第9話  共に存る心と無い心

 えるは自分の部屋のベッドの上に座っていた。

 時刻は夕方を過ぎ、部屋の中は薄暗くなっていた。

 その薄暗い部屋の中でえるはじっと座っていた。

 えるは待っていた。

 もうじき母親が階段を上ってえるの部屋にやってくるはずだった。

 夕食の支度が整い、えるを迎えに母親がこの部屋へやってくるはずだった。

 えるは、その母親を待っていた。

 別にお腹が減っている訳では無く、夕食を待ちわびている訳では無い。

 理由は何であれ、えるの部屋にやってくる母親を待っているのだ。

*

 間もなくして、とんとんとん、というリズミカルに階段を駆け上がる音が聞こえてきた。

 えるは部屋の入り口の方へ目を向け、訪問者を迎える準備をした。 

 部屋の扉が開き、母親のにこやかな顔が現れた。

*

 えるちゃん、夕食の支度が出来たわよ。一緒に食べましょう。

 ええ、すぐ行くわ。

 今日はお父さんも一緒だから早く来てね。

 ええ。

*

 そういう会話が交わされる予定だった。

 しかし、実際はそうでは無かった。

 笑顔で現れた母親の台詞は、えるの期待したものでは無かった。

*

 えるちゃん。あなた、随分大きくなったわね。

 それはお母さんの望む所では無いので、あなたを食べてあげるわ。

*

 母親は、そう言った。

 えるは一瞬、母親の言っている事が理解できなかった。

 聞き違いかとも思った。

*

 あなたを食べてあげるわ。

*

 母親はもう一度、はっきりとそう言った。

 えるの聞き違いは無かった。

 そして母親の言葉に受け答えしている余裕も無かった。

 母親の口は顎を外した大蛇のように大きく開き、えるに襲い掛かった。

 えるは逃げる間もなく飲み込まれてしまった。

 ごくりと喉が動き、えるは母親の体内の奥へと飲み込まれていった。

 中は生暖かく、呼吸は全く出来なかった。

*

 やれやれ、困った母さんだな。

*

 そう言って、現れたのはえるの父親だった。

 父親は慌てる事なく、ゆっくりと母親の頭を掴み、口へ手を突っ込むと中からえるを引きずり出した。

 丸くなったえるは、ベッドの上に放り出された。

 父親は何の躊躇も無く、母親をそのまま摘まみ上げた。

 まるで飼い主に捕まった悪戯な猫のようだった。

 父親はそのまま窓の所まで持っていくと、2階の窓から母親を捨ててしまった。

*

 父さん、何するの。

 ここは2階なのよ。

*

 なあに、える。

 気にする事はないさ。

 世の中には大事に守らなければならないものと抹消しなければならないものがあるんだからね。

*

 父親は微笑みをえるに向けながらそう言った。

*****

 えるは目を覚ました。

 いつの間にかベッドの上で眠っていた。

 りょうとの先程までの出来事に頭が混乱し、気持ちを静めようとベッドの上で横になっていたのだが、いつの間にか眠ってしまったらしい。はっとして起き上がると、すぐに辺りを見回した。部屋の中は真っ暗だった。眠っているあいだにすっかり夜になってしまったようだ。

 えるは今何時なのか確認しようと時計を探していた。

「思ったよりも道路が空いててね。早く帰れたよ、、、」

 

 下の階で男の話す声が聞こえてきた。

(お父さんだ。帰ってきたんだ)

 えるはすぐに思った。

 声の主はえるの父親だった。

 えるは父親が本日帰国する事を予め聞いて知っていた。

 えるは時計を探すのを止め、そのままベッドから飛び下りると、1階へ走って降りていった。

つづく

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