第7話 ひとりで金魚やへいく(その1)
気が付くとみずきはベッドに横たわっていた。
ぼんやりとした感じで、しばらくの間そのまま横たわり天井や窓に貼られている紙を見つめていた。
貼り紙には「魚を取りに行け」、「急げ」、「妹は預かっている」等といったものが書かれている。
みずきはそれを読むと言うより眺めると言った形で追っていた。内容は理解できるものの、まだ完全
に意識が戻り切らないのか、感情が沸き起こってこないという感じであった。
部屋中の至る所に貼り紙がべたべたとなされており、ここがどこなのかもはっきりしなかった。
それに対しても、特に不安や恐怖といった気持ちに襲われることも無かった。
薄暗い部屋の中でぼんやりと眺めつづける、みずき。
心はここにあるようでここに無く、体から離れて漂っているようにも思えた。
音も聞こえない。きーんという金属音が小さく鳴り続けている。
(ここはどこだろう)
ふっとした思いがかすかに浮かんでは波打ち際に浮かぶ木の葉のように離れていってしまう。
それを何度かくり返す。
今迄眠っていたという感じは特に無かった。むしろずっと考え事をしていて、ふと我に帰った
ときのような感じの方がどちらかといえば近い感じがした。目覚めた時のような眠気の残存感
はまるで無い反面、体はベッドにしみ込んでいるかのように重たく感じ、体を動かすのが億劫
であった。
時がどんどんと過ぎ去っていくのは分かっていたが何もする気になれない。
30分ほど経っただろうか。
突如として、窓を叩く風の音が部屋の中に飛び込み、みずきの心と体は吸い寄せあうようにして
一体化した。
体に重みと暖かみを感じる。
みずきはゆっくりと起き上がり、もう一度冷静に周囲を見回した。ベタベタと貼り紙がされて
いたが、ここが自分の部屋である
ことに気付くのに今度はさほど時間が掛からなかった。
貼り紙と貼り紙の間から太陽の光が差し入ってくる。
みずきは時計を見た。午前10時30分。日付けは翌日を表している。いつの間にかここに戻ってき
ていた。
なぜ?と言う気持ちは今さら湧いてこない。ただ、今迄の経緯を確認するように思い返していた。
実家に戻り、そこの押し入れから見知らぬ世界へ迷い込み、気がつくと自分の部屋に戻っていた。
(いったいどうやって戻ってきたのか。気を失っているあいだに何者かに運ばれたのか)
みずきは注意深く周囲を見回した。特に部屋の中を荒らされている様子は無い。変わっているのは
部屋中に貼られたたくさんの貼り紙のことだけ。それらは全てが妹のえるのことと猫のネロの言っ
ていたことに関するメッセージだった。もちろんみずき自身で貼った記憶など無い。何者かがみずき
の部屋に侵入し、このメッセージを貼って行ったとしか思えない。ひょっとするとみずき自身を運
び込んだのも彼等によるものかも知れない。
ゆっくりと立ち上がって窓に貼ってある紙を引き剥がし、太陽の光を十分に取り込んだ。部屋全体
に暖かみが増していくようで気持ちが良い。窓も少し開け、外の空気を取り入れた。みずきは剥が
した紙を丸めてゴミ箱へ突っ込みながら、テーブルの上を見た。探した言った方が正確かも知れない。
みずきは無意識のうちに出かける前に置きっ放しにしておいたビデオを目で追い求めていた。しかし
ビデオは、テーブルの上のどこにも無かった。ビデオデッキの中も念のため調べてみたが、やはり
無かった。おそらく貼り紙をしていった者たちが持ち去ったのだろう。
(犯人はネロか、あの猿か、、、)
彼等を追おうにも手がかりはまるで無い。
(これから、どうする)
ふと母親のことが気になり、みずきは受話器を取った。一晩経ったことであるし、もし気持ちが回復し
ていれば起きていて、えるの失踪について気を揉んでいるに違いない。
しかし受話器の向こうからはツーツーという音しか聞こえない。電話線は切られたままだ。母親の様子
は解らずじまいに終わった。
みずきは、ふーっとため息をついた。
となりの家から音の外れた民謡が聞こえてくる。へたくそな民謡。
道ばたで出会って、世間話を続ける主婦層の婦人の声。
宅配用の小型トラックの通り過ぎる音。
先ほどとは逆にいろいろな音が部屋に飛び込んでくる。
それらは一種みずきの心をいらだたせた。いつもは全く気に掛からない雑音が、まるでむき出しの神経
に何の遠慮も無くすり寄ってくるような感じがした。他人が発する音とはこんなにも不快な物だとは今
迄思わなかった。気になりだすと余計に耳に入ってくる。気のせいか民謡の謡うボリュームが上がって
いる感じがする。
(これから、どうする)
もう一度考えた。
母親の安否を確認するために実家へいくか、それとも妹を探しに行くか。もっとも妹を探しに行くとい
っても手がかりはまるで無いのだが、、、
ばたばたと開けた窓から入ってくる風で部屋の貼り紙の一枚がはためく。
「魚を取ってこい」
その言葉をアピールするように貼り紙ははためく。
もともとこの貼り紙の目的は、みずきに対し次の行動を促す為のものであろう。しかし妹を誘拐し、
魚を取ってくるように強迫する者(猫?)達は当然善人とは思えない。言いなりになるにはそれなりの
リスクを考えねばならない。これだけの大掛かりなことを野良猫一匹で出来るとは思えない。当然背後
には仲間が(あるいはちょっとした組織が)いるに違いない。
みずきはビデオデッキを見つめた。そしてビデオから流れ出た内容を思い返してみた。
”この画像が見える人は注意してください。世界は破滅に向かっています”
(青い薔薇)
そして猫のネロが最後に残した言葉。
(ブルーローズの御加護がありますように、、、)
今迄のことは全てつながっていると考えられる。
(これから、どうする)
ケラケラケラと遠くの方でかわせみの鳴く声が聞こえたような気がした。
「例の金魚やに行くか」みずきは立ち上がった。
外の風はみずきのことをあざ笑うかのようなひょーひょーと言うような音をたてた。