
特集・吉村昭の作品
ただいま53作品掲載
| ★★★★〜★は私の「満足度」です。 |
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| 吉村昭【よしむらあきら】 1927(昭和2)年5月1日、東京・日暮里生まれ。父は紡績・製綿会社を兼営。第四日暮里小学校から東京開成中学に入学、戦時中の学童動員を経て、終戦後の1947年に旧制学習院高等科文科甲類に入学。1948年に持病の肺結核が悪化して喀血、胸郭成形手術を受けて二年半療養。その後復学するが中退し、文学を志す。1966年に「星への旅」で太宰治賞を受賞、その後ドキュメント文学に新境地を拓き、「戦艦武蔵」等で菊池寛賞を受賞。以来、多彩な長編小説を次々に発表。周到な取材と緻密な構成には定評がある。芸術院会員。主な作品に「破獄」(読売文学賞)、「冷い夏、熱い夏」(毎日芸術賞)、「天狗争乱」(大佛次郎賞)等がある。2005年7月31日、膵癌のため他界。享年79歳。 (講談社文庫掲載の年譜を参考にし、また、新潮文庫掲載の作者紹介から一部引用させて頂きました) |
| 特集・吉村昭の作品(現在53作品) | |
| 書名 | 著作者 |
| 磔 | 吉村昭 |
| 破船 | 吉村昭 |
| 神々の沈黙 心臓移植を追って | 吉村昭 |
| わたしの普段着 | 吉村昭 |
| 秋の街 | 吉村昭 |
| 脱出 | 吉村昭 |
| 暁の旅人 | 吉村昭 |
| 戦史の証言者たち | 吉村昭 |
| 海の祭礼 | 吉村昭 |
| 虹の翼 | 吉村昭 |
| 遠い幻影 | 吉村昭 |
| 海も暮れきる | 吉村昭 |
| 敵討 | 吉村昭 |
| 背中の勲章 | 吉村昭 |
| 遅れた時計 | 吉村昭 |
| 長英逃亡 | 吉村昭 |
| 北天の星 | 吉村昭 |
| 蜜蜂乱舞 | 吉村昭 |
| 月夜の魚 | 吉村昭 |
| 大本営が震えた日 | 吉村昭 |
| 海軍乙事件 | 吉村昭 |
| 深海の使者 | 吉村昭 |
| 羆 | 吉村昭 |
| 蛍 | 吉村昭 |
| 海馬(トド) | 吉村昭 |
| 生麦事件 | 吉村昭 |
| アメリカ彦蔵 | 吉村昭 |
| 海の史劇 | 吉村昭 |
| 三陸海岸大津波 | 吉村昭 |
| 遠い日の戦争 | 吉村昭 |
| 碇星 | 吉村昭 |
| 空白の戦記 | 吉村昭 |
| ふぉん・しいほるとの娘 | 吉村昭 |
| 陸奥爆沈 | 吉村昭 |
| 間宮林蔵 | 吉村昭 |
| 零式戦闘機 | 吉村昭 |
| 白い航跡 | 吉村昭 |
| プリズンの満月 | 吉村昭 |
| 逃亡 | 吉村昭 |
| 冷い夏、熱い夏 | 吉村昭 |
| 雪の花 | 吉村昭 |
| 戦艦武蔵 | 吉村昭 |
| 冬の鷹 | 吉村昭 |
| 赤い人 | 吉村昭 |
| 羆嵐 | 吉村昭 |
| 蚤と爆弾 | 吉村昭 |
| 破獄 | 吉村昭 |
| 仮釈放 | 吉村昭 |
| 星への旅 | 吉村昭 |
| 高熱隧道 | 吉村昭 |
| 漂流 | 吉村昭 |
| 落日の宴 | 吉村昭 |
| 関東大震災 | 吉村昭 |
「磔」 吉村昭・作 文春文庫 ★★★
猖獗を極めるコレラから民を救おうと、他の医者が恐れて近づかない患家に赴いては、治療と共に井戸を生石灰で消毒していた医師・沼野玄昌が、過去のエキセントリックな行動から井戸に病毒を撒いて回っていると人々に誤解される『コロリ』。祖国オランダがフランスの支配下に置かれ、不安の中で迎えの船を待つ出島オランダ商館員の姿を描く『三色旗』。安政の大地震で寄港中の船を失ったロシア艦が、和船しか知らない日本人大工と共に洋船を作り上げて日本を離れる『洋船建造』。そして、キリスト教禁制下で苛烈を極めた信者へへの刑罰を、「長崎26聖人」を題材に描いた表題作『磔』。江戸時代を舞台にした作品を5本収録した短編集である。
吉村昭は、長編作品の執筆過程で出会った傍流ともいえる題材を、本編のストーリー性を維持するために別の短編として纏める事が多く、本書「磔」もその一つといえる。結果として長編作品との「ニアミス」も多いのだが、既読作品との相乗作用で短編の枠を超えた深みをファンに与えるという効果もちゃんと計算されている。それは借景を巧みに取り入れた造園技法のようでもあり、庭園技師の確かな腕をこれからも満喫していきたい。▲2010.9.30
「破船」 吉村昭・作 新潮文庫 ★★★
悪天候のため漂流して数奇な人生を送った江戸時代の漁民を、吉村昭は数多く題材に取り上げ、「漂流モノ」と呼ばれる作品群に仕上げた。流れ着いた無人島でひとり十年以上生き延びたり、異国船に拾われた末、鎖国の禁を犯して外国で暮らしたり、はたまた漂流中力尽き、故郷を夢見つつ命を落としたりと、いずれ劣らぬ数奇な人生が描かれている。「破船」と題する本作品も「漂流モノ」の一つかと思い手にしたが、その視点は他作品と全く逆で、難破船から流れ出して漂着する貨物を生活の糧にする寒村をその舞台としている。
周囲を山々に囲まれ、冬は雪に覆われるその寒村では、わずかな人々が漁業を細々と営んでいるが、生計を立てるには程遠く、人々は妻や娘、はたまた一家の大黒柱である夫までが身売りをしてどうにか糊口を凌いでいる。その寒村に生きる人々の唯一の望みが、難破船から刎荷されて流れ着く貨物である。彼らは海が荒れる冬の夜、沖合で難破しかけた船が助けを求めて村の浜に向かってくるよう、塩焼竈の火を徹宵海に向け続ける。来る日も来る日も繰り返されるこの「秘儀」に、人々は船の厄災を神仏に祈るようになる。そして、ついに訪れた難破船に村人は大挙して襲いかかり、命からがら陸にたどり着いた乗組員を無惨にも殺害し、多くの貨物を手中に収める。公平に分配された貨物により豊かな生活を手にした村人は、乗組員を殺める事を「先祖が決めた掟」とし、その非情さに敢えて心を向けようとはしない。日々の食事に事欠かなくなった彼らは、次第に日常の漁労にも身が入らなくなってくるが、翌年同じように漂着する「難破船」により村は壊滅的な厄災を被ることになる。
他の「漂流モノ」では、命脈尽きつつある乗組員が祈るように陸を探し求める姿が読者の深い悲壮感を呼ぶが、そうやって辿り着いた陸地でこの様な仕打ちにあったのでは、神も仏もあったものではない。以前読んだ他作品で、この様に恐ろしい浜がある事が主人公である乗組員の口から語られていたのを思い出したが、本作品は漂流する側の視点で描かれなくて良かった。不条理に過ぎるであろうその読後感にはちょっと耐えられそうにない。
ラストで村を襲う厄災も、村人の悲惨な貧しさがその根底にあるため物語において「懲悪的」な色彩はなく、自然の恵みに見放されたこの寒村と、そこにしか生きる場を見いだせない村人にせつなさを抱かされる。この重厚な読後感こそ吉村作品の醍醐味である。▲2010.9.28
「神々の沈黙 心臓移植を追って」 吉村昭・著 文春文庫 ★★★★
近年「再生医療」の研究が長足の進歩を見せている。iPS細胞をめぐる研究にみられる様に、あらゆる臓器を形成することが可能な万能細胞が開発されれば、ケガや病気で機能が損なわれた臓器を再生し、機能を取り戻すことが可能となる。臓器の再生とは即ち細胞を人為的に増殖させる事であるが、増殖過程でのエラーはガン化につながる。ガン化阻止が再生医療の最大の難関と言われているが、それを克服して再生医療が広く実用化されれば、人類にとって大きな福音になるであろう。ただ、重い病気に苦しむ多くの患者はそれまで待てないし、再生医療が対処出来ない病態もある。医療技術として確立された臓器移植は今後も重要な役割を果たしていくだろう。
数ある臓器移植のなかで、社会的議論を最も呼び起こすのが心臓移植である。人間の生命の根幹を司る心臓を移植する事は、提供者の死亡を必ず前提とし、その技術的困難さも相俟って被提供者にとっても大変重い決断となる。南アフリカで昭和42年に世界で初めて実施された心臓移植でも、臓器提供者・被提供者、執刀医、そして世界の医学界に数々のドラマが繰り広げられた。この心臓移植の曙光期を吉村昭が克明に記したのが本書である。
心臓移植の研究はアメリカ、ソ連、欧州など各国で進められていたが、初手術の座は南アフリカの無名医師が勝ち取った。その偉業に纏わる医学界の内紛や社会の反応、提供者・被提供者それぞれの人生模様を、吉村昭は現地での綿密な取材をベースに描いている。アパルトヘイト下にあった南アフリカの歪んだ社会のありようも、心臓移植をめぐるストーリーの横糸として織り込まれており興味深い。また後半では、昭和43年に世界で30例目の心臓移植手術として行われた、札幌医大のいわゆる和田移植を取り上げている。小樽の海水浴場で溺水した大学生と、先天性心疾患に長く苦しみ続けた少年が、同じ病院の手術台に横たわって臓器提供者・被提供者になるまでの過程を、当事者への取材や新聞記事を手がかりに緻密かつ冷徹に描く手法はまさに吉村文学の真骨頂である。
拒絶反応の制御や感染管理が未熟だった当時、心臓移植を受けた患者は結局全例で死亡したが、数ヶ月生存してQOL向上を短期間ながら享受できた例もあった。その貴重な余命期間を、移植体験記の出版や有償インタビューを巡る金銭への固執に費消してしまった患者や、英雄視されて増長しカネに走る執刀医の姿も吉村昭は鋭く描出し、ナイーブかつステレオタイプ的な患者像・医師像を排している。死の陰のある題材を冷徹に描いた作品に定評のある吉村文学だが、本作品はその代表格と言えるだろう。改正臓器移植法が施行された今、もう一度読みたい作品である。▲2010.9.19
「わたしの普段着」 吉村昭・著 新潮文庫 ★★★
史実をストイックなまでに追い求め、膨大な取材と調査を基に多くの作品を世に送り出してきた吉村文学には、独得の迫力と重厚感が漂っている。一文字すら疎かにしないその姿勢は多くの愛読者を惹き付け、彼の作品は死後もなお版を重ねており、日暮里には吉村昭記念文学館の建設も決まったようだ。会員組織もできる様なので、近隣都市に住んでいる私も是非参加し、吉村文学を極めていきたいと思う。
本書は、吉村氏のエッセイを57作収めている。若い頃の思い出や、普段の生活で感じたことを題材にした作品も多いが、執筆活動や取材旅行での様々なエピソード、そして何らかの事情で小説に書ききれなかったこぼれ話など、氏の他作品とどこかでクロスオーバーするエッセイも数多く収録されており面白い。
吉村氏は生前、区立日暮里図書館に設けられた「吉村昭コーナー」について、「いつも人の姿はない。当然のことであり、それがこのコーナーにはふさわしい、とほほ笑ましい気分になる」と『不釣合いなコーナー』に記している。人気作家である事を全く鼻に掛けないその姿勢には、自分の価値はその作品のみに宿る、という絶対的な自信が感じられ、ファンとしてはまた嬉しくなってしまう。死後はコーナーの撤去を、と吉村氏は同作品に記しているが、ネット検索での資料調査で安易に文章を仕上げる風潮が見られる現代こそ、ストイックなまでに事実を調査する氏の執筆姿勢は継承されなければならない。文学館建設計画に草葉の陰で照れているかも知れないが、ここはどうか我慢してください。▲2009.11.23
「秋の街」 吉村昭・作 中公文庫 ★★★
長い刑期を終えて出所する服役囚にとって、出所後に目にする社会の変化は途方もないものであろう。電車に乗ろうにも、かつて駅員がカチャカチャと鋏の音を響かせていた改札口に人の姿はなく、その代わりに自動改札機がズラリと並び、人々は得体の知れないカードや、小さな手のひらサイズの機械(携帯電話)をピッとかざして通過しているし、かつて賑わっていた駅前商店街は閑散とし、人々は大手スーパーに次々と吸い込まれていく。社会に順応するための出所前教育も矯正施設の重要な仕事であるが、それを題材にしているのが、本短編集の表題作「秋の街」である。
仮釈放が決まった無期懲役囚・光岡を、刑務官である浦上は塀の外に「社会科見学」的に連れ出し、バスの乗り方やデパートでの買い物の仕方などを教えていく。人々の出で立ちや街並みの変化、そして道行く女性の姿に、光岡は当初好奇心を示していたが、それは次第に不安へと変質し、最後は刑務所を前に塀の中へと小走りで戻っていく。長期間拘禁されている囚人は、拘禁中こそ出所を夢見て過ごすが、いざそれから解き放たれると大きな不安を感じてしまうという考えは、「仮釈放」など吉村昭の他作品にも通底する主題である。「駅で子供を見ましたが、こんなに小さいものだったかなぁ、と思いましたよ」という光岡の呟きが特に印象に残っている。
他に、病人を移送する寝台車運転手を題材にした「帰郷」、監察医務院で働く検査技師を取り上げた「雲母の柵」、難破して太平洋を漂流する漁船の帰結を描いた「船長泣く」など全7作を収録している。吉村文学らしさが漂う作品が揃った出色の短編集である。▲2009.4.30
「脱出」 吉村昭・作 新潮文庫 ★★★★
私が子供だった昭和50年代は、太平洋戦争の痕跡が僅かながら残っていた。縁日では多くの露店に混じり、元・傷痍軍人の方々がアコーディオンを弾きながら募金を呼びかけていたし、中国残留日本人孤児を紹介するNHKの特別番組では、お一人ずつの顔写真とお名前と共に、「ソ連参戦時に奉天市付近で中国人に引き取られ・・」などの略歴が濃紺の画面に白いフォントで映し出されていた。それから20年以上経った今日、戦後史を振り返る企画は多くの書物やテレビで盛んに繰り広げられているが、戦後をリアルに経験できる機会は非常に稀になった。そんな現在でも、昭和末期に多く書かれた吉村昭の戦争文学に触れれば、先の戦争を「歴史」としてではなく、同時代に生きた一人の日本人として疑似体験する事が可能である。本書は吉村昭の戦争文学短編を五本収録している。
大戦末期以降、多くの日本人が「外地」から疎開したり、引き揚げてきた。その過程で生じた数々の混乱や苦難を題材に取り上げたのが、表題作「脱出」と「他人の城」「珊瑚礁」である。「脱出」は降伏後ソ連兵が迫る樺太から、「他人の城」は地上戦間近の沖縄から、また「珊瑚礁」は米軍の攻撃が間近に迫るサイパンからの脱出を主題に、敗戦に向かう国家がその国民が如何に過酷な運命を強いるのかを、一国民の視線で冷徹に描いている。また「焔髪」は、空襲迫る奈良の寺から仏像を「疎開」させるか否かを巡る仏教家達の激しい議論を通じて、戦争という過酷な運命を如何に受け入れるべきかという日本人の深い苦悩を描き出し、「鯛の島」は、働き手を兵隊に取られて人手不足に悩む漁村が、街に溢れる戦争孤児に活路を見出そうとした事に端を発する混乱に、終戦直後の荒みきった世相を映し出している。
戦争に翻弄された日本人は、様々な形でその運命の受容を強いられた結果、ある者は戦後を見ずに落命し、またある者は生き延びて戦後社会を築き上げていった。その過程で人々が味わった苦悩と怒りを、吉村昭は綿密な取材を通じて自らのものにし、その筆を通じて後世に遺した。戦争を知る世代が次々と鬼籍入りし、吉村昭も亡き今、氏の戦争作品にはずっと版を重ねてもらいたいものである。▲2009.4.19
「暁の旅人」 吉村昭・作 講談社文庫 ★★★
日本社会の発展を振り返る時、江戸期と明治維新期の間に大きな断層があると考える人は少なくない。サムライが闊歩する士農工商の身分社会が維新によって解き放たれ、人々の努力と英知によって日本は西洋文明を一気に吸収し、世界の列強入りを果たしたというのがその平均的な理解だろうが、常識で考えても、明治元年にゼロから西洋学問を学び初めた国民が、短期間にここまで長足の成長を成し遂げる事は不可能である。言うまでもなくその背景には、長崎を訪れた多くの欧州人から西洋の諸科学をまなび、国内の多くの学徒に伝え、学問として育んだ江戸期の俊英たちと、その学究を助けた「通詞」と呼ばれる通訳の存在があるのだが、彼らの働きはこれまで学校教育ではあまり取り上げられなかった。江戸期の身分社会を殊更に強調する階級史観は、寺子屋など庶民向け教育には関心を向けても、士族中心であったこれら学問の世界に共感する事はなかったのだろう。
本作品の主人公・松本良順は、幕府における西洋医学教育の責任者である。長崎においてオランダ人医師ポンペから医学を学んだ彼は、それまで文献購読中心だった西洋医学の世界に、解剖や実習を取り入れた実証的西洋医学を導入し、日本医学のレベルを大きく向上させた。漢方医学者との確執などその過程には多くの壁があったが、幕末の社会不安で増加する刃傷を良順が多く救った事もあり、その名声は確固たるものになっていく。新撰組との出会いや、会津・仙台と逃避していく良順の姿も、幕末好きの読者にはたまらないストーリーだ。▲2009.2.3
「戦史の証言者たち」 吉村昭・著 文春文庫 ★★★
吉村昭氏が世を去ってもうすぐ2年になる。絶筆となった「死顔」以降、新しい作品が出ていない事は何とも寂しい限りであるが、その一方で、当事者から直接得た証言を歴史小説の柱としてきた吉村氏の手法が可能だった時代が、昭和と共に過ぎ去ったのも事実である。吉村氏はやるべき仕事をやり尽くしたのだ。吉村氏の歴史小説をこよなく愛する私はそう考え、彼が遺した作品を永く味わっていくことに決めた。そんな想いを改めて抱かせたのが本書である。
この作品は小説ではなく、「戦艦武蔵」「海軍乙事件」「総員起シ」の三作品を執筆する際、当時存命だった関係者に対して行われた聞き取り調査の模様を収めたテープを書き起こしたものである。そう書くと無味乾燥に響くかも知れないが、吉村氏の真剣かつ事前準備の行き届いたインタビューが、記憶の奥に眠っていた多くの史実を証言として引き出していくさまは臨場感に満ち、大変面白い。吉村氏はこうやって得られた生の証言を主たる情報として扱い、それを公的記録で裏付けるという、一般とは逆のスタンスを維持していたという。彼の作品に溢れる迫力と現実感は、この姿勢無しでは成り立たない。彼が昭和後期に歴史小説の執筆を終えたのも、生存者が減って生の証言を得られなくなったからである。
歴史の証言が後世に伝わっていく瞬間に立ち会えた気分を味わえる貴重な一冊である。吉村氏の歴史小説が好きな人には必読の書。▲2008.3.26
「海の祭礼」 吉村昭・作 文春文庫 ★★★★
鎖国下の日本で、オランダ等諸外国との交渉に際して通訳に従事した通詞職について、吉村昭は多くの作品で取り上げて来た。幕末期の日本が諸外国と接するにあたり生まれた数多くのドラマを、幾多の作品で取り上げて来た吉村氏にとって、通詞は異文化との貴重な架け橋であったのみならず、その語学習得に際しての労苦自体がまたドラマに満ちたものだったからだ。
本作品の主人公は2人いる。1人は長崎通詞である森山栄之助であり、もう1人は、アメリカ人青年ラナルド・マクドナルドである。若くして日本への深い興味を抱いたマクドナルドは、捕鯨船船員として雇われて日本近海に辿り着き、そこから単身ボートで北海道近海の小島に上陸する。その後長崎に送られたマクドナルドは、通詞である森山に出会うが、オランダ語に精通した彼も英語は理解できない。語学に生来の才能を有する彼は、マクドナルドと過ごす半年間で英語をマスターし、幕府にとって貴重な英語通詞として成長していく。そしてその才能と誠実な人柄は、開国を求め戦艦を率いて押し寄せるペリーやハリスを初めとする外国勢力との交渉に、計り知れない貢献をもたらす。
身分制度による過酷な支配や、度重なる百姓一揆、キリスト教徒の迫害など、唯物史観に囚われたネガティブな江戸期の捉え方に近年修正が加えられている。当時の科学技術や優秀な学者がクローズアップされているが、多くの制約の中で異国語を習得し、「黒船」との交渉を通じて近代日本の礎を築く一助となった通詞の事も、学校教育の中でしっかりと取り上げるべきと考える。吉村文学の真骨頂というべき一冊である。▲2007.11.19
「虹の翼」 吉村昭・作 文春文庫 ★★★★
世界で初めて飛行機を飛ばしたのがライト兄弟であることは、世間の常識であり、知らないとさすがに恥ずかしい。しかし、その初飛行の12年前である明治24年4月29日夕方、ゴム動力を用いた模型飛行機が日本の地で飛び立った事はあまり知られていない。当時26歳だった二宮忠八という若者が、生得の好奇心を基に独学で創り上げたこの模型飛行機の構造は、翼・胴体・尾翼・機首からプロペラに至るまで、現代の航空機にほぼ通じるほど優れたものであったという。
愛媛県八幡浜に生まれた忠八は、幼少の事から好奇心旺盛かつ研究熱心で、十代初めの頃には奇妙な形の凧を揚げては近所の者を驚かせていた。そんな彼はある日、山間いを滑空する鳥の姿を見て「人が空を飛ぶ」機械の発明に目覚める。陸軍に徴兵され、衛生部薬剤師としての職務で着実に実績を挙げながら忠八はひそかに研究を続けるが、やがてそれも限界に至り、陸軍として正式な研究に取り上げるよう上官に進言するのであるが・・・。
物語は忠八の波瀾万丈な人生をベースに次々と展開する。結果として「世界で初めて飛行機を飛ばした人」の座はライト兄弟に奪われるのだが、忠八の抱いた気持ちは「競争に破れた」悔しさではなく、自らの運命を静かに受け入れる諦観に近いものであった。幼い頃から功名心や利己心には無縁で、純粋に新奇なものに興味を抱き続けた忠八らしい総括であり、さわやかな読後感へ繋がっていく。
日本に種痘を導入した笠原良策(「雪の花」)や、脚気の原因説で軍部主流派と対決した高木兼寛(「白い航跡」)、解体新書の殆どを翻訳しながらも名声を杉田玄白に持って行かれた前野良沢(「冬の鷹」)など、真摯な姿勢で立派な功績を残しながらも、歴史上それほど脚光を浴びて来なかった人々に吉村昭は暖かな気持ちを寄せ、緻密な調査を基にした名作を数多く世に送り出してきた。本書もその流れに沿う代表作であり、波乱に満ちた忠八の人生がドラマティックに描かれ、引き込まれるように読んだ。聴診器のゴム管を切り裂き束ねて作ったゴムひもが、日本においてライト兄弟より早く模型飛行機を飛ばす動力源となった事は、もっと広く知られて欲しいと思う。▲2007.9.24
「遠い幻影」 吉村昭・作 文春文庫 ★★★
汽車で出征しようとしている兵士たちに線路上から別れを告げていた家族が、反対方向から走行してきた急行列車に多数轢殺されてしまうという陰惨な事件があったと、主人公である「私」はその当時誰かに聞いた記憶がある。数十年の歳月が過ぎ、人生の残り時間が少なくなってきた「私」は、過去の曖昧な記憶を明確にしておきたいという気持ちに動かされ、この記憶が真実であったのかを探る旅に出る(表題作「遠い幻影」)。
全12本を収録した短編集。表題作からして吉村文学らしい作品であるが、他作品の基底にも「脱獄」や「戦争」「迫り来る死」「家族と血縁」など、おなじみのテーマが盛り込まれている。短編小説は吉村昭にとって自分を鍛錬するものであると、あらゆる場面で触れられていたが、一作一作の積み重ねが彼の完成された世界を作っていったのだろう。▲2007.9.5
「海も暮れきる」 吉村昭・作 講談社文庫 ★★★
大正時代の俳壇では、五七五や季語という定型に囚われない「口語自由律」を志向する「新傾向派」と呼ばれる人たちが広く活躍した。その代表として荻原井泉水の名が知られるが、彼と共に俳壇で活躍したのが、本作品の主人公である尾崎放哉である。
明治18年生まれの彼は、東京帝大を卒業後に朝鮮火災海上保険会社の幹部を務めた超エリートであったが、昼夜を分かたぬ酒乱振りでやがて身を滅ぼし、会社からも家族からも見放された。放哉は各地の寺院で寺男などを務めていたが、永く滞在することもなく、流浪の旅を続けていた。そんな放哉を物心両面で支えたのは俳壇の仲間たちだったが、その縁で彼が最終的に流れ着いたのが、瀬戸内海に浮かぶ小豆島の小さな庵「南郷庵」であった。
南郷庵は、西光寺の住職である杉本宥玄が放哉に与えた墓守の小さな庵であった。庵とは言っても、春先にお遍路巡りの人々が落としてくれるお布施以外には収入もなく、壁は薄く天井すらない非常に粗末な小屋である。過去の栄光からの落差や、俳壇の仲間達に金銭面で頼って生きるむなしさ、去って行った妻への未練などに放哉は日々苦悶し、また彼の肺結核はその病勢を急速に強めていった。そんな日々の中でも、放哉は自由な作風で俳句を読み、短冊にしたためていく。
放哉と同じく肺結核で死線を彷徨った経験のある吉村昭は、本書のあとがきで、病床で放哉の俳句に触れ、その孤独な息遣いに激しく動かされたと書いている。悪化する病状の中、誰にも看取られずに死んでいく事を何よりも恐れた放哉に、若かりし頃の吉村昭は自らを重ね合わせたのあろう。借りた金で酒に溺れて暴言を吐き、周囲の人々からも疎んじられる放哉の姿をベースに、人間の弱さと孤独が切ないほどに表現されている。尾崎放哉を主題に選び、この作品を書き上げた事こそ、吉村文学の一つの大きな特徴に数えていいと思う。▲2007.9.2
「敵討」 吉村昭・作 新潮文庫 ★★★
入会権(いりあいけん)という制度が民法上に規定されているのをご存じだろうか。山村の住民たちが、彼らの所有地ではない山林を柴刈りや山菜採りに使う権利の事で、物権の一つとして規定されている。江戸期以前から各地にあったいわば前近代的な慣習であるが、明治維新時に近代法体系を導入するにあたり、すぐに廃止する事は出来ない慣習として、現代の法体系にも盛り込まれた。その一方で、長く武士に許された帯刀や「切り捨て御免」の制度は、武士の権力を奪うという政治的目的と共に、近代日本に相応しくないものと位置づけられて廃された。江戸期から明治に移行する際には、民事・刑事を問わず多くの社会制度が近代化のフィルターに掛けられ、あるものは歴史の一ページとして刻まれ、またあるものは近世に残ったのである。本書のテーマである「敵討」も、江戸期には公式に認められた制度であったが、近代化のフィルターに掛けられた結果、明治以降では刑法の殺人罪として扱われるようになったものである。幕末と明治期に実際に起きた2つの敵討を描いた歴史小説。
一本目「敵討」は、剣士である父親を闇討ちされた息子が、八年間その犯人を追った末に敵討を果たすという、幕末に起きた劇的な敵討を描いている。当初は事件の背後関係も不明であったが、息子が自力で調査を進めていくうちに、その背後には当時酷政を敷いて市民から恨まれた鳥居耀蔵の姿も見え隠れするようになり、当時の殺伐とした世情も伺い知る事が出来る作品である。また二本目「最後の仇討」は、福岡・秋月藩内の権力争いのため、目前で両親を惨殺された幼い息子が、成人後、明治下の東京で敵討を果たすというストーリーである。そのころ既に敵討は殺人罪として断じられたため、彼は無期懲役を言い渡されたが、当時の世情はこの敵討に対して非常に同情的であった。
江戸期の敵討は幕府によって認められてはいたが、殺人の罪を免れるためには、実行前に申請書を奉行所に提出して台帳に記載してもらう必要があった。また藩に所属している者の場合は、敵討を完了するまで脱藩状態となり、非常に困難な生活を送ったという。加えて、敵討を成し遂げるには逃げ回る犯人を自力で追い求める必要があるため、多くの場合それに数年から数十年の年月を費やし、結局犯人を見つけ出せないまま流浪の民になってしまうものも多かったらしい。敵を討つ方もまさに命懸けだったのだ。
幕末から明治に掛けての激動の時代を、二つの敵討事件を通して描いた作品。時代の流れのダイナミズムをひしひしと感じる事が出来る。ドラマ化すると面白いだろう。▲2004.3.17/RT
「背中の勲章」 吉村昭・作 新潮文庫 ★★★
『生きて虜囚の辱めを受けず』とは戦陣訓の一節であり、日本軍将兵が徹底して叩き込まれた戦時の鉄則であった。捕虜となる事は軍人として最大の恥辱であり、日本人であれば寧ろ名誉の戦死を選ぶべきというこの一節のために、数え切れないほど多くの将兵や一般人が敵の捕虜となる直前に戦死し、また自殺を遂げた。極限状態で命を落とした人々の霊に報い、かつ戦争の残酷さを後世に伝えるために、この一節が戦前の日本人の精神を支配していた事は決して忘れるべきではないだろう。
しかし、その様な極限状況に置かれながらも、様々な経緯から「生きて」敵軍の捕虜となってしまった日本軍将兵も少なからず存在した。彼らは敵国の収容所に抑留され、慣れない環境と「生きて虜囚の辱めを受ける」罪悪感に苦しみながら、与えられた労役に就いて日々を送っていた。本作品は、太平洋戦争開始直後に米軍に捕らえられた一等水兵・中村末吉という実在の人物を主人公に、アメリカ本土で捕虜生活を送った日本軍人の苦悩とその暮らしぶりを実話に基づいて描いている。
中村一水はアメリカで4年の月日を捕虜として過ごした。太平洋上で捕獲されてカリフォルニアの収容所に送られた当初、彼は捕虜となった罪悪感から死ばかりを考えていたが、次第に環境にも慣れ、また日本軍の将兵が多く捕虜として送られて来るうちに、来たる「アメリカ本土決戦」に備えて力を蓄えておこうという気持ちに変わってくる。捕虜になってしまった事に対する「罪滅ぼし」をしたいという彼の熱い想いは周囲の将兵にも共有され、捕虜たちは「来たる日」に備えて前向きに日々を生きる様になった。にも拘わらず、戦況は日本にとって日々厳しくなり、ついに昭和20年8月15日を迎えるが、日本敗戦の報は捕虜には伝わらない。彼らは「戦後」もアメリカ本土決戦を信じ続けるのだ・・・・・
戦後、多くの日本兵が各戦地で抑留された。特にソ連共産党政府によるシベリア抑留では、寒冷地での過酷な強制労働により数多くの日本人が命を落とし、今日でも墓参ツアーが続けられている。そのような戦後抑留に関しては多くの書物が取り上げているが、日本軍の戦時捕虜の実態についてはこれまで余り知らなかった。「生きて虜囚の辱めを受けた」事に対する後ろめたさが戦後も残り、捕虜となった元将兵達が多くを語りたがらなかったのだろう。中村一水の体験談や様々な史料に基づく本作品は、太平洋戦争の知られざる側面を見事に描いた秀作である。▲2004.2.14/RT
「遅れた時計」 吉村昭・作 中公文庫 ★★
地道に暮らしていた人が、ふとしたきっかけで「非日常」に巻き込まれてしまう作品を集めた短編集である。いずれの作品も主人公は地味な大人であり、巻き込まれてしまう「非日常」も「どこにでもありそうな話」であるにも関わらず、人生の機微を感じさせる深い味わいを放っている。
深夜の街角で、地面から微かに漏れ聞こえてくる漏水の音をただひたすら聴診器で探る若い水道局職員が、アパートの隣室に住む子連れの女性とふとしたきっかけで親しくなっていく「水の音」。20歳以上も年上の水商売の女性と同棲を始めた義姉の息子を、その親元に連れ戻す役割を引き受けた男を主人公とした「蜘蛛の巣」。長年ホステスとして働いていた女がその過去を隠して結婚し、家庭生活もうまく行っていたのに、ある日ふとした仕草から過去の職業が夫に発覚しまう表題作「遅れた時計」など、合計10作品を収録している。
歴史や戦争を題材とした長編小説とは異なり、これら作品から強烈な印象を受ける事は無かった。にも拘わらず、これら作品が時を経てふと脳裏に浮かび上がって来るのは、「日常」に生きる私たちが「非日常」に遭遇した場合の疑似体験を深層心理に刻み付ける吉村氏の筆力が為せる技である。▲2004.2.14/RT
「長英逃亡」 吉村昭・作 新潮文庫 ★★★★
蛮社の獄で幕府に逮捕された希代の蘭学者・高野長英は、終身刑を言い渡されて江戸・小伝馬町の牢に拘禁されていた。海外列強による開国圧力が増していくなか、長英の持論である国防の強化はまさに国家火急の懸案であるにも関わらず、入牢中の彼には西洋の兵書を和訳して世に広める術もない。入牢して5年の月日が過ぎても出獄できる兆候はなく、このままでは獄死も免れない。焦りが限界に達した長英は、ある日外部の者に通じて牢に火を放たせ、ついに脱獄した。長英の長い逃亡生活はこうして始まった。
幕府は威信を懸けて長英を追うが、かつての門下生や各地の蘭学者、そして小伝馬町の牢内で長英の人格に接し敬服した侠客が、長英の逃亡を命を賭して助けた。長英の逃亡生活はほぼ全国にわたり、北は新潟や岩手、西は四国や広島にまで足を伸ばしていた。その先々で、長英の類い希な才能と知識に敬服した人々が彼を匿い、物心両面での援助を与えた。若かりし頃の長英は時に慢心し、自らの才能を鼻にかけて他の学者を公然と蔑む事もあったが、そういう屈辱に遭った者たちも、追われの身にある長英に深く同情し、命を賭して援助を施した。そんな人々の姿に長英はかつての振る舞いを深く恥じ入り、素直に許しを請うのだった・・・
各地に残る膨大な史料を基に長英の足跡を追い、長い逃亡生活の全容を描いた歴史小説である。史料でどうしても埋まらない空白や史料の信憑性に疑問が残る部分は、吉村氏一流の想像で埋められており、氏の他作品と同様に重厚で壮大な歴史小説となっている。また本作品は登場人物の「人間臭さ」も巧く描いており、逃亡中、妻ゆきに心焦がしながらも若い女性と関係を持ってしまう長英や、逃亡を助ける侠客・米吉の忠義の篤さ、そして命を賭して長英を匿まる各地の蘭学者など、さまざまな「人情」が物語に一層の深みを与えている。その反面で、蛮社の獄の首謀者である鳥居耀蔵については終始表面的かつ抑制的な描写に抑えられており、鳥居の冷酷さが効果的に引き立たされている。
長英の脱獄からわずか数ヶ月後、鳥居は失権した。もし長英があと半年牢に留まっていれば、蛮社の獄に伴う罪は免じられ、釈放のうえ幕府に重んじられる地位に就いていたであろう。やり切れなさが募るのは私だけではあるまい。幕末の一ドラマを描いた秀作である。▲2004.2.2/RT
「北天の星」 吉村昭・作 講談社文庫 ★★★★
文化4年(西暦1807年)春、千島・択捉島で番人の任務に就いていた五郎治と左兵衛は、突然襲来したロシア軍によって拉致された。火力に勝る軍艦を擁するロシア軍は、択捉島を始めとする多くの島々を襲撃し、略奪・放火を繰り返していたが、その一連の攻撃の中で彼らは身柄を拘束され、軍艦に押し込められてシベリアへ連行される。本作品は、そうして始まる五郎治・左兵衛の長いシベリア生活を基調に展開される壮大な歴史小説である。
二人が拉致された先は、オホーツク海北岸の小さな町、オホーツクである。永久凍土に覆われたこの町は寒気も厳しく、食事や風習も二人の故郷である津軽とは全く異なる。二人は大いに戸惑いながらも、帰国の時を迎えるまで生き抜くため、慣れない肉料理や牛乳にも手をつけ、またロシア語の習得にも努めた。萎え行く気力を奮い立たせながら、彼らは帰国を実現させる方法を考え続け、特に五郎治は生得の毅然さでロシア側高官とも渡り合い、二人が拉致されたことの不当性を訴え続け、待遇の改善などを実現させた。
しかし帰国は2年経っても実現せず、その見通しすら全く立たない。それどころか、ロシア側は二人を切支丹に改宗させた上、日本語教師としてロシアに永住させようと試みている。日本では切支丹は国禁であり、改宗したら決して帰国できない事をロシア側は見抜いているのだ。事態の打開が絶望的になり、ついに二人は脱出を決断した。海と川の氷が溶ける春になり、二人は南へ向かって歩き始める・・・・
極めて壮大で上質な歴史小説である。ここで紹介した部分は全体から見るとまだ「序章」と言える程であり、これから先、予想もつかない展開が連続する。また、全体としては歴史小説であるにも関わらず、シベリアの荒野で繰り広げられる二人の逃避行の場面は、あたかも冒険小説であるかのようにリアルで迫力に満ちており、これも読者を惹き付ける一大要素となっている。文芸評論家・大河内昭爾の手による解説に『巻を措くあたわずという言葉どおりの経験を久々に味わった』とあるが、まさに我が意を得たりである。江戸期の対外窓口は長崎・出島だけというのが我が国のいわば「正史」であるが、蝦夷とロシアを舞台にこれほど壮大な歴史ドラマが繰り広げられていた事は、多くの人々にとって思いも寄らぬ事では無いだろうか。吉村氏は蝦夷とロシアを舞台にした歴史小説を既に数作発表しているが、氏が取り憑かれて止まないほどの歴史ロマンがそこには確かにある。「歴史物」「漂流物」そして「医学物」を得意とする吉村氏にとって、それら三要素が融合した「北天の星」はまさに集大成的な作品であり(医学物がなぜ本作品に関係するかは、読んでからのお楽しみ)、吉村ファンのみならず誰にでも文句なしにお薦めできる一冊である。▲2003.12.30/RT
「蜜蜂乱舞」 吉村昭・作 新潮文庫 ★★★
吉村昭は歴史小説や戦争文学、そして様々な短編小説で知られているが、本作品は彼としては珍しいホームドラマである。春から夏に掛けて、花々の開花に合わせて蜜蜂と共に南から北へ旅する養蜂業者を主人公に、自然の摂理に従って生きる人生の厳しさと、その家族愛を描いている。
主人公・有島伊八郎は、鹿児島で妻と共に養蜂業を営んでいる。秋から春に掛けては鹿児島で過ごすが、春が過ぎ菜の花が散る頃になると、花と花粉を追いかけて半年間の長い旅へ出る生活を長年繰り返している。去年までは妻と若い弟子の三人旅であったが、今年は更に2名加わった。東京へ進学したきり行方知れずだった息子が、ある日突然若い女と共に鹿児島へ帰って来たのだ。ささやかな結婚式を挙げさせてもらった2人は、養蜂屋の跡取夫婦として、両親と共に新たな道を歩み始めたのである。
トラックに大量の巣箱を載せ、九州・中部・東北・北海道と旅を続ける一家。蜂は振動や衝撃に弱いため、トラックは時速30キロというスピードで国道を進む。また蜜蜂は熱に殊更弱く、トラックに載せられた巣箱が熱に覆われると「蒸殺」という現象のため蜂は全滅し、蜜の詰まった巣も溶解してしまう。そうなると養蜂業者にとっては資本を失う事となるので、彼らは熱には気を遣い、出来る限り涼しい夜間の移動になるように計画を練る。それにも関わらず、人一倍注意深い伊八郎一家ですら東北地方で予期せぬフェーン現象による熱波に襲われ、蒸殺の危機を迎えてしまう・・・
息子の若嫁が蜂に刺されながらも養蜂家として逞しく成長したり、旅の途中に女に溺れて故郷の妻子と養蜂を捨てた同業者の話など、半年間の旅の間には様々な人間ドラマが繰り広げられる。それだけだと単なるホームドラマであるが、本作品の基底には自然を相手に生計を立てる事の厳しさが流れており、それは『羆』や『海馬』などの作品にも共通して見られる吉村作品の一つの特長である。吉村ファンは一読すべき作品。なお文庫オリジナル作品であり、単行本にはなっていない。▲2003.12.26/RT
「月夜の魚」 吉村昭・作 中公文庫 ★★★
吉村昭は短編小説の題材として「死」を取り上げる事が多い。若いころ重症の肺結核で死線を彷徨った経験がそうさせるのかは分からないが、彼の小説では死の場面がよく登場する。ただ、そこに悲惨な死の姿はなく、いずれの作品も心が浄化されるような清冽な読後感を読者に与える。「月夜の魚」は、さまざまな死の光景を描いた作品を集めた短編集である。
僅かな運転現金を調達する事が出来ず、業界団体からの融資すら断られた零細工場の社長が、ある日一家心中した。その融資を断った担当者である主人公は自責の念に駆られ、葬儀にも参列するが、その帰りに立ち寄った飲み屋街で美しいゲイの少年に出会う。工場主が調達できずに命を絶った金額を数日のうちに稼いでしまう「彼」であったが、社会に適応できない彼は、月夜の下でこういう生き方しか出来ない。社会の不合理さと虚しさを描く表題作『月夜の魚』。祖母の死を契機に、人間はいつか死ぬという事実に目覚め、恐れおののく小学2年生の甥っ子。人はみな死へ向かって行進しているのだ、と言っては震え、精神状態すら不安定になった甥っ子との触れ合いを通して、人生の尊さと儚さを描く『行列』など11作品を収録。
11本のうち3本は、吉村氏の周りで実際に起きた出来事を題材にした私小説で、それ以外の8本はフィクションである。いずれも印象深い作品で、これまでに読んだ氏の短編集の中でも特に印象に残った一冊であった。11作品それぞれが違ったカラーを出していて、読み飽きる事もないだろう。少々古い本なので一般書店では入手しづらいかも知れない。古本屋か図書館をトライして欲しい。▲2003.12.5/RT
「大本営が震えた日」 吉村昭・作 新潮文庫 ★★★
太平洋戦争を目前に控えた昭和16年、日米の外交当局は様々な外交交渉を行ない、緊迫を極めていた日米関係の打開と戦争回避を目指していた。その外交上の試みは「ハル・ノート」と呼ばれる米国側の最後通牒を以って終焉を迎え、12月1日の皇居における対英米開戦決定を経て、12月8日の真珠湾攻撃へと歴史は動いていく。300万人を超える死者を日本にもたらした太平洋戦争はこうやって始まるのだが、12月1日から8日までの一週間、真珠湾奇襲攻撃や敵側各拠点への急襲という極秘作戦を米英側に察知されないために、大本営と陸海軍は最高度の機密体制と綿密な作戦構築に明け暮れた。国運を決する大作戦を目前に控えたその一週間、陸海軍は各地で様々な準備行動を極秘下に実施したが、その陰では思いがけない事故も発生し、国家最高機密である「12月8日開戦」という情報が敵側に容易に流れ得る状況ももたらされた。当時の資料と生存者からの聞き取りを基に、この1週間の緊迫した模様をドキュメンタリータッチで描いた作品である。
その1週間で最も緊迫した事件は「『上海号』行方不明事件」である。「12月8日開戦」を指令する機密命令書を搭載したDC3型旅客機が、中国大陸の敵側支配地域に不時着したため、その機密文書が敵に渡った可能性が出てきたのだ。それは、目前に控えた真珠湾奇襲攻撃の成否、さらには日本の今後の戦争遂行すら左右する程の途方も無い重大事件であった。その他にも、日本軍のタイへの平和進駐を巡って繰り広げられる日本・タイ間の息詰まる外交交渉や、真珠湾へ向かう連合艦隊が途中停泊する国後島の厳戒態勢、さらには開戦前夜に日本からアメリカへ向けて出航する民間客船を「開戦」と共に日本に帰還させ、敵側による拿捕を回避する作戦など、開戦直前に展開された様々な作戦や事故を取り上げている。
「開戦の日の朝、日本国内に流された臨時ニュースは表面に突き出た巨大な機械の頭部にすぎず、その下には無数の大小さまざまな歯車が、開戦日時を目標に互いにかみ合いながらまわっていたのだ」(本書「あとがき」より)。歴史に埋もれつつあった『大小さまざまな歯車』を丁寧に取り上げ、資料と関係者の証言によってドキュメント化したのが本書である。『巨大な機械』の最終結末を知っている我々にとって、その始動の様子を目の当たりにする事は辛く、空しさすら覚えるものだが、それにも関わらず本書の読後感が充実しているのは、それぞれの『歯車』が時として見せる人間臭さを抑制した筆致で描いた吉村氏の筆力によるものだと考える。▲2003.11.25/RT
「海軍乙事件」 吉村昭・作 文春文庫 ★★★
太平洋戦争における日本軍の劣勢が決定的になりつつあった昭和19年春、連合艦隊司令長官・古賀峯一大将が乗った航空機が南洋諸島の海に墜落した。その時パラオからフィリピンに向けて向かっていたのは、古賀長官が搭乗する第一番機と、連合艦隊参謀長・福留繁中将が搭乗する第二番機であったが、悪天候下の無理な飛行が祟り、第一番機は海上に墜落して古賀長官以下全員が死亡、第二号機は海上に不時着し、全員が漂流した。長時間を海上で漂った末に生き残った福留参謀長と他の乗組員の計5名は、通りかかった現地人のカヌーに救助されるが、その後、連合国側に通ずるゲリラへ身柄を引き渡される。連合艦隊参謀長の身柄と、彼が手にしていた極秘作戦文書が、事もあろうに敵側ゲリラの手に落ちるという重大事件はこうやって発生した。
本書の表題作「海軍乙事件」は、厳重に秘匿されたこの事件の呼称として軍内部で用いられた名前に因んで名付けられた。生存する関係者からのインタビューや戦後公開された米軍側資料を基に、吉村氏は、福留参謀長が持参していた「Z作戦計画」と呼ばれる「極秘作戦文書」がゲリラ側から連合国側に渡り、彼らの作戦計画に重大な役割を果たしていた事を突き止める。連合国側は入手の事実を隠していたため、当時日本側は「ゲリラは文書に興味を示さず、捕獲された文書はそのまま投棄された」と判断していたが、それは誤りだったという訳である。様々な資料を基にしつつ、その隙間を吉村氏の推察と想像で埋めて完成されたのがこの作品であり、他作品と同様に一流の歴史文学となっている。
他に、古賀長官の前任者であった山本五十六・連合艦隊長官の戦死に関する「海軍甲事件」や、連合国による極東軍事裁判が開始される直前に、8名の人間が日本陸軍によって戦犯として裁判を受けた史実を追う「八人の戦犯」、そして『ラッパの木口二等兵』として知られた戦場美談のかげに「もう一人」のラッパ兵がいたという「シンデモラッパヲ」の4本の短編を収録している。特に後の2本は表の戦史に出て来ない話であり、どちらも興味深いが、その中でも「シンデモラッパヲ」の最後の4行は私にとって特に印象深く、さわやかな後味が残った。▲2003.11.10/RT
「深海の使者」 吉村昭・作 文春文庫 ★★★★
自らの不勉強を披露する様で恥ずかしいが、この本を読むまで、第二次大戦中に日本軍の潜水艦がドイツとの間を往来していたなんて知らなかった。日独伊軍事同盟の下、様々な機密書類や技術情報、果てはドイツで開発された最新兵器などが、大西洋から喜望峰、インド洋を経て日本へ運ばれていたのだ。米英軍の厳重な警戒網を文字通り潜り抜けた日本の潜水艦が、しばしばヨーロッパの港に姿を見せていたというのは何とも壮大な話である。この作品は、アジアとヨーロッパ戦線を深海で結び続けた海軍潜水艦と、その乗組員達の英知と苦労、そしてその悲しい結末を描いた非常に上質な歴史小説である。
戦前、日本とドイツの連絡には、ソ連領を経由するシベリア鉄道か、インド洋から喜望峰、大西洋を抜ける航路のどちらかが用いられていた。第二次大戦勃発後も、日ソ中立条約に基づき、日本人がシベリア鉄道を使ってドイツに到達する事は可能であったが、戦況が悪化し、ソ連による対独・対日参戦が懸念されるようになると、シベリアルートは危険を孕むようになり、自ずから海洋ルートの役割が増す事になる。しかし大西洋上では米英軍がレーダー探知機を備えた艦船で頻繁に哨戒活動を続けており、通常の艦船で向かったのでは撃沈される可能性が高い。そこで日本軍は、当時世界的にも進んだ性能を誇っていた潜水艦に着目し、約2ヶ月の潜行でドイツに達するルートを開発しようと試みる。
任務を帯びた潜水艦は、敵からの度重なる爆撃や、喜望峰付近の猛烈な嵐に行く手を阻まれながらも、優秀な乗組員達の手腕によって辛くも危機を脱し、ドイツと日本を結ぶ事に成功する。ドイツから日本へは主に先進兵器の技術資料が、また日本からドイツへは南方占領地域で産する錫などの金属が主に輸送され、両国にとってかけがえの無い交通路となっていた。だが、この任務に投入された潜水艦は、次第に激しくなる米英側の攻撃により徐々に失われていく。ある艦は爆雷を受けた後に深海で乗組員と共に圧壊し、またある艦は日本軍港への到着を目前にして敵潜水艦の魚雷によって沈没する。各艦に乗務していた選りすぐりの精鋭たちと、ドイツで学んだ技術を携えて便乗していた優秀な技術者たちの多くは、多くの貴重な資料と共に、大洋の底に消えていった・・・
非常に壮大な作品である。2ヶ月にも及ぶ困難かつ危険な航海が生々しくも冷静に描かれ、また戦時下の複雑な国際関係の中で戦況の好転を試みる日独双方の動きも克明に記されている。特定の主人公を設定せず、あくまでドキュメンタリータッチに仕上がってはいるが、それぞれの潜水艦に関わる多くの人物の「人間臭さ」が随所に盛り込まれており、吉村氏の作品らしい奥行きの深さを満喫する事が出来た。これまで読んだ中で最も興味を惹かれた戦争小説の一つである。文句なし。▲2003.11.1/RT
「羆」 吉村昭・作 新潮文庫 ★★★
以前紹介した「蛍」と同様に、動物と密接に関わり合いながら生きる人達を題材にした短編5編を収録している。
北海道の山奥で暮らす中年猟師、銀九郎は、以前山中で母親クマを仕留めた際に拾った子熊を長く育ててきた。立派な成獣に育った羆(ヒグマ)は、晩婚した愛妻と経営する土産物店でマスコットとして檻に入れて飼われ、人々の人気を集めてきた。が、ある日その羆は、餌を与えようとした妻の隙を突いて惨殺し、山へ逃げてしまう。これまで可愛がってきた羆に、最愛の妻を奪われた銀九郎。土産物店を始めてから猟に出る事も無かった彼だったが、愛妻を惨殺した羆に対する復讐心と、野生の厳しさを忘れていた自分への責めを背負って、銃を手に山へ向かう(「羆」)。
初冬の日本海に面する小さな漁村では、何年かに一度、夥しい量のハタハタが外海から漁港内へ入ってきて産卵する。どこの漁港に入ってくるかは海流と天候次第であるが、一たびハタハタの来訪を受けた漁村では、捕っても捕っても捕り切れないほどの大漁となり、一年間は働かずとも暮らせる程の収入を手にする事ができる。そのため毎年ハタハタの時期になると漁村関係者は誰しも戦々恐々として海を見続けるが、ある年のこと、ちょうどその時期に湾内で海難事故が発生する。漁労中に嵐の海に転落した男たちが行方不明になったのだ。すぐに漁村総出で救出活動が開始されるが、そんな中、監視役の漁師によってハタハタの来訪が確認され、漁村内に急報される。数年来待ちに待ったハタハタの来訪だが、遭難者の捜索活動が優先されるため、漁に取り掛かることが出来ない。多額の現金収入を目の前に、漁村内には険悪な雰囲気が流れはじめる(「ハタハタ」)。
その他にも、伝書鳩レースや闘鶏、金魚飼育を題材にした短編が収録されている。「蛍」に収録された動物小説と基本的に同一路線で、いずれの作品でも「私たち部外者にとっては限りなく非日常である風景が、それぞれの当事者には日常的、あるいは既に受容されつつあるものとして描かれており、各作品の根底に重く漂う『死』と相俟って、人間の逞しさと儚さの両限界が清冽に表現」されている(当HP「蛍」の紹介文より)。地味ながら何故か印象に残る一冊である。▲2003.10.16/RT
「蛍」 吉村昭・作 中公文庫 ★★★
ようやく結婚を果たした中年の刑務官は、子連れの妻とささやかな旅行に出かけるため、自ら進んで死刑執行を担当して臨時休暇を手にする(「休暇」)。眼科医の田代は、角膜移植に用いる眼球を摘出するため、亡くなったアイバンク登録者のもとへ日夜急行し、遺された親族との稀薄な触れ合いの後に眼球を摘出する(「眼」)。川で遊んでいるうちに五歳の弟を溺死させてしまった小学三年生の長男は、弟の通夜にも顔を出さず、自室でじっとプラモデルを組み立てる(表題作「蛍」)。
本書に収録された九篇の短編小説では、私たち部外者にとっては限りなく非日常である風景が、それぞれの当事者にとっては日常的、あるいは既に受容されつつあるものとして描かれており、各作品の根底で重く漂う「死」と相俟って、人間の逞しさと儚さの両限界が清冽に表現されている。いずれも地味な作品で決して目立ちはしないが、それでいて不思議と印象に残る。吉村昭らしい短編集である。▲2003.9.30/RT
「海馬(トド)」 吉村昭・作 新潮文庫 ★★★
吉村昭は歴史小説や戦争小説の名手として有名であるが、純文学の作品も数多く出している。「少女架刑」「星への旅」などはその代表作であり、個人的にも長く印象に残っている作品である。本作品「海馬」は、昭和53年から63年にかけて小説雑誌に掲載された短編7本を収録しており、さまざまな動物との関わりの中で寡黙に生きる人々を題材にした純文学短編集である。
表題作「海馬」の舞台は北海道・羅臼地方。流氷漂う極寒のオホーツク海で日々海馬(トド)撃ちに明け暮れる猟師・卓夫は、頑固な老猟師・梅太郎を師と仰ぎ、誰にも無愛想な梅太郎もまた、卓夫には目を掛けていた。危険な北の海で獰猛な海馬を仕留めるには非常に高い技術が要求されるが、それを若い卓夫は梅太郎から受け継ぎ、一人前の猟師として一人前に成長したからである。そんな梅太郎には若い孫娘・由起子がおり、卓夫は密かに心を寄せていたが、彼女は都会の誘惑に惹かれ、梅太郎を一人残して東京へと旅立っていく。一人残され生活が荒廃する梅太郎であったが、数年後、由起子は心と身体に深い傷を負って帰郷する。だが梅太郎は、一旦家を捨てた由起子を決して迎え入れようとはしない。以前から親しかった卓夫の姉の許に身を寄せる由起子、そしてそれを見守る卓夫。オホーツクの鉛色の空の下、海馬撃ちの日々の中で卓夫の心は揺れ動いていく・・・
浮気した妻を刺殺した過去を背負いながら、鰻漁で細々と身を立てて暮らす男と、その姿をじっと見つめる女を描く「闇にきらめく」、入水自殺しようとする女を鴨猟の途中で助け、その女を家に住まわせる事になった猟師親子の心の動きを描いた「鴨」など、他の6本も、動物と関わりの中でひたむきに生きる人々を題材に様々な人間模様を描いている。また、濃淡の差こそあれ、いずれの作品にも『死』が盛り込まれている事が、誠実でひたむきな主人公の姿と相俟って、物語に一種独特の荘厳さを与えている。
いずれも純文学作品ではあるが、動物の習性や狩猟方法に関する非常に詳細な記述は、正確緻密なディテールで名高い記録文学の手法がこれら作品にもしっかり息づいている事を感じさせてくれる。吉村ファンには堪えられない一冊であろう。▲2003.8.31/RT
「生麦事件」 吉村昭・作 新潮文庫 ★★★★
横浜市鶴見区生麦町。京急線の赤い電車が通るこの小さな街で、かつて「生麦事件」と呼ばれる事件が起こった事は、歴史の授業のせいか、それとも「生麦」という印象的な地名のせいか、現在でも多くの人に知られている。薩摩藩の大名行列を遮ったイギリス人が薩摩藩士に切り殺された事に端を発し、イギリス政府から幕府への巨額賠償金請求、さらにはイギリス軍による薩摩藩への武力行使(薩英戦争)に発展していくという幕末の大事件であるが、この事件の影響はそれだけに留まらず、幕末から明治に向けた歴史の大きな潮流を形づくる役割も果たした。そんな波乱万丈の時代を題材にした吉村昭の歴史小説である。面白くない訳がない。
急激に勢力を伸ばす攘夷論に危機感を抱いていた薩摩藩主・島津久光は、朝廷・幕府双方に「公武合体」の重要性を繰り返し説き、朝廷勢力の増強と過激な攘夷論の一掃を図っていた。文久2(1862)年8月、幕府首脳との会談で「公武合体」実現への一定の成果を得た久光は、江戸から薩摩に戻る帰途、東海道生麦村付近でその事件に遭遇した。久光の大名行列を遮ったイギリス人が、薩摩藩士によって斬殺されたのである。この事件に激怒したイギリスは、巨額の賠償金および下手人の処刑、さらには薩摩藩主の処罰すら要求し、これに薩摩藩内の攘夷論者は激昂した。イギリスからの要求を薩摩藩が拒んだ事で、イギリスは軍艦による鹿児島への武力攻撃を開始、薩摩藩の旧式武器はイギリス軍の最新武器に全く歯が立たなかった。この薩英戦争をきっかけに、攘夷論が非現実的である事が薩摩藩士に広く痛感され、彼らは一転してイギリスとの友好関係構築へと動いていった。時を経ずして同じような流れが長州藩でも起き、攘夷論の主力であった薩摩・長州の両藩が「開国論」へと急速に傾斜して行き、その後の討幕運動、更には明治維新へと繋がっていくのは周知の通りである。
外国による武力行使に全く歯が立たなかったという絶対的事実を突きつけられ、薩摩藩も長州藩も、これまでの急進的な攘夷論を完全に放棄するに至ったが、このことは、第二次大戦後、それまでの軍国主義一辺倒から一転して親米・民主主義になった日本人一般の姿にかなり類似しているような気がする。論理的矛盾を心のどこかで密かに感じながらも、精神論で自らそれを抑圧し続け、ついにその精神論が絶対的事実として破綻すると、一気に現実論に立ち返り、従前とは180度異なる意思を自ら形成してしまうのだ。そこには「変わり身の良さ」などという処世的な要素は感じられず、日本人が歴史的に好む「精神論」の一つの特質のような気がしてならない。(藩士や領民のそういう特質を見抜き、攘夷から開国へとタイミング良く一気に舵を切った薩摩・長州藩上層部のセンスは、いま振り返っても本当に凄いと思う)
膨大な量の史料に、氏一流の想像力で立体感を持たせて仕上げられた歴史小説。例によって、他の歴史小説で取り上げられている人物も多く登場しており、それらを併せ読むと更に深く味わえるだろう。イギリス代表ニールとの息詰まる交渉や、薩英戦争時の両軍の戦況など、読む手に汗を握らせる筆力はさすがである。▲2003.8.11/RT
「アメリカ彦蔵」 吉村昭・作 新潮文庫 ★★★★
作家・吉村昭の得意分野に「漂流モノ」がある。舞台はいずれも鎖国下にあった江戸期。乗っていた船が嵐に巻き込まれ、操船不可能となって長期間漂流したのち、絶海の無人島に流れ着いたり外国船に救助されたりして一命を取り留める。そうして始まる波乱に満ちた「第二の人生」を描くのがその代表的手法であり、数々の名作が彼の手により生み出されている。「アメリカ彦蔵」と題する本作品もそのジャンルを代表する一冊であり、そのスケールの大きさは彼の「漂流モノ」のなかで最大と言えるだろう。無論、これも史実をベースとした歴史小説である。
舞台は幕末の播磨国。大型回船の沖船頭を父に持つ主人公・彦太郎は、13歳で初めての航海に出た。炊事の雑用を行なう炊(かしき)と呼ばれる役回りであったが、彼はその初航海に大いなる希望を膨らませ、懸命にその役回りをこなしていた。だが、江戸へと向かうその航海の途中に大嵐が船を襲い、彼らは積荷を捨て帆柱を切り倒す事で何とか沈没を免れる。そして数日の漂流後、彼らはアメリカ船に救出され、見知らぬサンフランシスコへと連れて行かれるのである。彦蔵(のちに彦太郎から改名)達の「漂流生活」はこうして始まった。
当初彼らは、様々な方法によって帰国を試みた。清国経由での帰国や、アメリカ船に同乗しての上陸を試みる者もいたが、ある者は帰国の斡旋を持ちかけた清国商人に騙され、またある者はアメリカ船もろとも幕府軍の大砲で追い返された。そうやって彼らは、たとえ日本にたどり着いたとしても、鎖国という国禁を犯した「犯罪者」として罰せられる可能性が高い事を知る。故郷と家族を夢見ながらも、帰国すれば死罪さえ課されかねないという厳しい現実のもと、彼らには異国の地での生活に身を委ねるしか方法はなかった。そのなかでも彦蔵はアメリカで特に多くの友人を得て、豊富な知識を蓄え、ついにはアメリカに帰化してしまう。アメリカ人として日本を訪れれば、国禁を破った犯罪者として処罰される事も無いだろうという恩人の助言に基づく行動だった。アメリカ側の通訳としてその後日本への上陸を果たす彦蔵は、当初はその判断が正しかったと安堵するが、その後吹き荒れる「尊皇攘夷」の嵐のもと、多くの浪士が自分の命を狙っている事を知り、大いに動揺する。「日本人」でありながら外国公館に住み、洋服を着て優雅な暮らしをする彦蔵の姿は、攘夷派の者にとって格好の標的となったのである・・・
漂流した船乗りが攘夷浪士から命を狙われるという不条理さ。本作品のクライマックスはまさに此処にあり、そこに至る過程が大変ダイナミックに描かれている。ピアース・ブキャナン・リンカーンという3代のアメリカ合衆国大統領と面会し、南北戦争をその目で目撃した唯一の日本人である彦蔵は、稀有なる歴史の目撃者であり、様々な文献を基に彼の生き様を再現した本作品もまた、幕末の日本人観に新たな要素を加えた得がたい一冊である。▲2003.5.26/RT
「海の史劇」 吉村昭・作 新潮文庫 ★★★★
この物語はフィンランド湾の奥にあるロシア軍港に始まる。日露戦争を極東で戦うロシア海軍太平洋艦隊は、成長著しい日本海軍によって大いなる痛手を負わされた挙句、旅順港に押し込められ、その機能を失っていた。事態の打開を図るべく、ロシア皇帝ニコライ2世は「第二太平洋艦隊」を結成し、当時少将であったロジェストヴィンスキーを司令長官に任命したうえで極東への出撃を命じる。7ヶ月にも及ぶ航海で彼らは燃料である石炭の確保に辛酸を舐め、また北国育ちのロシア兵にとって、高温多湿の赤道を越える航海は想像を絶する苦痛を与えるものであった。さまざまなな苦労を経て、彼らは極東でついに日本軍と対峙する。その相手こそ、東郷平八郎率いる日本海軍「連合艦隊」。有名な日本海海戦の幕開けである。
日露戦争末期を題材にした戦争記録文学。「ロジェストヴィンスキー提督の出撃から日本到着までの航海」「二〇三高地の激戦で有名な旅順要塞攻略」「歴史上最も激しい海戦となった日本海海戦」「講和条約締結を巡る日露間の息詰まる駆け引き」「敗戦後のロシア司令官たちの運命とロシア革命への道」という、それぞれ単独でも十分骨太でドラマティックな5つの題材を、吉村氏の筆力は見事に融合させ、1つの壮大な歴史文学を作り上げた。その中でもクライマックスシーンである日本海海戦には多くの紙幅が割かれ、緻密な描写と圧倒的な緊張感を以ってその歴史的海戦が描かれている。陳腐な表現だが息をつく暇さえも読者に与えない。
無論、人を中心に描くという吉村氏の戦争記録文学の特徴は本作品でも如何なく発揮されている。そのなかでもロシア艦隊のロジェストヴィンスキー提督、日本海軍の東郷平八郎司令長官、そして講和交渉に臨む小村寿太郎全権代表の心の動きは、本作品の印象に非常に大きな影響を与えており、ただの戦記モノとの違いを引き立たせている。物語の最後に描かれている、ロシア帰国後落ちぶれていくロジェストヴィンスキー氏の姿は、戦時中の勇敢な姿と重なり合って特に印象深い。吉村氏の戦争文学の中で最も読みごたえのあった一冊。▲2003.4.27/RT
「三陸海岸大津波」 吉村昭・作 中公文庫 ★★
リアス式海岸で知られる三陸海岸は、古くから津波災害の多い地域である。リアス式海岸では沖合から陸地に向かうほど水深は急激に浅くなり、また湾の幅も細くなる。沖合で発生した津波は、リアス式海岸に到達すると物理の法則に従ってその高さを急激に上げ、海岸沿いに広がる集落を襲い、そして無残に壊滅させる。以前から一家全滅や村落全滅という悲劇もしばしば見られたらしい。
そういう大被害を幾度も受けているにもかかわらず、人々は依然として三陸海岸に生き続けた。地元への愛着も然ることながら、その沖合が豊かな海産物に恵まれている事もその一因だったらしい。本書は、そんな三陸海岸に生きる人々の姿と、歴史に残る幾度かの大津波の規模や被害状況を各種資料を基に検証するルポルタージュである。昭和45年発刊。
当初新書版で発行された事もあり、体裁は記録小説ではなく完全にルポルタージュとなっている。長老の証言や古い公文書、被災当時の小学生が書いた作文など、あらゆるソースを駆使して津波の規模(最大波高)を探るくだりは、吉村氏の調査に対する厳しい姿勢を垣間見ることが出来る。発刊から30年以上経った現在でも本作品の迫力が色褪せていないのは、流行に流されない吉村氏の堅実な筆致に寄るところが大きい。▲2003.4.4/RT
「遠い日の戦争」 吉村昭・作 新潮文庫 ★★★
ポツダム宣言受諾と共に迎えた終戦。この日から日本国民は戦争による死の危険を免れた。多くの餓死者が出るほどまでに悪化した食糧事情の中、これまで「鬼畜米英」と呼ばれてきたアメリカ軍に占領され、多くの人々は著しい戸惑いと疲弊状態に置かれたが、新聞に踊る「民主主義」の文字に新しい日本への希望を見出して生きていた。そんな中、終戦後にも関わらず忍び寄る生命の危険に怯えて暮らす人々がいた。旧軍に従事していた際に敵国捕虜を殺害したり殴打した旧軍人達であった。当時占領軍によって繰り広げられていた軍事裁判は熾烈を極め、上官の指示により捕虜を殴打したに過ぎない多くの兵士が絞首刑を執行されるなど、多くの旧軍人が日本軍に対する「制裁」として処刑されていた。
本作品の主人公・清原琢也は、徴兵された「非職業軍人」として空襲情報主任の任務に当たっていた。任地の福岡で大空襲を目の当たりにした彼は、一般市民を無差別に殺すアメリカ軍への怒りに身を震わせ、収容されていた米兵に対する斬首刑に自らの手を下した。殺された市民に代わっての復讐であったこの行動により、戦後彼は連合軍により身を追われる事となる。多くの友人・知人のつてを頼って逃亡生活を続ける琢也だったが、かつては常に尊敬の対象であった軍人が、戦後一転して「国民を危険に追いやった罪人」と非難されている事を知り、大いに戸惑う。匿ってもらう知人宅でも彼に対する視線は決して暖かくはなく、彼は各地を転々としながら肉体労働により辛うじて命を繋いでいく・・・
終戦に伴う価値観の転換によって最も辛い立場に置かれたのが、琢也たちの様な「戦争犯罪人」であったのだろう。かつては英雄的行為とされた事が終戦によって「犯罪」となる。尊敬を集めた旧軍人が「犯罪者」として追われの身となり、人々の目を避けて生きていく事を余儀なくされる。その反面、軍事裁判により宣告される判決は、日を追うにつれて軽くなっていく。かつて多くの兵士が絞首刑に処せられた行為も、次第に懲役刑で済むようになっていったのだ。国際情勢の変化に伴い、日本を西側諸国の一員として重用しようという政治的意思がその背景にあると人々は理解した。結局のところ何を信じれば良いのか。戦争の不条理さと言ってしまえばそれまでだが、余りにも矛盾に満ちた時代のうねりは、多くの人々の命を弄びながら全てを「戦後社会」へと押し流していったのだ。
連合国による軍事裁判に関する吉村氏の作品としては『プリズンの満月』(新潮文庫)が有名である。日本人が日本人を戦争犯罪者として収容するという、歴史的にも極めて稀な体験をした一人の刑務官・鶴岡をモデルとしたこの作品では、極東軍事裁判の矛盾を刑務官の立場から静かに告発したが、『遠い日の戦争』では一転「追われる側」の立場から「強者による一方的な裁判」とよばれる極東軍事裁判を描いている。両作品を読めばこの時代の雰囲気をステレオ的に理解出来るだろう。▲2003.3.16/RT
「碇星」 吉村昭・作 中公文庫 ★★★
多くの人は22歳になると会社勤めを始める。それは紛れもない人生の区切りの一つであるが、会社人生にピリオドを打つ「定年退職」は、多くの人にとってそれ以上の大きな節目であろう。1日24時間・1年365日全ての時間が自分の思い通りになるというのは、多くの人にとって、6歳になって小学校に行き始めて以来、実に半世紀ぶりの事である。小学生ですら「宿題」という縛りがあったのだ。定年後の自分には「やるべき宿題」も「受けるべきテスト」もない。半世紀ぶりに訪れた完全なる自由に、多くの人が戸惑うのも無理はないだろう。
『人生を静かに見つめ、生と死を慈しみをこめて描く八編』と帯にある。定年を迎えた男たちをモデルにした作品が5本、それに吉村氏の私小説とも言える作品が3本、合計8本の短編が収められた一冊である。吉村ファンにとって私小説ももちろん興味深いが、本書では「定年」をテーマにした残り5本がことさら印象深い。
その中でも最も印象に残ったのが『喫煙コーナー』である。定年後、仕事に代わる新たな生きがいを見出す事ができず、駅前スーパーの喫煙コーナーに毎日集っては暇を持て余す3人の男たち。妻にも先立たれ、有り余る時間をただ持てあます男たちにとって、いつしかこの「喫煙コーナー」は唯一の心の拠り所となるのだが、ある事件をきっかけに、彼らの絆は更に深まっていく。「この歳になって得がたい友を得たのを感じた」という最後のセリフが、主婦たちであふれる午後のスーパーの喫煙コーナーという状況設定と相俟って、都会で生きる事の孤独さ、そして定年を迎えた男たちの「生真面目な不器用さ」をしみじみと感じさせてくれる。
半世紀ぶりに手にする完全なる自由。人生最大の転機とも言える「定年退職」に翻弄される男たちを、まさに慈しみをもって描いた作品。会社員時代に趣味も作れず、人間らしい生活をしなかった方が悪い、などと彼らを冷たく批判する記事も時に目にするが、懸命に働いて今の日本を作り上げた彼らに対して投げかけるべき言葉は他にあるはずだ。「定年世代」を包み込むように描いたこれら作品を読んでいると、戦後の日本を各方面から描きつづけてきた吉村氏が、自分より20年ほど若い現在の「定年世代」の事を完全に知り尽くした上で、「ご苦労さま」と労っているように思えてくる。切なくも暖かい読後感の一冊である。▲2003.2.10/RT
「空白の戦記」 吉村昭・作 新潮文庫 ★★★★
戦時中には「戦史に残る大事件」と呼ばれる出来事が必ずある。戦局に重大な影響を及ぼした海戦や、著名司令官の戦死、戦略拠点の喪失など、戦争の流れの要所要所にそれら事件は配置され、「戦史」として後世に伝えられる。だが実際には、戦史に載らない膨大な数の事件・事故が戦争の流れの底に埋もれており、その多くは時の流れと当事者の死によって人々の記憶から失われていく。それを惜しむかのように、戦後、吉村昭氏は多くの戦争体験者への直接取材を通じて、戦時中の人間臭い事件・事故を多く発掘し続けた。それらを題材に、戦争が「一人の人間」にいかに陰を落としたかという切り口で多くの作品を世に送り出してきたのだ。本作品「空白の戦記」もその中の一つである。
短編6作を収録。海軍の英知を集結して建造された軍艦「夕霧」「初雪」が、台風の激浪によって共にその艦首部分をもぎ取られた事件を描く『艦首切断』、設計ミスにより演習中に転覆した戦艦「夕鶴」の顛末を扱った『顛覆』、戦艦武蔵の建造中に発生した機密図面紛失事件の容疑者として検挙され、満州に送られた少年のその後を追う『軍艦と少年』など、いずれも戦史には載らない秘められた事件・事故を、興味本位ではない誠実な筆致で描いている。
戦後60年を間近に控えた今日、戦争体験者への取材も日々困難になって来ており、吉村氏の取材手法で戦争を描く事は不可能に近付きつつある。だが21世紀の私たちも、氏の若かりし頃のこれら作品を通じて、戦争の等身大の姿に、そして氏の取材手法にこれからも触れて行く事ができるのだから嬉しい。昭和45年発表の作品。昭和55年の文庫化ののち現在22刷。これからも版を重ねて欲しい一冊である。▲2003.1.13/RT
「ふぉん・しいほるとの娘」 吉村昭・作 新潮文庫 ★★★★
かつて長崎は、海外に対して唯一開かれていた都市であった。有名な出島・オランダ商館には多くのオランダ人が居留し、西洋の文物と日本の海産品・絹などを取り扱う貿易を続けていた。彼らは狭い出島のみに滞在を許され、長崎の街に上陸する事すら叶わず、また日本人も遊女を除いては出島に足を踏み入れることを堅く禁じられていた。日本に西洋医学を伝えた第一人者として有名なシーボルトも、他のオランダ人と同様、出島を訪れる遊女と同衾を重ね、娯楽に乏しい出島での生活にせめてもの潤いを見出していた。そんな彼が深く愛したのは其扇という美しい遊女で、ついに彼女はシーボルトの子を身ごもる。お稲と名付けられたその子は、青い目をした混血児として、世間の好奇の視線を受けながら生きていく運命を背負って生を受けた。本作品はお稲の波乱に満ちた一生を通して、幕末から明治期にかけての激動の時代を描いた長編小説である。
シーボルトと言えば、地図などの禁制品を国外に持ち出そうとして発覚した「シーボルト事件」が有名である。医学の伝達を目的に、幕府から出島外への外出を特別に許されたシーボルトは、長崎から江戸にまで足を伸ばし、様々な学者と親交を深めながら、日本地図や江戸城の見取図、政治組織に関する資料など、国の安全に関わる種々の資料を密かに収集した。オランダ政府から日本の国情調査という密命を帯びていた彼は、帰国後の昇進を夢見て精力的に動き回ったが、帰国の途につく船が長崎港内で座礁したため、企みが発覚する。彼に禁制品を渡した多くの学者達が厳罰に処され、シーボルト自身も永久追放処分を受ける。偉大な医学者の娘として人々の尊敬をも集めていたお稲は、一転して犯罪者の娘として蔑まれる事となる。
普通の女性として生きる事に限界を感じたお稲は、父親と同じく医学の道を志すようになる。産科医を専門分野として選択したお稲は、長崎を離れて高名な西洋医学者に師事し、その知識と実力をめきめき高めるが、信じて師事していた学者に操を奪われ、望まぬ一子を産む。失望の底に突き落とされたお稲は、医学の道を放棄して長崎へと帰郷する・・・・ 激動の幕末期を舞台に、様々な人物の去就に翻弄されるお稲の一生。やがて訪れる明治の世になっても、彼女に平穏の時は訪れようとしない。数奇な人生、という在り来たりな言葉ではとても片付けられない。
文庫版で上下巻1300ページという大作ながら、時間を忘れて読みふけってしまう一冊。涙腺が緩んでしまう場面も多々あり、幕末物に興味がない人にも広く勧められる。吉村氏の他作品に登場する人物が多く登場し、本作品との間で「ニアミス」を起こしている事も、吉村ファンには非常に面白いだろう。
なおシーボルトの娘・お稲は、明治36年(1903年)に息を引き取った。それは日露戦争勃発の前年であり、先ごろ亡くなった双子姉妹「きんさんぎんさん」が5歳の時でもあった。▲2002.12.8/RT
「陸奥爆沈」 吉村昭・作 新潮文庫 ★★★
大和や武蔵など、敵軍との死闘の末に壮絶な最期を迎えた海軍戦艦は数多く知られている。だが本作品の題材となっている戦艦陸奥は、前線で激戦に晒される事なく、波静かな瀬戸内の海で突然爆発し、千人以上の将兵と共に海底へと沈んだ。海軍最主力艦の一つである陸奥の爆沈は当時海軍全体に大きな衝撃を与えたが、防諜上の必要性からその爆沈は「軍機扱い」とされたため、今日、この事故に関する記録の類は公式には殆ど残っていない。そういう悪条件の下、数少ない生存者からの綿密な聞き取り調査や、関係記録の洗い直しにより、吉村氏がこの事故の背景に鋭く切り込むドキュメンタリー小説。
当時、爆沈の原因として「敵潜水艦による攻撃」「搭載弾薬の自然発火」あるいは「何らかの人為的な要因」の3点が可能性として挙げられていた。海軍内に結成された査問委員会は、原因を「搭載弾薬の自然発火」に絞込み、科学的検証や生存者からの聞き取り調査を行なうが、どうしても決め手となる証拠が出てこない。内海である現場の地理的環境から、敵潜水艦から攻撃を受けた可能性は限りなく低く、残る可能性として「何らかの人為的な要因」すなわち失火ないし放火が疑われるようになる・・・・
新聞記事や公判記録など、現在に残る様々な資料を駆使して当時の隠された真実に切り込む手法は、見事の一言に尽きる。一時資料の重要さを何よりも大事にする吉村文学の真髄を再び見ることが出来た。最終的に彼は、失火や放火といった人為的な要因による火薬庫爆発が、陸奥以前にも海軍内で数多く発生し、時に戦艦の沈没をも引き起こしていた事を見出す。鉄壁の軍律を誇った海軍と言えども、結局は兵士一人ひとりの心までは制御出来ていなかったのだ。当然と言ってしまえばそれまでの事であるが、その「当然」の事実すら戦時中は隠蔽され、後世に残る公の記録からも抹消されていたのである。戦争を軍などの「機関」による行為としてではなく、その構成員たる人間一人ひとりの行為として捉える事で、初めて見えてくるものがある。「逃亡」などの他作品でも教えられたその事を、本書で再認識することが出来た。▲2002.11.3/RT
「間宮林蔵」 吉村昭・作 講談社文庫 ★★★
樺太とロシア本土との間にある細い海峡は「間宮海峡」と名づけられ、今日でも世界的な名称となっている。その海峡が江戸期に間宮林蔵によって発見された事はかなり有名であるが、彼自身の生き様はあまり知られておらず、またそれを知っている人々の間でも彼の評判はあまり良くないようだ。幕府隠密(スパイ)として各地諸藩の秘事を暴いた晩期の行動が、一種男らしさに欠けるものとして評価されているのが大きな原因であろう。そんな彼の人生を克明に描いた歴史小説。
かねてから蝦夷地に強い関心を抱いたいた林蔵は、未開だった土地を次々と踏破していくうちに、更なる秘境である樺太に惹きつけられて行く。樺太に赴く事は、当時の人々にとってまさしく「死」を意味する程の大冒険であり、林蔵から同行を持ちかけられたアイヌたちも悉くそれを断った。彼の熱心な説得に絆された勇敢なアイヌ数名が最終的に彼に同行したが、樺太北部で遭遇する見た事もない現地民や、東韃靼(現在の沿海州)に住む凶暴な民族に恐れをなし、最後は林蔵自らが彼らを発奮させて進まざるを得ない状況であった。しかしその探検の結果、陸続きとされていた樺太が島である事が国際的に認知され、林蔵の評価も高まった。
しかし人々の林蔵に対する尊敬の眼差しは長くは続かない。当時長崎に滞在していたシーボルトから私信を受け取った際、林蔵は「異人から贈り物を受け取るのは国禁に反する」として幕府に提出。その結果、私信の伝達を仲介した幕府天文方・高橋作左衛門とシーボルトの親しい関係が判明し、禁制品の授受容疑で作左衛門は逮捕され、その後獄死した。人望のあった作左衛門の死を人々は林蔵の密告によるものと捉え、彼は一転して白眼視の対象となった。
その後彼は各地を旅する老俳人を装った隠密として生き、独自の貿易を秘密裏に行なっていた各藩の実態を幕府に暴いた。樺太探検と間宮海峡発見という類稀なる功績にも関わらず、間宮林蔵に対する毀誉褒貶が揺れている原因はこの辺りにあると考えるのが妥当であろう。偉人になりきれなかった、ある意味で平凡な心を持つ男の生々しい姿がそこにある。▲2002.10.29/RT
「零式戦闘機」 吉村昭・作 新潮文庫 ★★★★
第二次大戦中、類稀なる戦闘性能で連合国軍を震撼させた「ゼロ・ファイター」こと零式戦闘機。三菱重工業名古屋航空機製作所で開発されたこの歴史的名機は、終戦間近まで日本軍の主力戦闘機として活躍し、各地で数々の戦績を上げた。明治以降、欧米の技術に着いて行くのがやっとだった航空後進国・日本にとって、零式戦闘機の開発は「世界を追い越す」革命的な出来事であり、その圧倒的な技術力は世界の航空界に大きな衝撃をもたらした。本書はこの零式戦闘機が若き技師たちによって開発され、実戦に供せられ、そして敗戦へと向かう約6年間を克明に記している。
本書で特に印象に残るのが「牛」の存在である。名古屋航空機製作所で完成された戦闘機は、滑走路のある各務原飛行場まで牛車に曳かれ、丸一日かけて運ばれるのだ。途中悪路を通過するため、自動車で運搬すると載せている戦闘機が傷つく恐れがあり、また歩みが速い「馬」は興奮しやすく、暴走した際に荷物を破損しまうため、速度は遅いが最も確実性がある牛車に白羽の矢が立ったのだ。ハイテクの粋を集めた零式戦闘機と「牛」の組み合わせは珍妙だが、戦時中の歪んだ近代化の好例であり、非常に印象深い。
急上昇性能や航続距離など、その卓越した性能により零式戦闘機は大いなる成果をもたらしたが、アメリカ軍による対ゼロ戦戦法の研究が次第に進み、その優位性は徐々に低くなっていった。特に、零式戦闘機の貧弱な防弾機能は攻撃のポイントとされ、複数の機によって徹底的な機銃掃射を浴びせられた零式戦闘機は、その多くが操縦士もろとも地に海に墜して行った。そのような逆境にありながらも、零式戦闘機の敏捷な動きは依然として敵軍に大いに恐れられ、日本軍もその増強を全力で進めたが、戦況悪化による工業力低下に伴い、新規生産台数は次第に落ち込んでいった。そして硫黄島陥落に続く本土爆撃は、当然ながら航空機工場をその標的の一つに据え、零式戦闘機の生産はついに停止する。そして程なくポツダム宣言が受諾され、日本は敗戦の時を迎えるのだ。
零式戦闘機開発に携わった技術陣の努力と苦労は、敗戦という事実の前に、最終的には報われなかったという考え方もあるだろう。ただ彼らの技術力は、現代でも専門家の間で高く評価されている程であり、彼らが航空技術史にもたらした貢献は、戦争という絶対悪を超越して、揺るぎないものとなっている。戦争という途方も無い暴力装置の下で、与えられた責務を誠実に果たそうとする技術者達にスポットライトを当て、戦争の空しさを間接的かつ静かに告発するこの作風は『戦艦武蔵』や『高熱隧道』に共通しており、七三一部隊を扱った『蚤と爆弾』にも類似性が見出せる。吉村文学の真骨頂を味わえる作品の一つである。▲2002.9.29/RT
「白い航跡」 吉村昭・作 講談社文庫 ★★★★
薩摩藩の若い藩医である高木兼寛は、戊辰戦争に藩医として参戦し、会津の地で傷ついた多くの者の手当てにあたった。漢方医学を学んだ兼寛は、刀による傷に対し膏薬を施し、繃帯を巻いて処置したが、次々と担ぎ込まれる銃創を負った者たちに対しては何ら処置を行えず、徒に死なせてしまっていた。そんな中で兼寛の目を引いたのは、外科手術の手法により体内の弾丸を次々と摘出していく蘭方医であった。新しい時代における西洋医学の重要性を感じ取った兼寛は、戦乱収束ののち鹿児島と東京でイギリス医学を学び、徐々に頭角を現していく。
明治維新下の日本では、様々な国が近代化のモデルとされたが、その過程では「モデルとすべき国」を巡る対立も生じ、医学界もその例外ではなかった。江戸期にモデルとされたオランダ医学に続き、維新政府はイギリス医学を日本医学のモデルに選び、イギリス人医師も招聘される。兼寛もイギリス人医師に師事し、臨床をベースとするイギリス医学を深く究めるが、医学界の大勢は次第にドイツ医学に傾倒するようになる。その後西洋医学の権威として確固たる地位を築いた兼寛は、海軍の軍医として指導的地位に就いたあともイギリス医学への支持を堅持するが、臨床より理論を重んずるドイツ医学を奉ずる陸軍や医学界との軋轢は深まるばかりであった。
その最も象徴的な例が「脚気」の原因と対策を巡る論争である。臨床での経験と実験により「白米偏重の食事」を原因とした兼寛に対して、「細菌による感染」説を採る陸軍・医学界主流派は、陸軍軍医・森林太郎(文壇名・森鴎外)を急先鋒として、兼寛に対し激しい攻撃を加えた。過酷な論争の中で孤立を深めていく年老いた兼寛。彼の胸に去来する思いが一世紀の時を経て読者の胸に響く・・・・。
主人公・高木兼寛の波乱に満ちた人生を緻密かつダイナミックに描いた大作。公私共に恵まれない彼の晩年の姿には大いに胸が痛むが、それが史実であるのだから仕方がないだろう。無理にドラマ仕立てにすることなく、事実を淡々と記す吉村氏の筆致は、こういう場合、下手なドラマ仕立てよりずっと胸に響く。
農芸化学者・鈴木梅太郎がオリザニン(ビタミン)を発見したのが明治44年、また、脚気の原因物質としてビタミンBが特定されたのが大正10年。いずれも高木兼寛がこの世を去って数十年経ってからの出来事である。「答え」を知っている我々にとって、兼寛を批判する陸軍と医学界は非常に不合理に映り、特に感情的な批判を繰り返す森鴎外の姿はかなり否定的な印象を抱かせる。現代の基準で「歴史」を裁くのは禁じ手ではあるが、「あとがき」で吉村氏も述べている通り、本作品を通じて作家・森鴎外の意外な一面を垣間見ることが出来る事も事実であろう。高木兼寛ひとりに留まらず、明治という時代のダイナミズムを大いに感じさせてくれる好作品。▲2002.9.3/RT
「プリズンの満月」 吉村昭・作 新潮文庫 ★★★
巣鴨プリズンといえば、第二次大戦後、連合国側によって戦犯として逮捕された日本人が収容された施設として知られている。東条英機など軍部首脳が東京裁判により絞首刑判決を受け、刑場の露と消えたのもここである。だがこの巣鴨プリズンが日本人刑務官により維持・運営されていた事はあまり知られていない。本作品は、日本人が日本人を戦争犯罪者として収容するという、歴史的にも極めて稀な体験をした一人の刑務官・鶴岡をモデルとしている。
GHQの意向により熊本刑務所から異動した鶴岡は、新たな勤務先が巣鴨プリズンである事を知り戸惑う。アメリカ人司令官の下、全国から集められた優秀な日本人刑務官がプリズンの運営にあたるという計画は、彼の予想を越えていた。配属された米国軍人と同じく、腰にカービン銃を装備して囚人達に接する鶴岡たち日本人刑務官に、収容されている囚人たちは冷たい視線を容赦なく浴びせ続ける。「日本人のくせにアメリカ人に協力するのか」「俺たちが逃げようとすればその銃で撃ち殺すのか」...。張り詰めた空気に鶴岡たちは消耗する。
そうして数年の時が流れ、講和条約締結によって日本が独立を取り戻すと、プリズンからアメリカ軍司令官は姿を消す。こうして巣鴨プリズンは日本人だけの刑務所となるが、講和条約の規定により、戦犯への処罰は継続する必要があった。いつ終わるとも知れぬ戦犯収容であったが、東西冷戦の伸張により、日本に対するアメリカの態度は軟化を見せ始め、戦犯収容に関しても有名無実化していく。
東京裁判の結果、東条英機など軍部首脳をはじめ、多くの将兵が処刑された。「平和に対する罪」や捕虜の虐待がその罪状であったが、それら裁判の法的有効性に関しては現在でも議論が紛糾している。東京裁判は、これら死刑囚だけでなく多くの懲役囚をも生み出したが、本書で描かれている通り、最後は政治的な理由で釈放されていった。講和後に形骸化していく巣鴨プリズンを見るにつけ、東京裁判とは何だったのか?と考えずにはいられない。ソ連による過酷なシベリア抑留も対比として頭によぎる。戦争の不条理さを静かに告発する好作品。▲2002.8.6/RT
「逃亡」 吉村昭・作 新潮文庫 ★★★★
海軍霞ヶ浦飛行隊所属の若い整備兵だった望月幸司郎がその男と出会ったのは、ふとした事がきっかけであった。女友達の実家に遊びに行った非番のある日曜日、上野駅で常磐線の終電に乗り遅れて途方に暮れていた望月はその男に声を掛けられ、彼の車で土浦まで送り届けてもらったのである。
朝の集合時間に遅れれば壮絶な体罰を加えられる。そんな恐怖から逃れることができた望月は、田中と名乗るその男に大いなる恩義を感じ、飛行隊が使う落下傘を一週間だけ貸して欲しいという彼の頼みを受け入れる。だがその後田中の要求はエスカレートし、暗号表の持ち出しまで迫るようになる。望月も戸惑うようになり、田中を疑い始めるが、そんな最中、些細な不手際から落下傘の持ち出しが発覚し、厳しい犯人探しが開始される。関与がばれれば軍法会議に掛けられ死刑になると田中に脅された望月は、その指図通り、事態の撹乱を図るべく収納庫に格納されていた軍用機を爆破する。発覚を恐れて部隊を脱出した望月の長い逃亡生活は、こうして始まった。
戦時下の日本に、過去を隠して生きる事ができる場所はそれほど多くはなかった。望月は北海道の「タコ部屋」に入り、彼と同じく人に言えない過去を持つ男たちとともに日々働いた。そして迎えた終戦。軍隊の消滅とともに果たして彼の罪は消えるのか。望月の心は揺れ動く。
この作品は、Uという謎の男から吉村昭氏に一本の電話がかかって来る所から始まる。事の顛末と望月氏の現在の連絡先を伝える謎の電話を基に、吉村氏が望月氏のもとを訪れ、長年秘められていた話を聞き出すのだ。都内近郊で八百屋を営む年老いた望月氏は、結局のところ田中の素性はわからず、また吉村氏に電話してきたUという男にも心当たりがないという。正史には決して出てこない戦争の闇の世界を垣間見ることができる作品。最後の2ページが特に秀逸で印象深い。▲2002.8.5/RT
「冷い夏、熱い夏」 吉村昭・作 新潮文庫
★★★★
肺を撮影したレントゲン写真に、白いピンポン球のような影が見つかった。肺がんの中でも特に悪質で、これまで術後一年以上の生存例が全く見られない種類の癌であった。勝算のない死闘に知らず身を投じた実弟に、吉村氏は病名を秘しつづけて向かい合った。壮絶な闘病生活の末、弟が不帰の客となるまでの一年弱を綴った吉村昭の私小説。
生まれながらに勘が鋭い弟は、僅かな手掛かりからでも自らの病名を知りかねない。そう考えた吉村氏は、弟に存在を知られている自らの日記にまで偽りの内容を記した。癌の告知は日本人には馴染まないと考える吉村氏は、弟の妻や周囲の親族、病院関係者にも緘口令を敷き、徹底的に病名を隠そうとする。秋が深まるにつれて癌の転移による痛みが増す弟に「寒くなると傷の痛みが増すものだ」と告げ、春になっても痛みが治まらない事を不審がる弟を「今年は異常気候だから」と励ます。一卵性双生児に喩えられるほど仲が良かった弟が日に日に痩せ衰えていく姿に、吉村氏は時に人知れず涙し、人の生死について思いを巡らせる。若かりし頃肺結核で死線を彷徨った自らの経験も思い描きながら。
弟の死期が迫ると、胸が張り裂ける思いをしながらも、兄としての義務感から葬儀屋との打ち合わせを密かに進める。良心の呵責に苛まれながらも自らの責任を果たそうとする吉村氏の姿に、強く胸を打たれる。そして訪れる最期の瞬間。弟の開いた瞼を指で閉じながら吉村氏は「もう、お前は生きていなくていいのだ。死んでいいのだ」と心に呟く。病に疲れた弟だけでなく、吉村氏や家族みんなの苦悩すべてがその瞬間解放され、追憶の世界へと旅立っていく。清冽なラストシーンがひときわ印象に残る作品である。▲2002.7.22/RT
「雪の花」 吉村昭・作 新潮文庫 ★★★
1796年、人類初の種痘がエドワード・ジェンナーによって行なわれた事は、広く知られている。当時天然痘は治療法もなく、その猛烈な感染力により多くの人々が命を落としていたのだが、彼の生み出した種痘は人々に天然痘に対する免疫を与え、患者は徐々にではあるが減っていった。この知らせは、遠く海を隔てた鎖国中の日本にも伝わった。
福井藩医・笠原良策は、天然痘のまえに次々と倒れていく人々を医師として救えない事に大いなる無力感を抱きつづけていた。そんな中、彼は長崎経由でもたらされた種痘成功の知らせを耳にする。種痘の基となる牛痘苗は国内では入手できないため、彼は海外からの輸入に奔走するが、鎖国日本においてそれは国法に反する行為とされる。そこで良策は役人に輸入許可を申請するが、種痘への無理解から申請は放置される。一年以上無為の日々を送ったのち、最後には福井藩上層部の助力を得て牛痘苗の入手には成功するが、福井の人々は種痘を怖がって誰も良策に近づこうとはしなかった。西洋医学に対する人々の不信と、漢方医による種痘への妨害の前で、良策の苦労は果てしなく続く・・・
種痘を受ければ死なずに済むのに、恐怖心から接種を受けずに死んでいく人々。種痘を「妖術」などと言いふらし、人々を新技術から遠ざけ、結果として死に近付ける当時の漢方医。新しい物に対する不信感は誰しも持っているが、この話を読んでいると「なんて人間は愚かなのか」とグッタリしてしまう。ただ、これほどまでに先取の気質に富み、気骨のある人物が当時の日本にいた事は嬉しい。現在の日本は良策のような人々の努力の積み重ねの上にあるのだ。▲2002.7.12/RT
「戦艦武蔵」 吉村昭・作 新潮文庫 ★★★
戦艦大和と並び、世界最大級の戦艦として知られた戦艦武蔵。「巨艦巨砲主義」の流れを汲む海軍との契約により、民間企業である三菱重工業長崎造船所が建造を進めていたこの艦は、昭和17年に完成し、日本の生命線と位置付けられた南方の戦地へと赴いて行った。これまでの常識が全く通用しないその巨大さと、軍部から極めて高度な機密保持が要求された事により、その建造にあたっては数々の隘路が待ち受けていた。
特に関係者を悩ませたのが「機密保持」である。山に囲まれたすり鉢状地形で知られる長崎市において、三菱造船所は「底」にあたる長崎港沿いに位置している。取り囲む山々には中腹まで人家が建ち並び、市民の誰もが国家機密=戦艦武蔵を目にする事が出来た。市民の目から武蔵を隠すため、技術者たちは船体を覆う巨大な簾を作り、また軍部は憲兵を用いて戦艦に目を向ける市民を容赦なく連行・処罰した。また造船所内で図面が紛失すれば、その場に居合わせた技師たちが問答無用で警察署に連行され、一ヶ月以上にわたり厳しい拷問を受けた。
多くの苦労の末完成し、海軍に引き渡された戦艦武蔵であったが、時すでに大戦後期。日本の制海・制空域は徐々に狭まり、米軍機による執拗な爆撃を受けることになる。無数の爆撃機による波状攻撃を前に、武蔵は搭載した巨砲の威力を発揮する事も出来ず、最後は多くの人命と共に海中に没するのであった。「巨艦巨砲主義」の時代は過ぎ去り、機動性に勝る航空機に戦争の主役は移っていたのだ。
前半が戦艦武蔵完成までの物語に、そして後半が実戦投入から壮絶な最期を迎えるまでのストーリーに充てられているが、それらのコントラストが非常に印象的である。「滅びる事のない国・日本」を託すべく技術陣が決死の覚悟で造り上げた「巨大不沈艦・武蔵」は、「巨艦巨砲主義」が時代遅れである事を自ら証明しながら海底へ没したのだ。
三菱重工が海軍に武蔵を引き渡す直前あたりから、日本軍の戦艦が敵爆撃機によって次々と撃沈させているというニュースが急に目立ち始めた。武蔵建造に心血を注いだ三菱・渡辺建造主任が、その報を前に静かにつぶやく台詞が忘れられない。「今後『大和』『武蔵』のような巨大な戦艦は、地球上には出現しないかも知れぬ」。 戦争の虚しさを静かに告発している作品。▲2002.7.10/RT
「冬の鷹」 吉村昭・作 新潮文庫 ★★★
杉田玄白が「解体新書」の翻訳によって西洋医学を日本に紹介し、わが国の医学に計り知れない貢献を果たした事は、歴史教科書でも述べられている通りである。ところが、実際のところ玄白にはオランダ語の素養が全く無く、翻訳自体は前野良沢という男が受け持った事はそれほど知られていない。
享保8年生まれの前野良沢は幼い頃に両親を亡くし、闊達な医者である伯父に育てられた。自らも医者になり、ついには中津藩医に任ぜられた良沢であったが、「人の顧みぬ事」に努力するようにとの伯父の教えが頭から離れず、結局、難解を極めながらも学術的重要性を増すオランダ語の研究へと向かっていく。杉田玄白と出会ったのはそんな矢先であった。
彼らは他の同志とともに「解体新書」の翻訳に取り掛かる。当時はまだ辞書も無く、長崎・出島で通訳を務める人々が書き記した僅かばかりの単語集があるだけであったが、それも日常会話で聞き取った単語をただ書き記したに過ぎず、医学書の翻訳には全く役立たずであった。だが、死刑囚の解剖に立ち会って「解体新書」の解剖図と照らし合わせたり、日常会話で出てくる「頭」「手」などの基本的単語を媒介にして翻訳はなんとか進み、1年半後に「解体新書」は完成した。
ところが良沢は翻訳者に名を連ねる事を拒む。オランダ語研究者である良沢の立場からは未完成レベルであるにも関わらず、玄白が「解体新書」の出版を焦ることから亀裂が生じたのだ。出版後「西洋医学の先達者」として確固たる地位を築いていく玄白に対し、翻訳者にも名を連ねず、頑なに孤独な研究に没頭する良沢は世間の注目も集めず、生活も徐々に貧しくなっていった。
玄白の「その後の華やかさ」と対比させる事により、吉村氏は、虚飾を排して学術に没頭する良沢の頑なさとその清貧ぶりを一層印象強く描いた。多くの門下生を受け入れ、西洋医学の伝播に労を多くした医学者=杉田玄白の功績は決して過小評価されるべきではないが、その一方で、翻訳作業という「解体新書」の根幹とも言える部分を担った良沢のその後の凋落ぶりを見ていると「この世の生きにくさ」というものをひしひしと感じてしまう。吉村氏が抱く良沢の生き様への感銘が行間に溢れ出ている作品。玄白に対して批判的な筆致になるのも致し方ないか。なんとも切ない読後感であるが、せめてもの救いは、私の手元にある現在の中学歴史教科書に前野良沢の名が杉田玄白と並んで紹介されている事であろうか。▲2002.7.9/RT
「赤い人」 吉村昭・作 講談社文庫 ★★★
明治14年の春、札幌から北東に約20キロ離れた人里離れた原野に、多くの屈強な囚人たちが送り込まれた。明治維新後の度重なる反乱事件により、各地の集治監(監獄)に収容される囚人が増え、収容人員が限界に達したため、屈強な囚人を送り込んで新たな監獄を作る決定がなされたのだ。
朱色の獄衣を身に纏った囚人たちは、木を切り倒し、根を掘り返しては土地を切り開き、最終的には自らが収容される事になる獄舎を建設していった。また同時に道を開き、広大な農地をも作り出していった。過酷な作業内容と厳しい自然、そして何よりも粗末な食事と不十分な収容施設により、囚人たちの消耗は激しく、病死するものや、脱獄を試みて斬殺される者が相次いだ。監獄完成後も、囚人たちは道路建設や石炭・硫黄鉱山での労働に駆り出され、膨大な人数の囚人が命を落とした。だが政府の方針は変わらなかった。「囚人たちは暴戻の悪徒であり、彼らを無報酬の労働に用いるのは懲罰としても国の経済面でも効果的であり、たとえ苦役に耐えず斃死したとしても、それは彼らを収容していくコストが節約できるだけである」という考え方に基づいて、多くの囚人たちが命を落としていったのだ。
実話に基づくこの小説で吉村氏は何を伝えたかったのだろうか。
確かにこの小説は囚人たちが置かれた過酷な境遇を鋭く告発し、彼らが果たした北海道開発への貢献を後世に伝えている。だがそれよりも、「破獄」でみられるような、囚われる側(囚人)と捕らえる側(典獄・看守、行刑制度全般)との間の緊張感に満ちた関係にこそ作品の主題が置かれているのだ。囚人が看守に向ける殺意に満ちた憎悪、そして看守が囚人から受ける恐怖は、作品の後半において徐々に高まり、脱獄囚が非番の看守を惨殺した事件で一挙に具現化する。看守たちは捕らえた脱獄囚を殺してはサーベルで鱠切りに切り刻み、シャベルに乗せて他の囚人達に晒す。とても人間の所業とは思えないが、ここに至るまでの神経をすり減らすような日々の描写が作品後半の基調となっている。(なお、本作品中には「破獄」と印象が重なる部分が何度か登場する)
一貫した主人公が設定されていないため、吉村氏の他作品と比べてドキュメンタリータッチがかなり濃い作品である。にも関わらず、囚人と看守との息詰まる関係をここまでリアルに書けるのは、吉村氏の筆力にしか成せない技である。▲2002.6.23/RT
「羆嵐(くまあらし)」 吉村昭・作 新潮文庫
★★★
明治期に至るまで、日本にも野生の狼が生息していた。山間の村に暮らす人々は、夕暮れから夜にかけては外出を控えるなど、狼に怯える生活を送っていた。その後時代が下ると、狼の姿は次第に見かけられなくなっていったが、現在に至ってもなお獣害を引き起こす野生動物に羆(ヒグマ)が挙げられる。この小説は、羆が6人を食い殺すという前代未聞の事件を題材にしている。
大正4年の冬、開拓が進む北海道手塩山麓の小さい村に、一頭の巨大なヒグマが出現した。体長2.7メートル、重さ380キロにのぼるその巨大なヒグマは、冬の出稼ぎで不在の男たちに代わって家を守る女や子供たちを次々と襲い、2日間で6名もの死者を出した。隣村の男たちや警察隊も駆けつけ、銃を手にヒグマ狩りを行うが、あまりに巨大で凶暴なヒグマの前では、誰も手を出せずにいた。
そこで白羽の矢が立ったのが、銀四郎という熊撃ち猟師であった。確かな腕を持つにも関わらず、彼は酒乱を極め、村人たちに暴力を振るったり金銭を要求したりしたため、人々から恐れられ、疎んじられていた。彼に協力を仰ぐ事を人々は強く拒んだが、村落のトップである区長の判断で、銀四郎に熊撃ちを依頼する事になる。老練な猟師と類希な巨大ヒグマとの静かな戦いは、そうして幕を開けるのである。
「苫前羆事件」という実話をベースにした小説。自然を「開拓」して山野に分け入った開拓団の人々の苦悩を、ヒグマや蝗害などの自然の脅威を通じて描いた好作品。今日「環境保護」というと、人間という「強者」が自然という「弱者」を守る事というイメージが強いが、そんなイメージの白々しさを実感させてくれる。▲2002.6.16/RT
「蚤と爆弾」 吉村昭・作 文春文庫 ★★★★
第二次大戦中、いわゆる七三一部隊の手によって満州で密かに行われていたとされる細菌戦研究は、81年に森村誠一氏によって発表された「悪魔の飽食」により一挙に世間の注目を集めた。細菌学の権威だった石井四郎・陸軍軍医中将が率いたこの部隊は、当時世界最高レベルだった技術力を基に、迫り来る米国・ソ連との最終決戦に向けて、ペスト菌やコレラ菌などを用いた細菌兵器の開発・製造に従事していた。本書は、石井四郎をモデルにした曾根二郎・陸軍軍医中将を主人公に、荒れ狂う戦争の渦の中で如何にして彼の部隊が生まれ、そして消えていったかを小説として描いている。
七三一部隊以前の曾根は、一軍医として確かな実績を重ねていた。特に、汚水から清水を作る濾過機を開発した事は、軍事作戦上の貢献も大きく、軍部から賞賛の限りを得た。だがそれでも、東大学閥が支配する陸軍において、京大卒の曾根は必ずしも恵まれた地位には就けなかった。東大卒の連中を見返してやりたい、という屈折した気持ちが、曾根を更なる研究に駆り立て、ついには細菌の兵器化という極秘プロジェクトに辿り着くのであった。
満州に開設された極秘研究施設では、細菌兵器の研究や、ソ連戦に備えるための喫緊の課題だった凍傷対策のため、多くの捕虜に対して人体実験を行なった。送り込まれてくる捕虜は、いずれにしても死刑を免れない者ばかりだった事もあり、曾根とそのスタッフ達は、日々淡々と実験を進めていった。医学の発展には犠牲が不可欠、という曾根の信念が確かにそこにあったが、その考え方は曾根だけのものではなく、例えば斬首された囚人の遺体を内地から見学に来る外科医団など、当時かなり一般的なものだったようだ。
森村氏の「悪魔の飽食」は、当初赤旗新聞にシリーズ掲載された事からも分かるように、「日本軍の悪を糾弾する」というタッチで書かれており、当然その視線は外から対象物(七三一部隊)に向けられていた。対してこの作品は、曾根という主人公を通じて、戦争を実際に進めてしまう人々の内面を描き出すことで、戦争の残酷さを内面から静かに告発している。執筆の視線は内から対象物に向けられており、この事が2つの作品の読後感に大きな違いを生じさせている。個人的には、吉村氏の手による本作品の方が胸に重く響き、戦争というものを深く考えさせてくれた。重厚感に富む優れた作品。▲2002.6.2/RT
「破獄」 吉村昭・作 新潮文庫 ★★★
戦中・戦後にかけ、脱獄を4回も成功させた囚人がいた。準強盗致死罪で無期懲役の刑に服していた佐久間清太郎である。
彼はその人並外れた体力と知能を活かし、厳しい警戒態勢にある刑務所を易々と脱出し続け、世間の関心を集めた。度重なる脱獄は行刑当局でも大きな問題となり、彼を収容する刑務所は特製の独居房や手錠・足錠を用意し、厳戒態勢で佐久間に臨むが、彼の前ではあらゆる努力が無駄に終わってしまう。
刑務所が鍛冶屋に作らせた特製手錠には、鍵がなかった。佐久間の手を中に通したあと、鍵代わりのボルトを通してその頭を金槌で潰してしまうのだ。外すには金鋸で手錠を壊すしかなく、それには一時間を要する。絶対に外せないと刑務所側は胸を張るが、果たして佐久間は手錠を外して脱獄してしまう。食事で出る味噌汁を使って、ボルトの部分を錆びさせて外してしまったのだ。
佐久間の度重なる脱獄に刑務所職員は頭を抱え、彼に対する処遇は徐々に厳しくなっていく。後ろ手錠を常時はめられ、犬のように口だけで食事を取る佐久間に、人間としての尊厳は失われていた。それでも彼は脱獄を繰り返す・・・・
「なぜ佐久間は脱獄するのか?」 ある刑務所幹部がこの問いに真摯に向き合ったとき、佐久間と刑務所との戦いは初めてその性質を変えるのだった。
ドラマのような話が続くが、なんとこの小説は実話を基にしている。登場人物は全て仮名だが、現実の日本に「佐久間」は実在したのだ。本作品は、彼が脱獄を繰り返す模様をベースに、急速に戦時色を強めていく法務行政や、刑務所の食糧難、そしてGHQによる戦後統治の実態など、多くの時代背景を盛り込んで展開される、得がたい記録小説である。▲2002.5.11/RT
「仮釈放」 吉村昭・作 新潮文庫 ★★★
千葉の田舎町で高校教師をしていた菊谷史郎は、愛する妻と仲良く暮らす平凡な男であった。ところがある日、自分の留守中に妻が知り合いの男と情事に耽っている所を目撃してしまう。裏切られた事に対する憎しみから、菊谷は妻を包丁で刺殺し、男に重傷を負わせ、かつ男の家に火を放って男の母を焼死させてしまう。無期懲役の判決を受け、真面目に刑に服してきた菊谷に、16年目になって仮釈放の機会が巡ってきた。
夢にまで見た社会での暮らし。だが16年の獄中暮らしは彼から社会への順応性を奪ってしまっていた。出所当初の彼は、駅やデパートで否応なく巻き込まれる人並みに戸惑い、物価の高騰に恐れをなし、人々の姿に恐怖心さえ抱いてしまう。自分を社会から隔離していた刑務所の壁は、実は自分を社会から守ってくれていたのではないか?と考えたりもする。
その後時とともに社会に溶け込んでいく菊谷であったが、自分が殺めた妻や「男」の母親に対して申し訳なく思う気持ちはどうしても芽生えて来なかった。裏切ったのは彼らであり、自分の行為は当然の帰結である・・・ そういう気持ちを抱きながら社会生活を送る自分自身に彼は違和感を隠し切れない。優しく接してくれる保護司や会社の同僚、そして彼の罪をすべて諒解した上で再婚してくれた女性。自らの罪を心から反省して第二の人生を送っているものと信じてくれている彼らに、菊谷は本当の気持ちを打ち明ける事ができない。心の闇の部分にパックリと開いたその傷口を、菊谷は密かに庇いながら生きて行くが、再婚した妻が彼への愛情として見せた行動は、その傷を広げるものばかりだった。ついに「傷」の痛みに耐えられなくなった菊谷の胸に去来するものは・・・・・
「かくも弱きか人間は!」と叫んでしまいそうになる。知性も社会的地位もあった菊谷が、一時の感情で人を殺め、出所後は塀の中の庇護を懐かしむ気持ちに苛まれ、かつ、自分の犯した殺人を客観的に捉えて反省する事も出来ない。出所仲間が改悛の情を見せていてもそれを信じない。人間の行為は罰せても心は罰する事が出来ない、という言葉が読後の頭に去来する。人間の心の闇を鋭く突く事に非常に長けた吉村氏らしい作品。なお本作品にモデルは存在せず、完全なフィクションとの事である。▲2002.4.22/RT
「星への旅」 吉村昭・作 新潮文庫
★★★★
今では記録文学の第一人者として名高い吉村昭だが、若かりし頃は異なった作風の小説も世に出していた。詩的でロマンティックでありながら、人間の生と死、孤独などを冷徹に見つめた彼の作品には、独特の陰翳がその隅々にまでみなぎっている。そんな時代に書かれた短編6本を収録した一冊。
表題作「星への旅」は、生きる事に意味を見出せない若者たちが、都会の中で互いに惹きつけられるように集まり、日々を無為に過ごしているうちに、遊び感覚での集団自殺へ向かっていく物語。若者たちの無気力さと生きる意思の希薄さ、そして死に対する漠然とした憧れは、病める若者たちの心理描写として、発表から35年の時を経た今なお色褪せていない。美しいラストシーンは、若者たちがこれまで心の内に抱いていた深い悲しみと孤独を、夏の終わりの花火のようにパッと美しく咲かせている。そしてその後には、秋の夜の深い闇にも似た、限りない静寂と死の世界が訪れるのだ。
「少女架刑」は、病を得て急死した少女が、僅かなカネと引き換えに大学病院に引き渡されて解剖されていく様を「少女」の視点から綴っている。臓器や骨格を少しずつ剥ぎ取られ、医学生の解剖実習のメスを何度も受ける彼女は静かにこう呟く 「私の体の役目は、まだ終わらないのか・・・」。 若くして死んだ少女のこの諦観に満ちた台詞が心に残る。
これら作品を上梓した後、吉村氏は記録文学の世界を作り上げていく。徹底的な事前取材や、ドラマ仕立てを排した事実に基づく冷静な筆致は多くのファンを集め、多くの賞を獲得するが、氏の原点とも言える本書にも、人間を見つめる冷徹な目が既に十二分に発揮されている。吉村文学の原点に触れられる作品であり、ファンは必読。▲2002.4.21/RT
「高熱隧道」 吉村昭・作 新潮社 ★★★
日本が戦争への道を着々と歩んできた昭和11年、一つの大工事が富山・黒部峡谷で開始された。阪神地区の工業生産を支える電力を産出する、黒部第3発電所である。軍事力増強が喫緊の課題となっていた当時、この発電所建設は単なる電源事業の枠を越えた、国家的・軍事的性質を色濃く帯びたものであり、中央官僚や軍部からも幅広い注目を集めていた。
発電所工事において重要なのは、上流で取り込んだ水を、発電機がある下流まで導くトンネル工事である。自然の標高差を利用して建設されたトンネル内で水を勢いよく落下させ、発電機のタービンを回すのである。山岳部の固い岩盤を穿ってトンネルを建設するのは、当時の技術力をしてもそれほど困難な事ではないとされるが、黒部第3発電所の場合は事情が違った。温泉を擁する高温帯を貫かないとならないのだ。
岩盤の最高温度は摂氏165度。切羽付近の気温は70度近くに達し、削岩機を用いて掘削にあたる作業員は、背後から放水を受けながらも火傷を免れない。たまった水は腰の高さにまで達し、それの温度も40度を超えていく。気温70度のなか、熱い風呂につかりながら作業を進めるようなもので、彼らの消耗ははげしい。高熱による発破用ダイナマイトの誘爆も頻発し、大量の死者を出すに至った。また危険なのは坑内だけでなく、外に設けられた宿舎も、大規模な雪崩によって壊滅的な被害を受け、工事全体では300人以上の死者を出した。まさに「火攻め水攻め」である。
大量の死者を出した事に、現場の技術陣は大いなる自責の念に駆られる。自殺者すら発生する。死の恐怖に怯えながらも従順に作業をこなす作業員との間に、心の隙間が広がっていく。しかし風雲急を告げる時代背景は、工事の中断を許さない・・。
工事を指揮する技術陣を中心に、稀代の難工事を克明に綴る良質な記録文学。被害がさらに拡大するにつれて、幹部の誰もが次第に責任を回避するようになり、それを「時代」に押し付けていく姿を吉村氏は冷徹に描いている。そう、時代が悪いのだ・・・。そうやって責任の所在が不明確となり、もう誰も止められなくなる。戦前・戦後を通じて幾度となく繰り返されてきたこのパターンは、「失われた10年」にも通ずる。日本人のこの行動パターンはもう変えられないのか。諦観さえ覚えてしまう。▲2002.4.8/RT
「漂流」 吉村昭・作 新潮社
★★★★
土佐の小さな港町に住む水主・長平は、ある日、わずか8里先の隣町へ米を届ける帆船での航海に出発した。勝手知ったる航海で、すぐに任務を果たして町へ戻るつもりだったが、急な暴風と激浪により、操船設備に損傷を受け、遥か遠くへ流されてしまう。黒潮に乗った船が辿り着いたのは、水も植物も満足に得られない絶海の無人島、現在の伊豆諸島・鳥島であった。長平の12年にわたる漂流生活は、天明5年の1月、こうして始まったのだ。
火山島である鳥島には、川や池など自然の水源は全く存在せず、長平と、一緒に流れ着いた2人の仲間は、雨水を容器に貯めて淡水を確保した。またこの島はアオウドリの越冬地であるため、彼らは来る日も来る日も鳥を捕獲して食べ続けた。植物も育たないこの島で他に目ぼしい食糧は無いのだ。ところが、渡り鳥であるアホウドリは、春が訪れると鳥島を飛び立つ。アホウドリが間もなく姿を消す事を春先に察知した長平は、急いで鳥の干し肉をつくり、暖侯期に備えた。長平の機転により彼らは餓死からは救われたが、鳥肉ばかりの単調な食事により、次第に体調を崩す者も出て、ついに仲間が命を落とした。最終的に一人になった長平は、孤独に耐えながらも故郷に戻る日を信じて生き続けるが、鳥島を訪れるのはアホウドリと、もはや航行能力を失った船にしがみつく遭難者ばかりだった・・・・
壮絶としか言い様の無い12年間である。脱出する僅かな手がかりを掴んでは漂流者全員が狂喜し、それが失敗すると絶望感に苛まれる。彼らの壮絶な一喜一憂が読者にまで伝わってくる。生きる意欲を無くした漂流仲間が命を落としていくなかで、残された仲間を勇気付ける長平の強靭な精神力もすごい。読者を漂流生活の精神状態にグイグイと引き寄せる吉村昭の筆力はさすがである。12年後に帰還した後のストーリーも、無理に劇的にせず、あっさりしていて好感が持てる。▲2002.3.30/RT
「落日の宴」 吉村昭・作 講談社文庫 ★★★★
江戸末期、諸外国の軍艦が日本の開国を求めて次々と渡来する中で、勘定奉行・川路聖謨は、強国・ロシアとの外交交渉に辣腕を振るっていた。常に国益を考え、武力による恫喝にも怯まず、時に冷静沈着に、また時には故意に激情を露にしながら交渉を進める彼の姿に、時の幕府中枢は大いなる信頼を置いた。本作品は、彼が生前綴っていた日記を基に作られた歴史小説。
質素を旨とし、また交渉の場でも誠実さを忘れなかった川路は、交渉上の敵であったロシア使節にさえ密かな敬意を抱かさせていた事が、ロシア側の文献で明らかになっている。幕府内で次々と人望を集め、出世を続ける川路であったが、その後吹き荒れる尊皇攘夷の嵐と幕末の政変の中で、左遷の憂き目に遭ってしまう。そういう境遇にあっても動揺する事無く、質素で落ち着いた生活を続けながら、幕府に再び仕える時が来るのをじっと待ち続けた聖謨であったが、だからこそ、幕府の威厳と人心が急速に失われていく江戸最末期を見守り続けることは、筆舌に尽くしがたい悲しみであったに違いない。
外交というものの真髄に触れる事ができる一冊。国を背負ってロシア使節に立ち向かう交渉での息苦しいまでの緊張感、その重責を担う川路の誠実さと慎ましさ、そして幕末の激動する政治などが、実に生き生きと描かれている。閉塞感が支配する今の社会、こういう生き方にはなかなか触れられない。▲2002.3.23/RT
「関東大震災」 吉村昭・著 文春文庫 ★★★★
大正12年9月1日午前11時58分、関東南部を直下型大地震が襲った。激しい揺れによる建物の倒壊や、直後に発生した大火災により、約20万の命が失われた事は、「9月1日防災の日」の授業などで今日に言い伝えられている。本書は、多くの文献や生存者への聞き取り調査などを元に書かれた、関東大震災の秀逸なドキュメンタリーである。
地震発生直後に様々な流言飛語が飛び交った事、そしてそれにより最大の被害を受けたのが在日朝鮮人であった事は、歴史教科書で触れられている通りである。横浜の一部地域で突如発生したこの「デマ」が、恐るべき勢いで都内および関東一円に伝わって行った様子や、各地で繰り広げられた惨劇、そして、当初は「デマ」の沈静化を図ろうとしていた警察までも、次第にこの「デマ」を信じるようになっていった様子が克明に記されている。その他にも、被災地全域を覆い尽くしていた膨大な数の遺体の処理に行政が頭を悩まされる様子や、各地で悪化する衛生事情、復旧が遅れる鉄道網、そして、海外から寄せられる救援の手など、現代にはあまり伝わって来ない当時の情景と苦悩をリアルに疑似体験させてくれる。
地震で潰れた家屋の下敷きになるだけでなく、逃げ惑う群集に押し潰されて圧死したり、火災の熱さから逃れるべく飛び込んだ池で溺れたりと、その日の東京ではありとあらゆる地獄絵図が繰り広げられた。多くの生々しい描写には戦慄すら覚えたが、執筆の時点で50年前の出来事であった関東大震災を、ここまでリアルに書く氏の筆力には脱帽である。近年マンネリ化が目立つ「防災の日」には、出来るだけ多くの人にこの一冊を読んで欲しいものだ。▲2002.3.11/RT