- FSTAGE :ストレートプレイ :『かべすの幕間』 00173/00173 PXF00472 手塚 優 R/蜷川演出『夏の夜の夢』(グローブ座) ( 4) 96/08/16 01:29 00168へのコメント 8/10(土)のオフの回にみなさんといっしょに観ました。1F二列目下手端より観劇。 この舞台は初演の時から、ほんとに素晴らしいと思ってて、他の方のRでも好評 みたいでとてもうれしかったので、欲張りかも知れませんが、唯一最後の劇中劇の 評判がひまひとつなのが、どうにも残念でなりません。なぜって、昔のR(「ちょマ15」 #409)でも書いたのですが、初演でまず感動したのが、職人たちの素人芝居の面白さ だったからです。笑い泣きしそうなくらいでした。この普通なら冗長と思われがちな 部分に、贅沢な役者を使い、真正の喜劇に仕立て上げた演出の蜷川さんの手腕を スゴイと思いました。そして、このおかげで森での一夜の「夢」の儚さが、職人たちの 代表する「現実」との対比で明快になったと思いました。 初演と今回の舞台で最も印象が異なるのは、ラストで挨拶するパックの姿です。 同じ林永彪さんのパックだったのですが、初演では、それまで自由自在に跳び回って いた彼の動きがだんだんときごちなく不自由になり、最後には倒れてしまいます。 その様は、だんだん大きくなる街中の雑踏の音や電車の通過音などの音響の、夢から 醒めて日常の現実に引き戻すような効果音とともに、あたかも「夢」の化身の彼が、 「現実」に侵蝕されていく姿のように自分は感じてました。ところが、今回の印象は 全く正反対で、また夜は地球を一周すれば戻って来るし、夢もまたみることができる。 現実だってそんな悪くもないじゃないか、みたいな印象を自分は受けました。この辺 パンフで蜷川さんが(お得意の^^;)自分へのインタビューで書かれてるところの 「ようやくぼくも、世界や人生を許容できるようになったんでしょうか。」ってこと なのかもしれません。そしてこれは、この舞台が初演・再演を通じて、観客に愛情を もって迎え入れられたからなんじゃないかなと思ったわけです。 この印象の変化の為か、今回、森でのタイテーニアとオーベロンの争いや、二組の カップルの恋の鞘当てなどでは、初演の時よりずっと、裏に仕舞われた愛情を感じる ことができました。恋に迷わされるようになる前には、本当に仲よく森で遊んでいた 幼い頃のハーミアとヘレナの姿とかも感じられました。初演の哀しさを孕んだ印象も 捨て難いのですが、でもこれはやはりより幸せとなった舞台を祝福すべきなのかな と思います。でも、どっちも僕は大好きな舞台です。もうあと望む事といえば、 役者の方々が新鮮さを失わずに公演を続けてもらいたいって事くらいです。 00175/00175 PXF00472 手塚 優 RE^2:R/蜷川演出『夏の夜の夢』(グローブ ( 4) 96/08/21 01:02 00174へのコメント macchiさん、こんにちは。劇中劇について自分と同じく感じて頂けた方がいて、 うれしかったです。そう、「二重構造」の喜劇なんですよね。僕はその核が、 あの素人芝居だったんだなって思いました。ただ自分は、貴族が職人を見下す 上下関係までは視野に入ってませんでした。(^^;) 『夏の夜の夢』といえば必ず引き合いに出されるピーター・ブルックの演出について、 これを機会に彼の著書『殻を破る』(晶文社)でつまみ読みしてみたのですが、 近い事が書かれてます。彼もこの職人芝居を不要とは全く考えていないようです。 「この劇は非の打ちどころがない」とまで書いてます(p.172)。 ただ、蜷川の舞台と違うのは、本当に素人に近い俳優にこの素人芝居を演じさせた らしいことです。彼らの「無心」の演技が、 「ただ巧みに愛について語るばかりで、芝居の観客というごく簡単な役割に  愛をこめることもできない」(p.183) 宮廷人たちに対する教訓を与えてくれているとあります。 蜷川さんは逆に上手い俳優だけを使ってました。けど、この素人芝居を純粋なもの、 愛すべきものとして造形しているのは共通しているのではないでしょうか。 「宮廷人たちも少しずつ引き込まれ、劇中劇に感動さえ覚えるようになる。」(同頁) というわけです。 でもこういうの、みんな後知恵で、ブルックさんもその前のページ(p.176)で 「劇はまず生きたものとして再発見しなければならない。その後で初めて発見した ものの分析が可能になる」と書いているように、その場でそう感じられないとダメ ですよね。その意味で今回、舞台を観てる間、台詞を聞いてる時に活き活きとした 感情が感じられたこの舞台は、自分の今まで見たまだ数少ない舞台の中では最高の 『夏の夜の夢』でした。 ---------------------------------------------------------------------- 00281/00281 PXF00472 手塚 優 R/『零れる果実』佐藤version(コクーン) ( 4) 96/10/27 02:39 プレビュー後の佐藤バージョン初日10/26(土)マチネを観ました。(14:00〜15:50) 19番会議室での観劇オフの皆さんとはお茶会で別れて、蜷川バージョンをまだ観て ないのですが、今の佐藤バージョンだけ観た時点での自分の印象を書かせて頂きます。 1Fの後ろから3列目の席で少し舞台が遠くて、役者さんの細かい表情をよくは観れな かったのが少し残念でした。舞台から最初に連想したのは、全くうろ覚えですが、昔、 学校の教科書で読んだ宮沢賢治の『やまなし』。水の底に沈んだ果実が熟し、すえた 匂いを放ってるようなイメージを連想してしまいました。それから天使の鼓笛隊の イメージは、僕が初めて観た蜷川演出作品『血の婚礼』('93セゾン劇場再演)に登場 していたものなので、あれっと思いました。一般的イメージなのか、戯曲の指定か、 はたまた蜷川さんの本歌取りかと、蜷川バージョンを観るまで興味はつきません。(^^) 最初はあんまりよくわかんない戯曲だなって思ったんですが、不在のアパートの持ち 主の女性のお姉さん(篠井英介)の登場から少しわかりやすくなります。彼女は普通の 人物だからです。彼女自身と彼女が他の住人たちに対して抱く印象の変化を手がかり にして、観客である自分にもちょっとだけ彼らの心の内側に触れられた気がします。 一番好きだったのは、生キャベツにむさぼるように噛り付く過食症の妙子(洪仁順)に、 恋人の中西(手塚とおる)がいっしょに葉っぱを一枚ずつ、ゆっくりいっしょに食べて あげる場面です。孤独感を癒す優しさが感じられました。 役者では今回初舞台の黒テントの松橋道子さんの背の高い少年ぽいキャラクターが 気に入りました。さとうこうじさんと花房徹さんの少し背の低い二人との対照的な 組み合わせがよかったし、歌声もきれいでした。 ラストの印象は、自分には、孤独な彼らにも神の祝福があるような気がして、とても 優しい寛容さを感じました 00288/00288 PXF00472 手塚 優 RE:R/『零れる果実』佐藤version(コクー ( 4) 96/10/27 22:36 00281へのコメント ---> #00285 吉田キヨスクさん コーラス部(?)の三人が着てたつなぎの背中に羽が書いてあって、天使だと言ったのは 僕かな。戯曲には天使も太鼓も出てこないです。戯曲は雑誌「せりふの時代」(小学館) 創刊号に、野田秀樹の『赤鬼』とかといっしょに掲載されてます。料金が破格と思うん なら、蜷川バージョンも是非観ましょう。 ---> #00286 ヤスさん 気を使ってくれてどうも。読んじゃいましたけど、今度は観るまで読まないから ネタバレRもOKですよ。蜷川バージョンはB列で観る予定なので演技を間近で 観れるのが楽しみ。女優さんでは田村さんと磯野さんは初めて見るので楽しみだし、 森口さんは三谷作品『出口なし!』、ダンプ松本もみなと座『おんな相撲』で観て、 期待できそうと思ってます。 00307/00307 PXF00472 手塚 優 R/『零れる果実』蜷川version(コクーン) ( 4) 96/11/05 02:06 00290へのコメント 11/4(休)18:00の蜷川バージョンを最前列で観てきました。立見が出てました。 オオタコさん(#290)のいう通り、席に、「上演中舞台上から小道具が落下する場合が あります。恐れ入りますが、ご注意くださいますよう、お願い申し上げます。」との 注意書が置いてありました。実際は足元に布切れが飛んできたくらいですが、終演後 係りの人が謝りながら、回収されてたのには恐縮してしまった。 それから蜷川さん定番の「あれがあれする」とこ、たしかによく見えませんでした。 でも、田村翔子さんや森口瑶子さんの美しいお顔を間近で観れて、大満足でした。 お二人の表情、すてきだったな〜。もう、それだけでいいですって感じ。(^^;) 「あれとあれがぶら下がってる」のはスポンサーなんですね、きっと。あと、佐藤版 観た時なんだろうと思った天井のワイヤーが電線のセットだったことがわかりました。 それにしても、違う演出で二回観て、この戯曲の登場人物たちをとても好きになる事 ができました。自分としては、より現実的に感じた蜷川版が好みです。後に観たせい もあるし、席位置も後ろから3列めと最前列では大違いですから、全然公平ではない ですけど、でも深みも蜷川版の方が一皮剥けてたように思います。 一見ごちゃごちゃで乱雑そうだけど、よく見るとレースのカーテンで仕切られた舞台 上手側半分はベッドもあるし、カバーのかかった鏡、タンス、冷蔵庫、CDが整理され て、部屋という感じ。本当に乱雑で黒いゴミのポリ袋や、使えないガラクタが置いて あるのは下手側の半分だけです。あちこち、ゴミに埋もれるようにおいてあるリンゴ が上手手前にある水槽の底にも置いてあります。透明な水槽が周囲のゴミから果実を 守ってくれてる感じでしょうか。それらのリンゴたちにスポットライトがあてられる、 非常に印象的な場面から舞台は始ります。この辺はさすが蜷川さんという感じ。 冒頭、妙子(田村)が中西(勝村政信)の布団をめくる場面、全くの誤解かもしれない けど、佐藤版の天使の鼓笛隊の連想から、彼のTシャツの下の背中に天使の羽根でも 探してるのかと思いました。また、コーラスサークルの二人(大富士・柳ユーレイ)が 背中を掻く場面は、もがれた羽根の痕がかゆいのではないかと思ったりして。 不在のアパートの主、エイコに対して、登場人物たちの抱く愛情と彼女の失踪による 空虚感という共通項が、佐藤版の時は最初よくわからなかったのですが、今回は始め からそう思って観たせいか、かえって、そこから現れる人物個々の個性がよく見えた 気がします。エイコの姉(森口)のイメージも、妙子に妊娠を言い当てられる場面とか、 彼女なりの事情や悩みの存在がよりリアルに感じられたし、最後だって、彼女が アパートの他の住人を受け入れたってだけでなく、彼女自身も、まだ自信は持てない けど、自分がみんなに受け入れられたことに、勇気づけられたように思えました。 後半に出て来る、コーラスの一人、大前田(ダンプ松本)と、エイコの友人のデザイナー (磯野真理子)のキャラクターも明るくてよいです。 舞台を目の前で観てると、赤いリンゴの果実にナイフを刺した時に、とぶ果汁が よく見えます。果汁を内に秘めた赤い果実。最後に、中西がナイフでその皮を剥くと、 白い果肉がむき出しになります。佐藤版と異なり、ここで中西は初めて果実を口に するのですが、口にするのは剥いた皮とその裏に付いた果肉の方です。ここでも、 この戯曲の優しさを感じました。 かわひらさん(#293)と同じくリンゴの赤は、血の赤かなと僕も思いました。後は、 リンゴの香りによる消臭効果とか、関係ないか。 日記が「遺書」としか思えなかったchest-Eさん(#305)、あれは最後にコーラスの三人 がみんなの前で読む場面で、遺書なんかじゃないってことがわかるんだと思いますよ。 佐藤版の時は僕もなにが書いてあるのかよくわかりませんでしたが、戯曲を読んで、 蜷川版を観て、やっとそう感じる事ができました。