三十五で死んだ彼/あゝ、かはいそうな彼。/けれども、後にのこって、/こんなことまで思はねばならぬ私は、/彼以上にかはいそうだ。/あゝ、かはいそうな彼、/かはいさうな私。」-――華々しく直情的な須磨子の原型をみるような詩だ。以後の彼女は自らの思うまま、とにもかくにも行動的にそれぞれの時代に突入していった。深尾須磨子、女流詩史上の特筆すべき詩人、昭和49年3月31日死去。

 須磨子最後の作品、「列島おんなのうた」―――大自然の偶像教徒/太陽・風・水・土・/花・草木・鳥・毛物‥‥‥/おんなのほしい夢 不自由なく/深部にすみれのフェロモン分泌やまず/これよ これよ/これが列島おんなやよ  ―――。戦前戦後を通じて多くの外遊を重ね、十数年の滞在をも経てきた須磨子が西洋文化に浸りきっていたことは明白であったが、晩年にいたって辿り着いたのは、やはりなつかしい日本の故郷であったのか、この詩は「古事記」を彷彿とさせる神話のようだと「深尾須磨子の世界」の著者・武田隆子女史は書かれている。
 日本の標準子午線に位置する天文台裏の高台の寺、門前に佇むと雄大な明石大橋が高く霞んでどこまでも延びて、その先に淡路島がぼんやりと浮かんでいる。イザナキ・イザナミノミコトの国生みの神話によってまず最初に生まれた淡路島。神話の島の対岸、この寺裏の落ち込んだ墓地にある「深尾家之墓、碑の側面には遠い年月を経て漸くに贇之丞と須磨子の名が並んで刻まれている。段々状に迫り上がっていく碑石の傍らから直線的な朝日が漏れてくると、わずかな樹木のそよぎを巻き上げて、大屋根の向こう、天文台の丸い先端が淡青な宙空に銀色の光りを放射し始めていた。