第1話  猫と金魚屋へ行く。

  その日、みずきは猫に誘われて金魚屋に行った。

  その猫はここから3区画ほど離れた空き地にすんでいて、よく外出の帰りに空き地の脇を通り過ぎると放置され

  たドラム缶の上に座っているのを見かけていた。

  目と目が合えばにゃおと猫声で挨拶もしたことがあったけれども、特にそれ以上のことはなかった。

  その猫がみずきに一緒に金魚屋へ行かないかと誘ってきたのである。

  8月半ばの昼下がり。みずきは暑さに負けて部屋でぐったりと横になっていた。

  ドアをたたく音に(正確には引っかく音に)やれやれという感じで玄関のところまで行き、ドアを開けるとそこに

  立っていたのは(いや、座っていたのは)、空き地でよく見かける虎模様のむくむくとしたあの猫であった。

  猫はとりたてた表情もなくみずきのことを見上げていたが、やがてにゃーんと一声猫声で鳴いたかと思うと人の言葉

  で話を始めた。

 「あのう、突然お邪魔して申し訳ありません。私はむこうの空き地にすんでいる野良猫のネロというものなんです

  が、、、ご存じ、、です、、よ、ね?」

 「はあ、まあ」

  みずきは、やはりあの猫かと思いながら返事をした。

  猫は彼の返事にほっとした様子で、

 「ああよかった。やっぱりおぼいてくれたんですね。私なんかしょせん猫なもんだから通りすがりに挨拶を交わした

  程度じゃおぼえていてもらえないんじゃないかと思ってちょっと心配してたんですよ。でもこうして覚えていてくれ

  た。私はひょっとしたらあなたは覚えていてくれているんじゃないかなと思ってましたよ。いえね、通りがかりに挨

  拶をしていく人は他にも何人かいるんですよ。学校帰りの女子高生とか通勤帰りの若いサラリーマンやOLなんかね、

  じっとこちらが見ていてにゃんとかいうとにゃんと鳴き返したりするんですよ。中にはしっぽをつかんでひっぱって

  みたり、お腹のあたりを指でつんとついて、こちらがびっくりするのを見ておもしろがりながら走り去る女の人もい

  ますがね。主婦層はだめですね。なんかいそいそとして。それに変に関わりあうと蚤を移されたり、えさを目当てに

  ついて来られちゃたまらんと思ってるんでしょう。見向きもしません」

  黙って聞いてるといつまでもしゃべっていそうなので、みずきの方から要件を切り出した。

 「ところで何の用なの?」

  その声を聞いて猫はしまったというように顔をひきつらせた。

 「すっ、すいません。つい喋りすぎてしまって。いや実はですね。ちょっとお願いがありまして。」

 「お願い、、、?」

 「はい。、、、実は私と一緒に金魚屋へ行ってもらおうと思いまして、、、」

 「金魚や?」

 「はい」

  そういう猫の顔は至って真面目であった。

  みずきは、まあ特に用事があるわけでもなく、金魚屋というのは何か涼しげな気がしたのでその誘いを受けること

  にした。

  この猫がみずきを金魚屋に誘った理由というのは、

   1. トランスフィールドフィッシュという魚を見たい(なんでも、とてもうまそうな魚らしい)

   2. この猫一人で金魚屋へ行くと、店の者に追い出されてしまう。

   3. その魚をみずきに見てもらいたい。

  ということらしい。

  特に魚に興味があるでもなく、ましてやトランスフィールドなんて魚は知らないのになぜ見せたいのだろうという

  疑問はあったが、この猫にいちいち聞くのもなんか面倒だったのでので黙ってついていった。

  さて金魚屋であるが、不思議なことに(別に不思議ってこともないかもしれないが)、この猫は駅前にある大きな

  ペットショップを選ばず、町のはずれにある小さな金魚屋へ案内していった。

  そこは家の主人(店のおやじという言葉が合いそうな)が一人でやっていて、縦横2、3メートル程度のスペースに

  ありきたりな魚(メダカや金魚)しかおいてないような店だった。店の見た感じも小汚く、店にお客さんを呼ぼうと

  か大きくしようとかという希望もなく、まあやれるだけとりあえずやっとくかと言った風の店だった。

 「こんな所にさっきいってたような魚なんているの。」

  みずきは店の前で立ち止まり中を覗くようにしながら猫に訊ねた。

 「大丈夫です。情報はつかんでます。」 

  猫は自信あり気にドアの部分を見上げて言った。

 (まあ別にいなっかたからってどうってことないか。)

  みずきはそう思いながら店の戸を開けた。

  店内は薄暗く、外から入ってくるわずかな光と店内にある水槽の上の蛍光灯の明かりだけが店内の様子を照らし

  ていた。おそらく夜になったら暗くてまともには店内を歩けないだろう。

  店の主人は奥で座椅子に寄り掛かりながら新聞を読んでいた。みずきが中に入ってきても何の挨拶もなくちらりと

  こちらを見ただけでまた新聞に目を戻そうとしたが、その下方にぴんと立っている猫の尻尾を発見して不機嫌そうに

  立ち上がりこちらのほうにぞうりをはいて歩いてきた。そしてみずきと猫を交互に見ながら立ち止まると、

 「この猫はあんたのかい?」と訊ねた。

 「はあ、そうですけども、、」

  みずきはどうしようかなあと思ったけれど、まあ誘われて来たわけだし猫に誘われた理由も勘案してそう答えた。

 「困るんだよ。猫なんか連れ込まれちゃ。うちは魚扱ってんだし、常識だろう?」

 「はあ、、、」返す言葉もなく頭をかいた。猫の方をみてみると我関せずといった体で目的の魚を探していた。調子

  いい奴だなと思いながらもこの場を取り繕う言葉を探していたが、なかなかいい言葉が思いつかない。どう考えても

  猫を金魚屋に連れてくるなんて非常識である。

 (抱き上げて暴れないようにしますとでもいうか)

  そう思い口を開こうとしたところ、店の主人から思わぬ言葉が聞こえた。

 「まあ、なんかあったらあんた弁償してよ」

  そういうとくるりと後ろを向いて元の場所に戻り、こちらには全く無関心な体で新聞を読み始めた。

  どういう気の変わりようだと思いながらも、とりあえずは良かったと胸をなでおろしていると、右端の方から猫の呼

  ぶ声が聞こえる。

 「いました。いましたよ。」

  猫の方に寄っていくと、ちょうど猫の目の高さのあたりにある水槽の中に10センチ前後の黄色い細長の魚が泳いでい

  る。見たところめだかをちょと大きくした程度のもので大した魚には見えない。

 「これがその君が探してる魚なの?」

  水槽の回りをいくら探しても魚の名前を示すプレートが見あたらなかった。

 「これです。これですよ。」

  よく見ると猫の口の回りからものすごい勢いでよだれが流れ出ていた。教えてやると、おっとおっとと言いながら一

  生懸命前足で口を押さえていたが一向によだれは止まらずたちまちのうちに小さな水たまりができた。こんなの見つ

  かったらまたあの主人に何か言われるかもと、みずきは足で猫の水たまりを踏み消した。

 「いいですねえ。色艶といい形といい、、」

  みずきの苦労も知らずに、猫はぶつぶつと独り言を繰り返しながらその魚をみつめていた。

 「こっちの金魚のほうが大きくて良いんじゃないかな。色も金色できれいだし」

  猫が見ている水槽から3つ向こうにある水槽で所狭しと元気良く泳いでいる金魚を指差して猫に話しかけて見たが夢中

  になっていて返事すらしなかった。

 「どうしてこんなのがいいのか全然わからないよ。」

 「そうですか、、?たまらなくいいじゃじゃないですか」

  水槽の中のトランスフィールドフィッシュは外で聞こえる話声などは当然聞こえるわけもなく、ゆらゆらと泳ぎ続

  けている。

  30分ほど経って、こちらの催促もあり、ようやく店から出た。

  店の中はクーラーもなく、折角涼をを期待していったのに気がついたら汗だくになっていた。

 「いやあ、やはり魚の鑑賞はいいですねえ。」

  みずきはうんざりとした表情だけ返して、何も答えなかった。

 「今日はどうもありがとうございました。あなたにブルーローズの加護がありますように」

  猫は満足げに礼を言うと2度と振り返ることなく立ち去っていった。

  みずきはうんざりとして、どこか近くの涼しそうな所で休んでいくかと歩きだそうとしたとき、少し離れたところで

  自転車に跨り、じっとこちらを見ている女の子を発見した。 

  彼女はみずきと猫がこの店に入るところからずっと2人のことを見張っていたのだった。

  なんだろう、とその女の子を見ているみずきの元へ彼女は自転車を漕いで近づいていった。

つづく

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