
日本・文化と伝統
| ★★★★〜★は私の「満足度」です。 |
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| 日本・文化と伝統 現在20冊 | |
| 書名 | 著作者 |
| 新つけもの考 | 前田安彦 |
| 最暗黒の東京 | 松原岩五郎 |
| 小笠原クロニカル | 山口遼子 |
| すしの歴史を訪ねる | 日比野光敏 |
| 俳風動物記 | 宮地伝三郎 |
| 木に学べ 法隆寺・薬師寺の美 | 西岡常一 |
| 手仕事の日本 | 柳宗悦 |
| 日本人の神はどこにいるか | 島田裕巳 |
| 日本唱歌集 | 堀内敬三・井上武士 |
| 赤線跡を歩く | 木村聰 |
| 秋田・消えた村の記録 | 佐藤晃之輔 |
| 江戸の性風俗 | 氏家幹人 |
| 森の仕事と木遣り唄 | 山村基毅 |
| 浅草十二階 | 細馬宏道 |
| 増補版・時刻表昭和史 | 宮脇俊三 |
| 戦時広告図鑑 | 町田忍 |
| 日本奥地紀行 | イザベラ・バード |
| 日本人はなぜ無宗教なのか | 阿満利麿 |
| 日本の無思想 | 加藤典洋 |
| 新編・漂着物事典 | 石井忠 |
「新つけもの考」 前田安彦・著 岩波新書 ★★★
美味しい漬物に出会うと心が和むものだが、飲食店などで干涸らびた粗末な漬物が出てくると、もうそれだけで食事は台無しになる。小皿に載って出てくる副菜でありながら、漬物には作り手の姿勢や気持ち、更に飲食店であればその経営方針までが現れるものだ。私はいつもそういう観点で店の姿勢を観察しているのであるが、なかなか美味しい漬物に出会えないという事は、人々が漬物の味にこだわらなくなってきている事の証左かも知れないと思い始めている。仮にそれが真であれば、店が漬物に時間とコストを掛けないのも、残念ながら市場経済の原則に適っている。
伝統食品という印象が強い日本の漬物も、本書によるとここ数十年で大きな変化が訪れたらしい。それは低塩化である。日本人の労働量が社会構造の変化に伴って減少したため、かつてと同じ漬け方だと塩辛くてとても現代人の口には合わず、次第に低塩化したというのだ。低塩化は漬物の味だけでなく、製造工程や保存方法にも変化を及ぼし、化学調味料や香辛料の導入にも繋がった。著者はこういう新しい漬物を「新つけもの」と呼称し、各地での講演などを通じてその普及に努めている。
原料から漬け方、発酵原理、食べ方まで、漬物の全てを網羅した一冊。全国津々浦々の漬物だけでなく、キムチやザウワークラウトといった海外の漬物についてもカバーしており面白い。漬物好きにはたまらない。デパートの物産展でご当地漬物を買ってみたくなった。▲2009.4.24
「最暗黒の東京」 松原岩五郎・著 岩波文庫 ★★★
食品衛生法や労働基準法、生活保護法など、市民の安全な生活を守る法律は数多くあるが、日頃の生活でその有難みを感じることは多くない。しかしこれら法律も、何らかの必要があって立法されたものに違いない。不衛生きわまりない食品が流通し、労働者は長時間労働を強いられながら賃金を斡旋屋にピンハネされ、極貧に生きる人々は喰うに困って犯罪に走ったりする、その様な社会背景が過去に存在したからこそ、これら法律は存在する。そんな社会がかつての日本に確かに存在していた事の証が、本書である。
明治中期の東京で社会の底辺に生きる人々を生々しく描いたドキュメンタリー。士官学校の食堂から出た不衛生きわまりない残飯を安く買い取って貧民に売る「残飯屋」や、徹宵で働きながら客を奪い合う人力車夫たち、汚れた夜具に住み着く蚤や虱の大群に終夜襲われる木賃宿など、公衆衛生や福祉という概念が生まれる前の暗く貧しい東京の姿を文語体で生々しく伝えている。当時市井で用いられていながら、現在では死語と化している単語も多く収録されており興味深い。明治記録文学の代表にも数えられる一冊。▲2009.2.4
「小笠原クロニカル」 山口遼子・著 中公新書ラクレ ★★★★
一般にどの国でも、中心部から国境に近づくにつれて住民の人種構成が異なってくるものだ。アメリカの場合、南西部に行けばスペイン語を話すメキシコ系住民が増えるし、中国だと東北部には朝鮮族の住民が、そして西部に行けばイスラム教徒であるカザフ系住民が増える。陸続きの土地に人工的な国境を引くのだからこういう状況は避けられないのだが、海に囲まれた日本の場合そういう光景は見られないと今まで思っていた。しかし、本書を読んでその認識が誤りだったことを知った。
江戸時代後期、まだ無人島だった小笠原は日本の版図に組み込まれておらず、イギリス人やロシア人、アメリカ人が散発的に立ち寄り、イギリスに至っては領有宣言まで発していた。その後1830年にはイギリス人・アメリカ人の男たちとハワイ出身の女たち、そしてポリネシアからの使用人が島を訪れ、初めての定住者となった。驚くべきことに、小笠原初の住民は欧米人だったのである。その後、幕府による徹底した自然調査が認められ小笠原は日本領土になることに確定するのであるが、欧米から来た住民たちは小笠原を離れようとはしなかった。
ヤップ・パラオ・トラック島など、小笠原から更に南に延びるミクロネシアの島々は、第一次大戦後日本の委任統治領とされ、南洋庁による植民地経営がなされていた。その頃の小笠原は「国境地帯」ではなく、南洋諸島へ向かう途中の拠点として重視され、多くの日本人が内地から移り住み、現在以上の人口を擁していたのである。その後第二次大戦が終結するとアメリカの施政下に置かれ、小笠原はアメリカ文化圏に入る。グアムから豊富な物資が供給され、自由で陽気な文化に触れた島民たちの中には、日本返還に戸惑い、アメリカ国籍を取得して島を離れるものもいたという。本書は多くの島民、とくに欧米人を先祖に持つ人々へのインタビューを通じて、彼らが辿ってきた歩みと苦労、そしてアメリカと日本という二つの国の狭間で揺れたアイデンティティーを記している。
欧米系住民という単語が生活に根付いている地域が日本にある、という事が大きな驚きであった。現在でもその子孫が多く生活している小笠原は真の「国境の島」であり、もっと多くの人に知られるべき事実である。日本人の国境感覚を涵養するにも好適な本。非常に興味深く読めた、お薦めの一冊である。▲2007.11.18
「すしの歴史を訪ねる」 日比野光敏・著 岩波新書 ★★★★
現在の日本で「すし」と言うと、一般に「にぎり寿司」の事を指す。海外でも「Sushi」と呼ばれて広く好まれ、本来生魚を食する習慣がなかった欧米人を含めて、もはや世界的な料理となっている。ところが本書によると、「にぎり寿司」という形態の料理法が出現したのは江戸時代であり、それ以前の「すし」は主に発酵料理として人々に親しまれていたらしい。
古代から伝わる「すし(鮓)」は、近江地方に伝わる「フナずし」に代表される「なれずし」である。このすしは、琵琶湖で採れたニゴロフナを1年以上掛けて乳酸発酵させるもので、伝統的な正月料理として今日にも受け継がれている。この他にも、神事の際に神に捧げるハレの料理としてウグイ・ジャコ・サンマ等の「なれずし」が作られ、また東北地方では野菜を加えた米飯で魚を発酵させる「いずし」も現れるようになる。その後時代が下って室町末期から江戸初頭になると、出来るだけ漬け込み時間を短くする事が社会的な要請になり、数週間で食べられる様になる「なまなれ」という形態が登場する。調理期間を短縮する流れはその後も継続し、「押し寿司」や「巻き寿司」が生まれるが、そのころになると「すし」はハレの料理からケ(日常)の料理に移行する。そして江戸後期になると、現代に伝わる「にぎり寿司」が登場する。
生活民俗学専攻の研究者である著者が、日本各地での実地調査と文献猟渉によって展開する「すしの歴史」論。本書のタイトルで「すし」が平仮名で書かれているのは、「鮓」「鮨」「寿司」、そして海外での「Sushi」と変遷してきた「すし」の歴史を振り返るという意味が込められているのだと思う。著者のすしに対する愛情を感じる一冊であり、寿司好きには必読である。寿司屋のカウンターで話題にしたいと思う。▲2007.10.21
「俳風動物記」 宮地伝三郎・著 岩波新書 ★★★
ドイツ語やフランス語の名詞には性がある事をご存じの方も多いだろう。ドイツ語には男性名詞・女性名詞・中性名詞の三種類があり、フランス語には男性・女性の2つがある。日本人にとっては何とも頭を悩まされる存在なのだが、それらを母語とする人に聞くと意外とすんなり頭に入るものらしい。結局はそれぞれの文化に根ざしたものなのだと思うが、日本において類似するものとして俳句の「季語」が挙げられるかも知れない。「案山子」や「べい独楽」「待宵」が秋で、「鰆」「桜餅」「茶摘み」が春と言われれば、何となくその情景が頭に浮かぶものである。欧州人は名詞に性を、日本人は季節の移ろいを見出したと考えると、なんだか嬉しくなってしまう。
俳句には季語があるが、同時に多くの自然が詠い込まれている。山海の風味や動植物がその代表格だが、そのなかには今日失われたものも少なくない。著明な動物生態学者であった宮地伝三郎はそこに目を付け、江戸期から伝えられた近代俳句を題材に、当時の俳諧師が接した動物たちの生態を研究した。
香魚(あゆ)・獺(かわうそ)・行々子(よしきり)・田螺(たにし)など、かつては人々が身近に接していた魚介類・小動物を取り上げ、それらが詠われた数多くの俳句を基に、当時の生態や生息地域、人々との関わり方や料理法などについて語っている。様々な文献を渉猟して得た知識がベースとなっているため、内容も幅広く、面白い。
無論、俳句はあくまで文芸作品であり、科学的記述を目的としたものではない。むしろ少なからず誇張が含まれていると考えるべきであるため、俳句は科学的調査の正確な資料にはなり得ない。その意味では趣味的な研究と言わざるを得ないが、動物生態学と俳句を結びつけた著者の着想はユニークであり、こういう「ゆるい」研究が私は好きである。本書は1984年の出版であり、版元では品切重版未定の状態だが、ネット上では古本が簡単に入手可能。著者である宮地伝三郎も鬼籍に入ってもうすぐ20年になる。昭和は遠くなりにけりだ。▲2007.9.24
「木に学べ 法隆寺・薬師寺の美」 西岡常一・著 小学館文庫
★★★★
飛鳥時代、法隆寺の建築に使われたヒノキ材は、その当時で既に樹齢千年が経過したものだったという。そして建築から更に千三百年が経過した今日、修繕のためにそのヒノキの柱から屋根外すと、重さから解放されたヒノキはいまだ反発を見せるというのだから驚きだ。要は生きているのだ。樹齢千年の木は、建築材としてなお千年持つ。二千年にわたって朽ちることもなくその姿を保つヒノキの強さは、当然の事ながら、その持ち味を最大限に知り抜いた飛鳥時代の職人によってもたらされたのだ。
法隆寺金堂や薬師寺西塔などの復元を果たした「最後の宮大工棟梁」である西岡常一氏が、その生涯を通じて会得した飛鳥職人達の優れた技術と伝統、そして、宮大工棟梁として辿り着いた技の極みを後生に伝える貴重な記録。
木は育ってきた環境によってそれぞれ必ず癖があり、その癖を見抜いて組み合わせ無いと千年持つ建物は建てられない、という意味の「木組は木の癖組」など、建築論の枠を越えて組織論・人生論にも通ずる印象深い言葉が綴られている。(他にも「木の癖組は工人たちの心組」「木を買わず山を買え」等あり)
口伝筆記のため読みやすく、まるでライブで話を伺っているよう。西岡氏は1995年に鬼籍に入られたが、これからも多くの人に読み継がれ、氏の飛鳥職人との対話が後生に遺されて欲しいと思う。▲2007.8.14
「手仕事の日本」 柳宗悦・著 岩波文庫 ★★★★
柳宗悦(やなぎ むねよし)は明治22年生まれの思想家で、日本における民藝運動の創始者として知られている。日々の生活で用いられる手作りの民藝品に「用の美」を見出した彼は、全国津々浦々に根付いている無名の民芸品を書物で広く紹介し、後には「日本民芸館」までも設立した。そんな彼が、大正末期から昭和初期に残っていた各地の民藝品を、多くの味わいある挿絵と共に紹介したのが本書である。
大正から昭和へと時代が進むなかで、木工品や織物、陶磁器など多くの民藝品が工業化の波に晒された。その結果、地域の伝統と風土を長年伝えてきた民藝品が完全に絶えてしまったり、またあるものは、工業化によって古き良き姿を失って俗物へ墜してしまう。そういう当時の現状を憂い、批判し、そしてその保存を訴えたのが本書である。従ってこの作品は「失われいく民藝品の記録」としてセンチメンタリーに書かれたのではなく、民藝品の保存と発展の必要性を強く主張する柳の「攻め」の姿勢がその基調となっている。そういう柳の姿勢は柳田国男と対照的で如何にも面白いと思っていたら、岩波の解説文に柳と柳田の対談記事が引用されていた。「事実を正確に報告するのが民俗学」とする柳田に対し、「かく在るあるいはかく在ったということを論ずるのではなくて、かくあらねばならぬという世界に触れて行く使命」が民藝運動であると柳は語っている。なるほど、民俗学と民藝運動の相違は、神学と伝道活動の相違にでも喩えられようか。もっと現代的な例では女性学とフェミニズムの違いとも言えるだろう。
本書は昭和21年に出版された。当時柳によって憂えられた各地の民藝品の状況は、半世紀の時を経た今どうなっているのか。戦後進行した過度の工業化が反省され、手仕事の復権が各地で進んでいる中で、本書に収載されている民藝品が出来るだけ多く生存(あるいは復活)している事を願って止まない。戦前まで残っていた各地の民藝品に触れる事が出来る貴重な一冊。紀行文的な形態で書かれているので、柳と一緒に津々浦々を旅している気分が味わえて良い。文体も平易で読みやすい。
ちなみに柳は、東京タワーが完成した翌年、昭和36年にこの世を去った。東京オリンピックを数年後に控え、都内では首都高速の建設が急ピッチで進められていた中、彼は日本の民藝の将来にどういう思いを致していたのであろうか。彼の没年を目にして、つい考えてしまった。▲2003.11.2/RT
「日本人の神はどこにいるか」 島田裕巳・著 ちくま新書 ★★★★
日本人は無宗教だ、という話をよく耳にする。クリスマスから年の瀬の除夜の鐘、そしてそれに続く初詣までの日本人の行動を例に引き、その「宗教的に節操の無い」習慣を批判するというのがお決まりの論調である。そこには明確でわかりやすい崇拝対象をもつ社会、具体的には欧米キリスト教社会に対するコンプレックスが色濃く漂っているのだが、この批判は案外日本人に広く知れ渡っているようで、あちこちで目にする事が出来る。
本書における島田氏の指摘は興味深い。普通であれば対立概念とされる「一神教」と「多神教」を、具体的な信仰行動などの分析から本質的に同じものであると位置付けているのだ。一神教であっても、キリスト教における聖母マリアなどの様に、多くの「聖者」が偶像化の上具体的な信仰の対象となっており、彼ら聖者が人々の具体的な帰依も引き受けている。他方の多神教でも、八百万の神と言われながら、人々が種々の「神」に祈りを捧げる際には、その「神」自身ではなく、この世の最上位にあって全てを司っている全知全能の神をイメージしているというのだ。日本ではこの「全知全能の神」に名前が与えられていないため、人々の深層心理で広く崇拝の対象となりながらも、それが一神教の「神」とは認識されていないという島田説には、実感として頷けるものがある。
他にもイスラム教における神に対する考察や、神と市民の関わり方を宗教史の側面から検証したりと、興味深い内容が続く。「日本人と神」だけでなく、宗教史全般への導入としても楽しめる一冊である。冒頭に挙げた論調によって「自虐的宗教観」に陥っている日本人に、特に読んで頂きたい。▲2002.11.27/RT
「日本唱歌集」 堀内敬三・井上武士 編 岩波文庫 ★★★
小学校で習う文部省唱歌は、広く日本人の心に生き付いている。「兎追いしかの山・・」というメロディーを耳にすれば、実際に山でウサギを追いかけて遊んだことのない都会育ちの人でも、なんだか懐かしい気持ちになってしまうことだろう。この歌「故郷」が発表されたのは大正3年で、「蝶々」「螢の光」などを含む小学校向けの最初の唱歌集が世に出たのは明治14年。100年以上も子供たちによって歌い継がれている事になる。
この100年の間には、戦争による暗い時代もあった。戦時中、兵隊や軍神などをテーマにした唱歌も多く作られ、それらが子供たちを戦争に駆り立てる役割も果たしたのも事実である。戦後の民主化によりそれら唱歌は子供たちの前から姿を消し、戦前につくられた軍事色のない唱歌のみが学校教育の場に残った。消えた唱歌、残った唱歌、それら150曲を収録しているのがこの本である。楽譜付きなので、パソコンに入力して演奏する事も可能だし、ケイタイの着メロにする事すら出来る。
現代に歌い継がれている唱歌であっても、歌詞が変わっているのがある。例えば前に触れた「蝶々」も、現在では「さくらの花の、花から花へ」と歌っているのに対し、かつては「さくらの花の、さかゆる御代に」と歌っていた。時代の流れと共に少しずつ姿を変えながらも、忘れ去られる事なく生き残ったこれら唱歌。ネット世代の私たちと、明治期の人々が、同じ歌を心に共有しているなんて、本当に素敵な事だと思う。▲2002.9.4/RT
「赤線跡を歩く」 木村聰・著
筑摩文庫 ★★★
『売春が人としての尊厳を害し、性道徳に反し、社会の善良の風俗をみだすものであることにかんがみ、売春を助長する行為等を処罰するとともに、性行または環境に照して売春を行うおそれのある女子に対する補導処分及び保護更正の措置を講ずることによつて、売春の防止を図る』
昭和33年4月1日に完全施行されたこの「売春防止法」により、戦前の公娼制度に端を発する「赤線地帯」は全国の街から一斉に姿を消した。
「喫茶店」「カフェ」「銘酒屋」など様々な名前で呼ばれたこの種の店は、和風にしろ洋風にしろ、華やかさを演出する建築手法を大いに盛り込んで建てられた。昭和33年の廃娼後、これらの建物は旅館やアパート、民家として活用され、繁華街の隅でひっそりと第二の人生を送って来たが、時の流れと共に老朽化が進み、近年取り壊し・建て替えが進んでいる。
彩り豊かなタイルがはめ込まれた外壁や、西洋風の回転窓など、往時の華やかさを伝える旧赤線地帯の建築物を写真に収め、記録に残そうというのが本書の趣旨である。首都圏を中心とした旧赤線地帯を著者が実際に歩き、写真で街の様子を紹介しながら、花街の発祥と「その後」を伝える。興味本位ではなく、昭和を後世に伝えようという姿勢が感じられて良い。▲2002.5.26/RT
「秋田・消えた村の記録」 佐藤晃之輔・著 無明舎出版
★★★
戦後、日本が高度成長を遂げていく過程で、人口の都市への集中が問題となった。住宅難や通勤地獄、更には都市公害など、経済発展の歪は極めて可視的な現象として我々の前に立ちはだかった。それを我々日本人は社会資本の整備や科学技術の進展などにより悉く克服し、今の社会を作り上げて来たが、大量の人口が流出した過疎地が抱える諸問題は、かなりの改善をみた都市部のそれと比べると手付かずとも言える状況が続いている。
地方の山間部では、生活様式の変化(近代化)により、都市部との生活格差が広がり、長年住み続けた人々が次々とその土地を後にした。本書は、秋田県内で戦後無人化によって消滅した集落を筆者が実際に訪れた上で写真付きで紹介し、地理条件や集落の歴史、当時の戸数や電気・電話の到達有無、更に現在の状況などを写真を交えて細かく記している。
収録されている多くの記録に目を通していると、戦後60年の間になんと多くの集落が失われた事かと驚いてしまう。集落が消えると、多くの場合その土地土地の歴史・風俗も人々の記憶の彼方に埋没してしまい、ついには失われてしまう。無論その中には、そもそも定住に適してなかったと思われる土地もあり、集落の消滅を一概に嘆く必要はない。ただ、そこに集落というコミュニティーが存在していた事は何らかの形で残したいものだ。人間が死後も墓として残るように、集落にも何らかの墓標が欲しい。
私は秋田という土地に縁もゆかりもないのだが、題名が妙に気になって買ってしまった。行った事もない土地ばかりだが、不思議と郷愁を覚えてしまう。筆者も主張している通り、失われた集落とその文化を記録に残すことは、非常に重要で価値ある仕事である。カネもそんなには掛からないのだから、国の事業としてでも進めて欲しいものだ。 貴重な一冊。他の都道府県でも同じような本が作られる事を期待したい。▲2002.4.24/RT
「江戸の性風俗」 氏家幹人・著 講談社現代新書 ★★★
江戸期の性風俗を語るにあたっては、春画や艶笑落語が題材として用いられる事が多い。しかし、これらはそもそも人々の性的娯楽のために生み出されたものであり、庶民の実際の生活を反映しているとは限らない。むしろ、現在のアダルトビデオやピンク小説に見られるように、実態を誇張したものが多いだろう。
本書は、より娯楽性を排した史料を用いる事で、当時の実態に近い性風俗を描き出そうと試みる。著者が主に取り上げた史料は、開国を迫るロシアやアメリカとの外交交渉も請け負った、幕末の勘定奉行・川路聖謨が遺した日記「寧府紀磁」。川路本人の他に妻と子が登場するこの日記では、いわゆる「官僚エリート」一家とは思えないような生々しい「猥談」が語られ、笑いの種になっている様が詳しく記されている。また筆者は、「寧府紀磁」以外にも多数の文献を引いて、意外と奔放で興味本位だった当時の性風俗を活き活きと再現する。その姿に、現在の東京の姿との共通性をどこか見出してしまうのは私だけではあるまい。
更に驚かされるのが、日本の武家社会に古から伝わるとされる「男性同性愛」の世界。いざとなれば戦場で命を託す事にもなる戦友に対し、当時は、今の感覚でいう所の「同性愛的」な感情を抱いていたというのだ。なんとも衝撃的な事実であるが、種々の史料を見ていると、あながち誇張でもなさそうだ。過度の精神的依存が倒錯的性関係を惹起する、と言えるかどうかは分からないが、当時の厳格な武家社会に「男と男の友情」を超えたものが何かしら存在した事は、間違いないのだろう。
大河ドラマや「お江戸でござる」では見えて来ない、江戸期の本当の姿をちょっと覗けた気になる。とは言え、全ての現代人が当時の性風俗を余すところなく知る必要があるかといえば、そうでもあるまい。150年以上前の日本に多様な性風俗が存在した事と、現在とは異なる価値観に基づく恋愛(同性愛など)でも堂々と存在しえた事さえ知っておけば、それでいいという人も多いだろう。いわゆる「抑圧史観」に支配されがちな江戸期の捉え方に多様性を持たせるというのが、現代の一般市民に対して本書が果たす最も大きな貢献なのかも知れない。いろんな意味で刺激的な一冊。▲2001.11.27/RT
「森の仕事と木遣り唄」 山村基毅・著
昌文社 ★★★
木遣り唄とは、森林作業者や製材作業者が仕事の中で歌う労作唄の一つで、多くの場合、多人数で作業をする際に全員が息を合わせる目的で歌われていた。具体的には、木材を切り出したり、運搬したりする時に歌われた場合が多く、その場所も山間部の林業地帯に限らず、東京・木場のような製材・材木商の集まる都市部でも木遣り唄は歌われた。
木遣り唄は「多人数で作業をする際に全員が息を合わせる」事を目的とすると書いたが、現代の林業の現場では機械化が進み、多人数での作業は大幅に減少した。またそれに伴い作業自体も以前と比べて辛くなくなり、労苦唄としての木遣り唄は急速に廃れていった。現在各地に残る木遣り唄は、老年者の間に細々と残っているか、若しくは祝儀・不祝儀の際に歌われる儀礼用の唄として命脈を保つのいずれかである。
本書は、全国各地に残る木遣り唄を探訪し、地域によって異なる木遣り唄の節回しやその源流を収集・分析する。そのなかで各地域における林業の実態や歴史についても触れてられており、読者は木遣り唄を通じて、日本の林業の変遷や、林業に関する基礎的知識、更には日本の林野行政についても理解を深める事が出来るだろう。
木遣り唄だけでなく、炭焼小屋や森林鉄道など、日本の森林から失われたものは多い。林業の衰退には、エネルギー革命や外国産木材の価格低下など、なんともあらがいにくい理由があった訳だが、産業が育んだ文化まで失ってしまうのはなんとも惜しい。「産業(無形)文化財」などといった制度を設ける事で、失われつつある産業文化を保護する仕組みを作って欲しいものだ。
著者の林業に対する愛情が感じられる一冊。分かりやすくとっつきやすい。▲2001.9.3/RT
「浅草十二階」 細馬宏道・著 青土社
★★★★
明治から大正にかけて、浅草の地に十二階建ての塔「凌雲閣」、通称「浅草十二階」が立っていた事は比較的よく知られている。煉瓦造りで煙突風のこの塔は、完成直後こそ東京のランドマークとして多くの人々を集め、物見高い彼らは東京市内はもとより関八州の風景を楽しんだが、移り気な東京人の足がその塔から遠のくのも早かった。本書は、「浅草十二階」が明治23年に浅草の地に現れてから、大正12年の関東大震災で倒壊するまでの間、東京人の嗜好の変化に翻弄され、その位置付けを幾度も変えつつ生き永らえた姿を詳しく伝える。
日本初のエレベーターに乗って12階に上り、眼下に広がる風景を楽しむのが建設当初の楽しみ方だった。人々はこれまで体験した事のない風景に興奮し、新しい時代の到来を実感した。しかし、人々は次第に塔に上らなくなった。かつて賑わった塔内部では閑古鳥が鳴き、客寄せに美人写真展を催す程であった。人々の関心は「浅草十二階」自体から、その周辺に広がる劇場やオペラ座、映画館、さらには私娼が集まる「十二階下」に移って行った。「浅草十二階」は人々が上ってそこから景色を「眺める」のではなく、ランドマークとして「眺められるもの」になったのである。
産業の発展と国力の増強に伴って、人々の関心は「外を眺める事」から「自分達が外からどう見られるか」という点に移って行った。当時の風景写真が本書中に数葉掲載されているが、そこに写っているのは、12階から眺めた風景ではなく、「浅草十二階」を背景にした浅草の街並みである。そこには、もはや塔には上らなくなった東京市民が「浅草十二階」をランドマークとしてはなお誇りにし、街の発展を誇る気持ちが見て取れた。
「浅草十二階」は、見た目の華やかさに反し、経営的には厳しい状態が続いた。売却しようにも買い手が付かない、取り壊そうにも資金がない、という末期の姿には哀れさが漂う。その後関東大震災によって「浅草十二階」はその生涯を閉じるのだが、その最期は、一つの時代の終焉を表すに十分ドラマティックで、かつ物悲しい。幼年期から少年期に到る近代日本の姿を「浅草十二階」をベースに描いた一冊。好著。▲2001.8.31/RT
「増補版・時刻表昭和史」
宮脇俊三・著 角川文庫 ★★★★
究極の一次史料である「時刻表」を縦軸に、そして東京に生まれ育った時刻表好きの著者・宮脇少年の経験を横軸にして、戦前から終戦直後に至る激動の時代を描く一冊。
各種花形特急の投入により国鉄が人々を観光旅行に誘っていた昭和初期。その後日本の大陸進出に合わせて重視されていく下関経由の大陸連絡特急。そして太平洋戦争に突入後は「鉄道は兵器だ」とされ、観光旅行は禁止の方向へと向かって行った。戦前昭和期の鉄道史はこのように概述されるが、戦中であっても庶民はなかなか逞しかったようだ。
例えば、戦時中は遠距離の旅行が許可制となり、遠距離切符はなかなか買う事が出来なかったのだが、人々は「遠距離」の境界線寸前までの切符を買い、実際には「遠距離」の下車駅で乗越精算していたという。乗越精算の場合には規制が及ばないという裏ワザである。このような裏ワザを利用して、人々、特に比較的経済的に恵まれた人々は温泉地などへ英気を養っていたとのこと。
それにしても終戦の玉音放送が流れた直後にも列車は時刻表通りに運転されていたというのは驚きだ。鉄道の混乱は戦時中・終戦直後よりもむしろGHQ占領後の方が大きかった、という事実に、戦時中の混乱および敗戦のショックにもめげず鉄道を動かし続けた人々の熱意と努力に敬意を現わしたい。
また本書は当時の時刻表を写真で数多く紹介している。当時の広告/チラシ等もあり、往時の風俗を垣間見る事もできる。「旅は樺太」というキャッチコピーが目を引く樺太鉄道庁の広告では、トナカイがソリを曳いていたりして、今でも旅情をそそられる。旅好きと歴史好き、そして鉄道好きにはたまらない一冊だが、何故かこの三者は重なる事が多い。▲2001.7.23/RT
「戦時広告図鑑」 町田忍・編 WAVE出版 ★★★★
「広告は時代の鏡だ」とはよく言ったものだ。本書は、太平洋戦争中を中心とした戦時期の日本の新聞に掲載された実際の広告を収録しており、歴史教科書などでは分からない当時の風俗、市井の関心事などを幅広く知ることが出来る。
「XX(商品名)を食べて兵隊さんのように強くなろう」と子供達に呼びかける、今も存在する大手菓子メーカーや、「慰問袋にXX(商品名)!!」と訴求する健康食品メーカー。「御国のために!」と戦時債券の購入を呼びかける証券会社や、従軍記者のレポートを満載した週刊誌の広告も見受けられる(週刊誌広告のスタイルは今と全く同じ!)。
戦時中の食品・製薬業界が、戦地に送られる「慰問袋」に自社製品を入れてもらう事をマーケティング戦略として非常に重視している事など、非常に興味深い事実だ。戦時中の日本といえば、商業活動など完全に消滅していたかのような印象を抱いていたのだが、本書を通じてその誤解は消えうせた。
あの戦争が、現代とそれほど変わらない市民社会の中で起こった事を痛感させせてくれる。終戦記念日を控え、ぜひ読んでおきたい一冊である。▲2000.8.6/RT
「日本奥地紀行」 イザベラ・バード著 平凡社ライブラリー ★★★
本書は、明治11年6月から9月にかけて東京から東北・北海道を旅した著者が、イギリスに住む妹へ送った幾通もの手紙を基に書かれた紀行文である。彼女は当時47歳のイギリス人。決して丈夫とはいえなかったその身体で、通訳として雇った一人の日本人青年と2人きりで、明治維新の影響がまだ伝わっていない「未開の地」を旅歩き、その土地土地で出会った人々の風俗・生活を事細やかに記録し、われわれに伝えている。
文明開化の掛け声の下、東京には外国人も多数居留し、新橋・横浜間に鉄道も敷かれるなど、新時代の発展には著しいものがあった。その反面で、地方では依然として江戸期そのままの、素朴かつ非常に貧しい生活が繰り広げられていた。特に山間地の農民の暮らしは極めて貧しく、非衛生的であり、その姿にイザベラはある時は戸惑い、またある時は嫌悪の情をあらわにしている。しかし、その貧しさの中に息づく人々の暖かさ、そして現代では廃れてしまった数々の伝統的な風俗との出会いには、彼女も非常に深い感銘を受けており、その感動は一世紀の時を越えて我々にも伝わってくる。
日本人として本書を読むと、所々で不快な表現に出くわす。日本人(というより黄色人種一般)に対する蔑視に根ざす差別的な表現が見受けられるからだ。これは正直言って面白くない。しかしそれはそれで、当時のイギリス人が日本人をどのように見ていたのかを示す一種の「史料」として割り切るべきだと思う。またそれを差し引いても、本書が書き残した当時の素朴な風俗・習慣は、現代に生きる私達にとって非常に新鮮な情報として心に残るのである。
文明開化で華やぐ東京を中心として書かれた歴史では分からない、当時の地方の姿、言い換えれば「本当の日本の姿」を、現代の我々に比較的近い視線を持っていたであろう当時の先進国市民の記録によって知り、想像を膨らます事が出来た。我々の先祖が辿ってきた歴史を、ちょっと違った視線で見つめなおすのも、結構刺激的だなと感じた。そして何よりも、つい100年前まで、日本にこんな素朴で貧しい生活が息づいていたのかと、後頭部を鈍器で殴られたような感じを受けた。歴史の教科書に教わったその時代は「鹿鳴館」であり「富国強兵」だったのに…
失われた日本古来の風俗や、民俗学に興味のある人にはオススメの一冊。▲2000.5.5/RT
「日本人はなぜ無宗教なのか」 阿満利麿・著 ちくま新書 ★★★★
クリスマスを祝った一週間後には寺院に除夜の鐘を撞きに行き、その数時間後には神社に初詣に行く。そんな自らの姿を省みてか、日本には自らを「無宗教」と称する人が非常に多い。また海外出張時に外国人から「あなたの宗教は何ですか?」と聞かれて戸惑い、後ろめたさを感じながら「無宗教です」と答えた経験のある人も意外と多いだろう。その反面、多くの日本人は盆や彼岸には高速道路の大渋滞のなか先祖の墓を参りに出かけ、また死んだ際には僧侶を呼び、読経の中で別れの時を送る。一体我々にとって「宗教」とは何なのか? 本書はこの点をまず取り上げる。
著者の分類によると、宗教には「創唱宗教」と「自然宗教」があるという。前者は「特定の人物が特定の教義を唱え、それを信じる人がいる宗教」で、キリスト教や仏教、イスラム教が当てはまり、反面後者は「教祖・教典・教団を持たず、自然発生的に生まれ、無意識に祖先から受け継がれた宗教」と位置づけられている。上で述べた先祖の墓参や初詣、彼岸などといったものは現在の日本では「風習」や「年中行事」として理解され、「宗教」とは見なされていないが、本書はこれらを立派な「自然宗教」であるとし、日本では「創唱宗教」のみが「宗教」扱いされているために多くの「自然宗教」信者は自らを無意識のうちに「無宗教」と見なすのである、と指摘する。
また筆者は、日本人が「宗教」に対してある種無頓着である原因として「葬式仏教」の存在を取り上げている。日本人の最大の関心事は「死後自分はどうなるか」という事であり、日常生活は平穏に送れれば良いとされる。その結果多くの日本人にとって「宗教」は、葬式の際に仏教を採用し、自らの死後の「成仏」を保証する事で事足りている、と本書は述べるが、この考察は非常に示唆に富んでいる。私はこの、「宗教なんて色々と面倒だ。どうせ死んだら仏教式に葬送されて天国に行けるのだから、生きているうちは宗教なんてどうでもいいや....」とも言える一般的な認識と、上述の「創唱宗教こそが"宗教"である」という認識との2つが相俟って、多くの日本人を「無宗教」たらしめているものと確信するに至った。
日本人の宗教観に関しては以前から関心があっただけに、本書には非常に多くの刺激を受けた。明治以降「神道」が国家により「非宗教化」されて「国家神道」になっていく過程や、それを取り巻く仏教諸派の動きなどについても詳しく触れられ、国家の「宗教」に対する関わり方についても考えさせてくれる。 記述も読みやすく、取扱範囲も「狭すぎず広すぎず」で、日本の宗教に関する非常に良質な入門書である。▲99.8.7/RT
「日本の無思想」 加藤 典洋・著 平凡社新書 ★★★
日本では戦争責任に関して「失言」を発する政治家が後を絶たないが、発言はすぐに撤回され、「国会の議事を止めた責任」等を理由に役職を辞し「一件落着」となる場合が殆どである。「責任ある地位の人物が何故いとも簡単に自分の発言を撤回するのか?なぜ日本ではそれが許されるのか??」私にとってこの事は以前から疑問だったのだが、本書はこの疑問に詳しく答えてくれた。
外国人から見て日本が「不思議の国」である理由のトップは「本音と建前」の存在であろう。上述の政治家失言も要は「本音をこぼした」事に端を発する場合が殆どである。「本音と建前」は日本人の伝統的な精神構造と私は考えていたが、本書の調査によると、日本人の「本音と建前」は1970年代から現れてきたとの事。その上で本書は、本来「原則・方針」という意味で用いられていた「建前」という単語が現在の様な「口には出さない方針」という意味を持つようになった背景として、敗戦によってもたらされた日本人の価値観の劇的な変化を挙げている。
敗戦という「全面屈服」を境に日本人は戦前とは180度異なる思想・行動を取るに至ったが、その後しばらくするうちに我々は自らの「転向」を無意識のうちに隠蔽・正当化する思考装置を身に付けたという。その思考装置こそ、「あの様な行動を取ったけれども実は心の中は違ったんだ....」という正に「本音と建前」そのものなのであり、この「信念捏造装置」は、江戸時代の「踏み絵」や明治憲法下での「信教の自由」(行動に表わさない限り信教の自由を保障する)という経験から「内と外の分断」という思想風土が存在していた日本において遍く国民に共有されるに至ったのである。
「本音と建前」が存在すると言葉が意味を持たなくなり、「言葉の死」が訪れると本書は指摘するが、現代の日本社会でその初期症状が十分出現している事は明白である。ただ我々にとっての救いは、「本音と建前」が存在する前提となる「信念捏造装置の共有」が大きく崩れてきている事ではないだろうか。戦後50年を過ぎ、個々、特に年代による価値観の多様化が顕著になってきた今、「口に出さない方針=本音」が共有される割合は少なくなって来ていると考えられよう。もちろんこの事は「相手の真意が分からない」事による衝突を多く惹き起こす作用を有するが、その「衝突」こそが、「なんとなく相手の真意を汲み取り、事を穏便に進める」という戦後日本の微温湯社会を突き崩すものと私は信ずる。▲99.8.1/RT
「新編・漂着物事典」 石井 忠・著 海鳥社 ★★★★
対馬海流の影響により、北部九州沿岸には外国からの漂流物が多く流れ着いている。私自身この地域で生まれ育った事もあり、子供の頃ハングル文字の書かれた韓国の洗剤を海水浴で拾った事があるのだが、本書は福岡県在住の筆者の30年以上にわたるフィールドワーク(海岸での採集)で得られたありとあらゆる漂着物を紹介している。
ヤシの実やヘゴ、マンゴー・ドリアンといった熱帯地域の植物・果実をはじめ、クジラやイルカ・オウムガイといった珍しい動物、更には台湾や韓国から政治的意図で流されたプロパガンダ文書入りの「海漂器」等に至るまで200を超える漂着物が詳細されている。動植物に関してはその生態や分布を学術的に解説し、また民具・漁具等に関しては民俗学的分析を加えることで「何故それがそこに流れ着いたか」を科学的に解き明かしてくれる。
とにかく面白い。小学生の頃、童謡「椰子の実」に見知らぬ外国への底知れぬあこがれを感じた私としては、本書で紹介されている「漂着物」が遠い国から「どんぶらこ どんぶらこ」とゆったり流れてくる絵を心に描き、なんとも言えない穏やかな、なつかしい気持ちになった。仕事柄欧米へ頻繁に出張する様になった今でも、「海」や「見知らぬ国」に対する気持ちは変わっていない様だ。
しかし、何らロマンを感じない漂着物も多い。プラスチックの欠片やゴム風船の残骸、密輸中に投棄された覚醒剤、そして最近では発泡スチロールで作られる事が増えた精霊流しの「西方丸」等である。特に発泡スチロール製の西方丸に関してはすぐにでも何らかの規制を設けるべきと私は考える(筆者はそこまで批判的では無い様だが)。黄泉の国へ旅立つ者を送る、厳粛で物悲しくも、亡き者への暖かい愛情のこもった夏の終わりの伝統行事が自然を破壊して良い訳が無い。▲99.5.3/RT