第1話 駱駝に乗った少女
その少女は、かならず駱駝に乗ってやって来た。
果てしなく広がる砂漠の中を、恐ろしい程真っ暗に突き抜けた夜空と、そこから降り注ぎ続けられている星の下を、少女は駱駝に揺られてゆっくりとやって来た。
みずきは砂漠に立っていた。ここがこの広い砂漠のどの辺に位置しているのかは分からなかった。なぜここに立っているのかも分からなかった。分っているのは、ここへ駱駝に乗った少女がやってくるという事とみずきがその少女を待っているということだけだった。
みずきは砂漠に立ったまま、少女を乗せた駱駝がゆっくりとこちらに向かってくるのを黙って見つめていた。別に少女と駱駝がやってくるのが見えたからといって、みずきは手を振って合図をしたりしない。少女を乗せた駱駝はかならずここへ到着する事を確信しているからだ。
少女は、とりたててみずきを探す素振りも無く、下を向いたまま着実に近づいて来ていた。
少女がここへ現れるのは今日で7回目になった。
駱駝はゆっくりとみずきの前で立ち止まると、少女はその背中からするすると降りてくる。そしてにっこりとみずきに微笑む。みずきも微笑み返す。
いつもここでみずきの夢は覚める。
みずきは6晩続けてこの夢を見ていた。そして今夜も同じ夢を見ていた。
いつもの通り少女は駱駝の背から降り、みずきに微笑んだ。みずきもいつも通りに微笑み返した。
少女の年令は5、6歳といったあたりであろうか。かわいらしい赤いワンピースを身に着けていた。
「こんにちは。」
少女は明るい声でみずきに声をかけた。みずきは少女の声を聞くのは初めての事だった。意外な展開に少し動揺した。いつもは少女が微笑んだ所で目が覚めていたのに、今日は目が覚めない。
「や、やあ。」
みずきはあいまいな返事をした。
「どうしたの?わたし、変?」
みずきの困った様子に、少女は不思議そうな顔でみずきの事を見つめた。
「いや、別に、、、ただ君と話をするのは初めてだから。」
「そうね。」
少女はにっこりと微笑んだ。
「なぜだろう。いつもはここで目が覚めてしまうのに。」
「わたしにはわからないわ、わたしの夢じゃ無いもの。」
「そうだね。これは僕の夢だ。」みずきはうなずいた。「でも僕にも分からないんだ。」
「きっと続きが見たいと思ったからじゃないかしら。」
少女は何の思慮も無くそう言うと、けらけらと笑った。非常にあどけない笑い声だった。
「そうだね。きっとそうに違いない。」
みずきも素直にそれを受け入れた。
「ところで君は誰なんだい?」
「わたし?、、、如月さやか。」
「さ、さやか?」
みずきは訊ね返した。すぐに自転車に乗った、高校性のさやかを思い浮かべた。
少女はこくりとうなづいた。
「お兄ちゃんに会いに来たの。」
「お兄ちゃんて、、、僕に会いに?君は僕を知っているのかい?」
少女はまたこくりとうなずいた。
「僕が知っているさやかは、君とはちょっと違うな。僕が知っているのは高校性の女の子だよ。」
「あらあ、、、」少女は真面目な顔をして答えた。「わたしは、そのさやかよ。」
みずきは真剣なまなざしで少女の事を見つめた。少女の顔は、みずきが見る限り嘘をついているようには見えない。
「わからないな、、、君が高校性のさやかだなんて、、、」
みずきは、そう呟いたものの少女の中にどことなくさやかの面影を感じていた。心のどこかでさやかかもしれないという気持ちは残っていた。
「見てくれは、そうだけど、、、わたしは如月さやかの子供の頃なの。」
いっている事は妙な事だった。しかし少女の顔は至って真面目な様子だった。
「子供のころ?」
「そう、、、わたし、今のさやかから離れちゃって、迷子になってしまったみたいなの。戻りたくても、今のさやかがどこにいるか分からないし、困っていた所へお兄ちゃんが立っていたの。そしてこの駱駝は迷わずお兄ちゃんの元へ歩いていったわ。わたしはお兄ちゃんに聞けば、さやかに会えるって感じてたわ。それにお兄ちゃんならさやかを救えるって、、、」
「救う?」
みずきはえるが閉じ込められていた部屋の事を思い出した。そこでさやかは気の触れた銀髪の男に殺されかかっていた。みずきはさやかの絶叫を聞きながらも、救う術をもたず、自分とえるの身の危険からさやかをそのままに、部屋から脱出していた。夢のような出来事とはいえ、そのことはみずきの心にいつまでも気にかかったままでいた。
実家から帰る時、えるはみずきに気になるような事を言っていたが、みずきはそれについて再度えるに聞き返す事をためらっていた。自分から聞き返すにしては、突拍子も無い事だった
みずきが自分のアパートに帰った時、アパートは出かける前と変わっていなかった。ただし猿から預かったビデオは無かった。その他の物があまりにも出かける前と同じに、そして自然に置かれているためビデオが無くても違和感は無かった。むしろビデオが有る方がこの部屋の自然を壊してしまうような気がした。
果たして今まで不安がっていたものは一体なんだったのか、みずきは自分の記憶に不安感を覚えた。
そしてその日から、この不思議な夢を見るようになっていた。少女が駱駝に乗って現れ、自分をさやかだという。そしてさやかを救えるのはみずき自身であると、、、
「そう、お兄ちゃんなら救えるわ。このカードを見て。」
そう言うと、少女はポケットから1枚のカードを取り出した。そのカードは以前さやかに会った時に見せられたカードそのものだった。さやかはそのカードでみずきの近い将来を占ったのだ。そのカードには「M」という文字が書かれていた。
「みずきの『M』よ。」少女は言い加えた。「お兄ちゃんの名前は、あおいみずき。」
「どうして僕の名を、、、」
「わたしは如月さやかだからよ。」
みずきはますます少女の言う事が疑えなくなって来た。
「さやかはどうなっているの?無事なの?」
みずきは訊ねた。真面目な質問だった。
「今?わからない、、、どこにいるのかも。でもわたしがここに居るということはさやかの心が1つ離れたと言う事なの。心は1つ離れていくと止めど無く離れていくわ。全て無くなってしまうまで。」
少女の表情は急に暗くなった。今までの明るさが嘘のように思えた。
(こんな深刻な事態なのにどうして少女はにこやかにやって来たのだろう。しかも駱駝にのって、、、第一なぜ自分はこんな砂漠に立っているのか)
「言ったでしょう。ここはお兄ちゃんの夢だって。」さやかはみずきの考えを見透かすようにそう言った。「わたしは間違い無くさやか。でもわたしが微笑むのはお兄ちゃんが微笑むから。わたしが悲しむのは、お兄ちゃんが悲しむから。」
少女の言う事は分かるような、分からないような事だった。とりあえず、みずきは黙ってうなずいた。
「でも、どうしてさやかはこんな事に。」
「多分。」少女は首を傾げながら答えた。「パンドラの箱を開けたからだわ。」
「パンドラの箱?」
「そう。パンドラの箱。開けないほうが良いのに、さやかは開けたわ。おじいさんが持って来たの。とても優しそうなおじいさん。でもちょっと危険な予感もしたの。おじいさんはニコニコと微笑んでさやかに箱を渡したの。さやかはそれを受け取って、黙ってじっと見つめていたわ。暫くの間、それを開けようかどうしようか迷っていたわ。」
少女に真剣な話は続いた。みずきは話に出てくる老人のことが気になった。
「わたしは本当に開けない方が良いと思ったのよ。」少女は繰り返した。「でも、他のさやかはそうじゃなかった。わたしは小さいから意見は通らなかった。さやかは箱を開けたわ。」
「ねえ、そのおじいさんっていうのは、、、」
「見つけたあ。」
みずきが老人について訊ねようとすると、突然背後で男の声がした。みずきが振り返ると、何者かの腕が見え、強い衝撃が走った。
***
みずきは目を覚ました。
心臓が高鳴り、全身が汗まみれになっていた。虚脱感が残る。
みずきは目だけをぎょろぎょろと動かして辺りを見回した。自分の部屋に間違い無かった。静かさの中に時計の音がコチコチと正確なリズムで時を刻んでいた。
みずきはゆっくりと身体を起こした。そして時計を見た。既に昼近くになっていた。頭をぽりぽりと掻きながら夢の中の出来事を思い返していた。夢には、目覚めるとすっかり忘れてしまう夢と目覚めた後も鮮明に記憶に残っている夢とがあるが、今のは後者に相当する。しかもかなりはっきりとした物だった。
(どうしようか、、、夢であった事に従うなら、さやかを探しに出かける所だが。でも、探すと言ってもどこへ?さやかがどこに住んでいるかなんて知らない。どこを探せって言うんだ、、、)
みずきは今後の事について考えた。そしてぼんやりと窓の外を眺めた。雲が流れていた。
(可能性を考えたら、やはり出会った場所か、、、)
みずきは立ち上がり、テキパキと着替えをし、出かけた。
行き先は金魚やだった。
みずきは猫のネロと行った金魚やの前で立ち止まった。
期待した通り、金魚やの前にさやかはいた。さやかはぐったりとした感じで金魚やの前に座っていた。両腕で膝をかかえ、頭をひざ小僧に押し当てていた。とても疲れているように見えた。
「さやか、、、」
みずきが声をかけた。
みずきの声を聞いて、さやかはゆっくりと顔を上げた。