「いったい競馬のどこがおもしろいの?」 女は冷めたコーヒーを飲みながら、挑戦的な目で、男に訊ねた。 「女にはわからんさ」 男は、その目を避けるように、手元のコーヒーカップに視線を落として答えた。 二人ともきちんとした身なりをした、いかにも丸の内界隈のビジネスマン、OLといった雰囲気を漂わせていた。年齢は二十代半ばすぎといったところだろうか。ただ、ちょっと違和感があるのは、二人とも競馬の分厚いデータブックを持っていることだった。 「じゃあ、訊ねるが、君はなぜ競馬をやるんだい?」 「わたしはやらないわ!」 「現に……」 といって、男は口をつぐんだ。 女はうっとうしいという感じで、手元のデータブックを見た。 「私は馬に自分の人生を賭けるようなマネは金輪際したくないの」 「男になら、人生を賭けれるというわけかい?」 「ええ、世の中、あなたみたいな男性だけじゃありませんからね」 「で、奴を信じたと……」 女の目がきりりとつり上がった。伝票をつかんで、すぐにでもこの喫茶店を出ていこうという素振りを見せながら、女は深い溜息を一つついた。 「女の溜息が可愛いのは二十歳前だけだって、だれかいってたなぁ」 フンと、女は鼻先で笑った。 「それ、あなたでしょう? そんなこといってるから、いつまでも可愛い女に出会えないのよ」 男はうんざりした表情を浮かべて、黙って時計を見た。 「あいつ、ほんとに来るのかなぁ」 二人はもうかれこれ一時間近くもこうしていた。 「あなた、友達なんでしょう?」 「君だって、そうじゃないか」 「私はただの知り合い。た、だ、の」 「そのただの知り合いに、いったいいくら貸したの」 「あなたには関係ないでしょ!」 「そりゃ、まあ、そうだけど……」 「あなたこそ、いくら貸したのよ」 「大きなお世話だよ」 男は再び時計を見た。 「オレ、悪いけど、先に失敬するよ。別にアテにしてたわけじゃないから……。今日は他にいろいろ用もあるし……」 男が腰を浮かせかかると、 「ちょっと待ってよ! いってみれば私たち被害者でしょ。協力して彼から返してもらうことを考えなきゃ」 女の声音がかすかにやさしくなった。 「今度は、私たち、かい? 顔を合わせるなり、いきなり『あなたですね。彼にきちんと返してください!』なんていっておきながら」 「あなただって、『女はわからないよなぁ。あんな男から金を巻き上げるなんて……』って、いったでしょ」 「君が失礼なことをいくからさ」 二人はある男にいくばく彼の金を貸し、それを返済してもらうために、今日、この場所にやってきたのだった。手の込んだことに、その男は二人にそれぞれ競馬のデータブックを渡し、「これを持っている人間から借金を返済してもらうことになっているから、これを目印に三人で落ち合おう」と約束したのだった。ご丁寧に、その相手が大の競馬ファンだということもつけ加えて。 二人はただ待つしかなかった。 一人なら、適当にあきらめをつけて帰ってしまうところだが、二人となると引き上げる潮時が難しい。 「もうちょっと待ちましょう」 男は、浮かせかけた腰を元に戻して、こういった。 「コーヒー、もう一杯飲んでいいかな?」 「どうぞ、どうぞ。もちろん、あなた持ちですよ」 男は再び腰を浮かせかけた。 女は慌てて男を仰ぎ見ながら、 「わかった、わかったわよ! 私が持つわよ。こんなとき足元を見る男なんて最低!」 午後のうららかな日差しが、店のウィンドウを通して、二人をやわらかく包んだ。 その頃、この最低の男をだました最悪の男は、中山競馬場の観客席で嬉々として、ひたすら大穴のくるのを待っていた。 穏やかな秋の日差しをいっぱいに受けて――。 |