秋元不二雄(1901-1976)
明治34年11月3日ー昭和52年7月25日 75歳 (秋海院俳禅不死男居士)
静岡県・冨士霊園
冬空をふりかぶり鉄を打つ男
子を殴ちしながき一瞬天の蝉 (街)
独房に林檎と寝たる誕生日
歳月の獄忘れめや冬木の瘤
鳥わたるこきこきこきと罐切れば
今日ありて銀河をくぐりわかれけり (瘤)
つばくろや人が笛吹く生くるため
ライターの火のポポポポと滝涸るる (万座)
口中へ涙こつんと冷ややかに (甘露)
太平洋戦争に突入していった時代、新興俳句運動の動向は危険思想の一つと位置づけられた。秋元不死男にも治安維持法違反という厳しい現実が襲いかかり、2年におよぶ投獄生活を余儀なくされたが、そのことは不死男にとって急進的リアリズムから自在なる枯淡の句景へと辿る道筋の瘤のような傷痕であった。昭和51年10月、以前より血便の異状を感じていた不死男は入院、直腸癌摘出手術をしたのだが、翌年2月再入院の後は再起すること叶わず、7月25日、「ねたきりのわがつかみたし銀河の尾」の絶句を遺して、75年の生涯を閉じた。
この墓地は不死男が生前に求めたもの。「氷海」にその時の句「富士の根にわが眠る鳥わたりけり」が収載されている。墓は死の翌年に妻阿喜が建てた。先祖来の菩提寺は埼玉県戸田市の妙厳寺にあるので、この墓には分骨されてある。花も何もないスッキリとした墓域に「冷されて牛の貫禄しづかなり」と刻され、白々とした碑が朝日に照らし出されている。富士山が真っ向に見える。今日もさわやかな風が舞って、懸想通りに眠ることとなった富士の根で、毎日の如く輝ける霊峰を仰ぎ見ているのだろう。