vol.2 


日常生活においての些細な出来事に関する記述

              
          レイモンド・カーヴァ−の短編集を手に取る。
      それは特に今日読みたい訳では無いけれど、
      何か本を読みたいと思った事に対して提供された本である。
      しばらく表紙をじっと見つめ著者紹介に目を通し
      本のタイトルにもなっている「ぼくが電話をかけている場所」を
      目次で見つけ、6番目まで飛ばしてそこから読み始める事にした。
      レイモンド・カーヴァ−の作品は今まで読んだ事が無く
      そして読みたいと思った事は無い。
      じっくりと読み進もうと思ったが、文体の相性が良く無いのか
      ストーリーが単調なせいなのか、今一つ頭に入って来ない。
      ミステリーや冒険物、ホラーといったものならば比較的入りやすいのだろうが
      淡々とした日常の一場面は何か心のどこかに受け入れられるきっかけが無いと
      難しいのかも知れない。
      諦めて訳者の後書きを読む。
      好きな作家の後書きだけにこれは読みすすめる。
      ペラペラとめくり読みして、最初から読んだり、途中から読んだり。
      最後のストーリーに当たった時、読みやすい心地に当たり
      そのまま読み終えた。
      とても暖かく悲しくなり話だった。タイトルは「何もかもくっついていた」


あの金で何が買えたか

村上 龍・著    小学館

    これって本屋でふらりと立ち読みしてもインパクトはある。
    もしお金が10億あったら何に使おうかなんて、想像するのは楽しいし、
    そういう意味ではファンタジーといえる。
    
    気になるのは、これだけのお金を捨ててしまっても(実際にバブル問題が
    無ければ他の事に使われていたであろう)、日本人が平然と生きていられ
    るというところ。
    確かに失業問題や裕福な暮らしを送れていない人はいるだろうが、そんな
    人達でさえ餓死寸前であったり、自分の子供を売り飛ばして生きなければ
    ならないような状態では無い。
    たぶん捨ててしまった金は本来の日本には絶対的に必要であった金では無
    いのかもしれない。

    余分な金。

    日本人は使おうとすればくらくらするような程の金を余分に作り、そして
    捨てたことになる。

    大切な時間を使って
    
    過剰な密度で貯えられたものは自然へと解放されようする。

    人はバブルから失われた金については考えるかも知れないが、失われた時間
    については考えるのだろうか。
    


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