馬場勝弥(1869-1940)
明治2年11月8日ー昭和15年6月22日 70歳
谷中霊園

蝶よ、美はしき蝶よ、汝も亦此の詩人の如きか、汝の双翼の美は、返へりて汝の仇なりき。されど、汝は或者の犠牲たる可き命運の内に生れ出たり。汝は悲しき最期に出會はざるを得じ。思ヘ、秋風吹き盡くして、菊枯れ、霜多き朝、汝は花なき野末に枯死するを楽むか。我むしろ汝が猶、青々たる秋艸の内に斃れて、希望ある此秋の初に逝きしを喜ぶ。我は猶、汝が前生の毛虫の如く、憎を以て殺されざるを喜ぶ。我は又人の為めに愛せられ、人の為めに喜ばれたる汝が生涯を祝す。世には何の咎むべきなきも、只其形の醜悪なるをもて其の生命を失ふ蛇の如きもの少なしとせず。汝は猶此の如き薄遇には陥らざりし。喜ぶぺきかな。
争ひ難きは命運の歸する所か、我等は神と争ふを得可し、されど、定まりし此の天地の形勢を如何にすべき。我等は只怨みつゝ死すべきか。鳴呼汝も我も共に此れ神の為めに祭壇に焼かるゝ小羊の命運を有するものなり、汝は我に先んじて我等が最後の如何に悲しきかを示したり。悼むぺきかな。
(蝶を葬むるの辞)
明治27年26歳、初めて樋口一葉を訪問。「悲歌慷慨の士なりとか、嬉しき人なり」と一葉日記にも記された孤蝶の人柄は、公明正大で竹を割ったような気性であったという。畏兄馬場辰猪は明治21年38歳の時、米国フィラデルフィアで客死したが、孤蝶は昭和15年6月のこの日肝臓癌に腹膜炎を併発し、渋谷区松濤の自宅で72年の生涯を閉じた。
上野の森背後の霊域に林立する蒼然とした墓群は、それぞれの時代に消え去ろうとしているが、明治を飛び出し、平成の蒼穹に確固とした軌跡を描かんと、飛翔の準備を終えた「馬場孤蝶乃墓」「馬場辰猪之墓」は大空に向かって深呼吸をしている。碑影は力強く、くっきりとした先鋭を持って此の聖地を指す。紅色を帯びた土埃が一舞いしたと思ったら、薄っぺらな白雲が急に動き出した。
