本筮について


気学や四柱推命、西洋占星術も非常に奥の深いものですが、生年月日の統計学です。
本筮は統計学ではなく、心を無にして神様に祈り質問することのできる占いです。
生年月日がわからなくても名前がわからなくても、その人物の性格や生き方までも、質問すればみごとに教えてくれます。もちろん性格判断だけではありません。どんな質問に対しても吉凶判断だけではなく、あなたの知りたい事を聞けば、そのことに関して答えてきます。
また、未来の結果を引き起こす原因が何であるかも示されますので、未来が悪ければ、原因と成る事を変えることで未来を変化させる事を可能にします。
もし、お客様が離婚することの運勢を聞いた場合、離婚することの吉凶だけしか答えない占いがありますが、本筮易は夫婦の関係が示され、どういう夫であり、どういう妻であるかが分かるために、悪い点を修正する方向をアドバイスできます。もちろん相手が悪すぎて努力が功を示さない場合もありますので、修復できない夫婦関係であるという答えが出てしまう事もあります。

人の心の中も見ることが出来ます。今何を考えているのか、○○についてどう思っているのか、その人のあらゆる能力・知力・体力なども見抜けます。
幸せとは何か、真の芸術とは何か等の哲学的質問にも答えます。
辞書を引くように、言葉の意味も答える事ができます、などと書くと、それは私が自分の知っている知識から答えているに違いないと思う人もいるでしょうが、信念と思い込みの違いは何か?など微妙な差について質問しますと実におもしろくうがった答えが出ます。
占いに示された答えに対して、占い師の個人的な意見は一切入っていません。遠い状況を知りたければ、祈り質問することで瞬時にわかりますので、いかに、この世のすべてのことが見られているか、又すべての思いが天に届いているということを実感せざるを得ないのです。
 
天に祈りが届いている事を占うたびに実感するのですが、天が人の思いを聞いて下さるなら、なぜ人には苦労や悲しみが多く、助けを求める人たちの祈りが聞き届けられないのだろう、とこんな疑問も湧きますが、生き方のコツを知らずにお祈りだけしても人生が思いどおりにはいかないのです。

運の良い年、悪い年があると良く耳にしますが、どんなに良い年であっても悪い物を選べば、また問題に対して適した行動を取れなければ、悪い運勢になるのが自然の理です。
同じように悪いと言われる年回りでも良いものを選び、危険なものを占いで知ることができるならば、それを避けることも可能なのです。
つまり悪いといわれる運勢であっても良い運勢にすることが可能なのです。
もし、生まれたばかりの赤ちゃんの運勢を占なって、この子は運の弱い子で幸せが薄い子ですといわれ、あきらめてしまったら、本当に運の弱い人生になるでしょうが、人の運勢を否定するのは人間の努力の効果を否定する事になります。
私は現在は原宿の占館タリムにて、土曜日のみですが公開させていただいております。お客様から、 「占いがここまで分かるとは思わなかった」、「これは、占いを超えています」と感想を頂きますと、占う喜びに浸ることができます。
若者の遊びの町、原宿の竹下通りにある「塔里木」という占いのお店にいる私に「何でこんなところで働いているのですか?」と不思議がるお客様もいます。

「あなたがこんな店で働いているのが悲しい」とも言われたり、あなたの占いをブランド化するべきだと熱心なアドバイスや、その方向に導いて下さろうという気の良いお客様までいてくださるのですが、今の私はなじみの仲良くなったお客様たちに気楽な金額で気軽に親しんでいただけるのが、幸せなのです。
しかし、私の占いを人に教えてはいけないとお店から命じられておりますために、いつまでも今のお店にいる事もできないのですが、しばらくの期間は気楽に皆さんをお受けして行きたいと考えております・・・(笑)
母子家庭で母一人子一人のお客様が、辛い職場をもやめたくても生活の為にやめられず、生きているのが虚しくなって失踪を考える事があると、話してくださった人がいるのですが、お金をやっとこためて、半年に一度の間隔で占いに来るのが自分にとっての唯一の気晴らしなんですと、おっしゃって頂くと、やっぱり自分の占いをしばらくは高級ブランドのような高額にはしたくないという気持ちになってしまいますが、こんな根性では自分の占いの価値を下げていると叱咤激励も頂いたりで、なかなか複雑な思いであります。