花島鶴夫(1908-1969)
明治41年11月16日ー昭和44年9月9日 60歳 (順徳院鶴翁道寿居士)
雑司ヶ谷霊園

下を向いて、軽く目を閉じていたが、本堂の階段を上る下駄の音が聞こえたので、ひょいと目をあけると、くちやくちやにくずれた着物の裾と、その着物の裾の下から、足首の上の方がのぞいてみえるつんつるてんの股ひきと、穴のあいた黒い足袋に、ちびた下駄をはいている足がみえた。
近亀は、あ、燕雄だなと思った。
本堂の前の敷き石の両側には、焼香をすましたものの、なんだか、すぐには立ち去りかねた三木助が、小さんと立ち話をしていたり、文楽が、若い者たちにことばを掛けていたりして、なんとなく、たいして長くもない敷き石の道に、会葬者が残っている。
そんな中に、燕雄はそんな服装で、堂々と、そして心のこもった焼香をした。
近亀は顔をあげて、焼香し、瞑目し、合掌している桃川燕雄の横顔をみながら、世の中にやア、こんなひともいるんだなと思った。
とたんに、なんだか薄紙がとれたように、目の前がばっとあかるくなった。
桃川燕堆。
世の中から、なにひとつ、されなくッたって、そんなこと、これッぱかりも不服に思ったことがない。それどころか、このひとは、雨の降ることに感謝し、晴れて、喜び、風が吹いてもありがたいと思い、雪が降っても、ああそうか、と思う。どんな辛いめにあっても、泣きごとをいわず、たまに、嬉しいことがあったって、ほんの少し、にッこりするだけである。
桃川燕堆。この世の中にゃア、こんな人もいるんだ。
そう思ったら、近亀は、すうッと、湯浅の死が遠くの方へ飛んでいってしまった。
(巷談 本牧亭)
義太夫語りの八世竹本都太夫の長男として生まれた安藤鶴夫のトレードマークはいがぐり頭にベレー帽、そして太い黒縁めがね。寄席芸を好み、下町の道筋と人情を愛した「安鶴」は糖尿性昏睡のため昭和44年9月9日午後6時50分、都立駒込病院で死去、鬼籍の人となった。
回向者となった安藤鶴夫の墓はこの霊園の煉瓦色を帯びた土庭にある。花島家有縁無縁の霊墓とともに、戒名を刻まれた白御影の墓石が立っている。それぞれの花生に供えられた黄菊の鮮やかさに比して、その碑は幾分かくすんで見えた。「巷談 本牧亭」に現れたおおかたの人々は亡い。作者の好んで歩いた街の風景も人情も大きく変貌してしまった。手向ける線香もない私は手を合わせて敬意を示すのみだった。
