(本話に関わる挿入話)

6話 - 7話

その夜マルクは不思議な体験をした。

マルクは、気がつくと真っ暗な部屋の床に横たわっていた。床には絨毯が敷き詰められており背中には暖かみと弾力が感じられた。目の前数十センチ先には板のようなものが広がっていて、うっかり起き上がろうものなら顔を打ち付けてしまいそうだった。うっすらと木の香りが漂う。ゆっくりと首を動かしあたりを見回すと少し離れたところで目の前の板がとぎれ、薄明かりが見えていた。おそらくあそこがこの狭い部分の出口であろうと思われた。

マルクはじっと声も出さずに周りの様子を伺った。特に人の気配はないが、ときどきバサバサと羽をばたつかせるような音が聞こえた。

ここで大声を出したり、音を立てて動き回ることをしなかったのは、それが自分にとって非常に危険なことであるように直感的に感じ取ったからだった。

しばらくすると出口の先に何者かの足先が現れ、目の前で立ち止まった。そして目の前の板がミシミシと音をたてて心持ちこちら側に沈んできた。マルクは自分が長椅子かベッドの下に横たわっているのだと感じた。

まもなく話し声が聞こえてきた。一人は目の前に座っている者でその声からして老人のように思われた。

もう一人は少し離れたところにいるようで、男の声のようだが年齢はわからなかった。

「彼には接触できたのかね。」

老人は男に訊ねた。

「はい。」

「それで、、、彼は承諾したのか。」

「いえ、はっきりとは、、、しかし、やらざるをえないでしょう。」

「そうか、、、しかし、彼にとってみれば今回のようなことは半信半疑だろう。もし彼の中で納得できず、その要求を実行しなかったらどうするつもりなのだ?」

「人質を取ってあります。人質の命に関わるということをもっと分かってもらうしかありませんね。彼は人質に愛情を持っていると思われます。人質と引き換えならできる限りの事はするでしょう。そして彼の潜在能力。彼の潜在能力は開かれつつあります。その力をもってすれば今回の計画は容易く実行されるでしょう。問題なのは、彼はまだその能力を十分に理解していない、いや全く理解していないと言っても良いかもしれないことにあります。うまくこちら側で引き出してやらねば、、、そしてその力を彼に気付かせる前に我々が彼の事を取り込んでしまわなくてならない。そうすれば、彼の力は、、、」

「力は、、、?」

「闇の世界に、、、解放されるでしょう。」

 うむっと力強くうなずく老人の声。

 突然、遠くの声で狂ったような叫び声が聞こえた。

「うるさいな、フレディの奴。」

 不機嫌そうに老人は呟いた。

「奴は、血に飢えてますから。」もうひとりの男が応えた。「19世紀の終り頃から奴は魂の解放を許されていない。ロッジからの指令で表面への放出を禁じられている。あのときに事件沙汰になるような事さえしなければ、いまでも自由に魂の解放が可能であったのに、、、」

「ジャックか、、、ふん、馬鹿な男に取り付いたものだ。」

「まあ、この計画が成功すれば奴の魂が再び解放される事もあるでしょう。そうでもなければ、あのように一生、というか永遠に叫び続ける事になりますが。」

「やかましくて、かなわんな。いっそのこと追放するか。」

「人の世界に再び混乱を招きますが。我々の存在を気付かせる結果になるかもしれませんよ。」

「ふん。」老人は不服そうに鼻をならした。「我々の存在を知られたところで、彼等に何ができる。騒ぎ立てる事しか出来まい。」

「今や18世紀や19世紀の世とは違いますから、一概には何とも。ただひとつ言える事は、我々はもっと力をつけ増やして行く必要があると言う事です。多くの魂の救済のためにも。」

「救済、、、誰の救済やら」

 老人は枯れ果てた気管支を鳴らすようにかっかっと笑った。それは自嘲気味なようにも聞こえたが、もう一人の男は黙っていた。老人は自ら「まあよい、まあよい」と自分を納得させるような口調でつぶやきながら笑いを抑えていった。

「人質はどうした、人質は今どうしているのかね。」老人は話題を変えるかのように訊ねた。

「彼女は、彼女がよく通っている青少年センターの地下にいます。しばらくは不自由な思いはしてもらいます。彼女自身は今どこにいるのかも分からないし、なぜそこにいるのかも分からない状態です。ずいぶんと不安に思っている事でしょう。一応、見張り兼世話係を付けてあるので心配はいらないでしょう。」

「彼女には、その潜在能力はあるのかね。」

「わかりません、、、今の所その兆候はありません。という事しか言えませんが。仮にあったとしてもおかしくはないのです。まあ、いずれじっくりと確認していっても遅くはないでしょう。ただ、今回の事がうまく進めばという前提での話ですが、、、さもなければ、フレディの餌食になってしまうかもしれません。すべてはロッジの決定に依るところになります。」

 ばさばさばさっと鳥の羽ばたく音がした。どうやら老人の近くに鳥がいるようだ。

「フレディの餌食か、、、」

「あまり考えたくない事です。そうしないためにも、計画は滞りなくすすめなくては。」

「あまり考えたくない、、、か。お前のその考えは、人とあまり変わらん。人は光や喜びや楽しさを受け入れ、闇や苦しみや悲しみを自分達の世界から外へと遠ざける。遠ざけて見えなくなれば、消えて無くなったのだと勘違いをする。しかし少しも無くなってはいない。沈み込み、蓄積するだけだ。人はそれがいつしかふとした切っ掛けで自分たちの世界に舞い戻ってくることを予感し、恐れる。しかし決してそれを認めようとしない。」

 もう一人の男は老人のつぶやきを黙って聞いていた。すると暫くして再びばさばさばさっと鳥が羽ばたいた。その音にしばらく話が中断したが、やがてもう一人の男が立ち上がって、この部屋から出ていくような状態になり始めた。

「では、わたしはそろそろ次の計画に移ります。」

「ああ、急いでくれ。」 

 老人は力の無い声で促した。

 それとは反するような、ケラケラケラと妙な笑い声が突然した。鳥の鳴き声にも聞こえる。

「早速。」

立ち去ろうとする男に老人は呼びかけた、

「待ちなさい、ネロ。」

「なんでしょう」

「ブルーローズに、」

「マルク!!」

マルクを大声で呼ぶ声がどこからか聞こえてきた。マルクは突然の事に驚き、思わずひざを上げて前の板にぶつけてしまった。ガツンという大きな音をたてて目の前のベッドかソファは揺れ動いた。

「何だ。どうしたんだ。」

驚き、慌てふためく老人の声。

(しまった。見つかった。)

 マルクは今までの話から、ここがただならぬ場所である事は察し始めていた。見つかれば命の危険に関わると感じ顔面蒼白になり、気が動転した。

(逃げなくては)

 そう思いながら必死に体を動かそうとするが思うように動かせない。何度も何度もひざを前の板にぶつけるばかりで右にも左にも移動できない。

「この下だ。この下に何かいるぞ。」

 老人の怒りをもって叫ぶ声が聞こえる。鳥が部屋の中を飛び回る。

(もう駄目だ)

 マルクがそう思った時、何か分からない力がマルクの体を床に引き付けた。そして間もなく床に飲み込まれるようにマルクはそこから消えた。

マルクはものすごい虚脱感とともに目を覚ました。

「マルク、起きなさい。学校へ遅れるわよ。」

マルクを呼んでいたのは母親だった。大声で彼を起こそうとしていた。

彼はしばらく自失していたが、やがて今いるのが自分のベッドで、目の前で厳しい顔をして立っているのが自分の母親で、今が朝であることを自覚した。

「夢か、、、。」

マルクはそうつぶやくと、ああっとあくびをしながら大きく背伸びをした。

(変な夢だった。)

マルクにはそれ以上考える余裕はなかった。

(学校に遅刻する。)

マルクはベッドから飛びおきた。

つづく

*** ホームへ戻る ***