網野 菊(1900-1978)
明治33年1月16日ー昭和53年5月15日 79歳 
青山霊園

「ああ、伊豆のさくら?……」よし子は感嘆して、それまでよし子の視線に入らずにいたさくらの花を見直した。大きな花瓶にさされた大きな枝で、満開のさくらの花がいっぱいついている。姑の心遣いからか、夫の愛情のおくりものか、いずれにせよ、ゆう子のところヘ、ゆう子が数え年二十二歳で嫁いで以来二十二年間毎年の春見慣れていたさくらを今年も見せようと思って届けられたものなのだ。そして、そのさくらを嬉しそうに眺めているゆう子の哀れさが、ひしとよし子の心にこたえた。
「やっぱり、伊豆は暖かいから、さくらも早いのね。東京のさくらは、チラホラ咲き始めたばかりだけど……思いがけなく、伊豆のさくらのお花見をさせて貫えたわ」とよし子は言い、ゆう子とともに、さくらに見入った。よし子は、どらやきとカステラの箱包みのみやげを貰って、「では、また来るわね」と言って元気よげに病室を出たが、廊下へ出るや否や、心も足も重くなった。ゆう子の、いつにない優しさに、かえって不吉な予感を感じるのだった。
帰りの都電の中で、よし子は人目も忘れ、ぐったりと窓にもたれ、ゆう子への哀れみと悲しみに、うちひしがれていた。
(さくらの花)

 この作家の作品はおおよそ私小説である。そして常に何らかの「死」が 描かれている。一般的に言えばおそらく不幸な運命によって成り立っている人生であろう。7歳で実母と生き別れ、以後、3人の母を迎えている。異母妹弟は戦争をはさんで、行方不明や病死によって惜別。自らも不幸な結婚生活を経験し、この「私」だけの人生を執拗に、客観的な眼で透視している。昭和53年5月15日午後5時15分、千駄ヶ谷・代々木病院、腎不全で逝った作家の瞼は、穏やかに閉じていた。

 終生の師、志賀直哉が眠る青山の墓地の西はずれ、急坂が落ち込んだ窪地にある「網野家之墓」は、翳り繁った葉陰から差し込んだ低い陽射しに映ってあった。石碑に「菊」の名はない。濃く沈んだ塋域であったが、裏筋にある縁者の墓参に訪れたと思われる、家族連れの幼女の抱かえた白菊が、冴え冴えとした明かりのように揺れて見えた。