
安部公房(1924-1993)
大正13年3月7日ー平成5年1月22日 68歳
東京都八王子市・上川霊園

もうこれ以上、一歩も歩けない。途方にくれて立ちつく すと、同じく途方にくれた手の中で、絹糸に変形した足が 独りでに動きはじめていた。するすると逼い出し、それか ら先は全くおれの手をかりずに、自分でほぐれて蛇のよう に身にまきつきはじめた。左足が全部ほぐれてしまうと、 糸は自然に右足に移った。糸はやがておれの全身を袋のように包み込んだが、それでもほぐれるのをやめず、胴から 胸へ、胸から肩へと次々にほどけ、ほどけては袋を内側から固めた。そして、ついにおれは消滅した。
後に大きな空っぽの繭が残った。
ああ、これでやっと休めるのだ。夕陽が赤々と繭を染め ていた。これだけは確実に誰からも妨げられないおれの家だ。だが、家が出来ても、今度は帰ってゆくおれがいない。
繭の中で時がとだえた。外は暗くなったが、繭の中はい つまでも夕暮で、内側から照らす夕焼の色に赤く光ってい た。
(壁)
「悩み、笑ひ、そして生活する為に、人間は故郷を必要とする。故郷は崇高な忘却だ」と見極めた安部公房。平成4年12月25日深夜、箱根町の山荘で執筆中、脳内出血による意識障害を起こし入院、翌1月16日一時退院するが20日に再び悪化。多摩の永山病院で、22日午前7時1分、急性心不全のため死去した。前衛的あるいは都市的と形容された彼の立ち止まることのなかった道程に肯定すべき故郷はあったのだろうか。
つづら折りの参道には遅咲きの躑躅が咲き競っている。重なり合った山々は霞んで、深緑の息づきのような薄いベールがゆっくりと昇っていく。「安部君の手にしたがって、壁に世界がひらかれる。」と短編集「壁」の序文を贈った石川淳の墓が擁護者のように見下ろしている雛壇下に、かっては台石に木柱墓が建てられていたという「安部家之墓」も永年の風雨に晒されて朽ち果ててしまったのか、今はその台石の窪みに高さ40センチほどの小さな緑岩石が置かれている。主を示す文字もない。ただ自然のままの岩肌が雨音だけの聖域の中に、海に沈んだ遺跡のように濡れていた。
