
エドワード・ジョージ・サイデンステッカー(1921-2007)
大正10年2月11日ー平成19年8月26日 86歳
東京都文京区白山・寂園寺

最近は今日の日本文学にしだいに興味がもてなくなっている。どうしてなのか、よく自問してみるのだが、たぶんひとつには、今の世界はますますエレクトロニクスに支配されて、活字の重要性そのものが小さくなっているということもあるかちしれない。それに、次から次へと現われてくる新しい文学に昔ほど心を動かされることがなくなるというのは、要するに年を取った証拠であるのかもしれない。新しい文学が同年配か、ないしは自分より年上の人の書いたちのであるあいだは、そうした作品が現に世界の形を変えてゆくように感じるものだ。けれども年下の人たちの書いたものとなると、もうそれほど重大なものとも感じられなくなってくる。
しかし私の場合には、新しい文学が面白くなくなったということは、川端の死と深い関係があるように思えてならない。彼が世を去ってからというもの、私には今日の文学が、もう、それほど心を動かす力をもった存在とは思えなくなってしまったのである。
(川端康成と紫式部)
川端康成がノーベル文学賞を受賞したのはサイデンステッカーの功績があると言われているほど、彼の英訳を通して谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫や「源氏物語」などの日本文学作品を海外に紹介した功績は計り知れない。現に川端康成自身、「ノーベル賞の半分は、サイデンステッカー教授のものだ」と言って、賞金の半分を渡したという。晩年は東京の湯島に住んで、師と仰ぐ永井荷風に倣い下町の挽歌を味わい尽くそうとしていたのだが、平成19年4月26日夕刻、散歩中の不忍池近くの階段で転んで頭部を強打、そのまま意識を失って入院、四ヶ月もの療養の甲斐なく意識が戻らぬまま、8月26日永眠する。
サイデンさんと慕われた彼はもともとカトリックであったが、比較的教義の似通ったところのある浄土真宗にも興味があったようで、最後の仕事になった仏教書の監修中は「改宗されないぞ」とよくつぶやいていたが、最後には「墓は浄土真宗で」と言っていたというエピソードが11月4日に行われたしのぶ会で明かされたという。本堂手前、滝に打たれる観音像の横をすり抜けると城の石門にあるような狭い墓地への階段があり、段に沿った石壁に嵌められた黒御影には夥しい故人名が刻され、その中に「E・Gサイデンステッカー」とある。階段を上りきると思いの外明るい墓域が拡がり、彼の遺言どおり、浄土真宗のこの寺の共同墓所、親鸞聖人の書で「寂」と刻された碑の下に納骨されている。「どの国においても、墓地は美しい」と彼は書いた。今夜は雪の予報だそうな、北国の奥深い湖のようにこの聖域も真っ白に鎮まった美しい世界になるのだろう。