第9話 秘密クラブ(その1)
みずきが空き地で出会った男、明左月に連れられていったところは、駅近くにある雑居ビルだった。
そこは少なくとも20年は経っているであろうと思われるほど古びた建物で、壁も所々剥げ落ち、窓枠も錆付いているような所だった。雑居ビルと言っても誰かがそこを借りているといった雰囲気は無く、メンテナンスもされていないように思われる。入り口に並んでいる郵便受けも投函されている様子は無いどころか、半分近くの取り出し口が壊れて外れかかっていた。奥へ続く廊下にはかろうじて道を照らしている蛍光灯が灯されていたが、半分切れかかって、ちかちかしている。
みずきが更に案内されたのは、その地下1階にあるクラブのような店であった。
入り口は大きく重々しい鉄の扉で仕切られていた。みずきは店の名前を確認しようと辺りを見回した。しかし、どこを見てもここを表すような看板やネオンはビルの入り口やこの店の前にも一切無かった。おそらく通りががりにここへ人が立ち寄るなど皆無であろう。
明左月はその重々しい扉の中央にぶら下がっている鉄製の輪を1回2回とゆっくりと持ち上げ扉を叩いた。輪はごーんという重々しい音を扉に響かせると、間もなく中からがちゃがちゃと扉を開ける音が聞こえてきた。
「こんな所に客は来るのかな、、、」
みずきは扉が開くのを待つ間、なんとなくそうつぶやいた。
「会員制だから良いのだ。」
明左月は小さな声でそう応えた。特にみずきの方を見て言ったわけではなく、表情も変えることなくそうつぶやいたので、みずきは自分に対する応えなのかどうか確信できなかった。
扉が開くと明左月は躊躇無く中へ入っていった。みずきも黙って後に続いた。
部屋の内装はビルの外観からは全く想像もつかないくらい豪華なものであった。部屋の中を薄暗く、赤く照らしているのは宝石をちりばめた照明器具だった。壁は一面美しいデザインの壁紙で覆われ、数メートル置きに有名な絵画が並んでいた。その数は美術館と勝るとも劣らないほどだった。等間隔に大理石の柱が立てられある種の区切りをつけていた。店はそれほど大きなスペースでは無かったが、みずきを圧倒させるには十分な豪華さであった。
みずきが中の様子にぼっと見とれていると、ここの店員らしき黒いスーツ姿の男がどこからか現れ、明左月に向かって軽く会釈をした。明左月は左手を軽く挙げて応じると、店員はみずきと明左月を席へ案内した。
2回程角を曲がり、数メートル歩いた場所に2人は案内された。ソファも真っ黒い皮張りの豪華なものだった。店員に促されて明左月は席についた。みずきも1テンポ遅れて明左月の前に座った。体がずぶずぶとソファに沈み込むように感じ、このままソファに飲み込まれるのではという気になるほど柔らかかった。みずきが体を落ち着かせようと体勢を整えていると、男の店員の背後からもう一人やはり黒の礼装のような格好をした女性の店員が水をもって現れた。
「御注文をお願いします。」
女店員は水をテーブルに置きながらそう言った。みずきは女店員の顔を見た。そして数秒と間をおかず男子店員の顔を見た。どちらも顔の作りは驚く程美形に出来ていたが、どちらも目が死んでいた。どこを見るでも無くぼんやりとした目で空中を漂っていた。みずきがそう思いながらじっと女店員の顔を見つめていると、それに気付いたのか女店員の目がじろりとこちらへ向いた。みずきはあわてて目をそらした。
「ご注文は何か。」
女店員が明左月の方を向きながら訊ねた。明左月はみずきの方へ目をやり注文を促した。
「アイスコーヒーを。」みずきは応えた。
「私はアロエのジュースを。」
2人の店員はこくりとうなずくと、メモも取らずに立ち去っていった。
「さてと」明左月は座り直すようにして、みずきの方を向いた。そして胸のポケットからシガレットケースを取出し、みずきの方へ差し出した。
「吸うかね。」明左月は訊ねた。
「吸いません。」とみずきは応えた。
明左月は少しの間ケースの取出し口を見つめていたが、結果として1本も取らずに胸ポケットに戻した。
「早速にでも話を聞きたいのだが、、、もう一人ここへ来る予定になっているので、それまで待って欲しい。」
「そうですか。」
みずきは辺りを見回した。柱の影になって一部はよく見えなかったが、恐らく今この店にいるのはここにいる2人だけであろうと思われた。
どのテーブルやソファも多少古びてきてはいるもののほとんど使用されていないように思える。
みずきはちらりと明左月の方へ目を戻した。明左月は一度自分の腕時計で時刻を確認したきり、じっとテーブルを見つめたままの格好でいる。彼はこの時間の合間を取り繕うという気は全くなさそうだった。
空き地で死体を発見し、明左月がどこかへ連絡してから5分と経たない内に黒い大型のワゴンが到着した。呼び出してから現れるにしてはずいぶんと早かったので、みずきはちょっとびっくりした。恐らく近くのどこかで張り込んでいたのだろうとみずきは思った。黒いワゴンはこの辺では見かけない車種だった。恐らく外車だろうと思われた。車のプレートには訳の分からないアルファベットが記されていて、その上から赤いガムテープのようなもので斜線が引かれていた。
ワゴンの運転手は車から降りると、明左月やみずきの方を全く見る事なく無言で死体を車の方に運び込んだ。明左月の方も黙ったまま運転手のする事をみていた。運転手はちょっと高そうなスーツを着ていた。死体を運ぶ際にかなりほこりや泥がスーツに付着したが全く躊躇はしていなかった。
作業を終えると運転手は何も言わずに車に乗り込み、空き地を去っていった。
明左月も無言のままワゴンを見送った。
ワゴンが見えなくなると明左月は、みずきに対し「付いて来たまえ。」と言って、すたすた歩き始めた。
別に付いて行く義理は無い。しかしこういう流れになったら、手がかりを新たに得るためにも明左月に話を聞きたい。みずきは自分にそう話し掛けながら明左月の後を付いて来た。
みずきとしても明左月に聞きたい事はいろいろあった。しかし明左月の言う人が到着してからの方が、話が中途半端にならないだろうと思い、話すのを留めていた。
数十分後、人の歩いてくる音が聞こえて来た。
来た、と思い、みずきはそちらの方を見た。そして驚いた。
現れた人物は明左月にそっくりだった。
「お待たせした。」
店の店員に案内されながら現れた男はみずきの横で立ち止まり、そう言った。みずきは口をあんぐりと開けたまま男を見上げた。
男の体からは明左月に最初に感じたように香のようなにおいがぷーんと漂っていた。そして男の歩いて来た後に残像のようなものが静電気のバチバチという音と共に残っていた。そして一番最初の残像が未だに消えずにみずきの事を見つめている。
みずきはその残像の正体がはっきりと確認できたことにより、頭の中がパニック状態になった。
その残像の人物は今現れた男とは別人だった。
その残像の人物は明左月の時に見た男と恐らく同一人物であると思われた。
その残像の人物はみずきの父親とそっくりだった。
みずきの父親は製薬会社の研究所に勤めていた。
みずきの父親は今仕事の都合でニューヨークにいるはずだった。
みずきの、、、
みずきの頭の中に混乱をひき起こす文節とそれを整理しようとする文節が点滅するように現れた。
そんなみずきの様子を全く察する様子も無く、男は明左月の横に座り彼が最初にしたようにうす緑カードを見せながら自己紹介をした。
「私は、とある東の国から、とある目的のために、この国に来ている。私の名は明右月だ。」
みずきは無言だった。彼の説明まで、まだみずきの頭が追い付いて来ていなかった。
やはり、みずきの様子を気遣う様子も無く、明右月はうす緑色のカードをしまうと明左月の方を見、話を先へ進める様に促した。明左月はこくりとうなずくと、体をやや前に乗り出し、話をはじめた。
「では、早速話を始めよう。」