- FSTAGE MES( 4):ストレートプレイ :『かべすの幕間(マクアイ)』 00457/00457 PXF00472 手塚 優 R/T.P.T. Vol.16『ピアノ』(ベニサン) ( 4) 97/02/11 19:58 00427へのコメント 昨年の初演については、#95と#114からのコメント・ツリーをご覧ください。 2/11(祝)2:00〜の回を観ました。席は入って左側奥の上で初演の時と近い位置でした。 エスメラルダ・デヴリンさんのセットの印象が前回とは随分変わって、直線的な白木 の板ですっきりした装置で、日本的な意匠はすっかり払拭されています。また、 舞台の使い方も、吊り橋やその下の道がなくなった分、両側から観客が見つめる中央 のトラヴァース舞台で方向性が一つに集約されてます。この横長の舞台の方向に長く 影を伸ばす照明も、舞台をシンプルに見せています。観る側も視線の移動する方向が 前回よりも定まって観易い感じでした。 開演前にトンカチカンコン、ノコギリギコギコとなにやら一部で客席を直してて、 どこか壊れたのかと思ったら、車椅子の方のための席を用意してたのでした。でも 時間がおす事もなく、ほぼ予定通りに開演しました。 公演のパンフにある演出家の文章は、余計なものなのかもしれませんが^^;、でも興味 深いものがあります。今回の中島晴美さんの文章のタイトルは"『ピアノ』−重い物"。 冒頭で、この機械仕掛けのピアノを運ぶ二人(深貝大輔・大川浩樹)は、その値段を 聞いて、重いわけだと納得します。当時の1000ルーブリがどれぐらいの価値なのかは 知りませんが、この重さはピアノの中に仕掛けられた自動機械の重さなのでしょう。 前回はその"機械じかけ"が気になりましたが、今回はその"自動"の部分に興味を持ち ました。一度プログラムされスイッチが入れられたら、外からスイッチを切るか、 内部の動力源が枯れるまで、止まらない自動機械。時には調子が狂って暴走すること もある。しかし、基本的にはあらかじめプログラムされたもの以外は、演奏すること ができない自動ピアノ。そのピアノの弾く音楽を聞くと、踊り出さずにはいられない 佐藤オリエさんの演ずる女主人アンナを見ていて、なぜかそんな連想が湧きました。 そしてこの止まらないダンスの白眉が二幕での植野葉子さんの踊りです。宝塚出身の 彼女の軽やかなステップを目の前で観れただけで、ファンの一人として、今回は満足 です。(^^;) ただ役柄としては、前回の吉添文子さんのような引きずる影の大きさが、 全く感じられないのが、対照的で興味深かったです。恋人と別れてまで夢見た女優へ の道をあきらめて、結婚したことに対する残された悔いが感じられる前半は吉添さん で、後半の昔の夢よもう一度って感じで堤真一演じるプラトーノフに対して両手を広 げるあっけらかんなとこは植野さんが合ってるかな。でも、他もみんなそうなんです けど、対照的な面を併せ持った難しい役の多い芝居です。その中では、前回に続いて 飲んだくれの医師役の大森博さんが、前回は嫌いだったんですけど、今回は逆に好感 を持ってしまいました。前回の初演のR(#142)では差別発言してたのは、この医師だ とばかり思ってたのですが、今回観たら、気位の高い地主(石橋柘)の台詞でした。 あと前回からやっぱり好きなのは、大川浩樹さんのキャラクターです。 戦争や音楽や教育といった貴族たちの領分であったものが、その基盤を失って、 滑稽な猿芝居と化してゆく。その中で何に対して真剣になれるのかという問いかけ かなとか考えたりしましたが、やはり今回の再演を観ても、まだ自分にはよくわから ないとこの多い芝居でした。 ------------------------------------------------------------------------------- 00545/00545 PXF00472 手塚 優 RE:R/T.P.T.ワークショップ1日見学会 ( 4) 97/04/01 02:35 00540へのコメント ある日突然さん、昨年(#080)に続いて、今年も詳しいRをありがとうございます。 (引用略) 実は僕も同じでした(^^;)。見学したのも同じ3/27昼の回。楽しみにしてたのに、行け なかった会員の方もいるだろうから、できれば週末も入れてもらいたいですね。WSは 見学のためにやってるわけではありませんから、仕方ないですが。でも、たった一日 の見学だけでも、毎年得るところの多い、非常に密度の濃い時間です。 なんてこと書きながら、実はちょっと遅刻してしまったので(^^;)、エクササイズの 最初の方で何をやってたのか、ある日突然さんのRのおかげで、知ることができて、 感謝です(^^)。自分がスタジオに入った頃は、ちょうど受講者のみなさんが仰向けに 横たわっていたところでした。それから各自のペースで身体を起こします。その時に 自分のそれまでの身体感覚の時間の流れをもう一度確認しながら、というような指示 が出てたと思うのですが、それがとても興味深かったです。ちょっと既に記憶が曖昧 で、もう正確なこと覚えてないのですが、自分の勝手な思い込みで書くと、この エクササイズの目的の一つは、まわりの状況も含めた自身の身体空間の把握に敏感に なることと、もう一つは、その演技空間を共有するパートナーに対して信頼感を持つ こと。ルヴォーさんが見学者のことを気遣ってくれて、一度、後ろで観てる我々の所 まで来て、今のエクササイズの狙いを解説して下さった時は、うれしかったですが、 その時の話がそういう内容だったような気がします。(^^;)ザルな記憶ですいません。 あと、参加者の中に植野さんの姿を見つけた時もファンとしてはうれしかったです。 ある日突然さんが上げて下さった名前以外では、あとやはり去年も受講されていた 原サチコさんの姿を今年も見掛けました。ロマンチカの形の美しさを追求するような 舞台もいいけど、ルヴォーさんのような生々しい舞台での原さんというのもどんなか 一度観てみたい気もします。 通訳の方が、また前回から替わって若い方でしたね。なんとなく見覚えがあったので、 いつもT.P.T.公演で案内とか手伝われてる方かもしれない。以前の垣ヶ原美枝さんの ルヴォーさんの言うことを2倍にも3倍にして伝えてくれるような印象の通訳とは少し 異なりますが、やはり的確にしかも素早く、通訳されてた感じで、受講者とルヴォー さんのコミュニケーションに全く支障は感じられませんでした。もちろん、ルヴォー さんの日本語を察する力もかなり寄与しているとは思いますけど。ところで、なぜ ルヴォーさんの通訳はいつも女性の方なんでしょうかね。 ピンターの『背信』はT.P.T.が第3回公演で取り上げた作品。ジェリーの役は作家 じゃなくて作家エージェントのようです。この役に塩野谷正幸、その不倫の相手・ エマに佐藤オリエというのが、T.P.T.公演(93.7)のキャストでした。この舞台を 観た時は、時間を遡るという戯曲の構造がうまく把握できてなくて、正直、自分は あまりよくわからなかった芝居だったのですが、今回のシーンスタディでは、 ルヴォーさんの的確に状況把握した指示もあって、とてもわかりやすく、その場面の 二人の感情の流れみたいものを感じる事ができました。舞台の楽しみ方って、 いろいろだと思うし、舞台上にはセットや照明、役者の個性など、いろんな要素が あると思うけど、ワークショップでは、そういうのものはひとまず置いといて、 戯曲に描かれた人物の意識の変化や湧き上がってくる感情の動きに焦点を絞り、 それを役者自身の心の中から丁寧にとりあげ、想像力で育てるような作業をしている ように感じられて面白いです。感情の芽みたいなものが、見学してる我々にも伝染し、 一人一人の胸の中で育っていく、そんな勝手な想像をしながら見てました。 ルヴォーさんがシーンスタディで取り上げるのは、いつも男性が女性に責められたり、 あるいは逆に女性に許されたりといった、女性上位の場面ばかりの気がします。 今回の、この『背信』の前には、去年T.P.T.でやった『エレクトラ』の中の エレクトラがお守り役をなじる場面が取り上げられてたような話でした。どの場面 だったか、自分はよく覚えてませんが、この日の『背信』の場面とも共通する点が あるというようなことを話してましたから、やはり同様な場面だったんじゃないかと 思います。女性が主で、愛情どうこうって場面が自分に解るわけないのですが(^^;)、 (過去に出会った全ての女性が自分に対して好意を抱いたままでいてくれたら、それは 男性の夢だ、っていうルヴォーさんの話は男性として少しわからなくもないけど^^;) そういう感情について想像させるのが、面白いのかな。なんか覗き根性みたいな気も して、恥ずかしいですけど。自分にとって、ルヴォーさんの舞台から受ける魅力って なんだろうって考えさせられた今回のワークショップ見学でした。 ------------------------------------------------------------------------------ - FMUSICAL MES(10):バレエ・ダンス:『舞踊へのお誘い』 02417/02417 PXF00472 手塚 優     T.P.T.『イサドラ』 (10) 97/06/29 01:02 イサドラ・ダンカンを描いた芝居、T.P.T.の『イサドラ』を観てきました。6/29が ベニサン・ピット公演の楽日で、その後、7/4〜10に新神戸オリエンタル劇場公演が あります。感想がもし書けたら、既に他にRが上がってる nifty:FSTAGE/MES/4 『かべすの幕間』の方にアップしようと思ってますが、恋人の若いロシア詩人・ セルゲイ・エセーニン役で出演のアンドリス・リエパについて。きかんぼうの子供 みたいにわがままな役で、童顔なリエパに合ってたかも。台詞はほとんどロシア語。 最後のカタコトがちょっと泣かせます。踊りはおどけてちょっとフォークダンスする 場面がありますが、他はちゃんと芝居してます。吊るされてるシャンデリアは 彼の為の舞台装置みたいでした。脚が膝上までむきだしの場面がありましたが、 手術の痕は僕にはわからなかったです。 イサドラのダンスはないけど、他の登場人物が彼女のダンスに関る体験について 語る場面は、ダンスを観るのも好きな自分にはぐっとくるものがありました。 ダンスマガジン最新号(8月号)でも、扇田昭彦氏が演劇評に取り上げています。 ちなみに、パンフにあるリエパの紹介には、「ロシア共和国名誉芸術家。」 「最近ではサンクト・ペテルブルグのマリンスキー・シアターで『シェーラザード』  『火の鳥』の演出、映画版のプロデュースと監督を手がけ、さらにオペラの演出も  始める。」とありました。 また、パンフの最後にあるT.P.T.のスタッフリストの中の Special Thanks の項に ヴィヴィアナ・デュランテの名前が上げられていました。うーむ。 ------------------------------------------------------------------------------ - FSTAGE MES( 4):ストレートプレイ :『かべすの幕間(マクアイ)』 00987/00987 PXF00472 手塚 優 R/T.P.T.『白夜』An Intermezzo (10/17) ( 4) 97/10/18 02:28 T.P.T. Vol.18 フューチャーズプログラムの第二弾、役者・大鷹明良の初演出による 寺山修司の一幕劇『白夜』を観ました。9/18〜10/19まで一ヶ月、37ステージの公演。 もう今週末で終わりですけど、Rがまだ一つも上がってないようですね。 10/17(金)の開演は20:00で会社帰りの身としてはありがたい。今回は日によって平日 3時の回というのもあって、バリエーション選択の余地があるのはうれしいことです。 上演時間が1時間と少しくらいなので20:00開演でも、あまり遅くならずに済みます。 ただ、やっぱりちょっと短すぎて、すこし物足りない気もします。チケット5000円て 安い値段ではありませんし。けど、お芝居自体は、ベニサン・ピットという劇場に 相応しい、なかなか魅力のある作品だと思いました。 美術はルヴォーとヴィッキー・モーティマーさんがロンドンから連れてきた女性 パメラ・マクベイン。彼女がベニサンの空間に創り上げた宿屋の一室は、非常に 「小さくて閉塞した空間」であると同時に、宿の外、話の舞台である釧路の北海岸 へも開かれている、内なのか外なのかよくわからない心持ちになる不思議な空間。 女主人に案内されて、部屋に入ってきた旅の男(伊原剛志)は部屋の中で最後まで コートを脱ぎません。その、粗末なベッドと木の荷物棚以外は、水道があるだけの 寒々とした、安宿の狭い部屋の内側の壁の面が、そのまま下手の3階建ての宿の縦に 三つ窓の並んでいる外側の壁につながっています。さらに、部屋の壁の裏の部屋から パーティーの騒音や嬌声が、ときどき壁を通して聞こえて来るという設定で、内と外、 裏と表、明と暗という対照が一つに重なる場をうまくイメージさせる美術です。 演出の大鷹さんはスタッフリストところに演出・作曲とあって、ちょっとびっくり。 使われてたギター曲がご自身の作なのかな。なかなか多才な方ですね。 旅の男は、5年もの間、一人の女性を探して、宿から宿へと日本中を渡り歩いて、 この北の僻地にたどりついたらしい。この「5年間」という数字について、後で ちょっと面白いなと思ったのは、今回、丸いお月様みたいな女主人役の鈴木久美さん が、十年ぶりに女優復帰される以前、鳳九(おおとりくう)の名で活躍されてた劇団 究竟頂(くきょうちょう)が、<銀色テント>で1980年から1985年まで、5年間の列島 縦断興行を行った後に解散したことを別冊太陽「現代演劇 60's〜90's」(平凡社)で 知ったこと。これに載ってる鳳九さんの舞台写真はなかなかの迫力です。 1961年、寺山25才の作品であるこの戯曲は、自分には小品て感じがしましたけど、 人物一人一人の台詞が、とても美しく象徴的で、にやっとさせるおかしみもあり、 ロマンチックでもあり、結局よくわかりませんが(^^;)、とても魅かれます。 ルヴォーさんがパンフの文章で、珍しく?とてもロマンチックなこと書かれてます。 「寺山の世界においては、世界とは自らの過去を奪われ、かつては知っていた歌の  断片を思い出そうともがく人々で満ちた場所のように思われてなりません。」 伊原さんの方をあまり観てなかったのですが、台詞の声はなかなか素敵。真名古敬二 さんの宿の主人は『マクベス』に続くT.P.T.での老人役ですが、まだ枯れてない、 執着が少し残ってる感じの老け役でした。平栗あつみさんの、右足をひきずっている 女中の役も、他の人物と同様に悲惨なのかもしれないけど、今回の役の中では希望に 対して一番明るさが感じられて微笑ましかったので好きです。 壁の後ろで騒いでたのは、原サチコ・春海四方・藤井匡夫とパンフに名前があるの ですが、最後のカーテンコールでも、壁の後ろから音出すだけでした。(^^;) できれば、原さんとか舞台で見たかったな。 ある意味、幸せの絶頂にいた男が、それ故に疎外され、自ら不幸を求めてしまい、 その後、失った幸福をとりもどすという希望にすがって、生きている。あるいは、 周囲の不幸も顧みず、自らの信ずる幸福の獲得に邁進した結果、希望を失った宿の 主人。彼らに比べ、不幸な境遇にありながらも、空想の希望を保ち続ける女中や、 過去の不幸にめげず、自らの欲求に従いたくましく生きる女主人。彼女らに強さを 感じます。自分勝手な印象に基づく乱暴なまとめ方ですいませんが、「人生の幸せ」 の彼方と此方を描いた作品のように感じました。 #なんか、自分で書いてて全然違う気もしたけど、そのままアップしちゃいます。 ----------------------------------------------------------------------------- - FSTAGE MES( 4): ストレートプレイ :『かべすの幕間(マクアイ)』 01107/01107 PXF00472 手塚 優 R/T.P.T. Vol.20『燈臺』(長文72行) ( 4) 97/12/30 03:24 01104へのコメント コメント数:1 12/27(土)夜の回を観ました。1949年、三島由紀夫24才の時の一幕戯曲。1959年に 東宝で映画化もされたらしい。(監督・鈴木英夫、主演・津島恵子、久保明) 後に、1963年、新橋演舞場で上演の記録もあります。(戌井市郎・演出) 参考URL: 三島由紀夫 Cyber Museum http://www.ibm.park.org/Japan/hometown/yamanakako/mishima/ 三島がこの戯曲を発表した年に書いた「戯曲を書きたがる小説書きのノート」という 短い文章が『裸体と衣装』(新潮文庫)に収録されてます。そこで、「今までいちばん 感動した戯曲」として第一に挙げられているのがラシーヌ作の『フェードル』。 やはり新潮文庫の村松剛『三島由紀夫の世界』によれば、後添いの妻と義理の息子の 不倫の恋という共通点から、この戯曲はいわば三島の『フェードル』といえるもの なんだそうです。さらに加えて、『フェードル』に該当する人物の存在しない妹の 正子の人物像には、三島の妹で終戦の年、聖心女子学院二年の時に腸チフスで亡く なった美津子が、平岡(三島の実名)の家で果たしていた役割が投影されてるらしい。 自分の家族を投影した作品というと、11月に戦後一幕物傑作選シリーズの中で上演 された秋元松代『礼服』がありました。これも同じ1949年の作品。戦争を生き抜いて 死んだ母親の葬儀に集まる兄弟姉妹の人間模様の芝居でしたが、死んだ母親という点 がちょっと、『燈臺』の二人の兄妹を残して亡くなった先妻を連想させます。けれど、 『礼服』の早春のまだ冷え込む明け方の厳しさに比べて、『燈臺』の春には、少し 生温い海風が吹いているように感じます。 今年は他に、同じT.P.T.がやはり戦後一幕物傑作選シリーズの一環で上演した別役実 『マッチ売りの少女』や、それを平田オリザが再構成した『マッチ売りの少女たち』、 あるいは同じく平田さんが文学座アトリエに書き下ろした『月がとっても蒼いから』、 宮沢章夫『河をゆく』、渡辺えり子『光る時間』、井上ひさし『紙屋町さくらホテル』 など、戦後を振返らせるような作品を色々と見せてもらったような気がしています。 そして、その自分は直接は知らない、時の流れを想像させる手がかりとして、家族の つながりがあります。それを頼りに戦争という傷の大きさをあらためて感じました。 また、T.P.T.で大鷹明良が演出した二作品、寺山修司『白夜』や清水邦夫『署名人』 との類似性も感じます。どれも一幕の短い作品で若書き(寺山25才、清水22才)だし、 その完成度の高さがなければ、習作といってもよいのかもしれません。しかし、それ だからこそ作者の表現したかったものがストレートに出ているとも言えるのでしょう。 特に『白夜』は、同じ海に面したホテルの一室が舞台ということもあり、どうしても 比べたくなります。女性を求める若い男、今の状況に目をつぶって生きる老いた男、 自分というものを知っている女性、目の前にない未来を求め、あるいはおそれる若い 女性など、ちょっと強引ですが(^^;)、人物だって対照的といえないこともない。 ルヴォーさんが『白夜』のパンフに書いてる「失ったものを半ば忘れかけつつも追い 求める夢想家だけが持つ、厳格なまでのリアリズム」という言葉をそのまま、今回の 『燈臺』にあてはめてみても意外にそのまま通じるのではないでしょうか。もちろん、 この「リアリズム」とは、『燈臺』の方のパンフでルヴォーが書くように「自然主義」 ではなく、同じ三島の近代能楽集『葵上/班女』を95年にT.P.T.が上演したときの パンフでルヴォーさんの書いてる「「リアリスティック」なものと人工的なもの−−− をイマジネーションを通じてつないでいる」ということなのでしょう。 引用等が多くなりすぎましたが、今回の舞台からも、ルヴォーが三島について繰返し 書いている矛盾に満ちた二面性を明らかにする意図を感じました。ルヴォーさんの 舞台は、パンフなどで書いてることが、そのまま舞台できっちりと、そして文章の 能書きなどより遥かに魅力的に表現してくれるところが、いつもながらすごいです。 ヴィッキー・モーティマーのセットも、他の方のRを読むと、ラストシーンの効果は 絶大だったようですね。僕の観た上手前方の席だと、ちょうど中島さんが窓ガラスに 正対しちゃうような角度だったせいか、印象の強さはいまひとつでしたので、非常に 残念。でも、あの大島のホテルの部屋の雰囲気は、外人の方の美術って感じが、全く なくて、ヴィッキーさんは日本をほんとによく知ってるんだなって印象でした。また、 通常のように部屋の一面を見えない壁として、客席に開けるのではなく、斜にして、 部屋の角を正面に、部屋の二面を開放した装置は、舞台の意図する人物の二面性をも 象徴させているのかもしれないと、ただの思いつきですが、思いました。 長くなってしまったので、役者さんのことがあまり書けなくなりましたが、中島朋子 さん演ずる妹の正子が後半、圧倒的な魅力。彼女が、既に失われてしまった「永遠に 美しかった家族」像を、たとえ偽りでも守ろうとする、その健気な姿に惹かれます。 30部限定とかいう2500円のポスターも欲しくなったくらいでした。買わなかったので、 まだあったのかどうかはわかりませんが。あと、流山児事務所の小林あやさんが、 出演されてたのは知らなかったので、ちょっとびっくり。『ダフネの嵐』とか今年の 再演は観てないけど、去年の初演のとき見て、美人になったな〜って思いました。 今年の『キル』の深津絵理さんに似てません? 来年、またT.P.T.によく出ている 植野葉子さんや山本享さんと、鈴江俊郎・作『靴のかかとの月』に出ます。1/14〜18 (演出・流山児祥) チラシ見るとセーラー服着る役みたい。(^^)