- FSTAGE General :『かべすの幕間2』 071/072 PXF00472 手塚 優 R/蜷川 & RSC『ペール・ギュント』 ( 3) 94/04/25 02:37 コメント数:1 『ペール・ギュント』"Peer Gynt" 銀座セゾン劇場 4/24 1:30-3:00 (休15) 3:15-5:00 蜷川幸男が1990年5,6月に東京青山劇場でかつての男闘呼組、高橋一也と岡本健一の 主演で上演したものを、あらたに Royal Shakespeare Company の俳優を中心とした 国際的なカンパニーで演出、作者のイプセンの故郷であるノルウェーのリレハンメル 五輪芸術祭で上演し、その後英国の2劇場で公演したものの東京凱旋公演です。この後、 ワシントン・モントリオールなどでも上演される予定です。 物語は、夢想家で暴れもののペール・ギュント(マイケル・シーン)が、一生かかって、 自分自身を探す放浪の旅をするものです。ただしそれがコンピュータゲームの中での ロールプレイングであるという設定になっています。それに応じて舞台装置も、三方を 緑の巨大な配線基盤で囲い、その中に登場する小屋や樹、船、スフィンクスなどは、 全て奇妙な遠近感の薄っぺらな書割りのセットです。その代わり照明がさまざな方向 から効果的に使われています。幕間には繰返し空飛ぶ"たまねぎ"のイメージの CG が 映し出され、これは少々安っぽいのですが、最後にペールギュントが辿り付く "自分自身"の姿を暗示しています。 芝居は、演出も然る事ながら、役者に力を感じました。 実は一月前にも同劇場でやはり RSC の『冬物語』(エイドリアン・ノーブル演出)を 観て、感動しました。夢のような舞台でした。初めての英語劇体験だったのですが、 その不安を吹き消すだけの、台詞の力を感じました。英語の内容はわからずとも、 役の心の揺れみたいなものが直に伝わってくるようで、とても気持ちがよかった。 本場のシェークスピア役者の力の一端を垣間見れた気になれました。 それから、祭りとか大勢の場面で、中央の役者が長台詞をしているときにも、 周りで見守る人々が、ただ聞いてるだけでなく、本当に興味をもって台詞に耳を 傾けているように見える演技に感心しました。 そうすると自然、観客の意識も集中するんじゃないかと思います。 今回の『ペール・ギュント』でも同様のことを感じました。 どちらも舞台が間近の席で観られたせいもあると思います。 字幕はあるのですが、実際の舞台とは台詞が同期してないことが時々あります。 今回の字幕はさほどでもなかったんですが、冬物語のイヤホンガイドでは、かなり 気になりました。難しいんでしょうけど。 蜷川演出の日本的な部分として、歌舞伎の隈取りをしたトロールの王(エシュペン・ シェンベルク)が見得を切ってたり、嵐の海で浪布が使われたり、最後に老いた ペールの命を引き取りにくる使い(壌晴彦)が仏教の僧衣をまとってたりします。 でも、それ以外の部分の演出は『冬物語』となにか共通したものを感じます。 実際、村の祭りや結婚式で楽しく笑い踊る村民老若男女の場面や、幕間休憩後の最初の 場面が海辺でくつろぐところから始まる点、役者の歌が入る点など、表面的な共通点も ありました。ただ、自分は『冬物語』の方が多少洗練されて明るい印象を持ちました。 これは芝居自体の違いによるのかもしれません。 長々した割に、たいした事書けませんでしたが、英語の芝居なんで大目に見て やってください^^; こういう芝居を見ると言葉の壁を越えられない自分が余計にくやしいです。 午後1時半開演、途中休憩を含めて3時間半(!)の上演で、5時に終わったのですが、 そのあとすぐ 6時からのH・アール・カオス公演を観に、銀座から新宿まで急いで 行ったので、疲れたし、おなかがへった^^;) でも、どちらも十分満足しました。また 全く同じパターンの方が他にもいらしたことを後で知って、元気付けられました(^^) P.S. 蜷川は6月に T.P.T.で『夏の夜の夢』を白石加代子(!)とやりますが、今回もらった チラシで、10月に『ゴドーを待ちながら』をセゾン劇場でやることを知りました。 その出演者がなんと(男組)西村晃/江守徹、(女組)市原悦子/緑魔子の2バージョンの 日替わりだそうな。特に鴻上演出につづく、女性版ゴドーは楽しみです。 073/073 PXF00472 手塚 優 RE:R/蜷川 & RSC『ペール・ギュント』 ( 3) 94/04/26 23:02 072へのコメント  #072 時かけ さん > なかなかハードな一日で御座いました。 面白い舞台を観た後は、一日余韻に浸れれば理想なのですが、観たいものがいろいろ あるとなかなかそうもいきません。特に今回のように、どちらも面白かったりすると、 かえってお互いの印象が打ち消し合ってしまいそうで、もったいない気がします。 貧乏性なんでしょうか。 # と言いつつ、先月のパパのオフのときにも、昼には転位21を観てたんでした^^; > 蜷川さんの感想は、パスです。 そのかわり、H.R.C の感想、期待してます(^^) 僕はこの芝居についてもう少し、わからないなりに考えてみました。 主人公は諸国を遍歴するのですが、実際の舞台ではそれは薄っぺらな書割りのセットが 変わるだけであまり旅したようには見えません。それよりも、終始、周りを囲む緑の 配線基盤の方がよっぽど存在感があります。これはたぶん、遍歴を通じても変ることの なかった主人公の内面をあらわしていたんだと思います。たとえば、最初に主人公が 花嫁をさらって山を登るシーンでも、基盤の壁をよじ登りはするけれど、結局それを 越えることはできない。また新たなシチュエーションで、しかし本質的には同じことが 繰り返されます。 そしてこの変らない"自分自身"の、実体は何なのかというと、実は何もないわけです。 何もない、そしてそれ故に、変りようのない自分を様々な殻で、あたかもタマネギの 皮のように何重にも包んでいるのです。それらを最後にすべて脱ぎ捨てて、無になった ところで、それでもまだ自分は愛する人の慈愛に優しく包まれていることに気付く。 そんな話だったのではないでしょうか。 けれども、これも結局はゲームの中の事というのは非常に皮肉な結末に感じます。 P.S. 9月の木野花・川崎徹の新作も「ゴドー」とは! こういうのって続くものなんですね。 ------------------------------------------------------------------- - FSTAGE :Plays :『ちょっとマチネーそこソワレ 15』 409/409 PXF00472 手塚 優 R/ T.P.T. & 蜷川『夏の夜の夢』(ベニサン (14) 94/06/19 02:03 393へのコメント 小田島雄志・訳 6/3〜19 観劇: 6/18(土) 19:00〜21:50 (休15) ぴあにも出てないようですが、19日(日)楽日に19:00〜の追加公演があります。 全席自由 (問合せ: T.P.T. 03-3634-1351)  まねきねこさんは少し気に入らなかったみたいですが、僕は素晴らしい舞台、そして 演出だと思いました。蜷川幸雄はえらい人だと、またまた再確認しました。 東京・森下のベニサンピットを根拠地とする T.P.T.は、いつもこの狭い空間で、 密度の濃い舞台を見せてくれますが、今回、また印象的な作品に出会えた気がします。 まず、分かり易くて、楽しい舞台です。特に、職人達の素人芝居が素直におかしい。 達者な人ばかり揃えた贅沢なキャストのおかげとも思えます。ボトムの大門伍朗や、 クインスの石井愃一(東京ヴォードヴィルショー)、フルートの砂塚秀夫などです。 スターヴリングには可愛坊也が急病のため、岡田正が出て、「月」をやってました。 砂塚さんの「女方」や、石井さんの「灰皿投げ付けて怒鳴り付ける演出家」もよかった ですが、僕は初めて見た大門さんが、ゲージツ家クマさんみたいなキャラクターなん ですが、とてもうまくて気に入りました。 そして、森での恋人達の恋の鞘当ても、もちろん楽しいです。ですが、この森の場面 には楽しいだけではない雰囲気も感じられました。音楽(宇崎竜童)の所為かもしれませ ん。この楽しい夢のひとときもいつかは終わってしまうのだというような、もの悲しい 喪失の予感みたいものがあります。上から降る砂や花も「時間」や「終わり」を意識さ せているのかなと思います。また、歌に使われた透明感のあるボーイソプラノもそれを 補強しています。これが、ラストのパックの演技につながるのではないでしょうか。 夢が醒めて、現実の日常が戻ってくるのです。その意味では、先日のコクーンでの舞台 とも少し似てるかなとも思いました。ただ、この蜷川演出のほうが夢も現実も輪郭が はっきりしています。 役者もみんなよかった。以下に他の主要なキャストを上げます。 女王・白石加代子、王/公爵・原田大二郎、 ハーミア・戸川京子、ヘレナ・つみきみほ ディミートリアス・清水健太郎、ライサンダー・大石継太 パック・林 永彪、松田洋治、 妖精達・松田かおり、鈴木真理、他 この豪華な顔ぶれの芝居が、狭い劇場ですぐ目の前で見られるなんてほんと贅沢です。 パックは、京劇の役者さんである林さんが跳ねて空中回転したりの肉体的な面をやり、 台詞は松田くんが全部しゃべってました。この京劇的な要素の導入は、他にも場面転換 の時の鳴り物などがあるのですが、成功していると思います。 若い二組のカップルもそれぞれ魅力を十分に発揮していました。 白石さんと原田さんは貫禄ですね。 海外公演が行われる可能性もあるようですが、是非実現して、また日本で凱旋公演して もらたいなと思います。結構、公演の資金集めが大変という新聞記事もありましたが、 応援したいですね。 ------------------------------------------------------------------- - FSTAGE General :『かべすの幕間2』 123/123 PXF00472 手塚 優 蜷川『ゴドーを待ちながら』(セゾン劇場) ( 3) 94/10/24 03:09 演出=蜷川幸雄、美術=朝倉摂、衣装=小峰リリー、照明=原田保、音響=井上正弘            ヴラジーミル エストラゴン ポッツォ  ラッキー 10/15 マチネ 女バージョン  市原悦子   緑 魔子  藤間 紫  角田よしこ 10/23 マチネ 男バージョン  西村 晃   江守 徹  沢 竜二   大富士 1:30-4:00(休20) 女版 10/30、男版 11/3 まで (少女/少年役は子役のダブルキャスト) どちらも役者さんの力で見せる芝居だったと思います。 ゴゴ役の緑さんの役作りが鴻上演出での毬谷さんの印象によく似てる感じです。 で、市原さんもやはりかわいい感じで女版はとても柔らかな印象です。 ただ、二人とも白髪で、かなり年寄りの設定のようです。 二幕冒頭の、犬が腸詰を食べてしまう歌をディディが歌う場面では、市原さんの歌が 聞けてよかった。 男版は、少しテンションが高くて、江守さんは終始、不機嫌な顔つきで、この状況に ほんと嫌気がさしてる感じ。西村さんも内心はそうなんだろうけど、それは表に出さず に、なんとかこの時間潰しを楽しもうと努力して振舞ってるように見えます。 二人のみすぼらしい衣装は、ホントに叩けば埃が舞うようになっているのが、 近くで観てるとよく分かります。 今回の演出のアイディアの一つとして、ヴラジミールが、年のせいか、少々下の方が 緩くなっているようだというのがあります。これは、我慢して待ち続けたくても、 できなくなってくるってことを意図してるのかとも思いましたが、よくわかりません。 また今回は、観客の興味を持続させるためにポッツォの役割が非常に大きいと 感じたんですが、藤間さんはとても難しい役を、健闘していたとおもいます。 とても胡散臭い役なのに品のよさが感じられました。それに対して、沢さんは、 人を楽しませる勘所を抑えたような演技で、怪しげで傲慢だけど憎めないポッツォを 魅力的に演じていました。 この戯曲は、休憩後の二幕、盲になったポッツォが登場するあたりでどうも眠くなり ます。鴻上演出の時もそうでしたし、今回最初に観た女版でもそうでした。やはり、 蜷川演出でも眠くなるのは仕方ないのかなと思ったのですが、男版では眠気はほとんど 襲ってきませんでした。これはすごいことじゃないかと思います。テンポがよかった せいかもしれませんが、やはり、役者さんの力でしょう。 最後、舞台上の唯一本の木に、明日こそ綱を持ってきて首をつろうというくだりで、 女版では、遊びや暇潰しでなく、本気でやりかねないような気がなぜかしました。 本当に待つことを終わりにしてしまうってこともありうるんじゃないかと感じました。 ただ時間潰しをしているようでいて、その底に真剣なところがあります。 それに対して男版は、ほんとに待ち続けるのは嫌なんだけど、結局のところ、 やっぱり待ち続けてしまうんじゃないかって感じます。 そのために、真剣に時間潰しをしているようです。 蜷川演出には多面的な印象を感じさせてくれるところがあります。 話はちょっと飛びますが、先月の日生劇場の『オセロー』でも、 第二部の冒頭、無邪気に夫オセローを信じているデズデモーナ(黒木瞳)に対して、 イアーゴーの妻エミリア(三田和代)が、「(オセローは)嫉妬深くはないのですか」 と問う台詞には、人間的な感情を知らぬオセローやデズデモーナに対して 呆れたような、また憐れむようなものが感じられて、非常に印象的でした。 この舞台では、君子オセロー(松本幸四郎)が悪漢イアーゴー(木場勝己)に陥れられる 悲劇という見方だけでなく、人間として欠けた所のあるオセローが、 人間臭いイアーゴーに教えられて、人間的感情(嫉妬心)を取り戻す話という見方も できるのではないかと思いました。 10/23の回では、インサイドステージとして、終演後、西村さんと蜷川さんのトークが ありました。まず、二人が昔同じ劇団(青俳)で先輩・後輩だった話など少ししました。 この辺、蜷川さんの著書『千のナイフ、千の目』 (紀伊國屋書店)でも触れられてます。 (ちなみに、これはとても面白い本でした。特に、前半1/3の自伝は、自分は舞台と同じ くらい感動しました。) その中で「西村さんの演技の発想はワクワクするほど面白かった」とあるのですが、 今回の芝居だけでなく、トークショーでもその一端が感じられました。 それから、今回の芝居の話ですが、演じる方もこの戯曲は、台詞は覚えにくいし、 なかなか大変みたいです。あと5ステージで普通の公演ならすこし名残惜しくなるのに、 今回は全然そんなことないらしいです。(^^;) 先輩を前に蜷川さんは少し緊張しているようにもみえました。 蜷川さんは、来年、セゾン劇場では『ハムレット』を真田広之とやる予定だそうです。 ------------------------------------------------------------------- - FSTAGE General :『かべすの幕間2』 143/143 PXF00472 手塚 優 R/『王女メデイア』 ( 3) 94/12/03 01:20 139へのコメント  二つの『メディア』を観ました。最初に観たのはロマンチカの舞台。このRは隣の 会議室「ちょっとマチネ…17」の#52,#63,#96にあります。物語の前知識を全く持って なかったのですが、とてもわかりやすい話に感じられました。自分を裏切った夫に報復 するために最愛の息子たちまでも殺してしまう程、情の深い女性であるメデイアを 原サチコさんが抑制のきいた、しかし内面の激しい情念を感じさせる演技で好演して いました。彼女をとりまく6人のコロスの女性たちの歌うような台詞もなかなか綺麗で ロマンチカの形の美しさを感じさせる舞台でした。  次が蜷川の最も有名な作品の一つ。一年前に初めて蜷川の舞台を観て以来、今年は 「ペール」「夏の夜」「オセロ」「ゴドー」と全ての上演作品を観てしまった。 この作品は昨年の再演を観損ねてて、観たかった作品。パンフの上演記録によると、 1978年の初演以来、海外公演を含めて、すでに200ステージを超えていて、観る前は、 もっと洗練された感じなのかと思ってたのですが、そうでもなかったです。むしろ、 ロマンチカの方がすっきりしてますね。でも、こちらの舞台の方が女性たちの情念が ストレートに伝わってきます。また、ロマンチカの舞台では、メディアの激しい情念は 彼女一人のものでしたが、蜷川の舞台ではそれがより広く、コロスであるコリントスの 女たち、さらには過去から現在に至る女性たちを含めた情念みたいなものを表している ように思えました。いくら男を恨んでいても、それで子供を殺す親は世の中にあまり いないでしょう。今回の話にしても、もしメディアが運命のなすままに、子供を預け、 自らは身を引けば、男達もそして子供等も幸せに暮らしていけたかもしれません。実際 そういう場合の方が圧倒的に多いのではないでしょうか。でも、不幸を一身に引き受け る形になる女性の情念の行き場はどうなるのか。そこを掬い上げたのが、今回の メディアの物語であるように感じました。高橋睦郎の修辞は、固有名詞を普通名詞に 変え、科白に多くの注釈を加えることで「人間悲劇への普遍化を目指した」と台本の あとがきにあります。  あと二人の白面の無垢な子供たちがかわいかったです。こういうのを見せられると、 それだけで可哀想って思っちゃいますよね。 ロマンチカ『メデイア』11/20(日)ソワレ観劇 (12/11まで・渋谷シードホール) 蜷川演出『王女メディア』12/2(金)ソワレ観劇 (12/7まで・池袋サンシャイン劇場)