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アサヒは発泡酒を出すべきではない


 

アサヒは発泡酒を出すべきではない。

ここ数日間のCM攻勢で「アサヒ本生」という、新しい発泡酒を目にする機会が非常に多くなっている。スーパーやコンビニエンスストアでも6缶パックで厳選のナッツがおまけで付くというキャンペーンも行い、ビール業界の新王者、アサヒビールの意気込みが伝わってくる。

だがしかし、さもありなん。

アサヒは発泡酒を出すべきではなかった。それは、アサヒビールという会社にとっても、ビール業界全体にとっても、非常に好ましくない事態を招きかねない問題だからである。
ビール業界は、ある年まではキリンビールの一人勝ち、60パーセント以上のシェアを有していた。しかし、高々10パーセント程度しかシェアを有していなかったアサヒビールが、アサヒスーパードライという驚異的ヒット作を産みだし、消費者のドライ嗜好をより一層強め、シェアの逆転という歴史的にも希にみる激変を起こしたのである。

さて、ドライビールとはどのようなビールなのだろうか。
まぁ、飲んでみれば一舌瞭然だが、味が軽く、飲みやすく、アルコール度数が高いビールである。
よく言えば、喉ごしがスッキリとしたビールであり、悪く云えばビール本来のドッシリ感を毎日味わうには年を取りすぎた人たちが、手軽に酔えるビールである。
ドライ嗜好は年々強まり、各メーカーもドライビールを出すにいたったが、この飲みやすさ、逆にいえば味の軽さではアサヒビールがトップであることは、云うまでもなくシェアが証明しているのである。

このドライビール全盛の時代に、新たな武器が躍り出てきた。
それが、発泡酒である。
発泡酒とビールの違いは、麦芽率、アルコール度数など様々であるが、何故今発泡酒がブームになっているのだろうか。
発泡酒は近年生まれたアルコール飲料ではなく、以前から存在していた。しかし、ビールに馴れていた私たちにはとても耐えられるような味ではなかった、市場に受け入れられるレベルに達していない商品だったのである。しかし、バイオ技術と技術革新によって、新しい麦芽、酵素の開発やアルコールの抽出法などで劇的な進化をとげ、現在のビールに負けずとも劣らないクオリティの高い商品が完成したのが、近年なのである。

発泡酒の売りはなんといっても値段の安さであり、何故値段を安く抑えられるのかと云えば、酒税が低いからである。ビールにかかる酒税は1リットルあたり222円であるのに対し、発泡酒は麦芽率50パーセント未満で1リットルあたり153円、麦芽率25パーセント未満で1リットルあたり105円と、半額程度の酒税で済むのである。

発泡酒の進歩に自信を持った各メーカーはその味と値段の安さで、自らが販売するビールと競合する商品を出してまで、アルコール業界でのシェアを獲得しようと躍起になっていた。

しかし、当初、アサヒビールはこの発泡酒の波に乗ることを良しとしていなかったのである。下克上を制し、ビール業界ナンバーワンのアサヒビールが、発泡酒を出すなどと云う「邪道」はできない。アサヒビールは、ことあるたびにそのことをマスコミに強く明言していたのである。

だが、消費者はビールではなく発泡酒を選んだのである。
ビールのシェアを逆転するにはいたらないが、着実に発泡酒のシェアは伸び続けている。しかも、発泡酒が奪ったシェアは、そのままビールの奪われたシェアに直結しているのだ。ワインや焼酎の消費者が発泡酒に流れ込んだのではなく、ビールの消費者が発泡酒に流れ込んだのである。

この現状に危機を覚えたアサヒビールは、自社のプライドを曲げてまで発泡酒を発売することとなった。それが、アサヒ本生である。

ここまで読んでくださった方には、是非アサヒ本生を飲んで戴きたい。その後、以下の文章を読んでいただければ、より実感として感じられる文章となるだろう。

私は、最初に
アサヒは発泡酒を出すべきではなかった。それは、アサヒビールという会社にとっても、ビール業界全体にとっても、非常に好ましくない事態を招きかねない問題だからである。
と述べた。その証明を今から行いたいと思う。

アサヒ本生を飲まれた方は、その味をどう感じられたであろうか?
先にも述べた通り、発泡酒の技術革新は留まることを知らず、非常に優れた商品を産みだしている。アサヒ本生も非常にすばらしい商品で、スッキリした喉ごしとアルコール度数の低さを感じさせないコクを産みだしている。まさに、アサヒスーパードライのようではないか!
ここで消費者は気付くだろう。
ならば、アサヒスーパードライを飲む必要はないのではないか。と。
そうなのだ。発泡酒はうまい。そして、まるでドライビールと変わらない味と喉ごしを提供してくれる。ならば、ビールはいらない。発砲で良いのだ。
それは、ドライビールに確固とした自信を持ち、スッキリとした喉ごしを売りにしていたアサヒスーパードライそのものの存在理由をスッパリと消し去ってしまったのだ。
アサヒビールは、このことを十分に留意していたであろう。自らの売りであり、同時に弱点でもあったこの点を知っていたからこそ、発泡酒を出すことを頑なに拒んでいたのだろう。
しかし、時代の波には逆らえなかった。このまま他社の発泡酒にシェアを奪われるぐらいならば、スーパードライに近い味を低価格で出すことで、ビール、発泡酒双方を含めたシェアの保持に動き出したのだ。この大英断が成功するか否かは、これからのビール業界の方向性が、大きく左右してくるのだ。それが、これから述べるビール業界全体にとって好ましくない事態の正体である。

それは、酒税法の改正である。
昨年、酒税法の改正が大蔵省(現財務省)によって検討され、国民に物議を投げかけたことは、記憶に新しい。
この、酒税法の改正については、マスコミの報道が非常に偏っていたために国民に一方的な見方を押しつけた感が強かった。アルコール産業は大スポンサなのだから、その意向を反映した放送になるのは致し方ないが、ジャーナリズムを気取ったTやKが口をそろえて「役人は金を取ろうとしている」としか云わないのは閉口ものであった。酒税法の改正の意義について明確に説明していたのはWBSぐらいだったため、改めてここで酒税法の本来の意義について説明しよう。
難しいことではない。あらゆる税制が複雑と云われている現状を考慮し、税制の簡略化を行うことが各省庁に課せられた責務なのだ。
酒税法の改正でも、アルコール度数の違いによって税金が異なるという煩わしい枠組みを外し、簡略化することで効率の良い企業運営を押し進めていくことが、最大の目的なのである。

問題なのは、その枠組みが外されたのちの税率が、高い方に合わせられるのか、低い方に合わせられるのか。つまり、1リットルあたり222円にするのか、105円にするのか。ということであり、大蔵省は高い方に基準を合わせることを良しとした。そのことなのである。

このまま行けば、発泡酒の税率はビールと同様になるだろう。
なぜならば、発泡酒はドライビールと殆ど変わらない製品を提供するまでに成長したからである。大手ビール会社の連合からなる発泡酒連絡協議会は発泡酒の実質的増税に対して大きな反対キャンペーンを開いている。そして、その反対理由にビールと発泡酒では商品が異なり、それに対して同様の税制を用いるのは強引であると、
http://www.happoshu.com/osirase/news_005/news_005_2.html
統計学を駆使して述べている。
だが、ここに書かれたグラフは統計学の多面性を歪め、自己の理論のみを優先させた強引な理論展開を行っていることは明確である。

図4などは、その傾向が著しい。
所得階層別の発泡酒の購入構成比をみると、所得の小さい階層ほど低価格の発泡酒を購入しており、所得が大きくなるにつれビールを購入する割合が大きくなっているという実態があります(図4参照)。

と、発泡酒連絡協議会は述べている。ここから発泡酒とビールが異なる酒類であることを証明しようとしているのだが、この統計にはそのような力はない。
所得の小さい階層ほど低価格の発泡酒を購入していると云うことは、その消費者はビールの代替えとして値段の安い発泡酒を購入しているということを証明しているに過ぎないし、所得が大きくなるにつれてビールを購入する割合が高くなるというのは、金を持っている人間ほどビールという名前に拘っている。といえるだろう。
つまりは、発泡酒はビールの代替えであるという一般認識が出来上がったという証明を自らが行っているのである。

ならば、税金も同等であっても仕方がないであろう。
高く合わせるか低く合わせるかは国策であって、今回は不問とする。

発泡酒がビールと同じ値段になったとき、両者は完全に同じ土俵に登ることとなる。 ビールという狭い池に、多くの鯉が放たれることとなるのである。 もし、発泡酒が高くなれば、消費者はビールに戻る。ならばビール業界は安定だ。
そう簡単には進まないだろう。
消費者は低価格ビールとしての発泡酒をその舌に記憶してしまっている。
発泡酒が高くなったとしたならば、消費者の感覚ではビールも高くなったと思われるのである。そのとき、消費者がビール、発泡酒というアルコール飲料に魅力を感じなくなる危険性は、常に存在するのである。

私はビールという飲み物はそれほど好きではない。まぁ、暑い日にグッと飲む一杯目のうまさは、何物にも代え難い物はあるけれども。
だから、ビールはギネスじゃなきゃいけない。とか、エビスビール以外は偽物だ。とか、それほど深く考えているわけではない。特に、ビール後進国である日本ならば、伝統に囚われない新しいビールがどんどん生まれても良いだろう。
ただ、現在のビールシェアの殆どを占めるドライ系のビールには、ギネスやエビスにあるドッシリとしたコクや麦芽の匂いが取り除かれていることは確かで、そのコクや匂いの旨さを消費者に提供できなかったビールメーカーは、ドライビールと発泡酒は同じ物だと云われても、何も言い返すことは出来ないだろう。

消費者が求めていた安くて旨いアルコール飲料、発泡酒が無くなったとしたら。
それは国の責任ではない。
そのことだけは、しっかりと考えてほしいのだ。
それが、ビール業界の長であるアサヒビールの責務ではないか。

心から、そう思う。

QED

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