第4話  笑うカワセミ

   実家に到着したのは、みずきが自分のアパートを飛び出すように出かけてから30分後だった。

  駅から少し大きめの通りを渡り、1区画程進んだところにみずきの実家はあった。街路樹が並ぶその通りは、ほと

  んど車が通らず、静かできれいな町だった。

  みずきは外から家の様子を確認したが、外見特に変わった様子は見られず、台所と2階のえるの部屋に明りが灯って

  いた。

 「ただいま!」

  玄関に入っても、誰も出てくる様子はない。といっても、それはいつものことなので、みずきは気にすることなく

  靴を脱いで中へと入っていた。

  台所へ近づくと、中でとんとんと音がしているのが聞こえた。覗くと母親が夕飯の準備をしていたので、もう一度

 「ただいま」と声をかけた。

 「おかえり。」   

  母親は振り替えることなく、つぶやくように言葉を返した。

 「えるは?」

 「自分のへや。」

  みずきは、とにかくえるのことを確認しようと彼女の部屋へ上がって行った。

  中の様子は静かで、もし勉強中だったらと思うと声を掛けるのがためらわれたが、へやの扉が少しあいていたので

  そこから覗いて見ることにした。

  えるは机に向かい黙々と何か書き物をしていた。おそらく勉強をしているのだろう。

  ほっと息をつき、今まで胸の当たりに張り裂けんばかりに膨らんでいた不安がゆっくりと無くなっていた。そして

  安堵の性か空腹をおぼえ、下に行こうと階段を途中まで降りかけたとき、えるの部屋からばたんと大きな音がした。

  何か大きなものが落ちる音。そして次にばたばたと紙か何かがはためくような音がした。

 (風だ。窓があいてるんだ。)

  しばらく、たちどまって様子を聞いていた。部屋からは何の声も聞こえない。あいかわらず紙がばたばたという音

  が続いている。そのうち、少しだけ開いていた扉が風に押されてばたんと開いた。

 (さっき窓は開いてなかった。)

 「える?」

  返事はない。

 「える?」

  返事はない。消えかかった不安が再び盛り返す。みずきは階段を再び駆け上がった。

 「える!!」

  部屋にえるはいなかった。消えていた。

  窓は大きく開き、カーテンははためき、部屋の中は風に荒されていた。棚の上にあった置物は倒れ、机の上にあっ

  た紙は舞い散り、辞書の重りにかろうじて残っていた紙が執拗な風の攻撃にばたばたと音をたてていた。

 (いない。消えている。、、、どういうことだ。)

  とりあえず、風の猛攻を防ぐために窓を閉めた。そして、足元に散らばっている紙をかたずけようと何枚かの紙を

  拾い上げて愕然とした。

  無数の猫の足跡。

  夢中で他の紙も拾い上げる。どの紙にも足跡がついている。そして机の上にも。かなりうろうろとした跡である。

 (まるで何かを探しているような、、、)

  みずきは拾い上げた紙をじっくりと見つめた。それは、えるが友人宛に書いた他愛もないような内容の手紙であっ

  た。学校にいる好きな人の話や、他の友人の噂話の審議や感想を思うままに書いてあるようなものだった。高校生

  だったら書いても不思議ない内容ばかりなのでそのまま机の上に置いとこうかとも思ったが、とりあえずもう一度読

  み返そうと折り畳んで尻のポケットにしまった。

  次に机の引出をそっと開けて見た。思ったとおり荒されていた。えるは結構きれいずきだった。にもかかわらず、

  引出の中は一度引き出されたものが無造作に突っ込まれているような感じだった。しかも外見にはわからないように

  なっていたが一番右上の引き出しの鍵が壊されていた。

 (明らかに何かを探るために荒されている)

  みずきはそう感じたが、はたして相手は目的のものを見つけたのか否かは不明だった。みずきも何か変わったもの

  はないかと引き出しの中を見てみたけれども特に気付くようなものは無かった。

 (手がかりは無しか、、、、。母さんは。母さんはこの事態を気付いて無いのか?)

  みづきは階下へ降りていった。

 「母さん」

  母親はまだ台所に立って何かをきざんでいた。

 「母さん。えるが部屋にいないんだ。どこへいったか知らないか?」

  母親は黙っていた。黙って、野菜をことことと刻んでいた。その姿がみずきには理解できず、なぜ返事しないのか

  と大声で言おうとした瞬間、プシューという蒸気音がなべから発っせられた。

 (焦げ臭い。)

  このとき初めて母親の異常に気がついた。なべを覗くと中のものはほとんど真っ黒に焦げていて、水分はほとんど

  残っていなかった。みずきはあわててなべのかかっている火を消した。つづいて母親の持っている包丁を取り上げ

  た。母親の刻んでいるものは粉のように細かくなっていた。にもかかわらず、延々と母親はそれを刻み続けていた。

  刻むべき野菜を見ているはずの母親の目は、焦点が合っていなかった。 

 「えるちゃんがね、、、」母親はつぶやいた。

 「えるちゃんがね、、、いなくちゃったの。」

  母は無表情につぶやいた。その声は、その話方は、みずきがアパートの電話で最初に聞いた母親の声に他ならな

  かった。それをどうして今再び聞くのか、あの電話は何だったのか、みずきには理解できなかった。母に問いたくて

  も母親は放心状態でみずきに寄りかかっている。

  電話が鳴った。

  静かな居間に電話が鳴り響いた。みずきは母親を台所にある手近な椅子に座らせると電話を取りに居間へ向かった。

 「はい、あおいです。」 

 「へっへっへっ。先程はどうも。わたしです。ネロです。」

 「何のようだ。」感情が乱れそうになるのを堪えながら話をした。

 「またちょっとお願いがありましてね。」

 「ちょっと今取り込んでるんだ。つまらないこと頼まないでくれ。」

 「そんな事言わないで、頼みますよ。これは、あなたしか頼めないんですよ。あなたしか。」

 「断わる。」

  そう言って電話を切ろうとするみずきに、猫は切られてたまるかとみずきの気にさわる一言を発っした。

 「えるは預かってます。」

  みずきをあざ笑うかのようにからケラケラケラという笑い声が聞こえた。

  みずきは言葉を失った。

 「えるは預かっています。ご両親さんもしばらくはこちらで精神状態を調整させていただきます。お父様はしばらく

  旅に出てもらいました。夏休みですし良いですよね。ふふふ。会社にはちゃんと時期が来たら出しときますよ。」

  猫は、これで心配なかろうというように自信たっぷりにみずきに語った。

 「いったいどういうつもりなんだ。それじゃあ、誘拐じゃないか。」

 「わたしは猫なもんで。誘拐なんてことばなんて知りません。」猫はとぼけて言った。「警察なんかにいっても無駄

  でしょうねえ。猫に妹をさらわれたって言うんですか?信じないですよねえ。所詮猫ですからねえ。誰もまともなら

  猫が人間をさらうなんてねえ、理解しないでしょう。」

  調子良く喋っている猫の声がみずきにはむしょうに憎たらしく聞こえたが、言ってる事に反論できなかった。

 「頼みって、何なんだ。」

 「へっへっへ、そうですか。聞いてくれますか。」勝ち誇ったように受話器のむこうでケラケラケラという不快な笑

  い声が再び聞こえてきた。「すいませんねえ。うるさくって。うちのカワセミなんですよ。笑い上戸で」

 「いいから早く言ってくれ。」

  調子に乗って余計大きな声で笑いだしたが、みずきはじっと耐えた。要件のほうが重要だった。

 「そうですか。じつはですねえ。わたしとあなたで行ってみたあの魚、トランスフィールドフィッシュなんですけ

  ど、あれが無性に欲しくなってしまいましてね。買ってもらいたいんですよ。いや、そんなに高くないはずです。

  ちょっといって買ってきてくださいませんか。」

  聞いて見ればなんと下らない願いだろうか。そんな事のために妹を誘拐したのか。妹を誘拐するくらいならあの金

  魚屋のおやじでもさらって、ゆうゆうと金魚でもなんでも盗めばいいじゃないか。

 「妹をさらう力があるんなら、自分で手に入れられるだろう。」

  ふーっと猫はちょっと不機嫌になった。相変わらずカワセミは狂ったように笑っている。

 「ちょっと理由があってわたしらには手が出せないんですよ。なかなか世の中は難しいです。申し訳ないですが、

  明日あの金魚屋へ行って例の魚を手に入れた後、わたしがいつもいる空き地へ来てください。そこでトランスフィー

  ルドフィッシュをいただきます。」

  猫の喉がごろごろと鳴った。

 「持ってきたら妹は返してもらえるんだろうな。両親をちゃんとしてもらえるんだろうな。」

  猫はにゃおーんと鳴いただけで電話を切った。

  みずきは受話器を持ったまま暫くたたずんでいた。が、やがて切れた後の電話の音が何もしないことに気がつき、

  電話の線を引っぱってみた。

  線の端は何の抵抗もなく、みずきの手元へたぐり寄せられた。

  電話の線は切れていた。

 

つづく

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