第6話  帰り道(その2)

  スポットライトはりょうの足元から消えた。りょうは真っ暗な部屋の中で倒れ込んでいた。冷たいコンクリートのような床がりょうの頬を擦った。

 部屋の向こう側の壁のような所で映写機で映したような光があった。

 りょうはそこへ近づき、そこに映し出されているものをじっくりと見た。そこには林の中をぐんぐんと突き進むもう一人のりょうとえるの姿があった。その突き進む様子は果てしなく続き、二人はそのブラックホールのような林の中に押し流されていくようにも思えた。周囲には人影どころか民家のようなものも無く、高くそびえ太陽の侵入を遮ろうとする木々とあわよくば足でもさらってやろうと意地悪く足元に絡み付く雑草しかなかった。やがてその茂みの間からはりょうが今まで見た事が無いようなおぞましい顔をした生き物が顔を覗かしはじめ、好奇な目つきで二人の姿を追っていた。そこは今まで坂を下ってきた所までの世界とは全く異なっている場所のように思えた。

「何をするんだ。どけ。」

 りょうは、もう一人のりょうを止めようと映し出されている壁に向かって突進した。しかしそこは見た目の通りの固い壁でしかなく、りょうは激突した痛みと壁の冷たさしか感じることは出来なかった。

 りょうはこの映像の放っている場所を探した。しかし光はこの部屋のどこから放たれているのか判別出来なかった。どちらかというと自然発生的に空間から放たれていた。

 今や映像は壁を遮るりょうの身体に二人の姿を映し出していた。

***

 えるは、りょうに連れられるまま黙って歩いていた。実際にえるが歩いている場所は坂から少し離れた所の林で、周囲を見れば人影こそ確かに無いが、民家や他の建物が目に入る位置にいた。

 辺りはとても静かなところで、雑草を踏み分けるガサッガサッという音以外に聞こえるものは無かった。

 坂から50メートル程歩いた所でりょうは立ち止まった。そして辺りをもう一度注意深く見渡した。その注意深さはまるで盗んだ財宝を秘密の穴に埋めようとする盗賊のようだった。

 えるは不思議そうな顔でりょうの仕草を見つめていたが、りょうはそれに気付く様子は無かった。

「どうしたの?りょうくん。」

 少し不安を感じたえるは、りょうに話し掛けた。しかしりょうは返事をしなかった。代わりにニタニタといった感じの悪い笑みをえるに向かって浮かべた。

 その笑顔はえるにむしずを走らせた。本能的にえるは警戒心を抱き、りょうの元から一歩後ずさりした。

 りょうはそれに注目し、えるの次の動きを測った。おそらくりょうがもう一度変な態度を取れば、えるは何か危険なものを感じ、走って逃げるであろうと予測していた。りょうは表情を真顔に戻した。

「どうしたの?」

 えるは伺うように、再度そう言った。警戒心は解いていなかった。何かあればすぐに逃げられるような体勢になっていた。

「いや別に、、、少し静かな所で話がしたいと思ってね。」

 りょうは平静を装ってそう答えた。しかし実の所は隙があればすぐに飛びかかろうとする飢えた野獣のような状態になっていた。飛びかかりたい情動を抑えるがためにりょうは自分の手の拳を骨が折れんばかりに握り締めていた。必要以上に気持ちを抑えようとするりょうの身体は不自然な形に揺れていた。

 そんなりょうの姿にえるは警戒をゆるめる事は無かった。それどころか更に強めていった。

「話?何の話かしら?もうそろそろ暗くなるし、帰らないと、、、それにこんな静かな所怖いわ。戻りましょうよ。」

 そう言ってえるは来た道を戻ろうとした。

 りょうは、思い通りに行かない展開にいらついた。

「ちょっ、ちょっと待ってよ。」

「帰るわ。」

 りょうの言葉も聞かず、えるは向きを変えて引き返そうとした。

「待ってってば、、、」

 りょうの言葉を無視してえるはすたすたと戻り始めた。

 その時。

 バサバサバサという大きな音を立てて木々の間から大きな鳥が飛び上がった。

「きゃあ」

 びっくりしたえるは、りょうの方へ一歩退がり、その鳥に目を奪われた。

(今だ)

 えるの悲鳴はりょうには短距離選手のスタートの号砲のように聞こえた。自分を縛っている心の紐は力強く振り切ると呆気無く外れてしまった。

「うおおっ。」

 りょうは獣のような声を発しながら、えるに飛びかかった。

 しかし、、、

 えるの反射神経は予想以上に良かった。えるの頬にりょうの指先が触れると、振り向く事も無くえるは身体を屈めて、りょうの腕から逃れた。そして動きを止める事無く、りょうの元から逃げ出した。2、3歩よろよろとよろけた後は一目散に走り出していた。

「待て。」

 りょうは事態が悪化した事に焦った。走り去るえるを、恐ろしい形相で追い掛けた。

 遠慮も気遣いも無かった。りょうは恐ろしい速度で追い付くと、えるが怪我するかもしれないことも考えず、そのまま飛びかかった。りょうは、えるに覆い被さるようになった。

 えるはりょうの体重を受けてバランスを崩し、そのまま地面に倒れこんだ。肩を近くにあった大きな木の根元に強く打ちつけた。えるは痛みで暫く上半身が痺れたようになった。

「止めてよ。何するのよ。」

 悲鳴に似た声でえるは叫んだ。

 りょうが黙っていた。そして、覆い被さったまま、えるの首を締めた。えるの首は思った以上にか細かった。高校生のりょうが力を込めれば簡単に折れてしまいそうだった。

 りょうは遠慮無く首を両手で締め付けた。喉がつぶれ、えるはあっという間に気を失った。

***

 えるは暗闇の中をゆっくりと沈んでいった。

 音も無く、薄ら寒いような空間は、まるで深海へと落ちていくかのようだった。

(落ちていく)

 えるにはそれに抵抗する力は無かった。ただ落ちるに任せている自分を感じているだけだった。

 今のえるには、それまでの記憶は無かった。りょうと会ってたことも、りょうに殺されそうになってたことも、、、

 今、なぜここにいるのかも分からなかった。

(落ちていく、、、)

 えるに分っているのはそれだけだった。

「落ちていくう?」

 音の無い世界と思われていたところに、それを打ち破る声が聞こえてきた。それはえるがまさに落ちて行こうとしている下の方からの声だった。

「落ちていくだと?ここには上も下も無いさ。あんたはいくとこに行くだけさ。」

 えるは声のする方を見た。そこには一匹のうさぎが立っていた。真っ白で長い耳をぴんと立てたそのうさぎをえるはどこかで見た記憶があった。しかしどこなのかは思い出せない。

(あ、あなたは)

 えるは声を出して訊ねようとしたが声が出ない。

 うさぎの横には大きな穴が開いており、その中は白いもやのようなものがぐるぐると渦を巻いていた。

「ほらほら、あんたが行く所はそっちじゃないよ。この穴だよ。」

 うさぎはそう言いながら隣の穴を指差した。うさぎには、えるがうさぎについて知りたいと思っている様子など察しようとする気配は無かった。

 えるがそちらへ行こうと努力するまでもなく、えるの身体は穴の方へと流れていった。

 えるがその穴に近づくと、うさぎはえるの身体を捕まえ穴の中に放り込んだ。

***

 穴の先にはりょうがいた。

 いつの間にか、えるはりょうの意識の中にいた。

 りょうはえるの突然の心の侵入に戸惑った。

「何だ、お前は。なぜ僕の心に勝手に踏み込むんだ。」

 りょうは怯えていた。

 えるはりょうの様子にいつものりょうとの違いを感じた。

「あなたは誰?あなたはりょう君と違うわ。」

 えるは思った事を口にした。

 りょうはそれを聞くと非常に悲しい顔つきになり手で両耳を塞ぎ、えるの言葉を聞くまいとした。

「そんな事無い。俺はりょうだ。」

「違うわ。りょう君と違う。」

 えるは断言した。

 それはりょうにとって非常に致命的な言葉のようだった。りょうは悲しい声で「俺はりょうだ、、、」と呟くように答えるとりょうの意識の中から消えていった。

 それと同時にえるも自分の意識の中へ帰っていった。

***

 りょうは壁に寄り掛かり途方にくれていた。

突然光が消え、映写しているものは闇にかき消された。

りょうの寄り掛かっている壁は柔らかい膜のように薄くなり

りょうの重みで簡単に破けた。

りょうは壁の向こう側に倒れこんだ。

そこはスポットの当たる場所だった。

***

 えるは無意識の中で上にのしかかるりょうの事を突き飛ばした。

***

 気がつくと、りょうは林の中で倒れていた。大きめの木に背をもたれかけていた。

 目の前には泥だらけで髪を振り乱したえるが何かをりょうに向かって話していた。強い口調で何かを訴えかけているようだったが、りょうの耳には何も入ってこなかった。えるの顔は悲しい顔をしていた。

 やがて話が終わると、りょうに近寄る事無くそのまま走り去ってしまった。

 

 

つづく

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