しばらくの間どこへともなくふらふらと立ち寄りながら、みずきが自分のアパートへ帰り着いた時はもう日も暮れ
かかろうという頃であった。何となくけだるい、後味の悪い疲労感。今日1日は何だったのかという後悔。さやかが
伝えた不吉な予告。みずきの頭の中には考えたくも無いような事が次々に浮かんでは消えていった。
みずきは今、普通の学生がよく住むようなあまり高級でないワンルームのアパートに住んでいた。実家はここから
2駅ほど離れたところにあり、学校からもそう遠いという訳ではないが、学生なりの自由を満喫したいという
思いから独りで住んでいる。部屋は1階にあり、通りから近くなので出入りは、まあ不自由でないといった感じである。
そのアパートの自分の部屋の前で、みずきはまたしても異様な光景を目にした。
(猿だ!)
赤い帽子、黄色いシャツ、青い半ズボンといった姿。肩から黒い皮製のショルダーバッグをかけた猿が手に小包を
もってドアの前をうろついていた。
みずきが近づくと猿は帽子のへりを上にあげ、みずきを見上げた。その目からみずきはこの猿が喋り出すのではとい
う最も起こってほしくない予感を感じ、まもなくそれは的中した。
「 あんた、ここにすんでる人?」
下唇を突き出したその話し方は、ふにゃふにゃと老人のような口調で聞き取りずらかったが、明らかに日本語だった。
(また動物が言葉を喋った。)
学術的に考えれば猫よりも猿の方が人間に近いわけであり、猫が話すのであれば猿が話をしてもおかしくないことに
なる。しかし今はそういった問題ではない。人以外の動物が話をするのである。
「 ねえあんた、ここにすんでる人?」
黙っていると更に無神経に近寄ってくる。
「そうだ」
そう言っただけで、猿を押しのけるようにして鍵をあけ部屋に入ろうとした。猿は慌ててみずきのズボンの裾をつか
み引き戻そうとした。小柄にも関わらず猿は力があり、なかなか中へ入れない。
「ちょっと待ってよ、ちょっと。」
猿の声にむっとして振り向くと、猿は手に持っている小包を渡そうとみずきにそれを突き出した。
「あんたに郵便だよ。」
みずきは渡されるままに小包を受け取った。A4版程度の小さな箱だった。
その箱を見つめているみずきに猿は、「渡したよ」と、一声かけ、飛び跳ねるようにしてそこから去っていった。
通りには何人か通行人がいたが、誰も派手な出で立ちをしたその猿に関心を示す者はなく、やがて西日のオレンジ
色の光の中に猿は消えていった。
「何だろう?」
部屋に入りながら箱を振ってみるとカタカタと音がする。固いものだ。茶色の厚紙に包まれたその箱には宛名も差出
人も書かれていない。紙の境目をガムテープでしっかりと止めてある。
(誰がこんなものを、、、)
空けてみようかどうか迷った。
(誰かに相談してからの方が良いのでは、、、)
とりあえず空けるのをやめ、小包を机の上に置いた。ベッドの上にどっかと座り、こんなものを送ってきそうな人間
の候補を考えてみたが、いっこうに該当しそうなものは浮かばない。運んできた相手も相手で、余計にわかりにくく
している。猿を飼っている知り合いなどいない。
(あいつ、どこから来たんだ。動物園か?それとも誰か、からかっているのか。)
腹が立ってくるものの、相手が不明なだけにやりきれなさが残る。
(畜生、誰が?この際空けてみるか?何かわかるかも。)
じっと小包を見つめているものの、なかなか手が出ない。そのうち今度は別の思いが浮かんできた。
「あなたはきっと巻き込まれる。」というさやかの言葉。そして、妹のえるの顔。
「えるは、、、」
妹のことを思い、みずきはつぶやいた。みずきとえるは3才違いの2人兄弟だった。比較的仲は良く、特に最近は
たまにしか会わないせいか、久しぶりに会うと「お兄ちゃん、お兄ちゃん」とうれしそうに寄ってくる。来年は大学
の受験で勉強をみてくれと頼まれてたりもしていた。そいういえば最近はずっと会っていない。
「えるは、、、どうしてるかな、、、」
気になってきた。無意識に近くの電話に手を延ばし、えるのいる実家へと電話をかけた。
呼び出し音がなり、誰かが出るのを待つ。いつも実家へ電話をかけるのと違い妙に心臓がどきどきする。なかなか
誰もでないのが余計それに輪をかける。
(おかしいな。誰もいないのか)
みずきは時計を見た。6時10分前。
(夕飯のしたく、、、買い物にでもいってるのか)
そんなことを考えていると、突然電話の音が話中に変わった。つーつーという音が耳に刺さるように痛い。みずき
は釈然としないまま受話器をおいた。そして今度はためらうことなく、小包を取り上げ、つめで引っかけられる所を
探すと、いっきにびりびりと破いてなかの物を取り出した。
中は白い箱であり、その中でかたかたと音をたてていたのは裸のビデオテープだった。ラベルもなにも張っていな
いVHSのビデオテープだった。新品という感じではなく何回か録画されたような古さがある。テープの巻き具合から
それ程長い物では無さそうに感じた。せいぜい30分かそこらだろう。
(ビデオレター?)
みずきはテレビのスイッチを入れ、その下にあるビデオデッキにテープを差し込んだ。チャンネルを合わせビデオが
流れるのを待つと、真っ暗い画像が暫く続いたあとに音がなり出した。
パンパカパーンといった古くさいファンファーレの後にやはり古くさいずちゃずちゃいうBGMが流れ出した。そして
画面に写出されたのは、このテープを届けにきたあの猿であった。ーーーいや、違う猿かもしれない。猿の顔なんて
皆同じに見える。
「猿の郵便配達!!」
妙に明るい若い女性のナレーションがBGMに混じって聞こえる。そして、それに合わせる様にして画面の猿が赤い帽
子を取り、歯茎をむきだしにしてお辞儀をする。
「猿の郵便配達!!」
嫌味なほど明るい女性の声。吐き気をもよおすほどの猿の笑顔。
(なんなんだ、このビデオは。)
みずきは、くだらないとばかりにビデオを切ろうとした。すると、その動きを待っていたかのように突然画面がちか
ちかと輝きだし、今までの音に混じって更に中年の男の落ち着いた声が聞こえてくる。画面のちかちかも何か画像と
画像の間に画像を差し込んでいるかららしい。
「この、、、注意、、かいは、、ています」
男は何かを伝えようとしているが良く聞き取れない。画像も見えそうで見えない。真剣に耳を澄ました。
猿のお辞儀が煩わしい。
「この、、がひとは、、ください、、、向かっています。」
男のメッセージは繰り返し続く。みずきは真剣に聞き取る努力を続けた。
「この画像、、とは、さい、、世界、、、います。」
「この画像が見える人は注意してください。世界は破滅に向かっています。」
聞き取れた。
続くように画像も見て取れた。なにか言葉として出てこない。けれど、みずきには確かに見えた。
もう少しというところで、テープは突然終わった。
(うーん)
みずきは喉元まで出てきているものに歯がゆいものを感じた。
(そうだ、駒送りにすれば。良く見えるはずだ。)
そのひらめきに、迷わずビデオのリモコンを巻戻しにした。
(今度こそ、、、。じっくり見ればわかるものだ)
みずきはビデオの巻戻る音を待ち遠しく待った。そして、カチャリという音にすぐ再生ボタンを押した。
(なんだったんだ)
みずきは、食い入るように画像を覗き込み確認しようとした。
突然、みずきが画像の正体を暴くのを遮るように電話がなった。
「何だよ、こんなときに」
みずきの苛立ちは電話のベルに向けられた。しかし、ベルはそんな事は知らんと鳴り続ける。
「ちぇっ。」
みずきはビデオを止め受話器を取った。
「はい」
ぶっきらぼうな口調で応対した相手は、みずきの母親だった。
「みずき、、、、」
「あっ、母さん。どうしたの?」
母親の声はいつになく元気がなかった。
「えるちゃんがね、、、いなくなっちゃったの。」
背中から冷たい波が一気に頭まで突き抜けた。
「母さん!!」
受話器の向こうでケラケラケラと笑う声が 聞こえた。
「母さん!!」
叫ぶような声で母親を呼んだが、電話がぷつりと切れた。
(何だっていうんだ!?)
あわててみずきは電話を実家へかけなおした。慌てているためになかなか正しく番号が押せない。5回目にしてよう
やく電話がかけられた。
「あら、みずき!?」
母親の声にあっけにとられた。母親の声はさっきとはうってかわって明るい声だった。
「どうしたの?ひさしぶりね」
先ほどの電話のことなど全く見に覚えのない事で、まるで暫く振りに電話を受けたかのような口調だった。
「さっき、、、電話した?」
「いいえ。どうして?」
「いっいや、、、。べつに。、、、」
(おかしい。先ほどの電話は何だったのか?)
「ところで、える、居る?」
「える?うーん、ちょっと待って。」
受話器の向こうでえるを呼ぶ声とそれに応えるえるの声が聞こえた。
「いるわよ。かわるの?」
「いや、いい。、、、、」
「どうしたの?突然」
みずきの態度に、逆に母親の方が不思議がった。
「いや、たまには家でご飯でも食べようかなと思って。」
「あら、そう、いいわよ。ちょうどご飯のしたくしてるところなのよ。いらっしゃいな」
何の問題もないまま電話の会話が終わった。
しかし、みずきは実家への到着が待ち切れないかのようにアパートを飛び出していた。
駅につきちょうど来た電車に飛び乗ったみずきは、がらがらの車両なのにも関わらずシートに座らないでドアの所
に寄りかかり、外を見つめていた。
オレンジ色の風景はまるで古い写真のようで、外に流れる景色はいつもよりやけにゆっくり動いているように
感じた。
(遅いぞ。早く着け)
心がはやった。そして、そう思うほど心とは裏腹に電車は更に遅く進むように感じる。
突然、いらいらしながら外を見つめるみずきの脳裏に閃くようにビデオの画像が浮かんだ。しかもくっきりと。
まぎれもなく、見えそうで見えなかった画像だ。
(青い、、、青い薔薇。)
真っ暗な背景に浮き上がる様な青い薔薇のデザインが画像として写っていた。
「あなたにブルーローズの加護がありますように」
ネロの別れ際に残した言葉が記憶から甦った。
電車は、実家のある駅に到着した。