第9話 秘密クラブ(その5)
みずきがえるの手紙をまさに読み終えようとした時、えるの手紙は消え、代わりに手紙の形をした空洞を掴んでいた。中は放送を終えたテレビを見ているかのように砂荒らしのような白い粒子がばちばちと光を放っていた。音は無かった。とても実体があるような感じがしなかったが、手ごたえはあった。その手ごたえは、手紙を触っていた時と何ら変わらないものだった。紙を折り曲げるようなつもりで左右に少し動かしてみたが、空洞に全く変化は無かった。
どうしたんだろう、とみずきは考えてみようとしたがすぐに止めた。考えても分かるようなことでは無さそうだったからだ。印象としてみずきの心に浮かんできたのは、えるから送られて来たメッセージの電波を誰かが妨害したのだろうという感じであった。しかし碓固たるものは何も無い。
しばらく見ていると、白い粒子の間から赤いシミのようなものが浮き出て来た。赤いシミは白い粒子の間を数秒間形を変えて漂った後、何ごとも無かったかの様に消えていった。1つが消えるとまたひとつ現れ、また消えていく。それを繰り返していたかと思うと、今度はそれが飛沫のように跳ね上がり、勢いは徐々に増し続け、ついにはみずきの手を汚すまでになった。感触は大したものでは無かった。生暖かいような、まめ電球程度の光を手の甲に受けたような感じだった。みずきはそのシミの変化していく様を興味をもって見続けた。まるで生物が成長あるいは進化していく様を見ているような気がしていた。赤いシミは更に勢いを増し続け、ついにはみずきの顔にかかろうかというほどにまでなっていった。そして、ついには油断していたみずきの顔に1つの飛沫が直撃した。
今まで手に触れていた時の感じから、大した衝撃では無いだろうとたかをくくっていた。しかし結果としてみずきは目をしばらく開けていられない程の痛みを感じ、手に持っていた(以前は手紙だった)空洞を手から放した。空洞はみずきの手から離れるときらきらときらめきながら空中に分散されていった。
みずきは目をつぶり目の痛みを抑えようと努力した。目頭が熱く、後頭部がずきずきと痛んだ。目の前は真っ赤になり、時々黄色い粒子がスパークしたり、黒い固まりが点滅したりしていた。みずきは火山の噴火口の中や地底のマグマの様子はこんななのかも知れない等と思ったりした。その反面、この状況で頭のどこでそんなことを考えているのかと不思議に思っていたりもしていた。
痛みは脳の中から突き抜け、外へと向かっていた。後頭部から痛みが突き出ていこうとしているかのように、後頭部にこぶのようなものが出来ていくのが感じられた。足下に実感が無くなり、みずきは浮遊感をもった。
こぶは痛みと共にどんどんと大きくなり、やがて痛みは後頭部のこぶを突き破り、外へと出ていった。
痛みは消えた。
みずきはゆっくりと目を開けた。
いつの間にか明左月と右月のいる店に戻って来ていた。しかし、みずきが戻る前の状況とは違っていた。みずきは自分が座っていたソファから2、3メートル上空に立っていた、というか浮かんでいた。しかも足下のソファには横たわっているもう一人の自分がいた。みずきは自分で自分を見下ろしていることを冷静に受け止めていた。ソファに横たわるみずきは眠っているというよりも完全に意識を失っているようであった。ひょっとしたら死んでいるのかも知れないとも思えた。みずきは自分が幽体離脱し、ここにいるのだろうと結論付けた。
次にみずきは明左月と右月の方に目を向けた。
彼等の周りには数人の店員が立っていた。いずれもじっと黙って二人の後ろに立っている。表情と言うものが全く無い。人間と言うよりも人形のように感じられた。
そして明左月と右月。二人は手紙をちょうど読み終え、それをテーブルの上に置く所だった。みずきは目を凝らしてテーブルの上に置かれた手紙が一体何であるのか確認しようとした。そしてそれがみずきの持っていたえるの手紙であると分ったが、なぜ二人がそれを読んでいたのかまでは理解できなかった。明左月と右月はしばらくの間手紙を見ながら何やら話を始めた。みずきはそれを聞き取ろうとしたが何も聞こえなかった。二人の話どころかこの店の音という音全てが聞こえなかった。まるで店と言うガラス張りで音の遮断された部屋の中を外から覗き込んでいるような雰囲気だった。みずきは諦めて二人の無声の会話を口の動きだけで推測しながら様子を伺うことにした。しかし読唇術の経験があるわけでも無く、明左月も右月もほとんど口を動かさずに話すので内容はほとんど理解出来なかった。時折店員が動きだし二人から離れるのを見ておやっと思う程度であった。
それからしばらく経ち、内容も分からないまま少々うんざりし始めて来た頃、今まで全く聞こえてこなかった音が飛び込んで来た。
それは扉の開く音だった。
みずきは注意をそちらへ向けた。それは入り口の扉の開く音だった。今いる所からは入り口は見えない。みずきがそちらの方へ気持ちを向けると、みずきの体は空中を滑るようにして入り口の方へと移動していった。
入り口には誰もいなかった。しかし人の影はあった。まるで透明人間が現れたかのように影は動きだし、店の中へ入って来た。入り口の付近には店員が立っていたが、影の存在にはまるで気付いていなそうだった。影はゆっくりとその店員のもとへ近づき、店員の影と重なった。店員は急に針でどこかを指されたかのように一瞬ぴくりと体を動かしたが、その後気絶してしまった。そして数秒と経たずに再び意識を取り戻したが、その顔は気絶をする前を遥かに上回る程更に生気が無いものになっていた。全くマネキン人形と変わらないくらいその表情は固く、生気を失っていた。
みずきは先ほどの影が店員に乗り移ったのだろうと感じた。そしてみずきは小学生の時に読んだ童話の中に、影法師が自分の主人の体を乗っ取ってしまう話があったのを思い出した。童話と言うのは作り話の体裁を取っているが、昔の人の体験に基づいているものが多いと言うのもどこかで聞いたことが有り、その説をまざまざと見ているような感じがした。
店員は突然店の中に歩き出した。向かっているのはみずきと明左月、右月の所だろうと直感した。
みずきは再び滑るようにソファに横たわっているみずきのもとへと戻っていった。
元の場所に戻ると明左月と右月はソファに横たわるみずきを覗き込むようにして見ている所だった。横たわるみずきは入り口にいた店員が近づくにつれて具合が悪くなっていくようであった。明左月と右月があわてている。
そうこうするうちに店員は明左月、右月の元へ到着し、二人に向かって何やらぶつぶつと話をし始めた。
話声は全く聞こえない。
しかし明左月と右月の不安な様子が徐々に高まっていくのが感じられた。それどころか二人の姿がバチバチと火花をちらつかせながら薄くなっていくように見えた。初めは錯覚かとも思っていたが、店員の話が続くにつれ消失度は増していった。
みずきがこれは危ないなと感じ始めた頃、明左月と右月の側からもう1つの姿が現れた。その現れ方は、明左月や右月が初めてみずきの前に現れた時と同じ感じであった。それは明左月と右月よりも一層輝きを増した火花を散らしていた。やがて輝きは小さくなり、その姿は一人の男として明らかになった。そしてその男は、みずきの父親だった。
みずきの父親は、すぐにソファに横たわるみずきの頭に手をやり、目をつぶり、何かぶつぶつと唱えだした。すると急にソファのみずきは起き上がり店員に向け鋭い視線を浴びせた。
銃で討たれたように店員は倒れた。実際にはソファのみずきの視線を受けて倒れたのだということははっきりと分った。
上空のみずきは影が走り去る音を聞いた。
明左月と右月は震えている。しかし、徐々に二人の姿の鮮明度は増していっていた。みずきの父親も明左月と右月の様子を見て安堵の表情を浮かべていた。
「父さん。」みずきは思わず叫んだ。
みずきの父親はびくりとして声のする方を見上げた。みずきの父親はみずきがそこにいたことを気付いていない様子だった。
みずきは父親の事を見つめた。何か話し掛けたかったが、言葉が出てこなかった。
みずきの父親はみずきの姿を確認すると薄笑いを浮かべ、そして蝋燭をかき消すようにすっと消えた。
みずきは今起きたことを理解しようとしたり、整理しようとしたりしたが、その間もなくみずきの体はソファに横たわるみずきの体に吸い寄せられていった。そして再び意識を失った。