第6話  帰り道(その1)

  日向丘の比較的急な斜面をりょうとえるはとぼとぼと下っていた。

 日はかなり落ち、遠くに霞むように見える山の谷間に沈んで行こうとしていた。空は水彩画で描かれたように艶やかなオレンジ色に彩られ、その輝きを二人の顔や歩いている地面に映し出していた。

 どこかで烏の鳴く声が聞こえていた。工場のサイレンのような音が力無く響いていた。

 二人はしばらくの間無言で歩いていた。りょうはうつむいた姿勢のまま足元に伸びている1つの影を見つめていた。黒く細長く伸びているその影は隣で歩いているえるのものであり、そこに並行しているはずのりょうの影は全く無かった。

 りょうは叫びだしたい気持ちを抑え、その事実を受け止めていた。意識して見れば非常におかしな光景といえるが、幸いえるはその事には気づいていないようだった。仮に気づかれたとして、りょうに答えを求められても、りょうには答えるものを用意していない。

 開けてはいけない箱を開けてしまったから?

 自分が分裂してしまい、影の存在を失ってしまったから?

 そんな事をえるに言って納得するとは思っていない。そんな馬鹿げたこと、、、 

 坂の途中まで来たところで、えるの方が沈黙を破った。

「りょうくん?」

「ん?」

 我に帰ったようにりょうはえるの方へ顔を向けた。りょうがあまりにも驚いた顔でえるの方を向いたので、えるは続けて話しをするのを一瞬ためらった。

「話しても良い?」

 りょうがあまりにも驚いた顔でえるの方を向いたので、えるは続けて話しをするのを一瞬ためらった。

「ああ、いいよ。何?」

 りょうも何とか笑顔を作り、そう答えた。非常にぎこちない笑顔だった。

「今日、話そうと思ってたこと。セミナーの事とか、、、私ね、りょう君の言うとおりセミナー辞めよう思って、この間セミナーの先生にそう伝えたの。ちょっと残念そうな顔されたけど、了承されたわ。いっしょに行ってた友達もなんでーって文句いってたけど、どうしてもって言って。私、これでも結構頑固で言い出したら聞かない性質だってみんな知ってるから、必要以上には言われなくて助かるの。」

「そう、それは良かった。、、、ありがとう。うれしいよ。」

「ちょっと肩の荷が下りた感じよ。」

 えるは少しおどけた風にそう言った。

 ここまでの話は、りょうも望んでた話でもあるし、結構うまく行ったことについての報告でもあるので、えるとしては比較的スムーズに話すことが出来た。りょうも先ほどとは違って心底明るい表情になった。

「じゃあ、これからは結構会えるようになるのかな?」

 りょうの言葉にえるはギクリとした。えるがセミナーを辞めることも、結局は二人が会う時間を増やすことを目的としていたのだが、結果としてえるはりょうに暫くの間会えないと告げなければならなかったからだ。

「あのね、、、」非常に重たそうな口を何とか動かしながら、えるは話を続けた。うまくろれつが回らず、何度も舌をかんだ。「実はうちの父親がね、、、そのう、、、海外赴任してたって言ったっけ?うん、アメリカに行ってるのよ。なんだけどね、今度仕事の都合で日本に帰ってくるの。で、その仕事の一環でちょっと手伝って欲しいことがあるって言われてて、、、そのう、、、久しぶりに日本に帰ってくるんで結構慣れないことが多くって大変みたいなのよね、、、で、、、」

 えるは一生懸命言葉を探した。りょうはえるがしどろもどろする姿を黙って見つめていた。りょうに見つめられたえるの話は余計に要旨をが分からなくなっていった。しかし、りょうの方はえるの様子を見ていくに連れて、えるの言いたい事が何となく分かり始めてきた。

 いつまでも要領を得ないえるの態度に業を煮やしたのか、えるの姿が気の毒に思ったのか、りょうはえるの話の結論を切り出した。

「つまり、、、暫く会えないってこと。」

「えっ?」

 えるの動きが止まった。りょうもえるの動きに合わせて立ち止まり、表情を変えずにえるの事を見つめていた。どう答えて良いか困っているえるに、りょうはもう一度念を押した。

「暫く会えない、、、ってことだよね。」

「う、うん。」

 えるは意図を突かれ、消え入るような声でそう答えた。知らず知らずのうちに顔はうつむき加減になっていった。

「そう、、、」りょうは呟くようにそう言った。「会えなくなるのか、、、」

「ごめんなさい、、、」

 えるの声は、もはや虫の鳴くような声になっており、りょうの耳まで届いたかどうかは定かでは無かった。

 りょうは無言のまま下を向いた。仕方ないと何とか思おうとしたが、止めど無く怒りがこみ上げてきて止まらなかった。それは理性とは別の生き物がりょうの体の中で動き回り、りょうの心を掻きむしっているようだった。

「今度、いつ頃会えるのかな、、、?」

「、、、、」

 それはえるにも分からない事だった。父親にそう頼まれたものの、具体的な話は何一つ聞いていなかった。ついこの間えるとみずきに起きた不思議な出来事を解明することであると言う事以外は、、、。無論そんな事をりょうに話した所で理解される訳はないとも思っていた。結局えるは無言にならざるを得なかった。

「仕方ないね、、、分かったよ。」

 りょうは何とか理性が打ち勝ち、絞り出すようにそう言うことが出来た。喉がからからに渇き、多少声がかすれた。

「ごめんなさい、、、」

 えるの声は、もはや本人にすら聞こえてなかった。にも関わらず、りょうはこくりと肯いた。

「会えるようになったら連絡して。」

 りょうにはそう言うのが精一杯だった。

 二人は再び歩き出した。非常に重苦しい雰囲気だった。背中に重い荷物を背負わされ、終わりのない絶望的な労役につかされている囚人のように、肩をがくりと落とし、弱々しく坂を下っていった。

(何なんだろう。父親の手伝いって、、、父親の手伝いくらいで何日も会えなくなるなんて事があるんだろうか?ほんの少しも会えなくなるなんて事があるんだろうか?おかしいんじゃないか?、、、口実?自分と会わなくするための。つまり自分のことが好きでは無くなったってこと?なぜ嫌いに?喧嘩もしてない。他に好きなやつが出来たとか?)

 りょうの頭の中に次から次へと良くない思いが湧いてきた。勝手な想像にすぎないのに不快感が募り、吐き気さえもよおしそうだった。

 りょうはそっとえるの顔を見た。えるは黙ったまま下を向いて歩いている。

(嘘をついているのか?)

 りょうは何とかしてえるの本心を探ろうとした。しかし読心術を心得ている訳でもないりょうにとっては全く推し量ることは出来なかった。

(嘘なら嘘と言ってくれ)

 りょうは心の中で叫んだ。しかしそれは本心ではなかった。

「嘘をついているに決まってるだろう。」

 何者かがりょうに話し掛けた。

 りょうは前を見た。そこには先程の病院の待ち合い室の大きな鏡の中で出会ったもう一人のりょうが立っていた。もう一人のりょうは意地悪そうな笑みを浮かべ、腕を組み、二人が下りてくるのを待ち構えていた。

 りょうは立ち止まり、黙ったままもう一人のりょうを睨みつけた。もう一人のりょうはへらへらと笑いながら話を続けた。

「この女はとんだ嘘つきなんだ。俺には分かる。とんでもない奴だ。こんな奴、甘やかす必要無いぜ。もっと怒れよ。」

「お前には関係無い。俺の前から消えろ。」

 りょうは厳しい口調でそういったが、もう一人のりょうには堪えている様子は無かった。それどころか更に図々しい口調になっていった。

「いいのかい?俺がいなくなっても。お前の中の一部が欠けるんだぜ。影が無くなったくらいでびびってたくせに。」

 りょうは気になっている点を突かれて、ぎくりとした。

「いいか。俺の言う事を良く聞けよ。こんな女なんか遠慮する事は無い。犯っちゃえよ。」

「、、、」

「本当は殺っちまった方がもっとスッキリするけどな。」

 もう一人のりょうは卑劣な笑みを浮かべた。りょうは平然とそう言い放つもう一人のりょうに恐ろしさを感じた。

「うるさい。2度とそんなこと言うな。」

 りょうは力一杯怒鳴った。額から脂汗が流れ出てきた。しかし、もう一人のりょうは平然としている。

「2度と言うな、だと?良く言うな、、、俺はお前なんだ。お前が考えている事を俺が言ってるだけだ。偽善者め。自分の怒りを忘れたのか?ふん、まあいい。そこの先を見てみろ。都合の良い林がある。そこへ連れ込めよ、偽善者くん。そこなら誰も来ないさ。」

「、、、、」

(こいつが自分だって?)

 りょうの頭は混乱しつつあった。そこへもう一人のりょうが追い討ちをかける。

「何、混乱してるんだ。自分の心を良く見ろって言ってるんだ。自分の怒りに素直になれ。誰も我慢しろなんて言ってない。誰も殺すななんて言ってない、、、切れろ。ぶち切れろ。」

「、、、、」

(こいつが自分だって?)

 りょうの頭は整理に追い付いていかなかった。

「じれったいな。どけ。」

 痺れを切らしたもう一人のりょうは、突然りょうに抱き着いてきた。りょうの心はりょうの身体から追い出された。

「どうしたの?りょうくん?」

 突然立ち止まって、遠くを見つめているりょうの腕をえるは揺さぶり呼び掛けた。

 暫くして我に帰ったりょうは、「何でもない」と一事言うと、辺りをきょろきょろ見回した。そして坂の途中にある人気のない林へと続く小道を見つけると、えるの腕をぐいと掴んだ。

 その力は異常に強く、えるはあまりの痛さに顔をしかめた。

「あの先へ行ってみよう。」

 りょうはそう言うと、えるの腕を掴んだままぐいぐいと林の方へと引っ張っていった。えるは訳が分からないままりょうに引っ張られ、そのまま林に連れられていった。

 

 

つづく

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