Date: 22 Apr 2000 13:59:28 GMT To: Newsgroups: asahi.mm.theater.salon2 Subject: 蜷川『三人姉妹』(彩の国さいたま) From: 手塚 優 もう観れないかと思ったけど、彩の国さいたま芸術劇場小ホールでの公演を当日 券補助席で観ることができました。4/22(土)13:00〜16:00(休憩15) 原田美枝子さんのマーシャが美しいと思いました。イリーナの川本絢子さんも美 人。そして荻野目慶子さんのナターシャは肉感的な魅力をふりまきます。でも、 自分にとって荻野目さんのイメージは、映画「南極物語」や教育テレビ「YOU」 で糸井重里と司会やってた頃(古い!)から成長してないので、どちらかといえば、 イリーナなんですよね。それで川本さんが、どういう出身の方なのかは存じませ んが、その若い頃の荻野目さんのイメージと重なるように自分には思えてしまっ て、イリーナとナターシャが鏡写しに見えたのは面白い発見でした。 トゥーゼンバッハ男爵役の高橋洋も、オーリガの台詞に「ハンサムではない」、 「醜男」とあり、またイリーナの台詞にも「愛は無理」云々とあるため、通常の 演出では、さえないけど誠実な男に描かれることが多いのですが、ここでは大変 魅力的な人物。だから、イリーナとトゥーゼンバッハの一幕終わりの二人の会話 がとてもロマンチックでどきどきしました。しかし、そこにナターシャが入って きて、一幕の最後は彼女とアンドレーのキスシーンで終わります。 イリーナにとって、女性としての立場、魅力を利用するナターシャは、全くの反 面教師であったのですが、それがかえってイリーナを縛っていたようにも思える のです。 一幕でオーリガにベルトの色がドレスに合わない言われたナターシャが、最後の 四幕では逆にイリーナのベルトを悪趣味と指摘します。夢見た全ての希望が潰え るイリーナに対して、現実の夢を実現していくナターシャ。残酷な現実に対して、 それでもいかに強く希望を抱き続けていられるか。それが劇場の裏側までも最後 には全て見せてしまういつもの蜷川演出の、現実に自分の舞台をさらすことによ る、観客とそして自分に対する問いかけなのだと思います。ラストのオーリガの 松本典子さんの台詞の不自然とも思えるほどの強さも、その辺に由来するのでは ないでしょうか。 オープンになった舞台裏に積んである小道具の中で、自分の席からは、鏡だけが 違う光を映しているように見えたのが最後に印象に残りました。 手塚 優 (てつかまさる) tetsuka@asahi.email.ne.jp ----------------------------------------------------------------------------- 02695/02695 PXF00472 手塚 優 Re: R/『夏の夜の夢』SSC ( 4) 00/05/07 12:42 02694へのコメント 南方遊覧機さん、ごろうやっこさん、こんにちは。 蜷川さんの夏の夜の夢、ほんとうに何度観てもすばらしいと思います。 自分も初演のベニサン(94.6)、再演のグローブ座(96.8)と観て、今回が三度目で したが、また、この世界を体験できてうれしかった。 4年前の再演時は、FSTAGEの観劇オフで観たことも思い出されました。 ごろうやっこさんがラストシーンについて書かれてますが、自分も初演からの印 象の変化が興味深かったので、当時、FSTAGEに書かせてもらった感想を読み返し て見ると、初演では「夢が醒めて、現実の日常が戻ってくる」と書いてたのに、 再演では「また夜は地球を一周すれば戻って来るし、夢もまたみることができ る」という風に書いてました。で、今回は最後、石庭の背面の扉を静かに閉じる 場面で、自分には、この夢の世界を現実と切り離して、大事にしまい込んでしま うような、なんだか最後に劇場をオープンにしてしまういつもの蜷川演出とは反 対なベクトルの印象を感じました。でも、これは蜷川さんが以前、あれはセゾン 劇場の「昭和歌謡大全」の時のパンフだったように記憶してますが、「閉じて開 いて、また閉じて」の繰り返しだとかおっしゃられてた、その事ではないかと思 います。 (中略) 今回観て、初めて気がついたことが一つあって、それは、恋人たちが森での恋愛 ごっこに疲れ果てて、最後に眠り込んでしまう、その離れて眠る四人の若者たち の個々の上から照明があたる場面が、「零れる果実」や「1996 待つ」などで使 われた透明な水槽の中にうずくまる若者の姿を連想したということでした。 手塚 優 (てつかまさる) PXF00472