- FSTAGE :Plays :『ちょっとマチネーそこソワレ 17』 00645/00650 PXF00472 手塚 優 R/T.P.T.Vol.9『チェンジリング』(62L) ( 5) 95/04/17 00:34 00475へのコメント 共作◎トーマス・ミドルトン/ウィリアム・ローリー、訳◎吉田美枝 演出◎デヴィド・ルヴォー、装置◎ヴィッキー・モーティマー、照明◎沢田祐二 衣装◎黒須はな子、音響◎高橋巌、振付◎植野葉子、演出家アシスタント◎垣ヶ原美枝 3/10〜4/16 既に終了。4/15(土)観劇。 19:00〜20:30 (休15) 20:45〜21:45 最前列で、思わず自分も舞台の世界に入り込んでしまう気になる近さでしたが、 自分としては、もう少し後ろから冷静に観たかったような気もします。 上方の高いテラスから観てた方たちもいたんで、こんなこと言うのは贅沢ですが。 でも、芝居とはいえ他人の色恋沙汰を目の前にするのは、少し居心地悪い。(^^;) 冒頭、暗闇の中、舞台となる比較的広い部屋の装置の窓やドアが外から、どんどん と叩かれる音が響くとこから始まる場面は、ポルターガイストかと思った。いや、 「チェンジリング」って題のそういうオカルト映画がたしか昔にあったんです。(^^;) もちろんそれは、亡霊なんかじゃなくて、精神病院に閉じこめられた狂人たちでした。 その奥にあるバスルームは「白い部屋」で、そこから響くシャワーの音は、洗い落とし たいのに、こびりついてどうしても離れない、彼らの心に付いた染みの存在を示して いたのかもしれません。初めてこの病院が描かれる場面は、ちょっとどきっとします。 ルヴォーの演出は、こういう煽情的な場面が必ず一つはあるので、思わず目が釘付け になってしまう。(^^;) この精神病院と、貴族の住む城の中が同じセットで並行して描かれます。その中で、 登場人物は自分の心に思っていることを、そのまま台詞として語ります。この時代 (1620年代)の芝居とは、そういうものだったようです。しかし、この芝居には、 語らない/語れない者たちもいます。狂人たちです。そして、この語られないこと こそが、彼らを狂人にし、また城の貴族たちをも色恋の狂気沙汰に突き動かす、 演出家がパンフに書くところの「強迫観念」なんだと思います。舞台の表の部屋が、 表面的な意識で、そこに意識下である奥の部屋から衝動が突き上げてくるという図式を 感じました。また、逆にその奥に入り込もうとすると、それも自己破滅に通じます。 地下室で殺される婚約者もそうですし、悪行が露見したビアトリス(中川安奈)と 召し使(堤真一)が閉じこめられる寝室が、このバスルームなのも象徴的です。 パンフの冒頭にあるルヴォーの解説を、舞台を観終わってから読むと、いつもとても 興味深いです。解説読まなきゃ、わかんない芝居ってんじゃなくて、読むと、さらに 舞台の印象が深まって、あれこれ考えたくなる文章です。 そこで今回述べられている言葉で印象的なのは、前の「強迫観念」と、それから 「孤独」です。この孤独から一時的にでも逃れるようとする手段が、劇中で踊られる ワルツなんだそうです。言葉にできないものを表現する手段ってことでしょうか。 自分にとって、最も印象的だった場面は、狂人たちが踊るワルツです。これが、城での 結婚を祝う舞踏会の場面と重なります。役者も狂人と、同じ人々が二役を演じます。 狂人たちの世界と、貴族の色恋沙汰のどちらが真実なのか。それは、狂人を装って、 植野さん演ずる病院長の妻に近付いた宮廷人(大鷹明良)が、狂人たちと同じ服を着て 現れた彼女を拒絶してしまったことからわかるような気がしました。 狂人たちは、外へ出て行きたくても抑圧されて出て行けない人々。それに対して、 貴族たちは出て行けるのに行かずに、自らを独房に閉じこめるようにして、深みに はまっていく。後者の姿が現代人にも通じます。 役者では、THE・ガジラの千葉哲也さんの、出番は短いながら、恋に敗れて気が狂い、 自分を女性だと思うようになった詩人の狂人(ほんとは偽者)として、植野さんの前に 登場する場面は印象的でした。堤真一も悪くないですが、あの役は慇懃無礼なとこと、 野卑たところがもっと必要な気もします。それとも、その部分は病院の看守(飯田邦博) に持ってかれちゃったのかな。(^^;) T.P.T.Vol.10 は『三人姉妹』(6/14〜7/30) 前売は5/13から¥6,000 です。 植野さんも、千葉さんもまた出るらしいので、楽しみ。(^^) ---------------------------------------------------------------------- - FSTAGE :General :『かべすの幕間2』 183/183 PXF00472 手塚 優 PR/T.P.T.『三人姉妹』のキャスト ( 3) 95/04/29 20:59 最近、T.P.T.の宣伝みたいなことばかりしてる気がしますが、、、(^^;) 今日届いた案内のハガキに出てたので、ご紹介します。 ◇アンドレイ 木場勝己 ◇ナターシャ 高畑淳子(!) ◇オルガ 倉野章子 ◇マーシャ 佐藤オリエ ◇イリーナ 植野葉子 ◇クルイギン 戸井田稔 ◇ヴェルシーニン 大鷹明良 ◇トゥーゼンバッハ 平田満 ◇ソリョーニ 千葉哲也 ◇チェプトゥイキン ドン貫太郎 ◇アンフィーサ 中村美代子 ◇フェドーティック 三浦賢二 ◇ローデ 春海四方 スタッフは『チェンジリング』と同じ。役者の顔ぶれも随分重なってます。 でも、高畑さんが出るとは知らなかった。T.P.T.初登場ですね。 テキストには、チェーホフの台本をマイケル・フレインて人が英訳したのを 小田島雄志が訳したものを用いるようです。たしか、舞台は見てませんが、一昨年に 加藤健一事務所の公演で用いられたもののように記憶してます。 6/14〜7/30 平日19:00、月曜休、水・土曜14:00のマチネも有り、日曜はマチネのみ 於・ベニサンピット チケット発売 5/13 全席指定¥6000 ぴあ・セゾン・TICKET24 247/247 PXF00472 手塚 優 R/T.P.T. Vol.10『三人姉妹』(50L) ( 3) 95/07/20 01:32 244へのコメント 他に #232,#234 にRがあります。#244の小野さんと同じ7/16のオフでの観劇。 主なキャストは#183を参照して下さい。他は、 フェラポント◎中井啓輔、兵卒達◎朝倉杉男・田中龍、 小間使い達◎鈴木浩司・横尾登茂美、楽士◎川上智 一月前の 6/17 にも観てて、二回目でした。最初の時の印象は、最後に三人が寄り 添い佇む場面から、地に足がついておらず、かといって空に羽ばたく事もできない、 ベニサンの高い天井から吊るされたぶらんこが象徴しているような宙ぶらりんの状態 で生きていかなければならない姉妹の、現世では報われぬ思いを感じました。 二回目も、やはりこの魅力的な三人姉妹に惹かれる印象は変わりませんでしたが、 見落としてたとことか気が付いて、もちろん、そういうの、まだ他にもたくさん あるんでしょうけど、ちょっとは理解が進んだ気がしました。 まず、一つ気付いたのは、前半の場面転換で、兵卒や小間使いたちが、舞台装置を 持って運んだりしてる時に、若い兵卒(田中)が女性の小間使い(横尾)に色目を使って いたことです。こういうなかば隠れた関係がきっとあちこちにあるはずです。 次は、チェプトゥイキン(ドン貫太郎)が形見の置き時計を落として壊してしまうのが、 イリーナの「わたしたちもこの町を出て行くわ」という吐き捨てるような台詞の直後 だった事。彼はイリーナがこの町を去る事が堪え難かった。だから、最後の決闘騒ぎ でも、みすみす傍観してしまったんじゃないかと思います。 それから最後の別れの場面で、写真好きなフェドーティック(三浦賢二)が手帳を 記念に進呈するところ。これは本当は隣のイリーナにプレゼントしたかったのに、 既に男爵と結婚が決まってしまってる彼女には渡しそびれて、仕方なくクリイギンに 上げてしまう。これが、二回目に観た演技ではよくわかりました。彼もイリーナに 好意を抱いてたんですね。 このように、この魅力的な三人姉妹を取り囲む人々は、皆、この姉妹を彼(彼女)なり のやり方で愛してたんだと思います。しかし彼女たちは、ここにはない夢を見ている。 なかでも、周囲の者たちから最も愛される存在であるイリーナこそが、最も強く 「モスクワへ」行く夢を抱き続けている。とても哀しいことです。 とにかく自分には、今回の三人の姉妹がとても魅力的に感じられました。特に、 長女オルガの倉本章子さんが気に入りました。15年振りの舞台復帰とは思えませんね。 神経質で刺々しくなりがちの役柄を柔らかく演じていて、しかも二人の妹への包容力 のようなものも感じさせてくれて、とてもよかったです。 一回目に観た時、最も印象的だったのは、後半の冒頭の火事騒ぎの中で、ばあやの アンフィーサを怒鳴り付けるナターシャ(高畑淳子)と、そんな仕打ちには耐えられ なかったオルガが対決する場面でした。 それから、千葉哲也のソリョーニが、一回目の時は口跡がはっきりしなくて、 何言ってるんだかよくわからなかったりしたのは、そういう役作りだったんで しょうけど、二回目の今回はちゃんと聞き取れるようになってました。 7/30まで 東京・森下 ベニサン・ピット ---------------------------------------------------------------------- - FSTAGE :General :『かべすの幕間2』 248/248 PXF00472 手塚 優 R/T.P.T.ワークショップ見学記(70L) ( 3) 95/07/23 11:43 247へのコメント デヴィド・ルヴォーのワークショップが 7/17〜26 ベニサン第2スタジオで行われて います。今年もT.P.Tフレンズ会員の1日見学会に出かけてきました。自分が見たのは、 22日(土)の14:00〜16:00のAグループ。他に18:00〜20:00のBグループがあります。 昨年書いた「ちょマチ16」の#250 (アーカイブの「演劇・お芝居の会議室(78)」) の見学記は140行を越えてしまい、今年は半分ですが、やっぱり長くてごめんなさい。 今年のテキストは今公演中の『三人姉妹』。今日のワークショップの最中にも、 下で上演されてたはずです。第2スタジオは、裏の非常階段を上がった2Fでした。 たしか去年の期間は6日間だったと思うので、今年の10日間というのは少し余裕が あるのか、最初少しエチュードを受講生二人にやってもらった後、去年はなかった 簡単なエクササイズがありました。全員がスタジオ内をぐるぐる歩き回りながら、 二人、三人、六人、十人と指示に従いながら、並んでグループをつくります。 見学者も、希望者はいっしょになって参加しました。僕は見てましたが。(^^;) その後、4つのグループに別れて、簡単な4文節の文を、1文節毎に順にグループの 代表にしゃべらせます。それを何度も繰り返していると、だんだん節ができてきます。 これをグループで合唱させます。その時に、自分のグループ以外の文節のところでも ハモッて歌えなどと、難しい注文を出してましたが、この相手のパートも考えて 歌わせるというのは、去年もやりました。ただ、去年は二人だったのに、今年は全員で やってます。そのことや、最初のエチュードの時にされた、『三人姉妹』は大勢の登場 人物が様々なトーンで役柄を演じるところが面白いという話、それから、さっきの 群になって歩く練習などを見ていて、ルヴォーさんの関心が、少人数の限定された関係 から、より大勢の人間の離散集合関係に移ってきているのかなぁなどと感じました。 けど後半は、二人の受講生を選んで1場面を演じてもらいながら、戯曲の読みを 深めるという去年と同じやり方でした。選ばれたのは、『三人姉妹』の終わり、 第4幕で、別れを言いに来たヴェルシーニンとオルガが、マーシャが戻ってくるのを 待つ間、二人きりで会話する場面です。この場面はとても短いのですが、ここでの 対話をルヴォーさんは、オルガのヴェルシーニンに対する「許し」の場面と取ります。 もともと、オルガはヴェルシーニンとマーシャの関係を快くは思っていなかったわけ ですが、ここにきて、それも終わりを迎えざるを得ない状況となり、ここでも、一つ 希望が失われていく。その哀しみに対して、オルガが共感しているというのです。 ルヴォーさんが、いかにオルガのことを、頭がよくて感受性の強い魅力的な女性と 考えていたかが伺えて、とても興味深かったです。ルヴォーさんに言わせれば、 「どうしてヴェルシーニンはマーシャを選んでしまったのか。もっと魅力的で 頭のよい、しかも結婚もしていないまだ若い女性がそばにいたのに。」 って感じです。こういう女性に話し掛けているのだから、ここでヴェルシーニンは、 あまり大きな声で相手に働きかけるようにしゃべる必要はないという指導を男性の 方にしていました。これでこの場面がいかにも情感あふれる場面に感じられてきて、 なんだか、もう二回も見たのに、またもう一度『三人姉妹』を観たくなってしまった。 オルガを演じた女性受講者の方が、台詞は上手いし、どっかで聞いた声に思えて、 ちょっと考えてみたら、M.O.P.のキムラ緑子さんによく似てらしたんですが、今年は たしか大阪でもワークショップはあったはずだし、違うかも。泣く場面があるので、 すぐに役に感情移入して、さかんに鼻をすすってらしたのが、印象に残ってます。 他に、あとはもうただのミーハーですが、(^^;) 福麻むつ美さんやニナガワ・ カンパニーの松田かおりさんらしき人もみかけました。元遊眠社の松浦佐知子さんは たしか去年もいらしてました。あとTHEガジラ主宰の鐘下さんが遅れて見学にこられて、 隣に座られたので、おぉーとか思ってしまった。「チェンジリング」に出演された 木冬社の黒木里美さんも見学されてました。 それにしても、ルヴォーの言葉を通訳する垣ヶ原(吉田)美枝さんの力はすばらしい です。すごく大変な仕事だと思いますが、ほんとにわかりやすく言葉を伝えてくれて、 少なくとも演出家の意図を伝えるという点に関しては、言葉の壁はないんじゃないか とさえ思います。ルヴォーさんの英語はさっぱり聞き取れなかった自分がこんなこと 書いても信憑性はありませんが。(^^;) この日のワークショップは終了予定時刻を20分程過ぎましたが、ルヴォーさんと 垣ヶ原さんの話は、いつまででも聞いていたくなるくらいとても面白かったです。 P.S. この後、コクーンで岩松了の『浮雲』を観てきたのですが、やっぱりよくわかんなくて 次のストリンドベリープロジェクトでのルヴォー演出の岩松戯曲がどうなるのか、 全く予想がつきません。 258/258 PXF00472 手塚 優 RE^2:R/T.P.T.ワークショップ見学記 ( 3) 95/08/04 00:20 251へのコメント --> はち さん >> オルガもヴェルシーニンに惹かれていたのではないか この読み筋はあっても全然おかしくないです。先日、貸ビデオ屋で『三人姉妹』を 舞台を現代のイタリアに移して、翻案した映画を見つけました。 "Paura e Amore" って原題の'88年の伊=西独=仏合作の映画で、女性監督による女性映画なんですが、 共同脚本に『メアリー・ステュアート』のダーチャ・マライーニの名があったので、 ちょっと興味をひかれて観てみました。自分としては、お薦めできるほど面白い映画 ではなかったですが、でも、なかなか興味深いとこも多かったので、ご紹介します。 この映画では、役名はもちろん変わってますが、オルガとヴェルシーニンにあたる 二人が、最初から愛人関係(!)にあるんです。ところが、男の方は、今の結婚生活に 満足できない次女の寂しげな姿に惹かれて、そちらとくっついてしまいます。 けれど結局、最後にはこの次女との関係も断念し、自殺癖のある妻との元の生活に もどっていく。この時の、男の長女への言い訳が、「誰も傷付けたくなかった」など と、ほんと観てて腹の立つ男です。(^^;) しかし、こんな男をさえ、長女は最後には 許してしまう。きっと彼女は、浮気しながらも傷つき易い妻のことをいつも心の底で 気にかけている男の心優しさに、自分に通じるものを感じていたのかとも思うのです が、とにかく、この長女も深い哀しみを心に秘めながらも包容力のある役柄でした。 それから他にも、弟の妻(原作のナターシャ)の最後の赤ちゃんが、実は不倫の子かも 知れないこととか、老医(チェプトゥイキン)の姉妹の母親への思いとか、原作では、 仄めかすか、ちょっと触れられる程度の事を、はっきりそういう場面を作って示して いました。ラストシーンでは、次女がピアノを弾く姿を、彼女の母親のかつての姿と ダブらせながら幸せそうに見つめる老医の映像がだんだんとセピア色に変わっていく、 これはなかなか印象的なシーンでした。思いを向け続けた老医の幸福な顔が、三人の 姉妹のやり切れない哀しみを和らげてくれる感じでした。 舞台の話でもないのに、つい長くなってしまって、ごめんなさい。m(__)m ---------------------------------------------------------------------- - FSTAGE :General :『かべすの幕間2』 358/358 PXF00472 手塚 優 R/T.P.T.『葵上/班女』(65行) ( 3) 95/10/11 00:19 340へのコメント 三島由紀夫の『近代能楽集』(新潮文庫¥360)は、『卒塔婆小町』だけを高校の現国で 読んだ事がありますが、「ちゅうちゅうたこかいな」がなんとか記憶に残ってる程度。 あとは三島の作品は小説も含めて一冊も読んだ事が無い。(^^;) そんな自分でも、この三島の舞台世界には魅了されました。観てて心動かされるもの がありました。T.P.T.でルヴォーがこれまで取り上げた戯曲の中で、今回の三島作品 が自分は一番好きかな。とてもロマンチックで美しい話に思えました。 TG誌の記事のルヴォーさん曰、「現代の様式的な作り方で見せる」というやり方は、 この非現実的な物語を現代の劇場空間において成り立たせるために必要であったこと なのでしょう。いったん劇場を離れて、冷静になって考えてみると、一体あの感動は 何だったんだろうと思えてしまうくらい、「人工的なもの」を感じます。けれども、 それだけではない。パンフでルヴォー氏は、三島の表現する世界を「一見、正反対に 見えるものたちが出会う場」と述べています。これは、リアリスティックと人工的、 西洋と東洋、古代と現代などです。そしてそれらを、舞台で明快に感じ取らせてくれる 所に、ルヴォーさんの演出のすごさの一端があると思います。 『葵上』の、病院の看護婦(松浦佐知子)は精神分析療法について語る場面において、 西洋的な目で日本の古典的な源氏物語の三角関係をただの性的抑圧と決め付けます。 ベッドの白いシーツは愛の戦いの白い旗であり、それが「ふみにじられ」「血に染ま」 る、性的なイメージとして使われています。シーツの積まれた舞台装置は戦いの跡を 示しているように思いました。しかしこのシーツが、いったん風をはらめば、愛し合う 恋人達の乗るヨットの帆にも変わります。そして主人公の若林光(堤真一)は、結局、 六条康子(佐藤オリエ)の愛にひかれて、そのヨットとともに葵(松本紀保)のもとを 去ってしまう。自分の解釈としては、別れた女性に心の奥でまだ未練を残した男と 結婚したばかりに不幸になった女性が葵で、彼女の最期がとても可哀想に思えました。 小道具の電話は、現実世界とのつながりと同時に断絶を表してるみたい。それから、 客席の雛壇の裏側からの、観客の影を舞台に映しこむような照明も印象的でした。 『班女』も装置が非常に印象的な舞台です。白いシーツのかかった椅子とソファ。 その側、手前の椅子には青林檎、奥のソファには赤い林檎が静物として置かれてます。 きっと実子(佐藤)の絵のモデルとして、狂女の花子(松本)がそこに座り、あるいは 横たわったであろう姿が想像されるようなセットです。そして、その周りを取り巻く ガラスのコップに入った蝋燭の明り。その取り巻く形が自分には指輪の形に思えたの ですが、あるいは「島」だったのかもしれないなと、後で思いました。実子が毎日、 灯し続けた、花子の希望の火を象徴する、とても素敵な装置でした。 そして、青年(堤)との約束の扇と、上手に吊られた着物が、日本的な物を示す小道具 として使われています。着物は芸者として座敷に出てた頃の花子をイメージするのを 助けているし、扇は日本的な愛を象徴してると思います。それに対して、四十すぎの 独身の女性画家である実子の描く絵は洋画でしょう。ラストは、西洋文化の中で、 保護された日本文化も、結局は変容を免れられないことを示してるように感じました。 STAFF: 演出◎デヴィッド・ルヴォー David Leveaux 通訳◎児玉寿愛 装置◎ヴィッキー・モーティマー Vicki Mortimer 照明◎沢田祐二  衣装◎黒須はな子 音響◎高橋巌 東京・ベニサンピット 9/14-27 17ステ, 10/5-8 5ステ 大阪・近鉄アート館 9/30-10/3 6ステ (10/7マチネ観劇・公演は既に終了) P.S. 今日(10/10)コクーンで観た『HIROSHIMA』に、ルヴォーさんも観に来てました。