第4話  対話

 暗く冷たい深海から何者かの手によって強く押し上げられて来たかのように、りょうは深い眠りから目を覚ました。

 あたりはとても静かで、暗かった。少し離れた所の天井にある小さな明かりが、ここを照らす唯一の明かりのように思えたが、それもついたり消えたりと頼り無い感じだった。

 りょうはゆっくりと身体を起こす。腕に力を入れるとぎぎっとスプリングの軋む音がする。りょうが横たわっていたのは少々固めのベッドの上だった。真っ白なシーツが敷かれている。周りにはりょうのベッドを囲むようにしてたくさんのベッドが置かれていた。その先は闇に包まれていて、部屋はどのくらいの広さなのか確認できない。

 つんと消毒薬の匂いがした。ここは病院なのかとりょうは思った。

(りょう、、、)

 正面のベッドの置いてある位置から、りょうを呼ぶ声が聞こえた。りょうが正面を注目していると、ぼんやりと浮き上がるように一人の姿を表し始めた。そして、それをきっかけにぽつりぽつりと蝋燭が灯されるように周囲のベッドに人の姿が現れ出した。

 りょうは自分を取り囲む者たちの顔をゆっくりと見渡した。左右に座る者達は、みなりょうが気を失う前に見た者たちばかりであった。箱に写し出された少女、自分に良く似た男、狂気を秘めた銀髪の男、おびえている子ども。彼等はじっと黙ってりょうの事を見つめていた。唯一正面のものだけは、りょうは初めて会う事になる。以前に会ったかもしれないが、確認できなかった。なぜなら正面の人物には顔が無かったからである。もしかすると光の加減でそう見えるのかもしれないが、りょうが見る限り、のっぺらとした顔に目鼻は無かった。男か女かも分からない顔なしの人物がりょうのことを呼んでいた。

(りょう、私の話に耳を傾けなさい)

 顔の無い人物は言った。りょうは顔の無い人物の顔を見た。見れば見る程無気味な顔だったが、不思議と恐怖心は起こらなかった。

 突然ブオーンという音が響き、部屋が明るくなった。顔の無い人物の背後にテレビのモニターがあり、その電源が急につき、画像を表し始めた。音が全く無いその画像は、古い外国のドキュメンタリーの様なものだった。白黒の画像で、若干実際の動きより早めに動いていた。

 画像には無数のねずみが行進していた。何かに取り付かれたように、脇目もふれず、真直ぐに荒野を突き進んでいた。相手の身体を乗り越え、我れ先を争うようにして進んでいた。まるで彼等の進むゴールには抱えきれない程のごちそうが待っていると言わんばかりに。

 しかし、ねずみの突き進む先は崖だった。ねずみはその崖から何の躊躇も無く飛び下り、そしてその下で荒れ狂う波の中に吸い込まれて行った。恐らく生きているねずみは一匹もいないだろう。にもかかわらず、ねずみは次々と飛び下りて行く。画像はねずみの行進と飛び下りる瞬間を交互に流していた。

(レミング、、、)

 りょうは一瞬その画像に見とれていたが、再び顔の無い人物に呼ばれて、意識をそちらに戻した。

(りょう、、私の話を聞きなさい)

(あなたは、誰ですか?)

(私は、杉崎りょう。つまりお前だ)

(また、俺か、、、)

 りょうは半ばやけ気味にそう呟いた。

(私はお前であり、お前達の統率者でもある。お前達にとっての私の役目は、お前達を統率する事のみであり、私には人格と言うものが無い。故に私は顔を持たない。お前は私を統率者と呼ぶがよい)

 りょうには顔の無い男の言っている事が良く理解できなかった。周囲の者たちも黙ってりょうのことを見つめていた。

(僕にはあなたの言っている事が、良く分からない。あなたがなぜ僕だと言い張るのか?なぜ統率者だと言い張るのか)

(お前はちょっとした事に関わってしまい、自己分裂を起こしている。このまま放っておけば、お前の心から少しずつ自己が離れていき、最後にはお前自身が無くなってしまう。)

(ちょっとした事って、、、僕が何をしたって言うんだ。僕にはそんな事になってしまうような事をした覚えは無い)

 半ば興奮気味にそう言った。

(箱だ。お前は箱を開けたのだ)

 一瞬針で胸を突かれた気がした。花屋の主人の笑い顔が頭に浮かんできた。悪戯っぽい笑顔を見せて箱をしまっていく花屋の主人の後ろ姿が脳裏に浮かび上がってくる。

(開けてはいけない箱。あれは、、、)

 悲しい顔でりょうを見つめている子どもの方に目を向けた。開けてはいけないと泣いていた子どもの顔を思い出した。

(人の心には開けてはいけないものがある。好奇心と言うものは確かに自分では御し難いものではある。しかし、一度開いてしまったものを元に戻すには相当の苦労が要る)

 まだ言っている事がよく理解できていなかった。たしかにりょうは花屋にそそのかされて箱を開けた。それがなぜいけないと言うのか。開けた事によって、なぜ人格が分裂するのか。

 そう思い、その理由を訊ねようとする前に、その答えは返って来た。

(箱はある事の象徴だ。あの花屋は暗闇から吹き出てきたものの仮の姿だ。お前は自分の心にある暗闇を解放するための入り口を開いたのだ。闇がお前を陥れ、口を開かせたのだ。闇はやがてお前を支配し、お前を乗っ取る事になるであろう。その時お前はお前の主人で無くなり、お前を乗っ取った暗闇の影となる。やがて暗闇は世の中の意識の底を這い回り、意識の外へ飛び出して来る。人に意識があるように、この世の中全体にも共通して流れている意識がある。人の心に暗闇があるように、この世の中にも共通した暗闇がある。今、その暗闇は人の心の隙間から少しずつ外に解放されつつある。)

(、、、、)

(世界は破滅に向かっていく、、、)

(、、、、)

(お前はこれから、お前が付き合っている女性の兄と会う事になるだろう。その兄はお前の味方だ。その兄と協力していく事によって、お前は自分を取り戻せる。その兄と一刻も早く会う事だ。)

(、、、、)

(私はもうお前を統率していく事は出来ない。私は森へ去る)

 顔の無い男はそこまで言うと急に身体を小さく折り畳み始めた。そして小さい光を放ちながら梟にに変身した。梟は羽をばたつかせながら飛び立つ仕草を始めた。

(最後にもう1つだけ忠告をしておく。お前はお前が付き合っている女性の父親ともいずれ会う事になるだろう。しかし、その父親を信用するな。)

 梟は消えた。

 テレビのモニターも消え、離れた所にあった明かりも消えた。

 あたりは真っ暗になった。

 

 

 

つづく

*** ホームへ戻る ***