第13話 丘の上のもう一人の少女
「何してるの、こんなところで。何か悩みごとでもあるようにも思えるけど。」
さやかが公園のベンチでため息をつきながらぼんやりしていると、いつの間にか誰かが現れ、話し掛けてきた。
その声にさやかは反射的に顔を上げた。そこにはさやかと同じ年令くらいの少年が立っていた。少年はTシャツにジーンズ、スニーカというスタイルだった。男性にしては比較的長めの髪とやせ細った顔の間に大きな瞳が光り、さやかのことを見下ろしていた。
(何なんだろう、この人)さやかは少年の顔を見ながら、そう思った。(うちの学校の生徒かしら、、、ずいぶんと馴れ馴れしいな。今はちょっと誰とも話したく無いんだけど)
さやかのそんな気持ちに気付く事無く、少年は話し掛け続けた。
「となり、、、座っても良いかな?」
さやかは返事をしなかった。少年から目をそらし、遠くを見つめていた。
少年はしばらくそのまま立っていたが、やがて無言でさやかの隣に腰を下ろした。さやかは少し迷惑そうな表現を含めて少年から身体を離すように腰をずらした。
(立ち去ろうかしら)
さやかは思った。しかしそれを追い掛けるように(どこへ?)という問いかけがさやかの中に沸き上がってくる。
(墓地へ?)
(ちょっとまださっきの夢から気分が立ち直ってない。怖い、、、)
(じゃあ、家へ?)
(、、、何しにここまで来たのよ)
行き先についての決断が出来ず、さやかはここから動く事が出来ないでいた。
そんなさやかの心の中に、覗き込むようにして少年の声は入ってくる。
「何か、、、あったの?」
少年の声はか細いが、とても優しい声だった。そのことに気付いた時、さやかは少しどきりとした。さやかが普段話をする同年代の男子の声はもっと大きく粗雑だった。話す内容もそれほど深刻なものは無いため、こうゆう雰囲気には慣れてなかった。
「別に。」
さやかは素っ気無く答えた。冷たくあしらう事が今のさやかにとって唯一の抵抗であった。はっきりとあっちへ行けと言う程さやかは気が強くないので、むしろ相手の方が気を悪くして立ち去ってもらうことを望んでいた。しかし少年にはそんな風になるようには全く見えない。ベンチに腰をしっかり下ろし、堂々とした態度でさやかのことを見つめていた。
「そんな事は無いな。君は悩んでる、、、僕には分かるんだ。」
少年は声の雰囲気を変えることなくそう言った。
さやかは少年の顔を見た。さやかと視線が合うと、少年は穏やかな表情でゆっくりと前に視線を移した。少年自身のその穏やかな表情とさやかに対する不思議な自信はさやかを十分に驚かせた。
「な、なんでよ。そんな事無いって言ってるじゃない。」
さやかはむきになってそう言い返した。少年は振り向き、さやかに向けて優しく微笑んだ。
「まあ、そんなに怒らないでよ。、、、言いたくないなら、もう聞かないさ。」
さやかの態度に対し、少年の態度は至って落ち着いていた。少年はさやかにそう言うと、それ以上は口を開かなかった。たださやかの横に座って、ぼんやりと遠くの景色を眺めているだけだった。一方のさやかとしては少年が何も言わないからといっても、こうして横に座られているだけで非常に居づらさを感じていた。
「悪いけど、あっちへ行ってくれない。」
「どうして?」
「どうしてって、、、。別に理由は無いけど。」
「なら、いいじゃないか。迷惑をかけてる訳でもなさそうだし。、、、別に君がここから立ち去ったって僕は一向に構わないよ。ここに座ってるから。」
少年は多少の意地悪い笑みを浮かべながらそう答えた。それに対しさやかは更にいう言葉を見つけられず、暫くの間二人は黙ったままベンチへ座っていた。
この先の行動について何も考えが思い付かないまま時は過ぎ、日暮れになってしまった。目の前の遠くにある山の中に太陽は沈んでいこうとしていた。さやかと少年以外誰もいない公園は黄金色に染められていった。
「きれいだね。」
少年は公園から見える遠くの山々の間にオレンジ色の太陽が沈んで行くのを見て、そう呟いた。
少年の言葉を受けてさやかも沈み行く太陽を見た。確かに美しかった。普段学校の帰りに何気なく見かける夕日と変わりは無いはずだったが、今日の夕日は格別なように感じた。かなり遠くに見えているはずなのに夕日の中の炎が踊っているのが認識できるくらい詳細な太陽の動きを感じる事が出来た。
(もうじき日が暮れる)
太陽はさやかにそう告げていた。
さやかは墓地の方を見た。墓地は公園よりも更に日の入りは悪く、既に薄暗くなっていた。さやかとしては墓地へ足を踏み入れるには余計に状況が悪くなったことになる。
(とても今日はあそこへ行けそうにないわ。、、、仕方ない、帰ろうかしら)
さやかがそう思い始めた時、その心を感じ取って同調するように少年が口を開いた。
「君は、帰った方がいいよ。」
「言われなくても帰るわよ。」
(ふん、この人のせいで今日はまったく無意味な1日になったわ)
さやかは今日の成果の無さをを少年のせいにする事によって、不満をおさめようとした。
立ち上がって自転車のところへ歩いて行き、自転車のカギを外し始めた。外しながらちらりと少年の様子をうかがってみると、少年はさやかの方には気にも止めず真直ぐに正面をむき、沈み行く夕日を眺めていた。さやかは少年のそんな姿に少し気が引かれ、カギを外し終わると少年の元へ歩み寄っていった。
「帰るわ。」
さやかがそう言うと、少年はこくりとうなずいた。
「そう。帰ると良いよ。これ以上ここにいるのは良く無い。」
少年はさやかの方に顔を向ける様子はなかった。かといって別に怒ってる訳でもなさそうだった。
さやかは少し期待外れな気がした。さやかの事が気になって隣に座り込んだ少年の事だから、「帰る。」といったら多少なりともがっかりした顔を見せるかと思ったからだ。それが今日1日成果なしに終わったことに対するさやかの少年への仕打ちでもあった。
「あの、、、。言いたくなかったら言わなくてもいいけど、良かったら名前教えてくれる?日向高の生徒?」
さやかは気が納まらず少年に訊ねた。名前を聞いた後、嫌みの1つも言おうかとも思っていた。
「アニムス。」
少年は呟くようにそう言った。あまりに小さい声だったので、さやかは聞き取れず、聞き返した。
「アニムス。」
同じような口調で先程の言葉を繰り返した。今度はさやかにもそれは聞こえたが、その意味は理解できなかった。さやかは意外な答えに予定を狂わされた。
「アニムスって、、、何?わたしはあなたの名前を聞いたんだけど、、、」
「如月さやか。」
少年は今度はさやかの名前を言った。真剣な表情で答えていたが、さやかは少年がふざけているのだと思った。
「そう、、言いたくないのね。いいわ。これ以上聞かない。」
そう言って、さやかは立ち去ろうとした。少年は間をおかずに言葉を返した。
「ふざけてなんかいないさ。僕の名前は如月さやか。君と同じさ。、、、というか僕は君だからね。それを聞いて、もし不愉快に思うんだったら、良く考えてごらん。僕は君から名前を聞いていない。」
少年の口調は相変わらず落ち着いたものであり、感情の起伏は見られなかった。その少年の言葉はさやかをはっとさせた。確かにさやかは自分の名前を名乗っていない。しかし既に少年がさやかのことをどこかで聞いているのであれば、別に不思議な事ではないが、今のさやかにはそこまで考えは回らなかった。ただ不思議な少年が目の前にいるとしか写らなかった。
「ど、どういうことよ。」
さやかとしては少年に負けないくらい冷静に話そうとするのだが口がついていけない、動揺を押さえる事が出来ないでいた。
「君の心は分裂を始めている。僕は君の心の投影に過ぎない。わかるかい?」
「わからないわ。あなたの言ってる事はちょっとおかしいんじゃないってことぐらいはわかるけど。」
少年はくすっと笑って少し離れたやや大きめの木の幹を指差した。
「あそこを見てごらん。あそこに小さな女の子がいるだろう。あの子を見た事があるかい?あの子も如月さやかさ。つまり君って事なんだけど。」
さやかは少年が指差している木の幹を見た。確かにそこにはいつの間にここへ来たのだろうか、赤いワンピースを着た5、6才くらいの少女が木に隠れるようにしてこちらの方を見つめていた。少女は両手で口の辺りを押さえ、不安そうな表情をしていた。驚いた事にその少女の顔は写真で見るさやかの幼い頃の顔にそっくりだった。まだ小学校に上がる前に親戚の住む田舎町の神社で取られた写真をさやかは持っている。赤いワンピースを着て不安そうな顔をしながら父親のカメラを見つめているその目は、目の前にいる少女の目そのものだった。さやかの全身は徐々に凍りついていくようだった。
「それに、、、」
少年は墓地の方を見つめた。それからさやかの足下の方に目をやり、悲しそうな顔でさやかの顔を見た。さやかも自分の足下を見た。
「もう家に帰った方が良いよ。家に帰ったら落ち着いて良く考えて、そして解決の方法を見つけだして。きっと答えはあるはずだから。君だったら見つけられるよ。」
さやかには分からない事でいっぱいだった。
更に説明を求めようとした時、墓地の方から呻くような声が聞こえてきた。いつのまにか墓地や公園は暗闇に包まれ始めていた。その恐ろしい声を聞いた時、さやかの髪は逆立ち、全身に鳥肌が立った。
「帰った方が良いよ。」
少年は墓地の方を見つめながら、冷静にそう繰り返した。そう言う少年はここから立ち去る様子はまるでなかった。
さやかは弾かれたように自転車の元へ走って行き、よたよたと左右に揺れながら逃げるようにして公園から去っていった。
自転車に乗りながらさやかは、自分が少しずつ狂い始めているのではないかという思いにかられていた。自分の精神が徐々に分裂を始め、最後には自分が無くなってしまうかもしれない恐怖、気が着いたら精神病院で暮らさなければならない状況になってしまう恐怖、夢遊病者のように自分の知らないうちにもう一人の自分が何かをしている恐怖等様々なことがさやかの脳裏を駆け巡った。
それに重大でかつ恐ろしい事がもうひとつ、さやかの中で解け始めていた。少年は帰り際にじっとさやかの足下を見つめていた事。さやかはそれが何を意味していたのか分からなかった。それをひとつひとつ思い返していくと、足下に前の木々の影が伸びてきている事が浮かび上がってきた。夕方だということで影は濃く長く伸びていた。それと同じ方向へベンチやその他周囲の物の影も伸びていた。あるものを除いて。
(自分の影は?)
さやかは思った。どう考えても自分の影があったようには思い出せなかった。
周囲は既に薄暗くなっている。それを確認するのは簡単だった。
さやかは町の所々にある水銀灯の下で自分の影を確認した。流れるように水銀灯の下へ影は現れた。しかし、それは自転車の影だけだった。それに乗っているさやかの影はなかった。影はほんの一瞬明かりの照らす下に現れ、再び闇に消えた。
一度確認すれば十分だった。さやかは真直ぐ前を向いたまま自転車を走らせた。
さやかは家に到着するまでに電柱に2回ぶつかり、自動車に1回はねられそうになったが、なんとか無傷で帰り着くことができた。
中に入ると脇目もふれずに自分の部屋へ飛び込んでいった。
さやかが自分の部屋の中で求めていたものは占いのカードだった。さやかはなんとか自分の神経を集中させて今の問題をどうすればよいか占いによって糸口を見つけたかった。
しかし、カードは無かった。
外出する時に確認して締めたはずの窓は開いていた。風は強く舞い込み、部屋にある薄い紙切れ等をまき散らしていた。おそらくカードは風に巻かれて外へと出て行ってしまったのだろう。それは出かける前にジョーカーが出て行ってしまったのと状況は良く似ていた。あのカードは必要な人間の元に現れ、その人間がカードにとって無意味な存在になると風にのって消えてしまう。カードに添付されていた説明書にはそう記載されている。
さやかの頭の中は完全にパニックになっていた。今にも大声で叫び出してしまいそうな気がしていた。
とにかく少しでもと言う思いで、机の下やベッドの下などを覗き込み、カードを探した。
さやかの運命を決定付けるようにカードは一枚も見つからなかった。諦めかけて窓を閉めようとした時、窓の外側の縁に不自然に張り付いている一枚のカードを見つけてあわてて拾い上げた。
そのカードは「M」というアルファベットのカードだった。
「みずき、、、」
さやかの脳裏にみずきの顔が浮かんだ。