- FSTAGE :Plays :『ちょっとマチネーそこソワレ 15』 409/409 PXF00472 手塚 優 R/ T.P.T. & 蜷川『夏の夜の夢』(ベニサン (14) 94/06/19 02:03 393へのコメント 小田島雄志・訳 6/3〜19 観劇: 6/18(土) 19:00〜21:50 (休15) ぴあにも出てないようですが、19日(日)楽日に19:00〜の追加公演があります。 全席自由 (問合せ: T.P.T. 03-3634-1351)  まねきねこさんは少し気に入らなかったみたいですが、僕は素晴らしい舞台、そして 演出だと思いました。蜷川幸雄はえらい人だと、またまた再確認しました。 東京・森下のベニサンピットを根拠地とする T.P.T.は、いつもこの狭い空間で、 密度の濃い舞台を見せてくれますが、今回、また印象的な作品に出会えた気がします。 まず、分かり易くて、楽しい舞台です。特に、職人達の素人芝居が素直におかしい。 達者な人ばかり揃えた贅沢なキャストのおかげとも思えます。ボトムの大門伍朗や、 クインスの石井愃一(東京ヴォードヴィルショー)、フルートの砂塚秀夫などです。 スターヴリングには可愛坊也が急病のため、岡田正が出て、「月」をやってました。 砂塚さんの「女方」や、石井さんの「灰皿投げ付けて怒鳴り付ける演出家」もよかった ですが、僕は初めて見た大門さんが、ゲージツ家クマさんみたいなキャラクターなん ですが、とてもうまくて気に入りました。 そして、森での恋人達の恋の鞘当ても、もちろん楽しいです。ですが、この森の場面 には楽しいだけではない雰囲気も感じられました。音楽(宇崎竜童)の所為かもしれませ ん。この楽しい夢のひとときもいつかは終わってしまうのだというような、もの悲しい 喪失の予感みたいものがあります。上から降る砂や花も「時間」や「終わり」を意識さ せているのかなと思います。また、歌に使われた透明感のあるボーイソプラノもそれを 補強しています。これが、ラストのパックの演技につながるのではないでしょうか。 夢が醒めて、現実の日常が戻ってくるのです。その意味では、先日のコクーンでの舞台 とも少し似てるかなとも思いました。ただ、この蜷川演出のほうが夢も現実も輪郭が はっきりしています。 役者もみんなよかった。以下に他の主要なキャストを上げます。 女王・白石加代子、王/公爵・原田大二郎、 ハーミア・戸川京子、ヘレナ・つみきみほ ディミートリアス・清水健太郎、ライサンダー・大石継太 パック・林 永彪、松田洋治、 妖精達・松田かおり、鈴木真理、他 この豪華な顔ぶれの芝居が、狭い劇場ですぐ目の前で見られるなんてほんと贅沢です。 パックは、京劇の役者さんである林さんが跳ねて空中回転したりの肉体的な面をやり、 台詞は松田くんが全部しゃべってました。この京劇的な要素の導入は、他にも場面転換 の時の鳴り物などがあるのですが、成功していると思います。 若い二組のカップルもそれぞれ魅力を十分に発揮していました。 白石さんと原田さんは貫禄ですね。 海外公演が行われる可能性もあるようですが、是非実現して、また日本で凱旋公演して もらたいなと思います。結構、公演の資金集めが大変という新聞記事もありましたが、 応援したいですね。 ---------------------------------------------------------------------- - FSTAGE :Plays :『ちょっとマチネーそこソワレ 16』 117/118 PXF00472 手塚 優 R/T.P.T.『エリーダ〜海の夫人〜』 ( 4) 94/07/31 03:03 019へのコメント T.P.T.のベニサンピットでの Vol.6 公演 イプセンプロジェクトの第2弾です。 『ヘッダ・ガブラー』での室内の重い息苦しさを感じさせる舞台とはうってかわった、 青を基調として、舞台の片側に本水による池を張った、涼やかな印象の舞台装置です。 装置はヴィッキー・モーティマー。その他、照明・衣装・音響、おそらくは当代一流の スタッフによる舞台です。それをこんな狭い所で観れるなんて、T.P.T.の舞台は本当に 贅沢だなぁと、いつも思います。別に金がかかってるって意味じゃありません。 白の天幕に水面のゆらめきを映す照明は、登場人物の心の揺れをも映しているようで、 とても効果的でした。 デヴィッド・ルヴォーの演出は、戯曲で、ふつうなら自分には全く理解の至らないよう な部分も、空間や色彩、役者の動きを通じて、とても分かり易く示してくれて、新鮮な 感動を受けるのですが、なかなか、共感できるような所まではいけませんでした。 でも今回の戯曲は、個人的に、これまで観た中で一番身近な印象を受けました。 それからなにより、とても明るいです。それは、戸外の場面が多く、夜の場面でも、 白夜で明るい照明を用いているせいもあるかもしれません。また、思わず笑いのでる ところもあったりして、とても風通しのよい舞台だったと思います。 エリーダを支配する「海」は、最初、彼女の求める「自由」の象徴のように思えます。 しかし、本当の「自由」は、「自然」の中にではなく、自分と「人」とのつながりの 中にあるということを最後の結末は示しているように思いました。まだそのつながりを 持たぬ妹のヒルデが海辺で遊ぶラストシーンは、昔のエリーダの姿を髣髴とさせます。 一昨年の初演は見てませんが、全く同じキャストらしいです。 T.P.T.常連の佐藤オリエと木場勝己についてはもう触れるまでもありませんが、 今回自分は、胸を病んだ彫刻家の役の三浦賢二の軽みのある演技に感心しました。 留学してた原田和代さんは、帰ってきて、及森玲子と改名したんですね。また一段と 綺麗になられた気がします。植野葉子さんは、初めて見ましたが、今回の役はとっても 魅力的。個人的には一番好きです。あとは戸井田稔、この人は去年ぐるーぷえいとの 『塩祝申そう』での演技が、印象的だったのですが、T.P.T.の『あわれ彼女は娼婦』 にも出てたんですね。今回は、勘違いから家に招かれて、最後は瓢箪から駒(^^)の 元家庭教師役を好演しています。福井貴一の謎の船乗りも、出番は少ないけど、 十分以上に存在感あったし、春海四方も飄々としたキャラクターを生かした役です。 というわけで、結局、登場人物全員が気に入ってしまった。(^^;) 今回公演は7/31までですが、10月に再演があります。『ヘッダ』との日替わり上演で、 ステージ数は多くないようですが、できたら、もう一度くらい見てみたいなぁ。 でも、『ヘッダ』と『エリーダ』で舞台装置はもっと似てるのかと思ったら、たしかに 舞台の形は同じですが、装置は結構違います。日替わり公演で、日によって、昼と夜で 替える時もあるようですが、大丈夫なんでしょうかね。 そうそう、今日も滑って池に片足を突っ込んでしまった男性の方がいました。 やっぱり、男の方が間抜けなんだろうか。(^^;) 7/30(土) ソワレ(19:00-21:45 休15) 手塚 優 (PXF00472) P.S. 帰り際の劇場出口に、ルヴォーさんをはじめ、深津絵里さん、坂井真紀さん、 片桐はいりさん、あと、野田さん、大竹さん、深沢さんなんかもいて驚いてしまった。 ---------------------------------------------------------------------- - FSTAGE :Plays :『ちょっとマチネーそこソワレ 16』 250/251 PXF00472 手塚 優 T.P.T.ワークショップ見学記(長文143行) ( 4) 94/08/25 02:05 T.P.T.の芸術監督デヴィド・ルヴォーによるワークショップが、8/15〜20 の6日間、 東京はベニサン・ピットの第一スタジオで行われました。その一日見学会に行く機会が あったので、その印象を書かせて頂きます。 非常に長い文章になってしまったことをあらかじめお詫びしておきます。(__) この見学会はT.P.T.フレンズ会員のために設けられたものです。今回のワークショップ は2グループあり、自分が見学したのは、最終日の18:00〜20:00のBグループでした。 昨年のT.P.T. Vol.1公演のパンフで、演出アシスタント兼通訳であり、そして戯曲の 翻訳者でもある垣ヶ原(吉田)美枝さんが、稽古場の様子について書かれています。 その「エキサイティングな演出の場」をできることなら「沢山の方に見せてあげたい と思う」けれども、それはできないので「ちょっと紹介」という内容だったのですが、 全くそこに書かれている通りでした。創造の面白さの一端を垣間見れた気がします。 ルヴォーさんの演出について、役者が自分の稽古が終わった後も、彼の話を聞くために 何時間も居残っている、という話をどこかで読んだのですが、それも宜なるかなです。 ただし、ここで書いたことは、あくまでも、ルヴォーさんの言葉を垣ヶ原さんが訳すの を聞いて、自分なりに理解できただけのことを書いてますんで、もちろん実際と同じで はないですし、全く勘違いしてたりするところもあるやもしれません。 また、自分はこういう芝居を創造していく場に触れるのは初めてですので、当たり前の ことにしか、目が行かず、ルヴォーさんの本当にすごいところを見逃している可能性も あります。ですから、これを読んで、なんだ大した事ないじゃないなどと、思われると 困ります。大した事ないのは、ルヴォーさんじゃなくて、私ですから。(^^;) でも、あのルヴォーさんの話を、創造の現場に近いところで聞けたというのは、 もっぱら観客の立場の自分にとってはとても貴重な経験でした。 ベニサンの建物横の狭い非常階段を一番上まで登ったところのスタジオ入口は、意外と 明るく小奇麗な感じでした。でも、そこから渡り廊下を渡ってスタジオに入ると、 染色工場を改造した雰囲気が天井とかにまだ残ってるようで、なかなかいい感じです。 壁には新旧のポスターが所狭しと貼られています。やはり蜷川作品が多いようでした。 参加者はほとんど若い人ばかり。数えてはないですが、男女比は3:7ぐらいでしょうか。 ジテキンの吉利治美さん、元遊民社の松浦佐知子さん、文学座の篠倉伸子さんが 自分の見学席のすぐそばに腰掛けていらっしゃいました。あと、僕は舞台で観たことは ないのですが、『レ・ミズ』に出てるはずの入江加奈子さんらしき姿も見掛けました。 さすが勉強熱心だなと思いました。 また、後ろの壁際には、『双頭の鷲』に出演されている堤真一さんや植野葉子さんが 見学していました。あとから、松本きょうじさんも見に来られてました。 参加者・見学者合わせると全部で80人から90人ぐらいいたんでしょうか。 テキストはVol.1公演で取り上げられたエミール・ゾラの『テレーズ・ラカン』です。 最終日の今日は、戯曲の終り近く、愛人ローランと結託して、夫カミーユを殺害した テレーズが、その事実を知ったショックで不具になった母親の目の前で、ローランと 些細なことから激しい口論になる場面です。 まず、受講者二人が選ばれて、前に置いた長テーブルに向かい合い、役を演じます。 台本を見ながらですが、どうしてどうして、なかなかすらすら台詞をこなします。 あらかじめ指定されてたのかもしれませんが、自分は素直に感心してしまいました。 そして、昨年の公演での、堤さんと藤真利子さんの演技の記憶が蘇ってきました。 しばらく、二人に自由に演じさせて、ルヴォーさんは、他の受講者といっしょに、 それを見守っています。そして、適当な頃合を見計らって、それを打ち切り、場面の 最初に戻って、今度は二人の感情の動き、議論の流れを丁寧に読み解いて行きます。 どうして、そこに母親が同席しているのか。養わなければならないという、自然主義的 理由もあるが、それ以外の理由もあるのではないか? 食事の最中に起こるこの口論の始まりは、ローランのテレーズに対する "Where is my spoon?"という台詞なんですが、これをルヴォーさんは "Where is my socks!"という 夫婦の破局が表面化するときの最初の言葉(^^;)を例にとって説明しながら、何度も 繰返し演じさせます。今日のタイトルはこれっ!てジョークが出たくらいです。(^^) この場面でローランは、テレーズのする何もかもが気に食わない。自分がこんなことに なってしまったのも、全てテレーズの所為だと思いたがっています。 このような女々しい罪悪感に苛まれているローランから、幼稚な苛立ちをぶつけられる テレーズには、そんな情けない彼が嫌でたまりません。そうしたお互いの気持ちが、 ちょっとしたきっかけでどんどんとエスカレートして行きます。 しかしここは、お互いが声を限りに怒鳴り合う場面ではなくて、お互いが相手の言葉に 刺激され、さらに自分の気持ちを高ぶらせていく場面です。ですから、必ずしも声を荒 立てる必要はなくて、代りに相手の言葉をきちんと受け、自分の気持ちをそれに乗せて いくことが大切ということです。これを確認するために、ちょっと演技を中断し、短い 数音のメロディーを二人に歌わせます。まず二人一緒に、次に前と後に分けて別々に。 そうすると、いかに間をおかず続けて歌ったとしても、やはりそれは一緒に歌った時と 違う。どうしても、真ん中で切れてギャップができてしまう。そこで、次は、どちらが 歌うかは、あらかじめ決めず、その場で指差された方が歌うようにします。そうして、 自分が歌わない時でも、常に相手の歌うのを聴いて心の中で準備していないと、後れて しまうという緊張感を与えることにより、二人の間の溝が埋まってくるのを示します。 また、議論には構造がある。ただ、言葉を固まりとして相手にぶつけるのではなく、 自分が罵りの言葉を発している時も、そこには意識の流れがあり、それを意識して 議論を続けなければならないという話もありました。 最初の二人で、一時間以上もそういったこと続けて、ようやく演者が交代しました。 今まで自分でも気付かなかったいろいろな感情が生まれて来て楽しかったでしょう、 というルヴォーさんの演者の方に対するコメントが印象的でした。 二番目のペアは、テレーズ役が篠倉さんでした。彼女は前半もずっと母親役として、 テーブルについてて、二人の演技を観てたのですが、彼女のテレーズは、またさらに、 一歩進んだ、もう最初から彼女自身でこなした"篠倉さんのテレーズ"になっていて、 自分はもうすっかり感心してしまいました。やっぱり役者さんの才能ってすごいなぁと 実感しました。相手役の男性も、先程とまた違って、もっと幼い感じの、本当に不貞 腐れてるような台詞の言い方が、面白くて、一部で笑いも起きてました。 ルヴォーさんは、自分の解釈を押し付けるようなことは全くせず、自分の説明を役者が 聴いて、納得するにしろ、しないにしろ、そこからまた引出される役者さんの新たな 感情表現を目敏く見出し、望ましい方向へと伸ばしていく、その手助けをしている みたいな印象を持ちました。 評判通り、戯曲に対する読みの深さはすごいですが、それに加えて、役者の演技の萌芽 を見抜く鋭い目、望ましい結果が出るのをじっと待つ忍耐力、そして役者に信頼される カリスマ性なども備えていなければならないのが演出家なのかなと思いました。 垣ヶ原さんの通訳の力もまた素晴らしいです。場面場面で適切な、とても解り易い言葉 で演出家の言葉を伝えます。ルヴォーさんの英語は、それほど曖昧な発音ってわけでも ないんですが、一種独特の話し方で、自分にはほとんど聞き取れなかったのですが、 垣ヶ原さんの通訳は、ルヴォーさんの言葉を必要ならば2倍にも3倍にもして、十二分に 伝えてくれている気がしました。あらかじめ十分な演出家とのディスカッションを 行っているからこそ、可能なことなのでしょう。 途中、カトリック教会に対するルヴォーさんの考えを伝えた時なんかは、あらかじめ、 これは自分の見解とは異なるんですがと、はっきり念を押していました。(^^) で、そのルヴォーさんの、この時代の教会は女性を抑圧する社会装置であり、そして、 残念なことにそれは非常にうまく働いていた、という意見も興味深かったです。 しかし、百人近いスタジオの中の者全員が、ルヴォーさんとそして垣ヶ原さんの言葉に 耳をそばだてている光景は、なんだかとてもスリリングな感じが自分はしました。 最後にルヴォーさんのスピーチがあって、これまでここで私の示した解釈は絶対では ないし、自分が面白いと思ったら拾い、つまらないと思ったら捨ててもらって結構です とおっしゃっていました。 最終日ということで、その後にビールで乾杯がありました。植野さんがビールの箱を 抱えて、みなさんに配って回られてて、僕もビールを頂きすっかり感激してしまった。 『エリーダ』の時に比べて、はっとするほど色が白く感じられてとても素敵でした。 #なんてミーハー (^^;) この打ち上げには、『エリーダ』の木場勝己さんや三浦賢二さんなんかも顔をみせて いました。そして、ここでも、ワークショップの参加者の方々の輪に囲まれている ルヴォーさんをみて、人を魅きつける才能を感じました。 で、自分はその場に長居してもしょうがないので、ビール飲んですぐ帰ろうと思ったの ですが、外はなんだか土砂降りの雨。でも、少し待っても止みそうになかったので、 びしょびしょになりながら、地下鉄の森下駅まで帰りました。 T.P.Tのフレンズ会員については、来年はどうなるのか知りませんが、 公演のアンケートを書けば、案内を送ってくれるんじゃないかと思います。 【問合先】T.P.T(シアター プロジェクト・東京) 03-3634-1351 ---------------------------------------------------------------------- - FSTAGE :General :『かべすの幕間2』 108/108 PXF00472 手塚 優 R/T.P.T.『双頭の鷲』(ベニサンピット) ( 3) 94/09/12 00:34 100へのコメント 演出:デヴィッド・ルヴォー、訳・吉田美枝、装置・ヴィッキー・モーティマー 照明・沢田祐二、衣装・黒須はな子、音楽・菅野由弘、音響・高橋巌、 あの『美女と野獣』の作者、ジャン・コクトーの戯曲で、後に自ら映画化(1947年)して ます。ですが、自分は彼の作品は『恐るべき子供たち』以外、全く知りません。(^^;) それも、最初に見たのは萩尾望都のコミックです。(^^;;) で、その後、小説、映画と 見ましたが、漫画が一番印象的でした。 この芝居を観る前までは、そのことはあまり思い出しませんでした。ところが、 観終わった後で考えてみると、この戯曲と『子供たち』で描かれているものが、とても よく似通ってる気がして、昔読んだ角川文庫をもう一度引っ張り出してきました。 麻実れい演ずる王妃と、堤真一演ずる詩人スタニスラフの世間知らずの純粋さは、 『子供たち』の主人公の姉弟エリザベートとポールの姿に重なります。 王妃を崇拝するヴィレンシュタイン公爵(田代隆秀)や、王妃に対して矛盾した愛憎を 抱く不幸な読書係のエディット(植野葉子)の行動も、『子供たち』での弟ポールの親友 ジェラールや、姉エリザベートの仕事仲間アガートを髣髴とさせる部分があります。 王妃との婚礼の朝に暗殺された王は、エリザベートに財産だけ残して、新婚直後に自動 車事故で死んだ夫のミカエルだし、死んだ王とそっくりの男(スタニスラフ)が現れると いうモチーフも、かつてポールが崇拝していた学友のダルジェロに似た面影をもった アガートの登場と同じです。その他、毒に主人公が魅力を感じる点や、物語の悲しい 結末など、ほんとに共通点がいくつもあります。 作者が同じなんだから当り前といえば、それまでですが、しかし、このことは、 ルヴォーさんがパンフで述べているところの、この戯曲で描かれてる「ファンタジー」 が、実はとても子供じみたものでもあることを示している気がします。 それは、過敏で外の現実に対しては脆いけれども、非常に蠱惑的で危うい魅力を持つ 世界です。でも、もしそのひ弱な世界を、この現実世界において、いつまでも完全に 保とうとするならば、そのためには、この劇のもう一人の登場人物、耳が聞こえず、 口も聞けないトニー(真堂藍)のような世界に閉じこもるしかないのかもしれません。 この芝居の最後の結末では、胸を突かれたような気分になり、直後の暗転の間、自分は 拍手することができませんでした。はっきり言って後味はあまりよくありません。 きよちゃん さんが4年前の初演時の紹介をされていたのが、フォーラムアーカイブの #35 「演劇・お芝居の会議室(6)」の #67 にあって、読ませて頂いたのですが、 初演のロマンチックな演出では、同じ結末でも、こんな感じではなかったようですね。 そちらの方も観てみたかったなと思います。 でも、演出家はイプセンプロジェクトの2作品(『ヘッダ』『エリーダ』)と、この作品を 並べることで、女性の社会的自由とそこに果たす男性の役割みたいなものを考えてみた かったのかなと思います。今回の演出が政治権力を描くことに、より比重を置いていた とすれば、それはそのことが王妃たる女性にとっての社会的自由に関る事であったから ではないでしょうか。そして、王妃の顔を外に向けさせたのは、スタニスラフです。 『エリーダ』以来、ファンになってしまった植野さんですが、王妃に叱られて、しゅん となる場面とか、なかなかいじらしかったです。みてて、何だかゴムまりみたいな感じ の人だなって、なぜか思いました。彼女はエリーダで初めて観たと思ってたんですが、 去年の『アマデウス』ではサリエリの弟子の歌手をやってたんですね。 役者はあと、団時朗が、登場人物の中で唯一人、俗な現実世界を体現するフェーン伯爵 を貫禄のある演技で好演してました。 客席は満席でしたが、2Fバルコニー席が出てたかどうかはちょっと分かりません。 9/10(土) 7:00-9:45(休15) ベニサンピット (公演は25日まで) T.P.T のこの後の公演は、10/1〜3 大阪・近鉄アート館 『ヘッダ・ガブラー』 10/7〜23 ベニサンピット 『ヘッダ・ガブラー』『エリーダ』日替わり公演 問合せ:大阪・06-625-2222 近鉄アート館、東京・03-3634-1351 T.P.T. 113/113 PXF00472 手塚 優 RE^2:R/T.P.T.『双頭の鷲』 ( 3) 94/09/15 01:22 110へのコメント ---> きよちゃん さん 今回の神戸公演と東京公演、それから4年前の初演の印象の違いについての詳しい ご紹介、大変興味深く拝見しました。今回の東京公演しか観ていない自分も、 またいろいろと考える楽しみができて、まさに「一粒で二度おいしい」気持ちです。 初演には随分と思い入れがおありになるように感じました。僕も、たとえ安易でも ハッピーエンドが好きな方なんで、初演を観られなくて残念でした。でも、自分は 芝居を観始めたのが、ここ3年くらいからなんで、仕方ないです。昭和43年なんて いったら・・・(^^;) でも、以前の舞台の紹介なんかはとても参考になります。 どうもありがとうございました。 ところで、ルヴォーさんですが、僕も先日 T.P.T.のワークショップの見学会で、初めて お話を聞いたのですが、そんな冷徹なリアリストって感じでは全然ないですよね。 むしろ、夢見てるような感じの瞳が、僕には印象的でした。ちなみに、この見学記を 隣の会議室「ちょっとマチネ16」の#250 にupしてます。ちょっと長いんですが、 もしよければ、目を通して頂けたらうれしいです。 で、今回、王妃とスタニスラス(#108では間違えてました^^;)を突き放してるという ご意見ですが、僕はそうでもないんじゃないかと思います。たしかに、「現実」に 負けた部分に比重が掛かってるとは思いますが、それを演出家は、現実優位の立場から 見下しているというよりか、むしろ、対岸の現実から手を伸ばして、なんとかこの 才能ある二人を夢の世界から救いたかったのではないでしょうか。 2幕での二人なんかは、とても溌剌と魅力的に描かれていましたしね。 けれど救えなかった、その悲しみと悔恨を、再び二人を夢の世界に返してやることで、 紛らすのではなくて、ストレートに描いてたんではないかと、これはかなり勝手な考え ですが、思いました。そう思わないと、エディットだって浮かばれません(^^) それにしても、公演の度毎にどんどん深みを増していくルヴォーさんの演出力は、 やはりすごいものだと思います。今後も、T.P.T.の公演は楽しみです。 116/116 PXF00472 手塚 優 『双頭の鷲』のラストシーン ( 3) 94/10/05 00:18 114へのコメント 化石レスっていうんですか。(^^;) パソコンが壊れたりしてたもんで遅くなりました。 今月のTheaterGuide誌に出ている神戸公演の写真をみて、きよちゃんさんに説明して 頂いたラストシーンを、さらにはっきりとイメージすることができました。 ただ、写真が小さい上に発色があまりよくないのが、ちょっと残念なんですが、 TG誌のコストパフォーマンスを考えるとこんなものでしょうか。 しかし、この二人の指先の間にステッキを突き立てるとは・・・。 うーん、たしかにシビアですね(^^) コクトーの映画もレンタルで借りて、ジャン・マレーの「階段落ち」も観ました。 この話がロマンチックな「ファンタジー」であることがよくわかりました。しかし、 いつも思うのですが、映画を見て改めて、ほんとルヴォー氏の舞台って、物語の微妙な 点まで、現代の我々にわかりやすく示してくれているのだなぁと感じました。 あと、しつこくて申し訳ありませんが、(^^;) ルヴォー氏の「ロマンティックなものは今の世の中ではウケない。」って話ですが、 これは今がより現実的な時代だから、ってことではなくて、その逆で、パンフ解説の 言葉を借りれば、"「バーチャル・リアリティ」に中毒している" 現代人にとっては、 それが、さして新鮮味の感じられるものではなくなってきているから、ってことでは ないかと思います。ルヴォー氏はそこであえて世に逆らい、現実を直視する側に立って みたということでしょうか。 今月のT.P.T.のイプセンプロジェクトの再演は、自分は観れそうになくて残念です。 『エリーダ』なんか、もう一度くらい観たかったな。また、来年に期待しましょう。 きよちゃんさんには、丁寧なレス、本当にありがとうございました。いろいろお話を 聞いて、芝居を観た楽しみが何倍にもなって、とてもうれしかったです。では。