11月の終わりから大風邪をひいてしまった。
例年にも増して暖かな陽気が続いており、今年こそは早めに、かつ日頃は見て見ぬフリをしている箇所まで大掃除をしようと決意した矢先の出来事である。
出鼻を挫かれ、すでにヤル気は無し。決意をあっさりと撤回し、逆に「今年は大掃除しない」と宣言、「おい、12月はまだ半月以上も残ってるって」と父にツッコミを入れられる。

そんな折も折、風邪が最悪なほど悪化している最中の事。
その日、やっとのことで仕事を終え、さっさと床に就いてしまいたい気分を堪えて犬の散歩に出る仕度を始めた。まずは冬眠中のホームズを布団の中より引っ張り出して服を着せる。
この時、布団の中から大変馴染み深い臭いが微かに漂ってきた。
「う〜ん、おゲロくちゃ〜い」などと冗談半分で言いながら、ブレイズを引っ張り出すため、さらに布団をめくると。。。
そこには臭いの発生源たる、かくも見事な実物が。しかも毛布とシーツの狭間で完全にサンドイッチの具状態。
クラッと眩暈を起こしながらシーツを外すと、その下に敷いておいた薄い毛布、さらには最下層の綿敷布団にまでガッチリと胃液が染みこんでいた。
しくしく泣きながら嘔吐物のベッタリと張り付いている毛布、シーツ、敷き用の毛布を剥がして洗濯場に持って行く。そして洗濯機を回している合間に、綿敷布団に広がっているシミに消臭剤を大量に浴びせかけてドライヤーで乾かす。
生半可な消臭剤の量では、あの嘔吐物特有のまったりとした臭気は消せない。何しろ『布にかけて臭いを取る』はずの消臭剤が、シュシュッとスプレーしたくらいでは逆に匂いを取られてしまう始末なのだから。
そうこうしている間に、比較的薄手のシーツと敷き用に使っている毛布の洗濯は完了した。
しかしまだ最大の難物が残されている。そう、上掛け毛布。
我が家の洗濯機では回らないため、年の瀬の寒々とした洗濯場で咳と鼻水と熱に苛まれながら洗いもすすぎも全て手動にて作業は行われた。
いつもなら嘔吐という行為に対して、「あ〜気持ち悪かったのね。可哀相だったね〜」くらいの気持ちはある。が、この日ばかりは因幡の白兎よろしく、犯人(たぶんブレイズ)の毛皮を全身剥いでやりたい気分だったのは言うまでもない。

2003年もあと2日で終わろうかという30日の朝、目覚めてみればワトスンの顔が腫れていた。
原因は毎度お馴染みの歯肉炎。今や常連さんなので、とりたてて驚きこそしなかったが、病院の診療が同日の午前までで正月休暇に入ってしまうので焦った。
慌ててワトスンと財布を引っ掴んで病院へ駆け込む。まさに飛び込みセーフ。
治療をしていただき、1週間分の薬も処方していただく。
これがあと1日、いや半日遅れていたら…と考えると、ホッと胸を撫で下ろした瞬間だった。

しかし年末に歯で悩まされたのはワトスンだけではなかった。
これまでにも肩が凝りすぎると歯がしみるようになっていたため、そのせいだと自分を欺き続けていた歯が、とうとうお湯にまでしみるようになってしまった。ここに至り、ようやく肩凝りのせいではないことを認めざるを得なくなる。
が、歯医者に行くには片道1時間の道程の壁があった。
ご当地に越してきてから2件ほど歯医者を回ってみたものの気に入らず、結局は以前に住んでいた町の歯医者さんにお願いしているのだが、この片道1時間の道程こそが、歯医者に行くのをのらりくらりと先送りにしてきた原因でもある。
しかし大好物の栗きんとんがしみるに至って、もうそんなことは言っていられない。

明けて2004年の正月気分もまだ抜けない1月6日、折りしもシャーロック・ホームズの誕生日と認定されているめでたい日(原作者が言ったわけではないが、シャーロッキアンの間では定説になっている)に、ついに観念して歯医者に行く。
この時の母のセリフ「久しぶりに遠路はるばる行ったら、先生も喜んじゃって、きっと5分や10分多めにやってくれるわよ」
たとえばマッサージなどに行って、5分や10分多めに揉んでいただけるのは嬉しいと思う。しかし歯医者に行って「遠くから来てくれたんだから、今日は5分多めに削っとくね〜♪」と言われて誰が嬉しいものか。
兎にも角にも中学生の頃よりお世話になっている歯医者にたどり着く。
そして先生カルテを見るなり「5年ぶりだね」と。
まさかそんなにサボっていたとは。。。
先生いわく「まとめて出来るところはやっちゃうけど、5年もたつと前に詰めた所もダメになってきているから、5〜6回は通ってね〜」
さらにたたみ込むように「でも毎週だと大変だから、月1でもいいや」
先生、ありがとう〜〜〜!!

年末、「今年は大掃除はしない!」と宣言したが、本当にしなかった。
だが意外にもそれが吉と出た。ホームズがお赤飯事になったのだ。
『埃じゃ死にゃせん』を座右の銘にしたいくらいの私だが、例年さすがに年末くらいはと鼈甲色になりつつある部屋のブラインド(本当は白)のヤニを落とし、元若草色で現まだら謎色の絨毯を洗剤で拭いてみたりする。
そうやって一念発起したあとに、もしホームズが点々とシミをつけていったとしたら、たぶん「人生って、いったい何?」状態に陥っていたに違いない。
ところが今回はまったく手をつけなかったのだから恐いものナシ。まさに『塞翁が馬』だ。

部屋はきれいになるどころか、どんどん汚れながら新年を迎え、さすがに「ちょっとは掃除するか」という気になった。
そして悲劇は起こった。
棚の埃を払おうとした時に手を滑らせ、お気に入りのグレイハウンドの置物が転落。
慌てて拾いあげた瞬間、身も心も凍りついた。
なんとグレイハウンドの前脚がボッキリ折れているではないか〜〜!!!
何? これは何?? どういう意味〜〜〜???
前脚ボッキリって、前脚ボッキリって〜〜?!?!?!
すでに大パニック。
しかも折れていないほうの前脚にもヒビが入り、駄目押しのごとく爪が一本欠けていた。
これは身代わり厄払いなのか、それとも未来に起こることの暗示なのか。。。
皆さんに厄払い論支持で慰めていただき、さらに首がもげるよりはマシと結論づけたのだが。

実は今年、ついにホームズの避妊をしようかと考えていた矢先の出来事だったりする。
どなたかのセリフではないが、私も叶うことならホームズの遺伝子を残したいとこれまで避妊せずにきた。
しかしあまり齢を重ねての初産は母体にかかる負担を考えねばならないし、何よりもワトスンの心情を考えたら、彼女の存命中にこれ以上犬を増やせないのは分かっていた。
それでもひとたび避妊してしまったら、たとえ蜘蛛の糸ほどわずかな可能性でも、ホームズの子供という望みは絶たれてしまう。
そんな葛藤のさなか、ついに避妊への決意をさせてくれたYOKOさんの有り難いひとこと。
「スムーズに仔犬が出てきてくれればいいけど、産道に仔犬が引っ掛かったのを取り出せって言われたら、あなたの場合は卒倒するでしょ」
相変わらず私の何たるかを見抜いた的確なお言葉。
間違いなく卒倒すると思います。
それでようやく未練を断ち切り、ついに避妊に踏み切ろうと考えていたのだが。。。
来年に持ち越そうかどうしようか、悩んでいる最中である。

***避妊の話が出たところで、ついでの話***
避妊手術については倫理的問題も含めて賛否両論だと思う。
だが私個人としては避妊手術について肯定的な意見だ。
それは避妊手術を受けることによって、のちのち発症する可能性を否定しきれない子宮蓄膿症や子宮癌などの疾患を未然に防げるからだ。
これら人間で言うところの『婦人病』は、体力の衰える高齢に発症することが多いそうだ。
そして高齢域に達した際にそれらの疾患が発症するということは、避妊手術を受けることよりもさらに多くのリスクを背負うことになる。
外科手術ともなれば、麻酔を始めとする身体への負担は相当なものだと覚悟せねばなるまい。
それらの危惧を、まだ体力のあるうちに予め排除しておこうという考えに私は納得している。
だが愛犬たちのために何が正しくて何が間違っているのか、それは賛成論者にしても否定論者にしても答えのないところだと思う。
たとえこの先何万年と人類が生き続けたとしても、“本物”のソロモンの指輪は誰も手にすることができないはずだから。