第7話  転回

  早朝の冷たく透き通った空気の中を1機の飛行機が東京の空港に到着しようとしていた。

 飛行機は何のトラブルも無く予定通りに滑走路に降りると、所定の位置へと移動していった。

 ハッチが開き、スチュワーデスの案内に従って搭乗していた7割程の乗客はゆっくりと外へと出ていった。

 スチュワーデスは出ていく乗客一人一人に頭を下げ、乗客の様子を確認しながら、見送っていった。

 それはいつもと変わらない光景だった。

***

 その何の変哲のない光景の流れの中を一人の黒い服を着た中年の男が歩いてきた。男は日本人であったが他の日本人と比べると著しく背が高く、人の波の中で頭1つ2つ抜き出ていた。

 男は波にあらがう事なくゆっくりと流されるままに歩き、そして去っていった。

***

 多くの客がまっすぐに出口のゲートに向かうのに対し、黒い服の男は近くの待ち合い用のシートに腰掛け、ぼんやりと外を眺めていた。舞い下りてくる飛行機を煙草を煙らせながらじっと見つめていた。

 暫くして、どこの国か判らない言葉でアナウンスがあった。男はそのアナウンスに敏感に反応し、自分の腕時計で時刻を確認した。そしてゆっくりと立ち上がるとまっすぐにトイレへと歩いていった。

 男が入ってきた時、トイレには誰もいなかった。

 男は一度すぐにトイレから外に出て、誰かがやって来ないことを確認した。フロアーには人影はほとんど無く、すぐに誰かがやって来るということは無さそうだった。

 男はさっと体を引くと再びトイレの中へ戻っていった。

 トイレの入り口からすぐ入った所に洗面台があり、その洗面台を隔てた所に上半身を写し出す大きな鏡があった。

 男はその洗面台に両手を置き、のしかかるようにして鏡の中をじっと見つめた。

 初めはその男本人しか写し出されていなかったが、やがてその鏡から男の姿は蒸発していくかのように消え、代わりに二人のそっくりな顔をした男が現れた。鏡の中の二人の男はそれを見つめている男とそっくりなスーツを来ていたが、顔形は全く違っていた。同じ東洋人系の顔では合ったがもう少しあっさりした顔だった。

 男がにやりと微笑むと鏡の中の二人は無表情のままうなずいた。男は満足そうに二言三言声にならない声で話し掛けると鏡の前から立ち去った。

 鏡の中の二人は暫くの間そこに立っていたが、やがて現れた時と逆の形でゆっくりと消えていった。

***

 みずきとさやかは次に移すべき行動を考えあぐねていた。

 二人にはさやかの失われた影を取り戻す手がかりなど全く持っていなかった。何とかさやかを元気付けたい気持ちは強いのだが、徐々に不安をもたげはじめるさやかの表情を止める術は無かった。

 その時、みずきの足元で二人に話し掛ける声がした。

「ねえ、ちょっと、、、」

 ぶっきらぼうに話し掛ける声の主は、5、6歳の小さな子供だった。子供は薄汚く汚れたTシャツとやや足元を引きずったジーンズを履いていた。その薄汚れたTシャツの袖から伸びるこげ茶けた細腕の先にはくしゃくしゃに丸められた紙片が握られていた。

 みずきとさやかが子供に目を向けると、子供は「これえ」とそのくしゃくしゃの紙片を差し出した。

 みずきとさやかは一旦お互いの顔を見合わせ、みずきは何だろうと思いながら、子供からそっとその紙片を受け取った。

 ”りょうに会えばすべてが変わる”

 紙片にはそれだけが書かれていた。

「りょう?良?何かしら、、、」

 さやかが紙片を覗き込みながらつぶやいた。

「さあ?」

 みずきは答えた。

「どうしたの、これ?」

 さやかが子供を覗き込むようにして訊ねた。

 子供はくるりと体をねじり、すぐ近くの角を指差した。

「あそこにいるおばちゃんが渡してって、、、あれ?」

 子供の指の先には誰もいなかった。

「おかしいなあ」

 子供は指の差し場に困り、その指を自分の頭に持って来、ぐりぐりとこめかみを突ついた。

(りょう、りょう、りょう)

 みずきは念仏の様に唱えた。”りょう”、それがいったい何なのか、すぐには思い付かなかった。しかし心のどこかで「聞いた事がある」という思いは残っていた。


 

 

つづく

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