イタグレは骨折し易い犬種である。あのアメンボのようにひょろ長い四肢を見れば、さもありなんと誰しもが思うだろう。散歩中にも「折れちゃいそう」とよく言われるが、実はそれは未来形ではなく過去形だったりする。「ちゃいそう」ではなく、「ちゃった」のだ。

《大惨事》
それは「ドシャッ!!」という身の毛もよだつ鈍い音から始まった。
間髪いれずに「ギャーーーーーッ!!」というホームズの大絶叫。確かめるまでもなく、直感で骨が折れたのだとすぐに悟った。案の定、無我夢中でホームズを抱き上げると、左前脚が妙な具合にダランとしている。
痛さとショックで我を忘れたホームズが、思い切り手に噛みついてきた。これまでの人生で、犬に血が出るほど噛まれたのはこれが初めて。だが頭の中は「大変なことをしてしまった」の一点張りで、こちらもパニック状態。たいした痛みも感じない。

病院へ向かう道すがら、ギャーギャーと悲鳴を上げ続けるホームズに、何度も「ごめんね、ごめんね」と、まるで呪文でも唱えるようにひたすら謝り続ける。なぜなら、こうなることは十分に予想できてしかるべきだったからだ。
ホームズには、しゃがんでいる私の背中に飛び乗る癖があった。それを危ないと注意しなかったばかりか「かわいい」とおだてて調子に乗らせ、「おんぶ」と言うと飛び乗るように、芸として仕込んでいたのだ。
今まではこちらも身を低くし、ホームズがバランスを保ちやすいようにと姿勢にも気を配っていた。だがこの日は外出から帰ってきた直後、テーブルに買い物の荷物を置いている時に、近くの椅子を踏み台にしてホームズが背中に飛び乗ってきてしまった。しかも上着は滑りやすい皮ジャン(当時を思い出すので、その後2度と着られることはなかった)。そしてしゃがんでやる間もなく、不安定な足場でバランスを崩して転落。大惨事と相成ったのだ。

病院はちょうど診察時間外だったが、すぐに診てくださって即入院。手術は翌日と決まった。骨折は固定してしまうと痛みが引くそうで、脚をテープと石膏で固定されたホームズは先ほどが嘘のように大人しくしている。
先生がたとの会話では何かと冗談を飛ばしておちゃらけていたものの、そうやってテンションを上げていないと後悔の念から泣けてしまいそうだった。
帰宅後、母から聞いたのだが、ホームズの尋常ならざる様子にブレイズもパニック状態となり、猛烈に私の後を追いかけて危うく玄関から飛び出してしまうところだったそうだ。

《一夜明け》
昨夜、ホームズの夢を見た。
やんちゃ坊主のいない家の中は静かで寂しい。くよくよ悩んでも時間が戻るわけではないので前向きに考えようとは思うものの、どうにも気が抜けて仕方が無い。
たとえ何頭飼っていようが、そのうちの一頭が欠けている状況というのは異常以外の何ものでもない。
ブレイズが時々ホームズの姿を探しているような仕草を見せるのは当然としても、ワトスンがいきなりホームズ愛用のヌイグルミを持ち出してきたのには驚いた。
日頃、ワトスンはホームズを鬱陶しがっている。飼い主にさえ触られるのを好まない尻尾に、あろうことかホームズはガップリと食いついて「遊んで遊んで」攻撃を仕掛けるからだ。
特に寒さ厳しい冬の折ともなれば、ブレイズは半冬眠状態でホームズの相手をしてやらない。結果、ワトスンがとばっちりをくうハメに…。
犬同士の遊びは荒っぽいので、ガーガー唸っているワトスンのどこまでが遊びに付き合ってやっていて、どこからが怒っているのかイマイチ判別がつかない。ただ傍若無人なホームズも、ワトスンが食べている時と寝ている時には恐れて近寄らない。とすれば一見怒っているように見えるワトスンだが、たとえ嫌々ながらだとしてもワトスンなりにホームズの相手をしてやっているのだろう。
そのワトスンが、いつもホームズと引っ張りっこをしているヌイグルミをくわえてきたのだ。そうすればホームズがどこかから現れると思ったのだろうか。
ワトスンなりに少しは心配しているのかも知れない。

《最初のお見舞い》
手術も無事に済み、病院へホームズのお見舞いに行った。
まずは先生から状況説明。折れた箇所にプレートを当ててビスで留めるのだが、イタグレは骨が細いので、これがなかなか難しいらしい。幸いにもホームズの場合はある程度の太さはある箇所を折ったため、ビスを2本留めて固定できたとのこと。めでたしめでたし。
「で、固定に使ったプレートなんだけど」先生の説明はさらに続く。これは人間の指に使われるものと同じ、上質のものを使用とのこと。確かに骨の太さが似ている。なるほど〜と感心。
「それにも高いのと安いのとあってね。まぁ安いほうでいいかと思ったんだけど…」イタグレはジャンプ力があるので、以前に安いほうを使用したら後日曲がったそうだ。「で、高いほうを使っておいたから」のお言葉。「ありがとうございます」と(力ない)笑顔でお礼を述べながら、頭の中で最高級品の知りもしない値段をはじく…。
まぁ、たとえ事前にどうするかの打診があったとしても、のちのちを考えて間違いなく高いほうでお願いしたわけだが、“最高級品”という言葉にちょっとビビってしまったのだ。
説明も終わり、いよいよ待ちに待ったホームズとのご対面。左前脚はギブスでレトリバー並みの太さになっていたものの、思ったよりは元気そうでまずはひと安心。
寂しがってギャーギャーうるさくしていなかったかと案じてもいたのだが、どうも大人しくしていたらしい。ホームズはワトスンやブレイズに比べたら順応性がありそうだとは思っていたが、こちらもひと安心。後日、点滴チューブを何度取り替えても食いちぎったり(しまいには「もう点滴やらなくていい」と言われたらしい)、保温ヒーターのコードをガリガリかじったり(動物用なので金属でカバーしてある)と、大人しく悪さをしていたらしいことを聞かされて赤面したが…。
やがて面会も終わりを告げ、再び入院用ケージ(診察室のさらに奥の部屋なので見えない)に引き取られていくや否や、とたんに鳴き出したホームズ。とても寂しそうな切ない声。
「今まで我慢していたんだね」の先生のお言葉に、たまらないほど胸が締め付けられる。
が、いくら鳴いても迎えは来ない。いつしか切ない鳴き声は「こら〜!置いてくな〜!連れて帰れ〜!!」とでも言わんばかりのダミ声に。どうやら怒りモードに突入したらしい。。。
私的には1日1回、たとえ少しの時間でもホームズに会えるのは嬉しい。その時間が待ち遠しいくらいだ。しかしホームズはどうなのか? 会わずにいればそれなりに我慢しているものを、飼い主の顔を見てしまったら里心がついてしまい、かえって可哀相なのでは? 
自分にではなく、ホームズにとってどちらが良いのか??
ここはやはり困った時のYOKOさん頼み。そして会いに行っても大丈夫とのお返事をいただいた。わ〜い♪

《病院にて》
お見舞いに行き、床に降ろされたホームズに向かって、「ホ〜ムズ〜」としゃがんだ姿勢でおいでおいでをした。
ひょこひょこと歩いてきたホームズ、いきなり大ジャンプして肩に飛び乗ろうとした。
重たいギブスはめたままの恰好で、である。ホームズ恐るべし…
退院後に一抹…いや、多大な不安を感じた瞬間。

《ブレイズとワトスン》
ホームズが入院してから、ブレイズは寂しくてしかたがない。しょんぼりと元気がなく、いつもはグウグウ昼寝をしている時間帯も眠らずに起きていることが多くなった。そして不安そうに誰かのあとをついてまわったりする。傍目から見ても情緒不安定気味なのがありあり。
言葉が通じればホームズの不在理由を説明して、いついつに帰ってくるからと安心させてもやれるが、悲しきかなそれを理解させる術がない。
ワトスンはというと、最初はホームズの姿が見えないのを変だと感じていたようだが、2日もすると何事もなかったかのような態度になった。
尻尾をかじられたり、「遊ぼ〜遊ぼ〜」とうるさく付きまとう奴がいなくなったので、むしろせいせいしているようにも見える。
短い命の洗濯期間とも知らずに…。

                                中篇へとつづく…