適正検査の結果が返ってきた。実に素晴らしいものである。
運動機能欄はA〜Eの5段階評価で総てDとE。決断力の欄など、Eの横に『−』線まで入っている。
しかし本人的にはオールEでなかったのが不思議なくらい。
総合診断欄は、おもしろいほど私の性格を的中させていた。
安全性についての注意点がまた膨大。さらに最後に「運転には、充分に注意してください」のダメ押し。
要するにひとことで言えば「あんた、免許取らないほうが身のためだよ」というのを、婉曲的にやんわりと訴えているに相違ない。そして自身もそう思う。
帰宅後、父にこの診断結果を見せると、「こういうのはアテにならないから」と。
まだそんな寝言を、アテにならないのはあんたの我が子を見る目だよっ!
とは私の内なる声。
また、診断結果には『素直な人です』とも書かれていた。
どこらへんが素直なのかと言うと。。。
学科で『優先』について教わった。交差点では幅の広い道が優先道路である。
ならば幅の広い道路で交差する、それよりも幅の狭い道を通過する路面電車に対してはどうか?
路面電車と生活を共にしていない者にとって、電車といえばJRが頭に浮かんでくる。そして電車ともあろうものが車に道を譲るという行為そのものの想像がつかない。
しかし、それまでの講義内容からすると優先は道幅の広いほうの車ということになろう。
教官が端から答えを聞いていく。皆、揃って「路面電車」と答える。
ついに私の番になり、思わず「路面電車」と答えてしまった。
そこらへんが実に素直な性格をしているではないか。
ちなみに正解はもちろん「車」である。
実技2回目。
コースアウト三昧で、他の教習生の邪魔をしまくる。
教官いわく「キミ、焦るとアクセル踏むよね」
ドライバーとして最悪なパターンである。
そして「次回、また同じとこ練習ね」
2回乗って早々と2限オーバーが確定したらしい。。。
実技3回目にして初めて知った真実。
コーナーリング(右折)をする時に、「曲がる所を見て」と指導され、1回目の乗車で必死に左側の白線を目で追いかけて注意事項に『目線』と記され、2回目の乗車で今度は「曲がる方向」との指導にこれまた必死で右側の白線を目で追いかけて注意事項にまたもや『目線』と記される。
3回目の乗車でようやく『曲がる所』とは白線ではなく『前方』なのだと知る。
教官に「どうしても近場を見ちゃうみたいなんだよね〜」と最初に指摘されたが、そりゃそうだ。だって必死で白線追ってたんだもん。
まさか教官も、眼下の白線でコーナー確認していたとは思いも寄らなかっただろう。
そう、私が見ていたのはボンネットなどではなく、さらにその下。なお悪い。。。
しかし今日のダメ人間は私だけではなかった。なぜならカーブを刑事ドラマの追走シーンさながらにコーナーリングしている教習車を目撃してしまったからだ。
ベテランドライバーならば、それも有りだろう。しかしここは教習所、カーブを曲がる時には減速せねばならない。思わず自分のドッペルゲンガ―を見てしまったかのと思った。
その帰り道。
教習所に通う道の途中にちょっとした池があり、何種類かの水鳥たちが棲息している。
その水鳥たちに以前から有志のかたが餌をやっており、ちょうどその場面に居合わせた。
両手に餌の入った袋を持ったおじさんが「みんな〜、ゴハンだよ〜」と叫びながら池のほうに下りていく。すると水鳥たちも心得たもので「グェッ、グエッ」と返事を返して集ってくる。
しばらくはその光景を微笑ましく見ていたのだが、1羽の丸々と太ったガチョウをつい「美味そう。。。」と思ってしまった自分。
だいぶ心が荒んできたらしい。
左折と右折の実技。
左折するため停止線で停止して左右確認をしている間に、なぜかハンドルが右に切れている。
そのつど教官に直されるが、それでもその場所に来ると手が右方向に。。。
別に右折したいわけではないし、さすがに今回は左右の判別がついていないわけではない。
教官は無意識に右に切っていると思っているようだが、実は幅寄せの軌道修正中だったりする。
自分的には完全に軌道修正が終わっていないうちに停止線に至り、ブレーキを踏むのでハンドルが右に切れているのだ。
でもそれを説明すると頭の中が余計にややこしい事に陥りかねないので、教官にはそう思っていてもらうことにした。
左折がまともにできないのだから、右折はもちろんボロクソ。次回も同じ項目を教習し直し。
教官いわく「できればもう少し間を開けずに通えないかな? 一週間も開いちゃうと勘が鈍るから」
しかしたった一週間で勘が鈍っていたら、いざ免許取ったあかつきにはどうなるのであろう?
そうツッコミを入れたい気持ちをそっと胸の奥にしまい込んだ一日だった。
教習所通いのストレスから、過去10年に渡り上昇の一途をたどっていた体重が、半月あまりで2kg減った。
特に実技の時は前日から憂鬱で、当日にかけて胃の調子が悪くなったり、お腹を壊したりすることもしばしば。
そんなわけで実技のあった日はどっと疲れる。
父いわく「そんなんで今から疲れてたら、この先(もつと難しくなるのに)どうすんだよ」とヘラヘラ。
私のこめかみに交差点がふたつほど出来たのは言うまでも無い。
教習所というと、昔のイメージでは教官が「怖い」「意地悪」「怒鳴る」などマイナスな言葉ばかりが浮上してくる。
が、今どきの教習所はそんなダーティーなイメージを一掃したらしく、事務の皆さんも教官も概ね親切で丁寧だ。
だがこの『概ね』というのがミソ。中には相性の悪い(と言っておこう)教官もいる。
実技第1回目に当った教官がそう。
車のエンジンをかけるのだって生まれて初めてなのに、そんなに指示通りにはできるはずもなく、特に私という人間ならばなおさらだ。
YOKOさんの至言を借りれば「できないから教習所通うんでしょ。最初から運転上手けりゃ、そりゃ無免許で乗り回してたってことでしょうが」
今にして思えばこの言葉をそっくり第1回目の教官に返してやりたいが、何しろ初めてのこととて教官とは皆こういうものだと思っていた。
決して怒鳴ったり声を荒げるわけではいのだが、言うなれば慇懃無礼とでも表現しようか。。。
2回目の教官からは皆さん懇切丁寧に根気良く指導してくれた。
嫌でたまらない教習所通いではあるが、教習所スタッフの皆さんが親切であるとなれば、それなりにその気持ちに報わねばと思ってしまう。
が、今回またしても相性の悪い教官と当ってしまった。
車に乗った瞬間からなんとなく嫌な予感はしていたのだが、予感は見事に的中。
思うに、教官によって多少なりとも指導の差異がある。つまり前回教わったことが、その次の回では別ものになっていたりとか。
それぞれの教官が運転のベテランだし、機械ではないので指導に多少の差異があるのはもっともなことだとは思う。
しかし教わる受け取り手側のこちらとしては、それは場合によって指導の上手い下手の評価と直結しないとも言い切れない。
とりあえず『指導』の陰に威圧的な態度を隠している教官は、私のような小心者にとっては萎縮のもと。
余計に混乱して、できることもできなくなってしまう。それが相手の癇に障り、また注意されるの悪循環。
別にできてもいないところを大目に見てOKを出して欲しいと言っているわけではない。できないところはちゃんとできるようになるまで何時間やり直しさせられてもまったく不満はないし、むしろ私のような人間には特にそうして欲しいと思っている。
要するに嫌なのは「なんで、こんな簡単なこともできないの〜」みたいな態度。
この日も散々チクチクとやられて最初は素直に従っていたものの、ついには「なんで私がこんな目に合わなきゃならないんだっつーの!」と無性に泣きたくなってきた。
そして「あ〜、本当に泣いちゃおうかな」と思った次の瞬間、出てきたのは涙ではなく、めちゃめちゃドスのきいた「はい」という返事だった。要するに泣くを通り越してプチギレ。
あと1回でも教官から同じ態度をとられたら、マジギレしていただろう。そして小心者ゆえに一度キレたらもう止まらない。今までの「我慢」の貯金を全て吐き出してしまうまでは気が済まない(←実は激情型)
ところが、ここから教官の態度に変化が現れる。多少(?)ミスっても怒られなくなり、ちょっとでも上手くできると褒められる。
停止線で一時停止を忘れそうになり、線からはみ出した時にも何も言われなかった。その前の時には「ここ一時停止でしょうがぁ〜。ちゃんと良く見なさいよ」的な言われようだったのに、今回は「そうそう、良く気づいたね♪」みたいな。
さらに時限終了時には「あともうちょっとだから、次回に頑張ってここ仕上げちゃおうね」と労いのやさしいお言葉。
あの「はい」のひと言に天下の教官をビビらせるほどの迫力があったのかどうかは定かではないが、態度に変化があったのは気のせいではないと思う(第1回目の教官だったらこの程度のことではびくともしないだろうが)
ちなみにマジギレしていたらどうなっていたかと言うと。。。
「できないから何回も同じところやり直ししてるんでしょうが! ごちゃごちゃうるさいっつーの! ハンコいらないから原簿返して」と捨てゼリフを吐いて途中下車して帰ってた。
別に免許は欲しくないし、ドロップアウトむしろ大歓迎というのは強みかも知れない。。。
余談ではあるが、今回の教官に「自転車に乗る時はどうしてんの、自転車に乗るでしょ」と言われ、「乗りません」ときっぱり。
教官「でも乗れないないわけじゃないでしょ」
私 「運転はできますが、乗れません」
教官「なんで?」
私 「高校の時に止まっている車に自転車もろとも突っ込んでいって、それ以来は乗ってません。障害
物が避けられませんから」
教官「障害物が避けられないって言ったって、車ならもっと大変なことになっちゃうでしょうが。人轢いち
ゃったりとか。路上に出たらどうするの」
これに関しては一も二もなく教官の言葉に賛同する。そんな人間が免許取りに来るなっちゅーの!とは私自身が思っていることなので。
しかし教官、引っ込みがつかなくなったらしく「でも歩きだったら障害物があったら避けられるでしょ」と。
たしかに歩きだったら障害物は避けられる。
「そうでしょう、そうでしょう」と教官、嬉しそうにしたり顔。これにてこの話題は無事落着した。
しかしながら実は稀によそ見をしていて電柱や看板にぶつかる時もあるのだということは、話の論点をずらし収拾をつかなくするだけなので黙っておいた。