- FSTAGE MES( 4): ストレープレイ :『かべすの幕間』 01184/01184 PXF00472 手塚 優 R/彩の国さいたま芸術劇場『ロミジュリ』 ( 4) 98/02/01 02:03 01169へのコメント コメント数:1 1/31(土)夜に観ました。劇場までの行き帰りが寒かった。(駅から徒歩10分くらい) 劇場ガレリアでは、今公演に合わせて2/1まで「ロンドン・ステージ・ツアー 〜シェイクスピアの名舞台」と題して舞台写真、ポスター等が紹介されていました。 夜9:00過ぎの終演後も10:00まで開いてて、観劇後にも観れるようになってます。 さいたまでのシェイクスピア全作品上演シリーズの第一弾が、この蜷川演出 『ロミオとジュリエット』ですが、この後、彩の国シェイクピア・カンパニー(SSC) としては、今年10月に『十二夜』、来年2月に『リチャード三世』を、やはり 蜷川演出、松岡和子訳で予定しているとのチラシがありました。 また、県広報の特別番組として、テレビ埼玉で 2/18(水)午後8時〜 今回の稽古現場 を取材した「Making of Ninagawa x Shakespeare」という番組を放映するとのこと。 結構、埼玉県も気を入ってるみたい。ついでに主役に新人を起用した蜷川『身毒丸』 のロンドン公演の凱旋は6/27,28の二日2公演のみのようです。そういえば、この 白石加代子さんが、ちょうど同じ時間にお隣の小ホールで『百物語』第十六夜を やってました。この日は劇場に蜷川さんも来てたらしいから、途中でそちらの方に 行かれたのかな。 と、ここまで書いたら時間遅くなってしまったので、Rはまた後で。(^^;) 肝心の舞台の情報ゼロですいません。 01190/01190 PXF00472 手塚 優 続R/彩の国さいたま芸術劇場『ロミジュリ ( 4) 98/02/03 00:37 01187へのコメント ごろうやっこさん、どうも。こちらこそ詳しい公演データ省略させてもらって いつも感謝してます。キャストとかスタッフとか入力するのめんどくさいですよね。 たしかにRSCとNTのものが多いと思いました。でもシェイクスピアなんて上演するの 日本でも歌舞伎上演する場所が限られてるように、やっぱり限定されちゃうのでは? 今、来日中のNTの『オセロー』のポスターもありました。ごろうやっこさんは、昔 バービカンでRSCをご覧になったようですが、そういえば今年はRSCも『ロミジュリ』 の来日公演ありますね。5/29〜6/10 グローブ座、6/12〜6/14 近鉄小劇場 前売4/1〜 マイケル・アッテンボロー演出、セゾン劇場でもらった仮チラシ見ると、どうやら 黒人の役者さんがロミオを演じるみたい。楽しみです。 さて、Rの続き。この翌日にNT『オセロー』を観て、先週は新国立劇場開場記念公演 『リア王』観てたので、今年はなんだかシェイクスピア悲劇ばかり観てる。先々週も、 新国立劇場の小ホールでひとみ座の人形劇『リア王』を観てたし、その前の週は、 ちょマチでRも書かせてもらった宮城聰演出の『ロミジュリ』でした。結局、先月の 『ロミジュリ』競演は、俳優座とコクーンには足を運ばなかったのですが、それでも それぞれ異なるプロダクションのシェイクスピア悲劇を既に5本も観た事になります。 あと、とりあえず来週、ケネス・ブラナーの4時間の映画版『ハムレット』を観て、 自分のシェイクスピア悲劇強化月間は終了の予定。(^^;) でも、これだけ続くと観る 方も自分なりに、似てるなと思える所や、細かい発見などがあって面白いです。 例えば、今回の戯曲の翻訳者の松岡和子先生の著書『すべての季節のシェイクスピア』 (筑摩書房)の中に、ジュリエットと『オセロー』のデズデモーナは「共通する要素が 多い」(p.65)と書かれていますが、その続きで、『リア王』でも末娘コーディリアが 父親に、「結婚すれば、誓いを交わした夫の手に、愛の半ば、心遣いと義務の半ばを 渡します。」(松岡訳)と言うのは、デズデモーナが父親ブラバンショーに「お父様、 私のつとめは二つに引き裂かれております。… お母様が、その父親以上に夫である お父様に、真心からつとめたように、私も夫であるムーア様(オセロー)に真心から つくしたいと思います。」(小田島訳)と言うのと同じだと感じました。 あれっ、この話は『ロミジュリ』とは関係ないですね。(^^;) また、ロミジュリは去年は、芝居や映画は観なかったのですが、バレエ版を日本の と、英国のロイヤルバレエ団の舞台で観たので、その印象も強くて、例えば、今回の 蜷川版でも広場での喧騒や、ジュリエット家での仮装舞踏会での踊りの場面など、 やっぱり比べてしまいます。またバレエは台詞がない分、ジュリエットの初々しさや ロミオと出会ってからの大胆な変身などが純粋に観れたので、芝居の膨大なセリフで 苦労するロミオとジュリエットの若い役者さんたちは大変だなと、ちょっと同情的に なります。(^^;) 本当は、台詞の言葉があるから、その言葉の裏の感情とか、 いろいろと推し量れて面白いので、自分の英語力のなさに隔靴掻痒だったセゾン劇場 のNTの『オセロー』もきっとそういう点が魅力の舞台だったのではないでしょうか。 言葉というのは真実を近付けたり遠ざけたりする不思議な物です。 Rの続き、と書いてて、またしても肝心の舞台の話になかなかならず、ごめんなさい。 今回の舞台観て考えたのは、ロミオとジュリエットの「一筋の光のよう」(初演時の 蜷川Note)な一途な愛というのは、ただ一人の恋人に向けられたものであるからこその 強度なのかなということでした。最初のロミオのロザラインからの簡単な心変わりの ように、別に対象はなんでもよかったのかもしれませんが、とにかくお互いが相手の 思いを一点で受け止め、それをそのままの強度で相手に返す。これがレーザー光線の 共振のように、強度を増幅するという感じかなと思いました。大人ぶった態度で周り を受け入れるような、一見、寛容だけれども拡散して対象がはっきりしない愛情だか なんだかわからないものと正反対のものです。一対一のコミュニケーションを求めず に、周囲の状況に合わせて自己保身を図る大人達の愛情の薄さが若い者たちを抑圧し て、その捌け口として仮想敵であるお互いの家への理由のない憎しみに転化してるの ではないかと思いました。かなり大雑把な見方かもしれませんけど。 主人公は二人ともスレンダーな身体つきで身のこなしも軽く、率直で素直な印象。 ただ、もう少し感情の揺れとか、二人が出会ってからの短時間での驚くべき成長ぶり とか感じられたら思うのは、無い物ねだりかな。脇では、片桐はいりの乳母と、 神父の渡辺哲(大学の先輩とは知らなんだ)が俗な親しみやすさを出してました。 特に、乳母とジュリエットのやりとりは、観ててとっても楽しかったです。 興味深かったのは、大川浩樹の演じた単純で陽気なだけとは、とてもいい難い、 なげやりというか虚無的な印象さえ感じるマキューシオ。ロミオの身代わりとなって 殺される場面では自分から身を投げ出した感じ。これは昨年のバズ・ラーマン監督 の映画でも似た演出だったらしいと自分は観てないのですが、他人に教わりました。 大川さんの役は、ちょっとロミオに対して特別な感情を抱いてるようなフシもなきに しもあらず。ゲイっぽい感じがしたと思ったのは僕だけでしょうか? ----------------------------------------------------------------------------- 01789/01789 PXF00472 手塚 優 R/蜷川『十二夜』彩の国シェイクスピア ( 4) 98/10/28 00:46 01781へのコメント #1750にも ごろうやっこさんのRがあります。 南方遊覧機さんと同じ回を観てました。客席のいのうえさんには僕も気付きました。 先日、コクーンの『Zenmai』でも見かけたし、なんかよく見るけど目立ちますから。 『十二夜』は、今年、英国RSCの演出家トレバー・ナンが監督した映画を観たけど あまり楽しめなくて、ちょっと不安だったのですが、さすが蜷川さん。日本人の自分 にも、とても面白く観る事ができました。「喜劇」ということで、石井喧一、大森博、 たかお鷹、根岸明美、木場勝巳、壌晴彦のベテランで手堅く脇を固めて、笑いをとり ます。 しかし、これは決して安易な舞台ではありません。張り出し舞台と、そこの出入りに 奥から通じている二本の渡り廊下の周囲を囲み、並べ立てたロウソクの灯のように、 傍らを通り過ぎる人の風に何度も吹き消されてしまいながらも、またこまめに火を 点す作業を繰り返す。その彼ら黒子が場面転換時に廊下を走るきびきびとした動作が、 舞台を引立てます。 また蜷川演出にはやはり、一面的でない悲しみも裏にひそんでいるように感じられ、 これは単に自分の個人的に過ぎた感傷なのかもしれませんが、泣けました。 上から降りしきる白い花々も、僕にはあれは実のない偽りの恋の手紙の屑の山のよう にも思えました。でも、その偽りの山の中に一片の真実を求めたくなるのも人情。 最後に唄いながら、ロウソクの灯を一つ一つ消して行く道化のフェステ役の石井さん が、火を消すのに使っていたのは、蜷川版『夏の夜の夢』の時も投げてた灰皿。(^^;) その彼に投げ付けられるゴミは、この嘘っぽい物語とその演出家への、現実からの 手荒い祝福なのかもしれません。