小菅留治(1927-1997)
昭和2年12月26日ー平成9年1月26日 69歳 (藤澤院周徳留信居士)
八王子市八王子霊園

助左衛門は矢尻村に通じる砂丘の切り通しの道に入った。裾短かな着物を着、くらい顔をうつむけて歩いている少女の姿が、助左衛門の胸にうかんでいる。お福さまに会うことはもうあるまいと思った。
顔を上げると、さっきは気づかなかった黒松林の蝉しぐれが、耳を聾するばかりに助左衛門をつつんで来た。蝉の声は、子供のころに住んだ矢場町や町のはずれの雑木林を思い出させた。助左街門は休の中をゆっくりと馬をすすめ、砂丘の出口に来たところで、一度馬をとめた。前方に、時刻が移っても少しも衰えない日射しと灼ける野が見えた。助左衛門は笠の紐をきつく結び直した。
馬腹を蹴って、助左衛門は熱い光の中に走り出た。
(蝉しぐれ)
藤沢周平はこう語る、「物をふやさず、むしろ少しずつ減らし、生きている痕跡をだんだんに消しながら、やがてふっと消えるように生涯を終えることが出来たらしあわせだろうと時どき夢想する。」
平成9年1月、入院八ヶ月の後、肝不全のため国立国際医療センターで多くの思い出を残し、別れを告げた作家、明治大正昭和三代の時代小説を通じて、並ぶ者のない文章の名手(丸谷才一氏・弔辞)の痕跡は強い印象を持って今も生きている。
海坂藩七万石の御城下に繰り広げられた侍や町人たちの哀切を読者は忘れない。開けた空に一羽の鳶が舞っている高尾丘陵の洋風霊園に彼は眠る。マロニエ正門通りを辿って行ったその区画には、色こそ違え同規模同型の石碑が、御城下の町割りのように整然と並んでいる。一筋の端っこにある「小菅家」墓、裏面に刻まれた戒名と歿日、留治の銘があった。秋口にさしかかったというのに此の塋域に静寂はない。崖下の雑木林から湧き揚がってくる蝉しぐれを彼は何と聞いているのだろう。
