- FSTAGE 特別会議室:『草迷宮を探索する』 00079/00079 PXF00472 手塚 優 R/彩の国さいたま芸術劇場(3/22・夜) (17) 97/03/23 01:38 来月1日からのシアターコクーン公演にさきがけて、3/15〜23までさいたま芸術劇場 大ホールで行われている公演を観てきました。1階D列通路脇でかなり前方の席だった のですが、それでも冒頭、舞台の奥の、まるで宙に浮かんでいるような透明な水槽 にうずくまる浅丘ルリ子さんが最初とても遠くて、この劇場の奥行きの深さと天井の 高さが実感されます。その舞台をうめる白い草花やすすき。本数まではわかりません が、その下に清らかな水の流れを秘めているような、意外に淡白な舞台装置でした。 通し稽古を見学させて頂いた時に危惧した、美しくイメージ豊かな台詞の難しさは、 さすがにみなさんプロですね、本番では、同じ台詞を喋っていると思えないくらい、 わかりやすく観る事ができました。特に田辺さんなんか長足の進歩だと思います。 その田辺さんの役作りに、稽古を観た時には感じられなかった、女性的なイメージを 今回、自分は感じました。彼の夢に現れる魔の世界の女、浅丘ルリ子さんの菖蒲は、 そんな彼の分身なのではないかと思ってしまったくらいです。だから、彼と菖蒲の愛 は自己愛的で、自閉の感があります。でも、否定的な感じではありません。昨年の 『零れる果実』から『1996・待つ』、そして今回と続けて使われている透明な水槽の 中でなにか大事な物を抱えるようにしてうずくまるイメージに連なるものです。 鏡に映った闇の中から浮かび上がる姿は自分でしかなかったのではないでしょうか。 『身毒丸』と異なり、観客の年齢層が高めなのは、予想のついたことでしょうか。 辰巳琢郎が登場した途端、拍手が湧きます。浅丘さんの台詞はさすがで、青年・明 とのせつない思いは聞いてるだけで泣けてきます。それに周りが真っ暗な中、あんな 高いところで演技するの、すごく勇気のいることだと思うのに、偉い女優さんです。 傍の新橋耐子さんや、たかお鷹さんや大富士をはじめとする村人たちは、稽古場での 濃い演技に比べると意外とあっさり目になったように感じられましたが、これは演出の バランスなのかもしれません。1時間30分、休憩なしのこの芝居からは、猥雑でおどろ おどろしい魔の時間のようなイメージより、むしろ透明であっさりした夢の時間を 感じ、そのあくまで「個人」の夢の底流が地下でつながってるイメージを思いました。 この芝居の大きな魅力の一つである宮川彬良・作曲の音楽は親しみ易くてよいです。 #067で書いた子供芝居の、稽古場での拙い女形は代役だったみたいで、舞台では、 かないつばめちゃんという女の子が演じてます。パンフ(1500円)によると、大衆演劇 金井劇団の名子役だそうですが、なかなかかわいい。また、#066で蜷川さんの台本に ついて触れましたが、今回のさいたまでの公演期間いっぱい(23日22:00まで)劇場の ガレリアで展示されている蜷川さんの過去の公演のポスターや舞台模型とならんで、 英国公演した『タンゴ・冬の終わりに』と『夏の夜の夢』の台本が展示してあって、 『タンゴ』の台本には書込みかいっぱいしてあったし、『夏夜』の方にも赤線引いて ありました。どちらも見開きの左が英語、右が日本語になってました。 パンフ後ろの広告によると、さいたま芸術劇場ではシェイクスピア全作品上演 プロジェクトというのを始めるらしく、その第一弾予定が、蜷川演出による 『ロミオとジュリエット』だそうです!(98年1月下旬予定) 楽しみですね。 3/22(土)19:15〜20:45 S席8000円 さいたま芸術劇場 048-858-5503 00089/00089 PXF00472 手塚 優 ネタばれ注意!!(RE:R/草迷宮) (17) 97/04/11 01:07 00088へのコメント カクたんさん、稽古場見学の節はどうも。再度の上京しての観劇も「二度おいしい」 舞台でよかったですね。(^^) 今日の毎日夕刊でも高橋豊氏が、美術や照明が、 「鮮烈なイメージを残す」と褒めてました。ただ、やはり田辺さんと辰巳さんの 「せりふが浮き気味だ。」と最後に一言あります。(^^;) ところで、僕はまだコクーンで観てないのですが、最後のシーンというのは #86,87で大道さんやTAKUさんも書かれてる、去年の『身毒丸』でもやった、 「あれ」のことですね。稽古場にあった舞台装置模型の裏にもちゃんと開いて ましたよね。さいたま芸術劇場の搬入口はどうなってるのか、知らなかったので、 蜷川さん定番のあれがどうなるのか、実は自分もとても興味を持っていたのですが、 残念ながら(^^;)、さいたまでは扉は開きません。かわりに、本当に安っぽい感じの ネオン電飾の光景が背景に浮かび上がる装置となっていました。もし、あの装置が 現実の世界へ観客を引き戻すものだとしても、あまりにチープ過ぎて、全くリアリティ なかったな(^^;)。#86の大道さんの御友人の方と同じく「なにあれ」って感じです。 去年のさいたまでの『身毒丸』は、どうだったのかな? でも、コクーンでも後ろの搬入口はあまり大きくは見えないし、外は屋内駐車場で 本当の屋外ではないから、効果としてはいまいちなのでないでしょうか。たしか 去年は『零れる果実』の時もやったんでしたよね。僕は舞台に溢れる装置に邪魔 されて見えませんでしたけど。やはり、こういう舞台の後ろを開けるのは、唐組や 新宿梁山泊のような野外テントでやるのが一番効果的かな。それから、蜷川さんは ベニサンピットでも必ずこれをやります。『夏の夜の夢』初演時のパンフでも、 蜷川さん自身、「(ピットでは) 後ろの壁、ドアを開けて外の道を見せなかった芝居 って一度もやってない。自分の芝居を実人生や日常と観客のまん中に置いてみたいん です。」とおっしゃってます。 ちなみに、このような芝居の最後に「日常」を持ち出すやり方で、自分が連想する のは、寺山修司『青ひげ公の城』のラスト「月よりも遠い場所」の少女のモノローグ です。個人的な刷込みみたいなものですが。 さて、蜷川さんの定番とも言えるこのラストの演出で、僕が観て最もすごかったのは、 今度またまた再演される『近松心中物語』を蜷川さんの故郷・埼玉県川口駅前にある リリア・メインホールで観た時でした。この劇場の裏の搬入口はとっても背の高い 大きい扉で、それが開くとその向こうに草花が植えられた花壇があって公園の散歩道 みたいなスペースなんです。そこへ舞台から、扉を抜け、花壇も踏み越え、どんどん と遠くへと歩み去っていく勝村さんの与兵衛の後ろ姿。そして空いた舞台セットでは 彼岸花が斜め後ろから差し込む午後の陽光に浮かび上がるようで、ほんとすごかった。 これとその前の道行きの雪の場面だけでもS席10000円のもとがとれました。 この陽光による自然の照明の効果は、蜷川さんもどこかの雑誌のインタビュー記事で 自画自賛してました。最初は狙ってやってるのならすごいなと思ったけど、よく考え ると、狙ったかどうかなんて、関係なしにすごいことです。たまたま空が曇ってたら ダメだし、だいたい公演9日12ステージの内、昼のマチネは4ステージしかなかったん ですから、この効果の生まれる可能性を用意しただけで演出・スタッフは称賛される べきだし、たまたま晴れた日のマチネを、そこで観客として観る事の出来た僥倖に 今では感謝しています。なんか思い出話になっちゃってすいません。 ------------------------------------------------------------------------------- - FSTAGE MES( 4):ストレートプレイ :『かべすの幕間(マクアイ)』 00785/00785 PXF00472 手塚 優 リバーダンス(RE^3:遅R/「昭和歌謡大全集 ( 4) 97/08/12 00:48 00782へのコメント 『昭和歌謡大全集』をご覧になったみなさん、こんにちは。僕は7/26(土)に観ました。 全然舞台に関係ない、ただのミーハーですけど、こんどT.P.T.の寺山作品『白夜』に 出られる伊原剛志さんらしきお姿を劇場でお見掛けしました。 ところで、劇化の清水邦夫さんがパンフで「原作を読んで、熟女たちのキャラクター づくりりにはどうしてもわたしの好きな(といってもビデオでしか見たことなかった のだけれども)リバーダンスを取り入れたくな」ったと書かれている、アイリッシュ・ ダンス「ケルトの熱い風、リバーダンス」ですが、これは、おそらく、ビデオが輸入 されている『RIVERDANCE - THE SHOW』というロンドンやアメリカで人気のダンス・ ショーです。これは、ホントに最初観た時、圧倒されちゃうくらいすごいので、もし 機会があったら是非ご覧ください。既に、FMUSICALの方で何度か話題に出て、自分も 何度か書いたのですが、FSTAGEでは初めてのような気がするので、繰返しですけど、 書いちゃいます。WWWにも http://www.riverdance.com/ という公式ページがあります。 この舞台の音楽は今年のグラミー賞 Best Musical Show Album を受賞してます。 このアルバムは持ってないのですが、この舞台のオリジナル主要メンバーの一人で あるMichael Flatleyというダンサーが、このカンパニーを離れて、自分の公演として 『LORD of the DANCE』というやはりアイリッシュダンスのショーを始めてて、その 音楽CDを持ってます。これもなかなかです。アイリッシュ音楽には全然詳しくないの で、The Corrs ザ・コアーズ とか、自分にはみんないっしょに聞こえてしまう。(^^;) 清水さんによると「小説の戯曲化は、過去に一度しかやったことがない。」そうです が、その作品、アゴタ・クリストフ『悪童日記』の木冬社公演でも、原作にはない 酒場での女性たちの踊りの場面が印象的でした。言葉以上に雄弁に女性たちの思いを 語っていたという記憶があります。今回も、「通常は抑圧されている、下半身だけで 踊るダンス」といったセリフが、彼女達の立場を象徴するものとして出てましたね。 ただし、それが原作のイメージとうまく重なるものになっていたのかどうかは、 ちょっと疑問なのですが、自分は原作は読んでないもので、判断つきません。 舞台の印象は、自分もまとめられずにいたのですが、男優陣の役作りがあいまいと いう むーんさん(#783)の印象にちょっと近いかも。みんな、身体はった演技で悪く なかったようには思うのですが、なんでかな〜。ところで、パンツ一丁になるとき、 新川将人さん(『草迷宮』にも出てましたね)のパンツのお尻に大きく名前が書いて あったのは、あれはイデビアン・クルーじゃないだろうな、たぶん。でも笑えた。 話は、子供のころ読んだ、筒井康隆の創作童話『三丁目が戦争です』(絵・永井豪)を 思い出しました。あれの悲しい方のラストの絵もたしか、枯れ木が一本立った廃墟 じゃなかったかなぁ。それとも木じゃなくて銃だったかな。随分昔の記憶なので、 全然違ったらごめんなさい。 手塚理美さんが、蜷川さんの舞台の急な階段のセットの上で颯爽と立ってるの観たら、 同じ劇場でやった『ハムレット』の真田広之を連想して、なんか不思議な気分。 ----------------------------------------------------------------------------- - FSTAGE MES( 4): ストレートプレイ :『かべすの幕間(マクアイ)』 01097/01097 PXF00472 手塚 優 R/『常陸坊海尊』みちのく伝説(67行) ( 4) 97/12/22 01:30 01091へのコメント 長文かつ、まとまりない文章で、舞台のRにもなってない気がしますが、御勘弁を。 一週間考えてもこの程度です。(^^;) 12/14(日)観劇オフにみなさんとごいっしょしました。『常陸坊…』は昭和39年(1964) 秋元松代さん50代初め頃の作品。先月も昭和24年(1949)作『礼服』を東京芸術小ホール での戦後一幕物傑作選のシリーズで観たばかりで、これもすごく面白く、半世紀近く 前の、まだ戦争の傷痕も生々しい時代に、女性によって書かれた戯曲という事実に驚 かされました。しかし『常陸坊海尊』は『礼服』のような自伝的要素のある作品とは、 また明らかに異なる作品。12/15朝日夕刊インタビュー記事によると、横浜育ちの秋元 さんが「あのころは自分の生活や経験に即したものを書く気がなくなり」、柳田国男 の影響で書かれた作品との事。「シアターアーツ」7号(晩成書房)の松岡和子さんの 論文「魅する力−『常陸坊海尊の女たち』」で引用されてる河出書房新社版の戯曲集 あとがきには「海尊伝説に関心を持ったのは、彼と民衆との結びつきについてだった」 と記されているそうです。戯曲集で現在容易に入手可能なのは講談社学芸文庫収録の 「常陸坊海尊・かさぶた式部考」(940円)。舞台では、どうもぴんとこなかった所が 多くて、またオフ宴会でこんさんや松田さんに、いろいろ話を伺い、興味が深まった こともあって、戯曲を読んでみました。以下は、その読後に改めて舞台を思い返して 考えた事です。 まず、いまだに自分に謎なのは、啓太(大沢健)の罪の意識。東京生れの戦争孤児で 身寄りもない彼は、終戦後おばば(白石加代子)や雪乃(寺島しのぶ)とともに暮らし、 おばばの遺言に従い彼女のミイラ作りに手を貸したおかげで、裁判にかけられ懲役刑 に処せられました。「おらァ、何にも悪いこたァしねがった」「おばばに教えられだ 通りにすただけだ」と嘆く彼を、しかし同じ疎開仲間の豊(松田洋治)が非難します。 「君とけだものと、どれだけの違いがあるというんだ。」「いっそ、君なんか死んで しまうがいいんだ!」などと理不尽にしか思えぬ言い草です。しかし、同じ戦災孤児の 境遇から豊は逃げずに生きてきた。そんな彼は三十前にして既に人生に疲れ、自分が 「すでに七十歳の老人のような気が」しています。その彼の怒りをかきたてたのは、 もしかすると自分の姿だったかもしれない啓太に対する嫌悪と同時に、それとは反対 の嫉妬心のようなものもあったのかもしれません。先の松岡論文によると、戯曲の元 となった放送劇では、おばばは豊による回想の中で「あのふくろうのような老婆は、 ほんとうに十八歳の若い女のように見えた」とあります。(おそらく第一の海尊登場の 場面のことと推察しますが、たしかに今回も白石さんの乙女への変身はすごかった。) 自分を殺して生きる生き方とは正反対の、自分の欲望のままに若さを保つ生き方への 嫉妬心です。でも、これは豊の問題であって、啓太の問題ではありません。あるいは、 啓太の罪は、自己責任や主体性の放棄ということなのかな。「責任」という言葉は 一幕冒頭にも出て来るキーワードの一つだと思います。夜の杉木立の森に逃げ込んだ 少年・啓太と豊を探して登場する先生(大石継太)に疎開宿寿屋の主人が言う台詞。 この先生は終戦後、東京に出かけて行方不明となり、身寄りのない疎開児童を引受け に来た村人たちに日本の「無条件降伏」と同列に「無責任」よばわりされます。 先生は一体どこに隠れてしまったのか? 東京の妻子を新潟の実家へ疎開させたという 台詞のあることから、そこへ行ったのかとも思われますが、もしかすると彼も 「海尊」になったのかもしれません。舞台では気づかなかったのですが、戯曲読むと、 普段は標準語で児童たちに軍国教育を指導してますが、宿の主人から甘酒やどぶろく の好意を受けて気の緩んだ時、つい感染した東北訛りをしゃべってしまってます。 この伝染した訛りというのが「海尊」の特徴の一つだと思います。劇中に登場する 三人の海尊は全て訛っていますが、本来、海尊は都から義経に従った者のはずです。 ところでおばばがミイラになったのは、啓太が十八の時とあるから、1950〜51年ごろ の朝鮮戦争や対日平和条約、日米安保条約調印の頃なのはなにか関係あるのかな。 巨大な杉の根がおばばたちの住む小屋の頭上を覆う装置(松井るみ)。この「木の根」 や舞台の上の「土器」は何だろと思ってたのですが、これは昭和36年の第三幕に出て くる、神社の奥の院に重美に指定された土器がある、という宮司補の秀光(清家栄一) の観光客への解説と、ツアーガイド(畠山明子)の「木の根につまづかないように気を つけましょう」という台詞です。特に後者は、二度出て来るのでちょっと意味深な気 がします。木の根は、いたこのおばばや雪乃など土着の信仰を表すとすれば、 根につまづいたのが登仙坊や啓太、秀光。東京からの観光客は、ばらばらの根無し草 のようなものなのかもしれません。思いつきですけど。(^^;) この根につまづいた者たちの中で秀光だけは、少し救いがあります。ソ連へ決死の 密航を企てる彼は、そして彼の仲間たちも「なにかかにか、呪文さ解げなくなって、 日本がら逃げ去る男だちだす。」しかし、彼らは、その逃避行を英雄義経公が蝦夷地 へ向かって海を渡った伝説になぞらえ、それには自らの名誉回復への願いを感じます。 秀光は「二十四、五歳の童顔のまじめそうな青年」とト書きにあり、啓太や豊よりも 若干年下という設定のはずで、当初は松田さんがこの役を演じるはずだったと知り、 その方がよかったかもなんて少し思っちゃいました。清家さんだとちょっと怖い。(^^;)