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 小説(歴史小説・文芸一般)

●吉村昭の作品は移転しました●

★★★★は私の「満足度」です。

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小説(歴史小説・文芸一般) 現在22作品
書名 著作者
商社審査部25時 高任和夫
銀の匙 中勘助
トキオ 東野圭吾
ノモンハンの夏 半藤一利
不撓不屈 高杉良
君たちはどう生きるか 吉野源三郎
官邸 成田憲彦
中陰の花 玄侑宗久
銀行恐喝 清水一行
赤虫島日誌 石川達三
豆腐屋の四季 松下竜一
症例A 多島斗志之
日本国債(上/下) 幸田真音
呪縛 金融腐敗列島V 高杉良
八甲田山死の彷徨 新田次郎
一瞬の光 白石一文
ボーダーライン 真保裕一
奇跡の人 真保裕一
金融腐蝕列島 高杉良
違法弁護 中嶋博行
巨泉 人生の選択 大橋巨泉
ひよこの脳みそ・言葉の辞典 古嶋美加

 


商社審査部25時 高任和夫・作 講談社文庫 ★★★

大学で法律を修めたこともあり、企業における法務部や審査部という存在に私は少しも違和感がなく、むしろその重要性を熟知しているつもりなのだが、世間での受け取られ方は少々違うようである。ビジネスの実態に合わない意見を杓子定規に押しつけてきたり、営業担当者が相手方との阿吽の呼吸で済ませていた合意内容を書面化するように求められたりと、前線の営業マンだけでなく、管理職層からも煙たがられることが多い。企業を守り、利益を最大化するためのリーガルアクションは、営業行為に決して劣らないくらい重要なのだが、目先の面倒くささに囚われてネガティブな目でしか見られない法務マンが多い事には、以前から心を痛めてきた。そんな私と同じ問題意識から筆を執ったとしか思えない小説が、この「商社審査部25時」である。

作者の高任氏は、大手商社の審査部門に在籍していた法務マンであり、本作品は現役当時に発表された。彼ら審査部の男たちは、信用調査機関から日々入電する情報や、独自に張り巡らされた情報網から、自社取引先に関連する情報をピックアップし、信用不安ありと判断されれば債権確保や焦げ付き防止に奔走するのだが、この物語も、大手商社審査部に勤める主人公・千草が、取引先である広島県・呉の造船会社に関する信用情報を入手し、その事実確認に走りだす所から始まる。表面的情報ではなかなか見えてこない真相を、千草は様々な情報源や鋭い考察で暴き、法律上の技術を最大限活用して債権の焦げ付きを防ぐ。そうしている間にも、別の信用不安案件が発生し、千草はその対応にも忙殺されのだが、それら複数の案件を鳥瞰し組み合わせて考えると、意外な解決策が生まれてくる。

「クリエイティブ・クレジット」という単語が何回も出てくる。信用管理を後追いの問題解決のみとして位置付けるのではなく、集めた信用情報をビジネス拡大の方向で前向きに検討し、リスクをヘッジした上で新規ビジネスの創出につなげようという「攻め」の姿勢である。これを世に知らしめるために高任氏はこの小説を書いたな、と私は読んでいるが、企業法務の課題はこの一言に集約されると思う。営業部門のエラーを責める「警察官」ではなく、ビジネス拡大のために進むべき道を指し示す「アドバイザー」になれるか。私は法務部門に大いに期待している。

法律の裏をかく派手な「大ドンデン返し」は無いが、現実の企業法務のダイナミズムは十分に伝わると思う。サラリーマンだけでなく法学部の学生にも是非読んで欲しい一冊である。▲2009.11.17

 

銀の匙」 中勘助・作 岩波文庫 ★★★★

奇跡のような作品である。子供の頃の記憶を大人になってから辿って纏めた自伝風作品は多いが、それらはどこかに大人の視点が感じられ、一種のフィルターとして心理描写をぼかしている。なのに本作品にはそういう部分が微塵も存在しない。子供の頃、日々経験していた普段の生活の中で、何に喜び、何に悲しみ、そして何にやるせなさを感じていたかをそのまま描き出している。

舞台は明治半ばの東京下町。幼い頃から身体が弱かった「私」は、病弱な母に代わり伯母の手で育てられた。苦労人であるにも関わらずひょうきんな伯母は、「私」を我が子のように可愛がり、仏壇のある暗い三畳間で遊ぶ「私」に玩具を与えてくれたり、虚弱な「私」を鍛える意味でか、時には四王天但馬守と加藤清正の立会いを真似て廊下で取っ組み合いをしたりと、「私」にとってかけがえのない存在であった。そうやって時は流れ、学校に通い出すと「私」の世界は次第に広がり、近所の女の子との初恋や、友達との諍いなどを経験し、「私」は徐々に思春期に入っていく。

物語は、17歳になった「私」が、故郷に戻った伯母と再会を果たして程なく終わる。かつて四王天清正ごっこをした伯母の老い衰えた姿を見て「もう見納めか」と感じた時、「私」の少年期は終わりを迎える。子供の頃の気持ちをここまで透明に表現し、読者に追体験させてくれる作品に出会った事はない。表現も隅々に至るまで非常に美しく、当時夏目漱石が絶賛したというのも納得できる。

加えて特記すべき点は、明治中期の市井の生活を極めて緻密に描写している事である。駄菓子屋の箱を開けると「きんか糖、きんぎょく糖、てんもん糖、みじん棒」があり、夜店に行けば「海ほおずき、朝鮮ほおずき、天狗ほおずき、薙刀ほおずき」や、婆さんが開いている「葡萄餅」屋がある。あらゆる意味で奇跡のような作品であり、ずっと読み続けていきたい。▲2009.8.15

 

トキオ」 東野圭吾・作 講談社 ★★★★

遺伝性の難病のために17歳にしてこの世を去った宮本時生は、時空の壁を越え、22歳だった頃の父・拓実に会いに行った。定職にも就かずブラブラし、賭け事と喧嘩に明け暮れていた拓実の前に時生は突如現れ、真っ当な人生を歩むよう「あの手この手」で拓実の軌道修正を図るが、拓実の放蕩癖は容易には直らない。そうこうしているうちに、彼らは拓実の女友達がもたらしたトラブルに巻き込まれ、ヤクザに脅される身となってしまう。「父」を真っ当な道に戻そうとする時生と、そんな事にはお構いなしで我が道を進む拓実。時を超えた「親子」の触れ合いは、拓実を「時生の誕生」へ向かって歩ませ始める・・・・。

「タイムマシン・パラドックス」という言葉が本文中で用いられている。タイムマシンで過去へ行ったとして、そこで何かを変えれば、タイムマシンで過去へ行ったという「事実」が消滅しうるという話である。過去へ戻って自分の親を殺してしまった場合、そもそも「自分」は生まれて来ない事になるので、ここに大いなる矛盾が生じるというのが最も分かりやすい例であろう。時生もこの「タイムマシン・パラドックス」に悩まされながらも、矛盾を生じない方法で拓実と触れ合い続ける。本作品での大きな関心事は『放蕩癖が抜けない拓実を、どうやって時生の「母」と出会わせるのか』という点であるが、それが明らかになるのは物語の最終章。大変感動的なストーリー展開が用意されているので乞うご期待。

最終章は本当に感動した。特に最後の一行は、そこだけ何度読み返しても涙が出るほどである。こんなに清々しい感動を受けた作品はあまり記憶にない。もうすぐNHKの23時枠でドラマ化されるらしいので、これも楽しみに見たいと思う。▲2004.8.19/RT

 

ノモンハンの夏半藤一利・著 文春文庫 ★★★★

昭和14年夏、北満州のはずれにある小さな草原「ノモンハン」を舞台に、関東軍とソ連軍との間で激しい戦闘が繰り広げられた。世に知られる「ノモンハン事件」である。日本の勢力下にあった満州国と、ソ連の衛星国と化していたモンゴル人民共和国が国境を接するこの地方では、明確な国境線が定められていなかったため常々散発的な武力紛争が発生していたが、それがある日、血みどろの大規模な戦闘に発展してしまったのである。国家間の全面戦争にならなかったため「戦争」とは呼ばれず「ノモンハン『事件』」とされているが、その実態は戦争以外の何ものでもなかった。日本側の死者は約17000人、対してソ連側の死者約6800人。双方合わせて2万人以上の死者を出したという事実だけでも十分に痛ましいが、それ以上に「ノモンハン事件」を痛々しく感じさせるのは、この戦いが東京の陸軍参謀本部と関東軍上層部の内紛の結果として発生した側面が濃厚だからである。本書は、そのノモンハン事件に至るまでの経緯や戦闘の状況を詳しく描いた記録小説でである。

ノモンハン付近で小規模な戦いが発生した際、陸軍参謀本部は戦いを収束させるように指示を出した。欧州を中心に緊迫する国際情勢の下、ソ連と全面戦争になった場合のリスクが日本にとって余りにも大き過ぎると判断されたからである。しかし関東軍はこの指示を完全に無視し、ソ連側領地への爆撃などによって全面的な戦闘の端緒を開いてしまう。日露戦争の勝利体験から関東軍は「ソ連軍恐るに足りず」と考え、積極的な攻撃によって相手方の戦意を削ごうとしたのである。しかし実際のところ、ソ連軍は屈強な軍隊に成長していた。彼らは日露戦争での負け戦を細かく研究することで日本軍の弱点を炙り出しており、圧倒的な火力と物資、兵員によって関東軍を圧倒した。それに対峙する関東軍の装備は日露戦争の頃と大して変わっておらず、日露戦争の研究も進んでいない。参謀の間には精神論が蔓延し、合理的根拠を欠く「強気一辺倒」で戦闘指揮に当たっていたのである。稚拙を極めた戦闘指揮の代償は、およそ17000の将兵の命という形で現場が支払う事になる。

多くの資料や戦記、さらには当事者たちが戦後に発表した回想録を基に書かれているため、かなり生々しく当時を再現している。また欧州で虚々実々の駆け引きを繰り広げるスターリンとヒトラーの動きについてもかなりの紙幅を割いて描かれており、その動きが日本、更にはノモンハンの草原に及ぼす影響を、異なった視点から検証する事も出来で興味深い。

多くの市民と将兵の命を預かる身であるはずの関東軍参謀たちは、合理的・科学的な状況判断を採用することなく、自分たちの感情論のみでソ連と対峙し、その結果多くの将兵を死に追いやった。北満州の草原地帯で命を落とした兵士たちに思いを致すと、エリート参謀たちに対する憤りと怒りがひしひしと沸いて来るが、その思いは作者・半藤氏も同じらしく、執筆中に抑えきれなかったらしい激しい怒りと憤りが作品の所々でストレートに表現されている。痛ましくて憤る内容が続くだけに、これら心情の吐露は読み手にとって若干なりとも溜飲を下ろすものとなり、作品の印象を形成する大きな要素となっている。長く記憶に留めておきたい、いや、留まるであろう一冊である。▲2003.9.21/RT

 

不撓不屈高杉良・作 新潮社 ★★★★

「賞与引当金」というのをご存知だろうか。ある会計期において、次期に支払われる賞与を事前に見積って損金算入出来るというもので、「予定される多額の支出に対し時間をかけて備える」という引当金一般の性質を備えた税法上の制度である。言うまでもないが、損金処理される額が増えると課税額は減少するため、会計期毎に見るとこの制度は「節税」の役割を果たす。「賞与引当金」が法制化されたのは昭和40年であるが、その誕生の背景には「引当金」の節税機能を巡る、国税庁と一人の税理士の熱き戦いがあった。

栃木県内で会計事務所を営む税理士・飯塚毅は、「関与先」と呼ばれる契約先企業に対し、ある期に出すぎた利益を別段賞与(将来支払う予定の特別賞与)と取り扱う事で損金処理した上で、実際の支払いを留保して次期も同じ手順を繰り返す事で節税を図る手法を紹介した。賞与引当金制度がなかった当時、この手法は法律の想定外であり、少なくとも違法行為ではなかったのだが、国税当局は損金算入を否認し、追徴の更正処分を行なう。これに反発した飯塚は国税庁相手に税務訴訟を提起するが、一税理士が国税庁に楯突く事に官僚たちは反発し、陰湿な飯塚潰しが画策される。飯塚の顧客(関与先)に対する過酷な税務調査や、稀薄な容疑事実による社員の逮捕、さらには飯塚への「兵糧攻め」を狙った顧客の切り崩し工作など、権力にものを言わせたあらゆる策略が繰り広げられる。徐々に追い詰められる飯塚だが、決して諦めず、新たな仲間を得ながら権力との戦いを続けていく・・・・。「飯塚事件」として知られる実話を題材にした経済小説。

組織への批判を、自らへの個人攻撃と勘違いして感情的になる高級官僚たち。政府組織を自己の化身と考える思い上がったその姿が、本作品で上手く描かれている。若い頃から理論派で知られた飯塚にとって、彼ら官僚たちはいわば最も戦いにくい相手であり、戦いの過程で飯塚が味わう「歯がゆさ」が作中の随所に表れている。クライマックスとも言える渡辺美智雄氏による国会での論戦シーンは、ミッチー独特の存在感とリズム感も相俟って作品の印象を一段と深くしており、非常に好感が持てた。他にも本作品には個性が強い登場人物が多いが、そのなかで唯一、飯塚の老師・植木義雄の存在が、要所要所で作品を静かに引き締める役割を果たしている。高杉氏の作品でよく見られるこの手法が、本作品でも有効に活かされていると言えよう。

飯塚の戦いの結果、「賞与引当金」制度が昭和40年に法制化された。彼の戦いは最終的に法律に条文を追加させたのである。それから40年近い月日が経った今日、税制改革の議論が進む中で、賞与引当金制度は他の引当金制度と並んで廃止対象とされた。飯塚事件で生まれた「賞与引当金」制度は、来年(2003年)3月末で廃止移行期間が満了し、完全に姿を消す(今後は必要に応じて「未払計上」で損金処理する事になる)。本作品の初出は2001年であるが、単行本化が「廃止間際」のこの時期になされるというのは、なんとも印象深い。▲2002.10.5/RT

 

君たちはどう生きるか 吉野源三郎・作 岩波文庫 ★★★★

都内山の手に暮らす中学生「コペル君」こと本田潤一少年は、銀行役員だった父親が亡くなった後も、やさしい母親と一緒に不自由ない豊かな生活を送っている。彼は、近所に住む大学を出たばかりの叔父と特に仲がよく、以前から一緒に話したり、キャッチボールで遊んだりしていた。そんな日々が続くうち、コペル君は身近に起こる様々な何気ない出来事を通して、ふと不思議な気持ちになったり、不安に苛まれたりするようになる。そう、子どもだったコペル君も、大人へ向けて精神的な成長を始めたのだ。様々な「気づき」と、叔父さんのアドバイスを通して、コペル君が子どもから大人へ少しずつ成長する姿をやさしく描いているのが、この作品である。

ある日コペル君は、オーストラリア産粉ミルクの缶を見ていてある事に気づいた。この粉ミルクがコペル君の手元に来るまでに、一体何人の人々が汗を流し、努力したのだろうかと。誰かがオーストラリアで牛の世話をし、乳を搾り、それを工場に運ぶ。粉ミルクにして缶に入れ、それを汽車や船で日本へ運搬する。日本に着いた後も、倉庫屋や問屋、小売商に小僧など、コペル君が手にする粉ミルク缶には多くの人々の努力が計り知れないほど詰まっているのだ。目が覚めるようなこの気づきにコペル君は「人間分子は、みんな、見たことも会ったこともない大勢の人と、知らないうちに、網のようにつながっている」と考え、これを「人間分子の関係、網目の法則」と呼んだ。このことに気がついたコペル君は、子どもだった以前のコペル君とはもう違う。こうやって、コペル君は少しずつ成長を続けるのだ。

1937年発刊の、言わずと知れた超ロングセラーである。手元にある岩波文庫版は、82年初版で現在48刷り。本書が70年近くの時を越えて人々に愛され続けているのは、コペル君の「気づき」の自然さと、彼に向き合う叔父さんのやさしくも真摯で、かつ説教臭くない姿にその理由を求めることが出来るだろう。多感な青春期に誰しも経験するさまざまな「気づき」を通して、私たちは子どもの頃には見えてこなかった世界に少しずつ飛び込んでいく。読んでいて身に覚えがある内容も多く、懐かしくもほろ苦い記憶を多く思い起こした。なんと穏やかな読後感であろうか。これからも永遠に読み継がれる作品であろう。(なお巻末には、丸山真男が吉野氏死去に際して寄せた追悼文が解説に代わって収録されているが、これも非常に読み応えがありおすすめである) ▲2002.10.1/RT

 

官邸成田憲彦・作 講談社 ★★★★

細川連立内閣を政策秘書として支えた作者が、自らの経験を基に書き起こした政治小説。日本新党ブームから10年が経とうとする今、面白い本が出てきた。

55年体制と呼ばれた民自党長期政権が、度重なるスキャンダルと造反組の出現によって劇的な終焉を迎えた93年、宗像連立内閣が颯爽と世に現れた。地方の県知事出身で、日本を代表する名門の出でもあるこの宗像総理を支えたのが、学者出身の政策秘書・風見透である。

戦後の半世紀に渡って権力を欲しいままにしてきた民自党だったが、野党の立場になった途端、これまで引きも切らなかった陳情団の姿が途絶え、役人の足も遠のき始めた。この状態に限りない屈辱を感じた民自党議員たちは、あらゆる方法を用いて宗像内閣の政策遂行に妨害を加える。また連立与党内部でも、政党間の基本政策の違いから常に足並みが揃うとも限らず、宗像首相の政権運営は困難を極めた。政治改革を旗印とする宗像首相に対する国民の幅広い支持だけが「追い風」であると言っても過言ではない。

そんな中で当然の様に繰り広げられるのが、数々の権謀術数である。竹下登・小沢一郎などをモデルにしたと思われる大物政治家が暗躍する中で、懐柔や裏切り、時に恫喝や情報のリークなど、生き馬の目を抜く駆け引きが永田町で繰り広げられ、風見は政策秘書としてそれら工作に深く関与する。本書は、そんな政界の裏側で繰り広げられるドラマを風見の視点で綴る政治小説である。風見は学者出身の政策秘書である事もあり、永田町を見つめるその目は政界の常識に染まってはいない。彼がドラマの中で政界に対して抱く疑問や不条理さ、時に冷めた気持ちは、われわれの視点に通ずるものがある。

文末で述べられている通り、本作品はフィクションとして書かれている。現実の出来事と見分けがつかない話が故意に挿入されているため、本書を証言集として使う事はできないというのだ。実際のところ、一介のサラリーマンに過ぎない私は内容の虚実を判断するだけの情報を持ち合わせていないので、本書の中身がどの程度まで真実に沿っているのか分からない。だが本書に寄せられた識者の推薦文を読む限りにおいて、本書が政界の実態をかなり正確に記している事は間違いなさそうだ。

「宗像」こと細川首相をカッコよく描きすぎているという批判もあるが、本書は首相としての彼が凋落の一途を辿る以前の、いわば絶頂期のストーリーである。このあと彼が政権を追われるまでの経緯は、「国民福祉税騒動」の例を引くまでもなく周知の事実であり、本小説が細川氏の虚像を作り出すという類の批判は必ずしも当てはまらないだろう。実際に首相に仕えた側近として「絶頂期」を懐かしむのは自然な事であり、また政治小説として書かれた本書において「絶頂期だけを切り取ってカッコよく仕上げた」事に批判を加えるのはフェアではない。

いずれにしても、近年日本の政治小説として最も面白い時期と登場人物を選択した本作品は、文句なしに今年最高の政治小説となるであろう。▲2002.5.7/RT

 

 

中陰の花」  玄侑宗久・作 文藝春秋 ★★★★

人間は死んだ後どうなるのか? この世に生を受けた私たちにとって永遠の課題である。生きている限りはまさに想像もつかないテーマであり、現役僧侶である著者ですら、本作品のなかで「知らん。死んだことがない」と主人公に言い放たせるほどだが、この「想像のつかなさ」は、3次元に住む我々が4次元の世界を想像する困難さに近い。私は以前から「死後の世界には4次元の世界が絡んでいる。だから想像がつかない」と信じているのだが、真偽は死んでみないとわからない。だからといって自分から死んで答えを確かめるというのは「カンニング」であり反則だ。命あっての物種。生きて答えを見つけるのがルールだ。

主人公・即道は、南東北の山あいにある小さな寺の住職。妻・圭子と暮らしながら、檀家の葬儀・法事などを務める日々を送っている。二人と以前から親交のあったウメさんという老人が、病院で危篤に陥った事をきっかけに、二人は「生と死」「死後の世界」というものに考えを巡らせるようになる。

即道は人間の魂を、お湯から立ち上る水蒸気に喩えた。
死後しばらくは、人間の魂は身体の回りを漂っている。ちょうど、鉄瓶の上で水蒸気が白い湯気として漂っているように。
ところが、時間がたつと湯気は拡散して目に見えなくなる。とはいっても、その「消えた」水蒸気は本当に無くなってしまったわけではなく、大気中に拡散しただけである。まさに物理でいう「質量不滅の法則」であり、人間の魂も同じ原則に当てはまるというのだ。無限の宇宙に広がっていき、最後にはエネルギーだけが残る。それが「成仏」だと・・・ 

なんと爽やかな読後感だろう。

困難な時代をあくせくと、時に自虐的に生きる私たちに、日々の憂いを超越した安らぎを与えてくれる。宗教的安らぎと一蹴する向きもあるかも知れないが、各分野で手詰まりの様相を見せる日本社会は、正にこういう超越的思考を求めているような気がする。

現役僧侶である著者が、仏教の教えをベースに書いた本であるが、この種の本にありがちな「説教臭さ」が全くない。考えが行き詰まった即道が、寺の中からインターネットにアクセスして情報を検索したりする姿も、同世代を感じさせて良い。すーっと心に溶け込んでいく一冊。人間の体液と同じ浸透圧を持っているに違いない。(第125回芥川賞受賞作品)▲2001.12.3/RT

 

銀行恐喝 清水一行・作 光文社文庫 ★★★

九州北部の中堅都市に本店を置く地方銀行が舞台。地元業者との長年の癒着を断ち切ろうと、頭取の久慈は、歴代の頭取が密接な関係を保ってきたこれら勢力に対し、融資打ち切りや面会拒否などで関係清算を図ろうとしていた。そんな久慈の動きに恨みを覚えた地元業界の有力者達は、なんとかして久慈の弱みを握り、それを基に起死回生を図ろうとする。だが、生真面目で、県公安委のトップも勤める久慈のスキャンダルは、探せども全く出てこない。業を煮やした彼らは、久慈を離島での一泊ゴルフツアーに誘い出し、美人局を用いてスキャンダル写真を撮る事に成功する。当初その写真は、地元有力者が銀行から融資を引き出すためだけに用いられるはずだったが、様々な人間の欲望が絡む闇世界をその写真は転々とし、久慈と銀行を不正融資の沼の中に深く深く引きずり込んでいく・・・

写真の存在に怯える久慈に、味方を装って近づいてくる数々の怪しい面々。だが、一旦彼らを受け入れれば、久慈と銀行は食い物にされ、傷口をどんどん広げていく。そして、それを救おうと、また別の怪しい人物が銀行のドアを叩く・・・そんな様子が非常にリアルに描かれている。

本書は、長崎県の地銀・親和銀行を舞台として実際に起きた「巨額不正融資事件」をモデルとした企業小説である。最も印象に残っているのは、久慈と銀行が後半部分でいよいよ追い詰められ、不正融資を乱発していくシーン。本書のモデルとなった親和銀行事件だけでなく、怪しい筋絡みの不正融資事件では、陰でこういうシーンがきっと繰り広げられているのだろう。過去の清算がいかに難しく、時には危険を伴うものなのか、リアルに実感させてくれる一冊。▲2001.11.29/RT



赤虫島日誌石川達三・著 東京八雲書店 ★★★★

第一回芥川賞受賞作品「蒼氓」で知られる石川達三の、ちょっとマイナーな作品。
8つの章から成り立っており、前半3章は、戦前日本領だった「南洋諸島」を石川が昭和18年に2ヶ月訪れた際の紀行文で、残り5章は彼のエッセイである。いずれも非常に面白いのだが、特に興味を引くのが、前半の紀行文である。

時まさに太平洋戦争真っ盛り。八紘一宇の掛け声の下で高まっていた「南進論」は、南洋諸島を、ジャワ・ボルネオ・ニューギニアへと続く「日本の生命線」として位置付けていた。しかし、前半の紀行文部分では、石川が訪れたサイパン・ヤップ・パラオの様子を、当時の作品とは到底思えないくらい醒めた視点で書き記している。

現地人の女生徒が軍歌を楽しそうに歌う姿に「美しい鸚鵡の合唱であった」と嘆き、「みいつかしこきすめらぎの・・・・あな嬉しやな、楽しやな」という校歌の合唱に「私は悲しくなってきた」と独りごつ。また、島々での退屈な暮らしについても非常に醒めた記録を残している。「家屋も家具もまたは日常の生き方も、どこか間にあはせの、臨時の、かりそめの住家にあつてかりそめの日常を過してゐるといふ風なものがあつた。ここに生活の根をおろして代々の安住の地を造らうという計画は、商家の人たちにも勤め人の心構へにも絶えてないことであつた。そういう落ちつかない中から萠して来た、瘴気のやうに毒を含んだ大きな退屈がはびこつてゐた。」 だからといって人々が内地に戻ろうとしているのではない。むしろ逆だ。彼らの最終目標はあくまで赤道以南の国々であり、南洋諸島の退屈な、疲れた生活は、彼らにとって「一種旅の疲れに似通つたもの」だったのだ。こういう冷静な分析に私ははじめて巡りあう事ができた。

ちなみに本書は、有名な「『生きてゐる兵隊』発禁事件」の5年後に出版されている。彼はその事件で禁錮4ヶ月・執行猶予3年の判決を受けたが、本書の出版は執行猶予が明けた後だと思われる。

東京八雲出版から昭和18年5月に初版が出ており、その後復刊は無い。本書を読むには、図書館を探すか、古本屋を当たるしか方法はない。このHPでこういう「入手困難」な本を紹介する事は通常ないのだが、本書だけは例外的に紹介したい。後半のエッセイもなかなか得がたく、特に「女學生の食慾」は一品。文庫収蔵・復刊を切に希望する。▲2001.10.31/RT 

 


豆腐屋の四季
松下竜一・作 講談社文庫 ★★★

大分県中津市に住む青年、松下竜一氏は、代々受け継ぐ豆腐店の長男として、虚弱な身体をおして毎日深夜2時から豆腐作りに勤しんでいる。来る日も来る日も豆腐を作り、油揚げを揚げ、そして朝5時には得意先に自転車で配達して回る。つらい毎日の豆腐作り、自らのか弱い身体、貧しい経済生活、兄弟間の争い、そして自らの結婚。

そんな毎日を松下氏は歌に詠いつづけた。彼の歌は朝日新聞西部本社版の「朝日歌壇」に長期にわたって入選を続け、一市民の飾らない生きざまが60年代の読者の心に響き渡った。

そんな彼が一年にわたって書き記したエッセイ。自らの不遇を嘆きながらも、それを受け入れ、まっすぐに見つめる姿がいい。妻に対するいたわりと愛情も、他人を基準にせず、自らの心に正直に現わされているところも良い。また、文庫版巻末で後年の松下氏が「その感傷的に過ぎた小世界から、もう一歩大きな社会へと踏み出そうとした後年の目で振り返るとき、文章表現の甘美さや考え方の稚拙さに目をそむけたくなる」と大いにテレているのも、素直でまた良い。

本書は69年にABCテレビでドラマ化されたそうだが、73年生まれの私には知る由もない。緒方拳主演との事。一度見てみたくなったが、こういう昔のドラマを収蔵した図書館はないものだろうか。▲2001.7.23/RT

 

症例A 多島斗志之・作 角川書店 ★★★★

海沿いの風光明媚な所に建つ精神病院に勤務する事になった若い精神科医・榊は、新たに受け持つ事になった入院患者を面談していくなかで、17歳の高校生・亜佐美に出会う。彼女に対して前医が下した診断は「精神分裂症」。しかし榊は亜佐美の言動のなかに「精神分裂症」としてでは片付けられないものを感じ、彼女との対話が始まっていく。起伏の激しい感情、奇を衒うかのような突飛な行動、そして真実とも虚言ともつかない発言の数々に榊は翻弄されるが、亜佐美に対する榊の真摯な姿勢は、これまで見えなかった様々な事実を榊の前に導き出してくる。亜佐美のこと、家族のこと、病院のこと、そして戦後の混乱期に端を発する一大スキャンダルまで・・・

精神分裂病患者というシリアスな題材を医学的見地から扱う作品だけに、その内容には緻密さと正確さ、そして何より誠実さが求められる。この作品はそれら全てに対して文句なしに合格点を付けられるだろう。病気に対する恐怖心をいたずらに煽ったり、症状を誇張して興味本位に作品を仕上げるのでなく、常に患者の苦しみに思いを致した姿勢が非常に心地よく心に残った。精神医学に対するディテールの深さも特筆されていいだろう。

本書を読む数日前に、大阪の小学校に包丁を持った男が侵入し、8人の児童を刺殺するという凄惨な事件が発生した。この容疑者は精神病に罹っていた事から、早速政府内では精神病患者に対する保安措置を強化する検討に入ったという。自傷他害の恐れがある患者を一定の施設内に留め置く事は、一般市民の安全のためでもあるが、無意識のうちに犯罪を犯してしまう事を避ける意味で患者自身のためにもなるだろう。患者の人権を擁護する団体は保安措置の拡大に恐らく反対するであろうが、もっと広い視点で患者の人権・福祉を考えて欲しいと思う。病に苦しむ彼らを「犯罪者」にしない事こそが、患者・健常者共通の最大利益と見なされるべきだと私は思う。▲01.6.11/RT

 

日本国債(上/下)」 幸田真音・作 講談社 ★★★★

日本国債の発行総額は600兆円を超えている。国債とはつまり、いまこの国に必要なカネを次の世代から借りる「借用証書」であり、国民一人当たり600万円の借金をしないと生き長らえる事が出来ない今の日本を支えている「有価証券」という名の紙切れである。そして、財務省がどんどん発行するこの国債を寡黙に買い支えているのが、大手金融機関で構成される「シンジケート団」といわれる組織である。本作品は、このシンジケート団を舞台に展開される。

外資系大手証券会社「ファースト・フレデリック証券」の若手トレーダー・朝倉多希は、交通事故で入院生活を余儀なくされた上司、チーフトレーダー・野田善則に代わって日本国債の入札業務に望む。彼女の職務は、その日正午に締め切られる十年物利付国債(三月債・第219回)への応札。静かな市場環境の中で入札は順調に、また財務省から見ると従順に粛々と行なわれる筈だったが、午後2時半に発表になった結果は「未達」。つまり、発行額を下回る応札しかなされなかったのである。前代未聞の事態に動揺する財務省、一気に金融危機へ突進する内外の株式・外為市場。 国債=借金に支えられた日本社会がまさに崩壊の危機に直面するこの「未達」事件は、実はある複数の人物が関わった作為的行動であり、野田の事故も彼らの行動と無関係ではなかったのだ・・

普通の企業や個人なら、度を越えた借金をしようと思っても金融機関は応じてくれない。返済能力に応じた与信枠が設定されるからだ。しかし国債だけは無尽蔵に発行されつづけられる。日本という国の返済能力がまだまだこの債務に耐えられると見られている、というのも一つの理由だが、やはり、日々発行される国債を強制的に割り当てられる従順な「シンジケート団」の存在も国債の大量発行を可能にする大きな要素だろう。 
低利回りで金融商品としての魅力に乏しい国債をそれでも支え続けるのは、海外の投資家ではなく、国内の機関投資家、つまり各種銀行や保険会社である。海外のカネは殆ど入って来ない。そう、なんのことはない。国民が預金や保険料として預けたカネで国債を買い支えているのである。その国債の利回り分は預金者である国民に還元されはするが、その原資はまた新規の国債で調達される。こういうのを世間では「雪だるま式の借金地獄」と呼ぶ。

国債が孕む矛盾、そして際どさを鋭く抉り出した好作。素人にはよく分からない国債売買の仕組みもよく分かり、読み応え充分。日経新聞を脇において読もう。▲01.03.11/RT

 

呪縛 金融腐敗列島U 高杉良・作 角川文庫 ★★★

役所広司の主演で映画化された同名作品の原作。一切の記述はないが、総会屋への利益供与が社会問題と化した「第一勧業銀行」をモデルにしたとしか思えない作品

総会屋への利益供与という、清冽なイメージが求められる銀行にとって最も忌むべきスキャンダルに塗れる「朝日中央銀行」。その根源的病巣は、政財界への癒着を厭わない老害相談役、佐々木にあった。会長・頭取経験者である佐々木の首に鈴をつけようとするものはおらず、現経営陣が佐々木の暴走を追認してしまう結果になっていた。

そんな中、総会屋への利益供与事件を受けて世間の朝日中央銀行批判が高まり、個人預金の流出などが見られるようになる。銀行再生を誓って立ち上がった北野ら若手社員は、老害相談役の追放や総会屋への対決姿勢を強めようとするが、立ちはだかる様々な新事実、思惑、重要人物の死、またある時には脅迫に、男たちは翻弄される。

合併銀行特有の社内抗争、闇社会との対決、介入してくる政治家...
銀行という「カネのなる木」に群がる人々をリアルに描き、またそれとのコントラストで北野ら若手改革派の慎重かつ迅速、そして情を決して軽んじない行動を描く。北野たちの一途なまでの愛行精神は、佐々木の往生際の悪さと相まって、非常にさわやかな読後感を与えてくれる。こんな社員がいれば安心なのだが、モデルとなった某大手都市銀行はこの度更に他行と合併する事になっており、派閥抗争の再燃等が他人事ながら心配だ。
▲00.12.4/RT

 

八甲田山死の彷徨」 新田次郎・作 新潮文庫 ★★★★

日露戦争を目前に控えた明治35年、199名が命を落とした八甲田山雪中行軍遭難事件が発生した。来るロシアとの戦いに向けて、日本陸軍の寒中装備を研究する意味合いで行なわれたこの行軍には、神田大尉率いる「青森五聯隊」と徳島大尉率いる「弘前三一聯隊」の2聯隊が参加したのが、青森五聯隊が全滅し、弘前三一聯隊は全行程を踏破した。本書は映画にもなったこの有名な遭難劇を記す。

平民出身ながら大尉まで昇進した神田大尉は、これまでの仕事ぶり通り緻密な計画を立ててこの困難な行軍に臨むのだが、想像を絶する暴風雪と記録的低温に行く手を阻まれて指揮系統が崩壊してしまい、それがきっかけで200名近い兵士を失う事となる。反面の弘前三一聯隊は、少数精鋭主義のもと参加者を絞り、地元民を道案内として雇った上で、地元民が雪中の生活で実際に使用している防寒具等を多く装備として採用する事で、青森五聯隊とは対照的な結果をあげた。

暴風雪に遮られ、体力と気力を急速に消耗していく青森五聯隊。ある者は発狂し、またある者は材木が倒れるように雪の中に身体を倒して永遠の眠りについていく。毅然とした指揮が求められる将校達も、最後にはその役割を果たせなくなっていく。指揮系統を失った軍隊はもはや崩壊するしか選択枝はない。有名な「天はわれ等を見放した」という神田大尉の絶叫は、約1世紀の時を経てもその無念さを我々の胸に迫らせる。

ストーリー自体は知っていたのだが、新田次郎の作品を読んだのは初めてだった。荒れ狂う暴風雪のなかを兵士達が彷徨する場面の描写はあまりにもリアル。一世紀前の話とはいえ、基本的に実話なので胸が痛む。完全なフィクションなら良かったのに。▲00.8.15/RT

 

巨泉 人生の選択」 大橋巨泉・著 講談社 ★★★★

現在27歳の私は最後の巨泉世代だろう。TBS「クイズダービー」「世界まるごとHOWマッチ」「ギミア・ぶれいく」、日本テレビ「巨泉のこんなモノいらない」など、毎週楽しみに観ていた。そんな彼がブラウン管から姿を消すと宣言した時は、やはり一抹の淋しさを覚えたものだ。

基本的には、セミ・リタイア宣言した彼の生き方・考え方を綴った本なのだが、それだけでなく、少年時代からデビュー期、人気絶頂期からセミリタイアに至るまでの彼と彼を取り巻く芸能界事情にも触れられている。彼の考え方・主張は時としてアクが強く、ちょっと説教調に聞こえたりもするのだが、彼の半生記とあわせて読むと「そうだよな、あの巨泉さんが言ってるんだから、聞いてみよう。」と素直に読み進めるのだから、私は巨泉世代なのだろう。

「趣味は仕事です」と断言するような人々が定年後に急に老け込んだり、時に自殺したりするのを哀れみ、逆にいつまでも会社にしがみ付こうとする老人を「老害」と斬り捨てる。趣味を持つ事の重要さを何度も強調し、好きに生きるための「優先順位」を持つ事を読者に勧める。若い頃はがむしゃらに働くのも良いだろうが、これらの事を考えておくのも、自分が何のために働いているのかを考える意味で意義深いのでは。

死の床に臨んで「もっと会社で時間を費やせばよかった」と悔いる人はいない。どこかで読んだこのフレーズが頭に浮かんだ。巨泉さんの様にリタイア後を悠々自適に過ごすにはそれ相当の財力が必要となり、まあ、読者によっては「無力感」というか「反発」を覚えるかも知れない。しかしそんな狭い度量ではステキな老後は迎えられないだろう。「こんな人生もあるのか」というところから入り、「自分ならこうしよう」と建設的に考えるようにしていきたいものだ。人生は自分のもの。大橋巨泉と比べてもしょうがない。▲00.8.14/RT

 

一瞬の光」 白石一文・作 角川書店 ★★★★

大手重電メーカーの出生街道を驀進している38歳のサラリーマン橋田浩介は、ある夜、青山のバーで水割りを作っていた若い女に目が止まった。彼女は、人事課長である橋口がその日の採用面接で落とした19歳の短大生、中平香折であった。その後店を出た橋口は、男たちに強引にクルマに押し込められようとしていた香折を正義感から力ずくで救出するのだが、それを機に橋口は、香折が幼少時代から巻き込まれ続けてきた常軌を逸する災苦を知っていくことになる。精神的に極度に抑圧され、あまりに不安定な精神世界に生きる香折と、権力闘争にまつわる謀略・裏切りが横行する、弱肉強食の超大手企業で果敢に振舞う若きエリート橋口、そしてその恋人、留衣。揺れ動く橋口に対し、あらゆる現実はなかなか結論を突きつけようとはせず、むしろ「彼に」結論を迫り続ける....

入社以来15年間権力の中枢に身を置いてきた「強者」橋口が、決定的に弱い存在の香折に対してどのような感情を抱いているのか。単なる同情なのか、兄妹愛に近いのか、はたまた愛なのか。物語全般を通して読者に抱かせつづけるこの疑問に対する答えは、物語の結末で我々に示される。もの悲しくもさわやかな結末。梅雨の合間に見せた澄み切った青空を見上げるような読後感である。

「新感覚エンターテインメント小説」と帯にあるが、まさに従来の小説分類の枠を越えた一冊である。第一級の企業小説としてのリアルさと緊迫感の中に、切ないほどのロマンスのエッセンスを加えた小説。 いやいや、楽しみな作家がまた出てきてくれた。▲2000.5.15/RT

 

ボーダーライン」 真保裕一・作 集英社 ★★★

アメリカで私立探偵免許を取得した主人公・永岡修は、ロサンジェルスにある日系信販会社で、日本人カード契約者が遭遇した事件に対する捜査ならびに処理を生業としている。ある日永岡の元に「安田信吾」という24歳の青年を捜しだす指示が会社から下されるのであるが、依頼を受けた時点で永岡は、この依頼が「行方不明の息子を捜す家族からの依頼」にしては不自然な点が多いことを見破る。事実この依頼は単なる家出人捜索依頼ではなく、永岡自身にも危険が迫ってくる・・・・

真保裕一の作だけあって、安田信吾の影に途方もない組織犯罪が蠕いていたり、起死回生を賭ける一人の男の姿があったりしそうなものだが、本作品は若干色合いが異なる。ネタばらしになるので多くを語らないが、本作品の底流に流れるテーマは「一人の人間はどれだけ残酷になれるか」という事と、「それに対峙する家族の苦悩と責任」であろう。本の帯に「世紀末を斬るハードボイルド巨編」とあるが、一文ではそうとしか書き表せない程の深みを有している。氏の新境地を開く作品であろう。▲2000.2.22/RT

 

奇跡の人真保裕一・作 新潮文庫 ★★★

交通事故で脳死寸前の状態にまで陥りながらも、奇跡的に生還した31歳の主人公・相馬克巳。彼の事故以前の記憶は完全に失われ、以前の自分を知る唯一の肉親である母親をも、8年にも及ぶ入院生活の半ばで病に亡くしてしまう。退院後、母亡き自宅に戻っても、自分の過去を記した一切のモノは処分されている。自分は一体誰なのか?どんな人生を送っていたのか? ゼロからの自分探しがそこから始まるのである。

自分の過去を探っていくうちに出会う多くの人々、そして味わう苦悩。自分探しの旅では自らが傷つくだけでなく、過去に自らが傷つけてしまった人をもう一度傷つけてしまったりもする。そしてその先にあるものは、そう、自分自身に他ならない・・・

人間はつくづく良く出来ていると思う。イヤな事があっても忘却という作用がその痛みを和らげてくれる。「つらい思い出は欠落し、楽しい事だけが脳裏に浮かぶ」という記憶の経年変化は、人間をどれ程救っていることだろうか。しかし克巳は自分探しの過程で、以前関係した人間の「経年変化した記憶」を、残酷なまでに以前の「生」の記憶に引き戻そうとした。多くの苦悩が克巳とその周囲の人間を襲う。しかし克巳は怯まず、自分探しの旅を一歩一歩進めていく。自分は何処の誰なのか、どのような人格で、どういう人生を誰と歩んできたのかについて問い続けながら・・・

「過去なんでどうでもいいじゃないか」「生まれ変わったと思って・・」周囲の人々は克巳に盛んに忠告する。しかし自分の過去を知っていて捨てる事と、記憶そのものを失った状態で生きる事とは違うだろう。これら忠告は所詮健常者の理屈だと思う。自分が克巳の立場になったとして、私の周囲の人は「私」をどう評価するのであろうか? そしてその時の自分は以前の自分をどう定義付けるのか? 考え込んでしまった。▲2000.2.22/RT

 

「ひよこの脳みそ・言葉の辞典」 古嶋美加 作 星雲社 ★★★

私は「精神安定剤」として著効を示してくれる本にたまに出会うのだが、本書もなかなかの効き目だった。作者は26歳のOL。彼女が生きていく上で経験した様々な事を言葉に綴り、辞典風にまとめた作品である。「[恋]:相手も自分の事を想ってる、という思い込み」「[愚痴]:こころのゴミ出し」「[おしまい]:愛されている事にあぐらをかくこと」など、同年代の私からみてとっても新鮮かつ「そうそう。みんなそうなんだ・・・」と共感出来るフレーズが365個載っている。

年代が違う人には理解できないと思う。恋してない人には余り効かないかも知れない。でも20代後半の、特に恋に悩む人(オトコ・オンナ問わず)には是非オススメしたい一冊。私の場合、くよくよ悩む気持ちが、ふと、癒されていく感じを受けた。「そうか、みんな同じなんだ・・」 ▲00.1.29/RT

金融腐蝕列島」 高杉良 作 角川文庫 ★★★

大手都銀「協立銀行」虎ノ門支店副支店長の竹中は、ある日の午後、本店総務部への突然の異動を言い渡される。異動先での任務は表向き「特殊株主(総会屋)対策」とはなっているが、実際には現役会長がまさに巻き込まれつつあるスキャンダルへの対応が彼に課せられた極秘司令であった。協立銀行会長の娘を男女関係で取り込み、それを通じ会長に違法融資を執拗に迫る「裏社会」の深層を、竹中は懸命な調査を通じ目の当たりにし、銀行幹部へ解決策を進言するが、幹部は事態収束への最も姑息な方策、つまり「裏社会」への不正融資を決断する。しかしこの毅然としない態度は「裏社会」を増長させ、他の不正融資事件と共にこの「極秘案件」は協立銀行を揺るがす大スキャンダルに発展し、その結果竹中は裏社会の面々とも渡り合う事となる......

この作品には「バブル・パージ」という単語が多く出てくる。戦後初期の「レッド・パージ」に引っ掛けた、「バブルを惹き起こした人間を金融界から追放する」という造語だが、まさにこの言葉こそ本作品の根底に流れる作者の「憤り」ではないだろうか。金融界から追放されるべき人間が追放されず、市場から退場すべき金融機関が居座り続ける。「協立銀行」の姿は、誰も責任を取ろうとしないバブル後の日本社会のリアルな鏡面像であり、我々読者は自らの不甲斐なさを見せ付けられる思いがして、相当歯痒い。それだけに、この巨大組織の中を正義感に燃えて実直に立ち振る舞う竹中の姿は極めて清々しく、気持ちがいい。

本作品は今年秋に映画化されるとの事。是非観てみたい。▲99.8.27/RT 

 

違法弁護 中嶋博行 作 講談社文庫 ★★★

大手弁護士事務所、とわざわざ訳さなくても最近では通じる事が多くなった「ローファーム」に勤める気鋭の美人弁護士・水島由里子。国際法務の場で華々しく活躍する彼女にある日突然舞い下りたのは「訴訟部門」への異動命令だった。この国際巨大ローファームにおいては左遷先を意味するこのドメスティックな職場で彼女が担当したのは、怪しい雰囲気が漂う貿易会社「アゼック社」の企業法務業務だった。その頃、この話の舞台である横浜では本牧埠頭の廃倉庫で深夜警官が射殺される。神奈川県警は倉庫の所有関係からアゼック社を割り出し捜査を開始し、由里子率いるアゼック社との対決の幕が切って落とされるが、事件の真相は由里子も神奈川県警も予期せぬ巨大な黒幕によって牛耳られていた.......

最近のリーガル系小説、特に企業買収などを題材にした作品にありがちな「法的技術をこねくり回す」様な事なく、決め手になる部分に絞って効果的に「法の裏ワザ」を駆使している。ストーリー展開も明快で心地よい。最高検VS神奈川県警、公安VS刑事部の確執はいかにも泥臭く、翻訳モノのリーガル小説では決して味わえない「太陽にほえろ」の世界がそこにはあって何故かホッとする。優秀ゆえのイヤミが目立つ主人公・水島由里子に対し抱くであろう反感は、我々日本人の精神構造に往年の刑事ドラマが大きく影響している事を感じた。なんてったて刑事(デカ)の必死の捜査を妨害するのだから! なお由里子に対する反感は作品の最後の部分ではあっさり反転するだろう。

作者は横浜弁護士会所属の現役弁護士。今後とも現職を活かした秀作をどんどん我々に楽しませて欲しいし、私は読み続けようと思う。 ところで、この作品のストーリー展開上の隠れた布石となっている「弁護士増員論」に対し、果たして中嶋氏はどう考えているのだろう?? 法学部出身者としては気になるところだ。▲99.1.26/RT

 


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