荒畑勝三(1887-1981)
明治20年8月5日ー昭和56年3月6日 93歳
静岡・富士霊園

此の世は、仏家の言を藉りて云へば、苦の娑婆てあり、小説家宇野浩二氏の言を藉りて云へば、「苦の世界」である。
釈迦が此の世を苦の娑婆と観じたのは、生病死の煩悶から解脱し難い為であり、小説家宇野浩二氏が人生を「苦の世界」と嘆じたのは、ヒステリーの妻君から釈放せられない結果であつた。
お釈迦さまよ、小説家宇野浩二君よ、私も君等に同情する。私も君等と同感である。だが、君等は私に比すれば、まだまだ如何に幸福だか知れない。君等の煩悶は生病死と去ふやうな、起きて働いて居る昼間のあいだは、余り考へなかつたり、若くは、夜寝てからは別に苦にもならぬやうな煩悶じやないか。
けれ共、私の苦悶は夜も昼も、寝ても醒めても、私の身に附きまとひ、私の身神を責め苛んで居るのだ。私は、起きて居る間はその為に肉体を苦しめ、外へ出たり、人前に出たりする時は、その為に精神を苦しめる。そして夜寝てからでも、連続して居る苦しみの為に、オチオチ眠ることも出来ない程である。目が醒めれば闇の中に、私は翌日の苦痛の予想に煩悶し、眠りに落ちれば、絶え間の無い苦悶はいろいろな恐ろしい形を藉つて、夢にまで私をおそふ。釈迦がいかに生病死の問題の為に煩悶したといつても、まさか三つ四つの時分からではあるまい。小説家宇野浩二氏がいかにヒステリーの妻君の為に苦しんだと云っても、よもや七つ八つの頃からではあるまい。然るに、独り私に在ては、此の苦痛煩悶は殆んどもの心がつくと同時に始まつて、今日も尚且つ続きそして之れから先も、まだ当分は無くなる見込みがつかないのである。
(靴の悲哀)
明治・大正・昭和の三代を烈風の如く走り抜いた社会主義者。昭和56年3月6日午後9時5分、慢性肺気腫に気管支肺炎を併発、東京・世田谷の玉川病院で死去。結核で片肺の機能は無く、胃の半分を切除、そのうえ白内障によって左眼も見えなくなりながらも、社会主義運動の歴史そのものを生きた寒村の93年の生涯は幕を閉じた。
富士は孤高として雲を払っている。風はなお冷たい。送迎のバスから放り出され、途方に暮れるほど広大な霊園に、日本の革命運動と呼応して波瀾万丈の生涯をおくった寒村の墓があった。「赤旗事件」で入獄中、恋人管野すがと師幸徳秋水が通じていることを知り、二人が投宿している湯河原の宿にピストルを持って乗り込んだというほど血気に溢れた男の眠る「荒畑家」墓は、前後左右に並ぶ画一化された墓石のひとつとして馴染んでいた。
