そのあまりの静かさに、母は「ホームズの性格が変わってしまった…」と要らぬ心配をしていたが、これが嵐の前の静けさだということは火を見るよりも明らかだった。
案の定、数日もするとそよ風が吹き始めた。
最初は歩くのにも難儀していたホームズだったが、ギブス生活にも日増しに慣れていき、ある日ギブスを嵌めている左前足をひょいと後方に引き上げ、3本脚で器用にシャカシャカと逃げていく姿を目撃する。その逃げ足の速いこと! あたかも時代劇に登場する忍者の如し。
その後、予想…いや確信した通り、そよ風は一気にストームへと突入した。
安普請の我が家のこと、階下にいても「ドゴン、ドゴン」だの「ドココッ、ドココッ、ドコドコ」だのと、まるで和太鼓奏者のようにギブスで床を打ち鳴らしながら足早に移動しているホームズの音が響いてくる。その度に慌てて2階へ様子を見に行きながら、全快までにあと何本白髪を増やせば良いのだろうかと考えてしまう。

《ホラーナイト》
ギブスでホームズの肘が擦れ、赤ムケになってしまった。見るからに痛々しいので、病院でギブスを短くしていただく。
これまでは肘がギブスの引っ掛かりの役割をしていたのだが、肘下の長さにしてしまったために脱げてしまう可能性がある。そう病院の先生に説明いただき、肩吊り式のギブスカバーを作ろうと思い立った。
まず最初に考えついたのは、人間用の靴下に紐を縫い付けて肩の上で結ぶというお手軽なものだった。ところがこの日に限って仕事が忙しく、なんだかんだとお手軽ギブスカバーが出来上がったのは夜の10時頃。そしていざギブスカバーを履かせようとすると、ホームズの脚の長さが違っていた。明らかに左前脚がものすごく長い。
なんとギブスが脱げかかっているのだ!!
ギブスが脱げてしまった時の対応については、先輩経験者であるサナッちさんからアドバイスいただいていた。が、こんな中途半端な状況は想定していなかった…。
自分ではけっこう冷静なつもりでいたものの、すでに頭の中はパニックだったらしい。なぜなら思わず抜けかかったギブスを押し戻そうとしていたからだ。しかし押し戻して簡単に戻るくらいなら、もっと早い段階でギブスは脱げてしまっていたに違いない。まぁ、どうせ脱げるのなら病院の診療時間内にして欲しかったが…。
結局、またもやYOKOさんに電話で泣きを入れてしまった。
思うに、「あっ、しまった!」などと言っていられるうちは、まだ真の窮地に立たされてはいない。本当に追い詰められた時には無言になるものだ。そして私の場合、「しまった!」と“無言”の中間に“笑い”がある。しかるにYOKOさんに電話している間中、笑いが止まらなかったのはそのためだ。
さてさて中途半端なギブスの対処法だが、ギブスは2枚を合わせてテーピングしてあるので、テープを剥がせば簡単に外れるのであった。その日の昼間に病院で見ていたにもかかわらず、YOKOさんにご指摘を受けるまできれいさっぱり忘れていた。しかも電話で説明を受けて「そうだった」とようやく気づいている横で、ギブスがスポンと自然に外れた…。
かくして応急処置が始まる。用意するものは包帯と添え木の代用品、それに仕上げのテープ。添え木にはキャンディーバーなどの丸棒が良いとサナッちさんに教えていただいていたのだが、用意が間に合わなかったため割り箸を使用することに。
まず最初に包帯で脚を巻く。これは仕上げのテープが直に脚にくっつかないようにするため。YOKOさんに電話して良かったとしみじみ思ったのだが、すでに自覚の無い恐慌状態に陥っていたせいもあり、YOKOさんのご指導が無ければ脚に直にテープを巻くという恐ろしい不始末をやらかすところだった。脱毛テープじゃあるまいし、そんなことをしたら百万年先までホームズに恨まれただろう…。
包帯で患部を覆ったら、次に添え木を当ててテープで固定する。それで応急処置の完成。
手順を頭に入れ、急いで応急処置用の一式をかき集める。そして妹にホームズを抱きかかえてもらい、いざ!
だが妹に抱きかかえられたホームズの前脚を見たとたん、最後に蜘蛛の糸ほど残っていた理性が吹っ飛んだ。
「ぎゃーーーーーっ!!曲がってるぅーーーー!!!」の大絶叫が部屋に響き渡る。
ホームズの前脚が「くの字」に曲がっているではないか。一瞬、骨折箇所に当てたプレートが曲がり、もう一度骨が折れたかと焦りに焦った。
が、それは飼い主の単なる天然ボケで、ホームズはただ普通に前脚の関節を曲げていただけ。実際の骨折箇所はもう少し上のほうだった。
すぐに誤りに気づくも、「ここ、曲がってもいい場所だよね」と何度も妹に確認している自分がそこにいたりして…。
その後ひとまず我に返り、いよいよ応急処置にとりかかったものの、骨折箇所に触るのがコワイ。プレートで固定されていると重々承知しながらも、ちょっと力を入れたらまた折れてしまいそうな気がしてならないからだ。が、ビビってばかりいても仕方が無い。こわごわと包帯を巻き、添え木を当てる。そして仕上げのテーピング。
ところが我が家にはテーピング用のテープが無かった。そこでガムテープ登場。しかしガムテープではイマイチ硬くてうまくいかない。というわけで本人にとっては苦肉の策、傍から見たら単なるヤケクソとしか思えないだろうが、ガムテープの上からさらにビニールテープでグルグル巻きにしてしまった。
かくして、ものすごーく不恰好な応急処置の完成。
そして見るからに危なっかしいその完成品に恐れをなし、何かあっては大変と夜通し起きてトイレの世話などをすることにした。
何事も無く夜は更け、時刻は深夜の3時過ぎ。生理現象に耐えかねてW・Cから戻ってみると、ホームズが今まさに自力で犬用トイレにたどり着いたところだった。頑張って起きていた割には肝心な時に役立たずと成り果て、その後さっさと寝てしまったのは言うまでもない。
翌日、朝一で病院に駆け込む。そして院長先生いわく「応急法は合ってる。でも固定が曲がってる」。
つくづく役に立たない飼い主であった…。

                                後編へとつづく…
ないと病院の先生に説明をいただいたが、予想に反して初回からイケイケだった。むしろ入院前よりも真面目にガツガツと食べている。
回復しようという本能が、食に対する執着のイマイチ希薄だったホームズをそうさせているのだろうか。
まぁ、この点だけはまさしく怪我の功名だったりする。

《三つ子の魂・・・》
退院して3日ほどは、ホームズは泥のように眠り続けていた。
起きてくるのはご飯時とトイレくらい。あとはひたすら眠っていたので、こちらもあまり神経をすり減らさずに済んだ。
《食欲》
入院中、ホームズはかなりゼイタクをさせてもらっていたようだ(缶詰フードとか食べさせてもらっていたらしい)。それで一時的に餌食いが悪くなるかも知れ
帰宅したホームズの姿を見るや、ブレイズは天にも昇る喜びよう。対するワトスンは「ナヌ!?帰って来たの〜??」と少々ムッとしていた。あまりにも予想通りの反応で笑える。
当のホームズは大歓迎のブレイズにもほとんど反応を示さず、帰宅と同時にすぐ眠ってしまった。9日間も入院していたのだから、さもありなん。
しかし精神的な不安が消えないのだろう、私の膝の上にへばりついたまま離れない。疲れて眠いくせに、ちょっとトイレにで席を立とうものなら、すぐに目を覚まして姿を探し回る。別に私個人でなくてはならないわけでもないのだろうが、この日はたまたま他に家人がいなかった。そしてようやく母が帰宅したのは、ホームズを膝に乗せたまま身動きがとれず、足の痺れが何度目かに切れた頃だった。
何はともあれ、ホームズお帰り!!

《退院》
ついにホームズ退院の日がやってきた!
待つ身の1日1日が、なんと長かったことか。だが、まだまだ本当に大変なのはこれからだ。
ホームズが帰ってくるにあたり、少々部屋の中を改造した。といってもベッドから布団を下ろして、床にじかに敷いただけだが…。ギブス姿ではベッドの上がり降りが心配なため、寝床とトイレや水飲み場を同じ高さにしたわけだ。おかげで下に置いてあったテーブルをベッドの上に片づけても、足の踏み場が無くなってしまった。
布団を床にじかに敷いて寝るのは、子供の時以来。なんだか合宿、もしくは修学旅行みたいな気分と言えなくもない。
夜、仕事を終えてから病院にホームズを迎えに行く。そのことが分かっていたのかは知る由も無いが、この日ブレイズは朝から妙に張り切っていた。