2017.4月号

■平岡正明『風太郎はこう読め』を読んで。

はじめに

 私が、同書の存在を知ったのは、まったく偶然のことだった。木田元の第二エッセイ集『哲学の余白』に目を通していたおり、つぎのような記述を発見した。
《身のほどもわきまえず、とんでもない仕事〔『山田風太郎明治小説全集』愛蔵版全七巻の解説〕を引き受けてしまったと後悔しているが、今となっては仕方がない。
(略)
  といっても私は、『風太郎はこう読め』を書いた平岡正明さんのように、風太郎の作品を隈なく読みつくしているというわけではない。》
見てのとおり、本書にかかわる言及は、《〔平岡が〕風太郎の作品を隈なく読みつくしている》ということのみで、その内容にかかわるものについては、なんの言及がされていない。
 そのおりの私の心象は、「あの平岡がねぇ」というもので、木田が、中身についてはスルーしていたこともあり、それ以上は気にとめることなく、済ませていた。なお、木田が、なぜ、このような描き方をしたかについては、あとでふれる。

 それでも、なんとはなしに気になっていたようで、関川本の検証を、ひと段落させた先月末、なんとはなしにネットで、同書を検索してみた。と、どうだろう。平岡は、関川に先だつ三年前に、本書を公刊しているではないか。しかも、副題は「山田風太郎全体論」とある。にもかかわらず、関川は、本書について、一言も言及していない。いってみれば、完全に無視している。
 なお、右に、私が「あの平岡がねぇ」としたことについても、後述する。


■なぜ、かくも本書は、無視されるのか。

 ザッと目を通した私は、なぜにこうまで本書が無視されるのかとする疑問を感じた。
その疑問の解明にかかるまえに、まずは、序文を引く。

《いよいよ一書がしあがるというかるい興奮でいったん筆をとめて、あとは序文だけだぞという状態にして、一晩眠って、ポーンと二十四時間飛ばして、原稿用紙をとりだした今、見本刷りが山田風太郎家の郵便受けにとどくイメージを見た。
 数週間後、本書の最初の読者となるのは山田風太郎氏と俺なのだ。見本刷りは著者と論じられた当人と取次店窓口にゆくが、山田家の郵便受けに書冊と手紙類の束を投げこんでから聖蹟桜ケ丘の坂を下ってゆく郵便屋さんの赤いバイクのポポポ……という音が聴こえるように感じる。たぶん拙宅の保土ヶ谷の坂を下ってゆく赤いバイクと同時刻だろう。
 本の最初の読者は著者だというのはアフォリズムでもなんでもない。手書きの原稿は自分だが、活字になってしまうと他人だ。その間に校正刷りという自分と他人の中間のような段階があって、ひりひりと薄皮が剥がれてゆくようなむずがゆい状態を著作家は経験するものだが、それが商品見本として戻ってきたものを手にしたとたん、人それぞれの濃淡はあるだろうが、書き手にはなんらかの空洞がくる。この空洞のなかで冷酷な読者として自分の本を眺めることになるのである。
 今回、なぜか見本刷りが山田風太郎氏の手許に届いたときのイメージがみえてしまった。俺の凸は彼の凹、彼の凸は俺の凹という、そういうふうに両方から見られる数時間をこの本はすごすことになるだろう。それが容赦のない二つの批評眼だということは覚悟している。
 小説には巻末解説がつき、書評されるから、美人が写真を撮られなれているように、山田風太郎は論じられることに慣れていると思うが、この七十歳の大作家はこれまで一方的に書き、楽しませ、論じる側にいる自分が、一冊を挙げて論じられたことにとまどうのではないか。とまどわせたい。そのくらいは山田風太郎に迫りたい。俺らしくもなく小さなおびえがあるが、よし、行ってこい、勝負してこい。
 アカい山田風太郎論ができた。いやいや、山田風太郎がアカいのではなく俺がアカいのだが、忍法帖も明治開化小説も俺は革命思想として読んだのだから、本書が世の風太郎ファンからブーイングでむかえられることを期待する。その点に関してはなんとでもどうぞ。彪大な数の風太郎ファンの中から俺は俺の意見に同調する少数派をもとめる気持は最初からなく、こういうふうに山田風太郎を読まなくちゃいけないんだぞ、ともっぱら主張した。担当者山本光久氏は俺のやりたいようにやらせてくれた。
 なにか今夜はいつもとちがった雰囲気の夜だ。
 一九九二年十月二十八日》

 短いものなので、全文を転載した。見てのとおり、長年かけて追究してきた課題を、ここにきて、やっとのことで一本にするまで書き終え、あと数日で、いちばん読んで貰いたいひとに見せられる。そう思うと、いても立ってもいられないほど昂奮を抑えきれない――そういう思いにたけを、平岡は、そのまま記事にしている。
 周知のとおり、これまでに、平岡は、数え切れないほど数多くの著作を公刊している。そういうひとが書いたものとは思えないほど、舞い上がった感情的な文章である。

★では、なぜ、こんなうわずった序文になったのか。
 それは、平岡の山田風太郎に対する「思い」が、きのう、きょうに始まったことでないことに根拠がある。
 平岡は、一度だけ、山田と面語している。以下は、そのおりの記事。
《ご記憶でしょうか、一昨年秋(六九年)、とつぜん訪問させていただいたときに、『外道忍法帖』や『魔天忍法帖』やの、結構に破綻のきたした諸作品を私が好み、あなたは意外であるとおっしゃいました。
 風太郎忍法帖の佳作をあげるならば、という前提では『天の川を斬る』『伊賀忍法帖』『おぼろ忍法帖上中下』などの、ロマンの香りが首尾完うした筋立のなかに閉じこめられた作品を推すということではわれわれの意見は一致しました。さらに、それらの諸作を推す理由は、あなたが探偵小説畑出身の作家だからだということでも意見は一致しました。》(「山田風太郎への手紙――『戦中派不戦日記』書評」)

 右の記事が記されたのは、本書発刊にさかのぼる二十三年前、平岡二十八歳、山田四十七歳のときのこと。平岡は、すでに処女作『韃靼人宣言』を上梓し、いちやく「ときのひと」になった五年後。山田は、忍法帖シリーズが大ベストセラーになっていた時期である。
このあとも、山田の側から平岡に言及している記事は、どこにも見当たらない。右に紹介した平岡の「激しい恋慕」にもかかわらず、……。したがって、この二十歳年下の「愛読者」が吹きかける一方的な議論に対して、山田が、どのように対応したのかについても、わからない。わかっていることは、ただ一つ。山田が、平岡を、完全に無視していたことだけ。

 右に引いたくだりを受け、つぎのくだりにつづいている。
《そのとき、山田風太郎という作家はすぐれて自己把握が適確な作家だという印象をとどめております。そのことは本日記全体によって証明されましょう。
 しかし、私があなたの破格の忍法帖に惹かれたのは、ウル忍法帖のようなものを考えていたからであり、風太郎忍法帖の思想性に興味を有したからです。その方向で、私は何本かのエッセイを草してまいりました。》
 ここから先の引用は省いたが、最後のくだりは、それまでに平岡が書いた論考の自己宣伝につづいている。要は、山田に対して、平岡は、ここでも精一杯己を山田にうりこみ、かつ、ラブコールをしている。このおりの平岡は、三十歳。二十八で始めた山田に対する恋慕は、本書を書いた五十一歳まで維持されていたということである。
 ここで平岡の名誉のために記すと、この「書評」は、あくまでも山田の『戦中派不戦日記』に対するものであり、詳細は省くが、その分析と評は、きわめて秀逸である。


■本書は、読むに値しないものなのか。

 山田文学のファンで、山田について書いている著者に対して、山田は、おおむね寛容をもって対応することを、つねとしている。関川夏央しかり。荒井敏由紀・小山晃一のコンビ、森まゆみ、有本倶子然り。木田元だけは例外で、山田と面語することなしに、記事を書いている。
 察するに、木田の場合は、著述を業とするものでなく、本業は哲学。専門の哲学の余技とし、一ファンとして記したことに理由があると思われる。山田にしてみれば、まったくの畑ちがいの哲学者に、これほどのファンがいることは、気分が悪いものでなかったはず。
こしてみると、唯一の例外が、平岡正明だったということになる。問題は、本書が、評の対象にした当人に無視されただけでなく、業界全体からも無視されているところにある。
 では、本書は、それほど無価値なものなのか。
 その本論に入る前に、まずは、本書の概要について略記する。

★本書の成立まで。
 本書が公刊される前に、平岡は、収録された草稿を、つぎのように書いている。

〈初出一覧〉
 『幻燈辻馬車』論 『早稲田文学』一九九二年六月号
 天田五郎について 『早稲田文学』一九九二年七月号
 エセ官軍論 『早稲田文学』一九九二年八月号
 五寸釘なんてご挨拶だね 『早稲田文学』一九九二年九月号
 「いろは大王の火葬場」論 書き下ろし
 狂気はどこまで成熟したか 『現代の眼』一九六九年十一月号
 風太郎の魔界『季刊NW・SF』一九七〇年一月号
 対忍法帖自己批判 『週刊読書人』一九七一年十一月二十二日号
 山田風太郎への手紙 『現代の眼』一九七一年四月号
v『夜よりほかに聴くものもなし』解説 現代教養文庫942『夜よりほかに聴くものもなし』一九七七年六月
 風太郎忍法とカラテ 『別冊新評』一九七七年七月
 『妖説太閤記』の分析 『道』一九七七年一〜三月号
 婆沙邏的中興 『同時代批評15』一九九一年一月
 さらに大きな山田風太郎 『サンデー毎日』一九九二年十月四日号
 異ヴァージョン論 書き下ろし

 見てのとおり、一九六九=昭和四四年に最初の草稿が書かれる。一九七一=昭和四六年まで(四本)。
 ついで、五年おいて一九七七=昭和五二年に三本。
 さらに十三年おいた一九九二=平成四年に書き下ろしもふくめて八本の草稿がかかれている。(うち一本は平成三年)

 要するに、大きく分けて、これらの論考は三つの時期に書かれている。それを、平岡は、四つの章に分け、一本にし、上梓したのが本書なのだ。

★本書の特徴。
 本書は、山田が書いたもので、ほかの評者が、採り上げていない作につて初の評価をしていること。一つめ特徴は、そこにある。
 私が知るかぎり、国定龍次について採り上げ、論じたのは、本書掲載の「旅人国定龍次論」にもである。
 以下、便宜上、『旅人」国定龍次』(廣済堂文庫)の解説(細谷正充)を借りる。

《いきなり問題提起をしてしまおう。なぜ、山田風太郎の時代小説には、渡世人を扱った作品が少ないのだろうか? いやはや、これが本当に少ないのだ。長篇では『忍法笑い陰陽師』に国定忠治が、また『武蔵野水耕伝』では国定一家を筆頭に博徒の面々が重要な役所を占めるが、あくまでも脇役。短篇に目を転じても、本書の原型ともいえる「大谷刑部は幕末に死ぬ」(本書にも、ちらりと顔を見せる千乗坊が主人公)と、既に本文庫に収められた「長脇差枯野抄」ぐらいしか思いつかない。正史が斬り捨てた歴史の影の部分を伝奇的手法で描く風太郎作品の住人として、アウトローである世渡人がもっと大きな地位を占めても艮かったのではないか。だが、作者は渡世人に目を向けなかった。なぜだろうか。ひとつの答えとして考えられるのが、作者のオリジナリティと作品世界へのこだわりだ。
 時代小説の中で、渡世人を主人公として物語を俗に 股旅物≠ニ呼ぶが、これは「険の母」「一本刀土俵入り」「沓掛時次郎」などにより長谷川伸が開拓したジャンルだ。股旅物などというと古臭く感じる人もいるかと思うが、これらの物語は単純な勧善懲悪ではなく、さまざまな感情に苦悩する人間たちのドラマとなっていて、現在でも読みごたえがある。だが、こうして造りだされた股旅の世界はやがて形骸化し、義理と人情が幅をきかす、日本の風土に根差したきわめてドメスティックなものへと変貌していくのであった。
 この義理と人情に彩られた世界は、どちらかといえば作者が嫌悪するものである。だから、作者が渡世人を主人公とするならば「長脇差枯野抄」のように、日本人好みの風景に疑問を投げかける役割を担うためだけの存在となるのは当然といえよう。そして何よりも股旅物≠ネる名称までついた、先人の切り開いたジャンルを追随することを、作者の衿持が許さなかったのではないだろうか。なんといっても忍法帖や明治物という、それまでなかった作品世界をたったひとりで造り上げてきた作者だ。オリジナリティに対するこだわりが、半端ではないことは間違いない。》

 右のように、細谷は、山田が、ほんらいなら書いてしかるべきアウトローの世界を「書いてこなかった」理由についてふれたうえで、つぎのように問題をたてる。
《だがしかし、デビューから約四十年を経て、作者は渡世人を主人公にした長篇を書き始めた。そこにどのような意味が込められているか。》
 そして、その解を、つぎのように、細谷は、提示する。
《いくら崩壊しつつあるとはいえ、まだ厳格な身分制度が存在している時代だ。普通の庶民が時間と空間を丸ごと捉えるような旅をすることは不可能といえよう。この問題点をクリアするために登場したのが旅人国定龍次なのだ。渡世人ならば、さまざまなくびきに捕らわれることなく、日本を歩き回ることができる。そんな身分制度の埒外にいる渡世人こそ、まさに侍の対極にいる存在なのだ。だからこそ、作者は渡世人を本書の主人公に据えたのであろう。》
 右の指摘をふまえたうえで、平岡に話を戻す。
 平岡の場合、「あらゆる犯罪は革命的である」と公言し、主観的のは、みずからアウトローであろうとしてきた。そういう平岡が、山田風太郎を論じるに当たって、なにをさて措いても、当時にあっては唯一の自由人だった渡世人・『旅人国定龍次』を書いたのは当然だった。

 二つめは、平岡が『忍法破倭兵状』に言及していることである。同書のちくま文庫版は、標題とした作のほかにつぎの五編を収録している。
忍法鞘飛脚
忍法肉太鼓
忍法花盗人
忍法しだれ桜
忍法相伝64
 一冊の文庫本(四百ページ弱)に、六編載せているわけで、当然のこと、各編の量は少ない。いうところの短編集である。
「破倭兵状」は、直訳すと「投降兵録」。秀吉の朝鮮侵略にさいし、海を渡って朝鮮に攻め入った日本兵のうち、朝鮮に降った兵を指す。
 彼らが倭寇と呼ばれ、東南アジア各地で恐れられた存在だったのは、周知のとおり。勇猛果敢で知られる彼らは、投降にさいしても、いささかもものおじせず、百の単位で、堂々と降り、そのまま朝鮮軍に属する。が、金王朝のは、これを管理できず、やむなく鴨緑江を渡った異族と戦わせる。ここでも彼らは、勇猛で、倭兵の死者一に対し、敵の死者は十超だったという。
 ここで留意しておきたいのは、家康によって、徹底した刀狩りがおこなわれ、鎖国された徳川幕藩体制の二百五十年が、結果としては、太平洋戦争下の戦陣訓に結実し、沖縄戦では、じつに無残なかちをとる。山田が、この小品を記した背後には、そのような無念があっただろうことが、推察される。
 山田の記事は、侵略された、朝鮮側の記録に多く依拠しており、それなりの客観性が保つ努力されている。
 ふつうの著者なら見落としがちのこの記録を発掘し、短いものではあるが、一編を起こした山田の炯眼は、見事だ。それを、逃さずに拾い上げた平岡も、また、立派だと思う。

 三つめとして、じつは、この三つめこそ、平岡が本書で書きたかった最大のもので、第V講「妖説太閤記』の分析」。
 じじつ、平岡は、この記事に、本書でいちばん力を入れている。中身の詳細については省くが、平岡の指摘は、この記事があって、はじめていうところの「明治もの」(平岡いうところの「開化小説」)を、山田は生み出せたとする。卓説である。

【付記】
 残る課題は、右にふれたような積極性をもつにもかかわらず、なぜに平岡は無視された(あるいは、不当に嫌われた)のか、である。あおの解をみつけらないまま手持ちの時間が切れたゆえ、そのことについては、次号でふれることにする。
2017/3/25


2017.4月号
編集ノート

■都議選までもつか。

都知事就任後、はや半年を過ぎた。小池の課題は、七月におこなわれる都議選まで、いまの人気を維持し、都議会において、圧倒的多数派を確保することにある。が、このところ、都議会自民党は、腹を固めたようで、「筑地が安全だというなら、なぜ、同じ条件にある豊洲を開業しないのか。」と主張し、小池を攻め始めた。
いうまでもなく、小池のものいいは、二重基準であること明白。で、「都議選で筑地問題を争点にする。」とするいままでの主張を、微妙な言い回しではあるが、後退させている。このままでは、従来どおりに曖昧な姿勢で、七月まで引き延ばすのはむづかしくなってきている。
筑地移転を是としたとたんに、八割あるといわれる小池支持は、大幅に目減りする。へたをすると、半減しかねない。だから、なんのかと理屈を付けては、引き延ばしを謀っているものの、もう限界にきている。そんなところへ、籠池発言が飛び出し、ここ数週間は、小池問題はテレビでとりあげられなくなってきている。強運である。
強運は、政治家が保持すべき資質の一つではある。が、それも、そう長くはつづきそうにない。ハッキリしているのは、このままでは、七月まではもたないということ。ここひとつきほどは、政治家としての小池百合子の正念場である。

■民主政治のよりどころ
民主政治のあり方について、佐伯啓思が、的を射たことを記している(3/3「朝日」)。
《メディアが提供する情報をわれわれは「事実」だと思っている。ではメディアは本当に「事実」を報道しているのだろうか。》
と問い、
ウォルター・リップマンの『世論』を引き、
《メディアがいう「事実」なるものは、その取材者の世界観や先入見によって「世界」を恣意的に切り取ったものだ》とし、
《それは、ジャーナリストの悪意というより、人間の認識そのものの構造なのだ。》とする。
ここで、豊洲問題に引きつけていうと、
《東京都の豊洲市場予定地についての確たる「事実」はどこに》もなく、《すべては「見方」の問題で》であり、《民主主義というものは、客観的で確かな事実や真実などわからない、という前提にたっている。それより、人々がそれをどう判断し、どう解釈するかという個人の見解の自由に基礎をおいている》
と、佐伯は、する。佐伯の結論は、つぎのとおり。
《われわれが頼りにすべきものは、「事実」そのものというより、それについて発言する人物(あるいはメディア)をどこまで借用できるか、という「信頼性」だけなのである。その信頼性を判断するのは結局われわれ一人一人なのである。われわれにその判断力や想像力があるかどうかが政治の分かれ目になるのであろう。》
(2017/3/25)



更新 2017.3.25
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