遠藤周作(1923-191996)
大正12年3月27日ー平成8年9月29日 73歳 (パウロ 遠藤周作) 
東京・府中カトリック墓地
 

「生れ変り?わたくしにはわかりません」と美津子はその時一語一語を区切って心のなかでゆっくりと自分自身に言った。「死ねばすべては消える、と思ったほうが楽だわ。色々な過去を背負って、次の世に生きるよりも」
磯辺の妻の顔がゆがんだのも記憶にある。
「もう一杯、頂けるでしょうか」
 磯辺は胸にこみあげた感情をふり切るように紙コップをさし出した。美津子はコニャックの瓶をわたした。
「それで・…・磯辺さんはこの名前の村に探しにいらっしゃるんですか」
「ええ」
「転生を信じていらっしゃいますの、ヒンズー教徒のように」
「わかりません。妻が死ぬまでは、そんな死後のことなど、まったく無関心でした。死のことさえ考えた事もありません。でも、あいつが息を引きとる前目、言ったひと言が……心の糸に引っかかって、落ちないんです。生きかたをきめました。馬鹿ですな、私も。人生にはわからぬことがあるんです」
 磯辺が立ちあがったあとも、ブランコは軋んだ音をたてて独りゆれた。ちょうど彼の妻が死んでもその言葉が夫の心をふり動かしているように。我々の一生では何かが終っても、すべてが消えるのではなかった。
(深い河)

「死ぬ時は死ぬがよし」という良寛の言葉を好んだ遠藤周作は、結核、肝臓、糖尿など数多くの病歴を持ち、折々に少なからず死線をさまよったが、平成8年4月、腎臓病治療のため慶応病院に最期の入院。9月29日午後6時36分、肺炎による呼吸不全で死去。四千人からの参列者があったという告別式の柩には「沈黙」と「深い河」の二冊が愛用の眼鏡や万年筆と共に納められた。

 キリストを抱く悲しみのマリア像を廻り込んだ横の細道に、溢れるほどの花束を抱かえて「遠藤家」の墓はあった。墓誌には母郁子、兄正介と並んで「パウロ 遠藤周作」と歿年月日が刻まれていた。死の直前に顔が輝き、順子夫人は握る手を通して「俺は光のなかに入って母や兄と会っているから安心してくれ」というメッセージを受け取ったというが、母と兄の間に埋葬され、愛の光に包まれた彼を想ってゆっくりと膝を折った。

「ひとつだって無駄なものはないんです。……ぼくが味わった苦しみ、ぼくが他人に与えた苦しみ……ひとつだって無駄なものはないんです」