YOUR DREAMS COME TRUE !
フェアレディ240ZG
当時日本で3ナンバーなのに2人乗りはこの車だけ、正に豪華贅沢の極
2393CCなので税金も3000CCより安くていいのです。すばらしい。

小話1. 小学2年生の私とフェアレディ240ZG
 フェアレディ240ZGを購入してもうすぐ15年がたとうとしてる。車が好きな人はどんな想いで車を購入するのだろうか。憧れと趣味だけで購入出来る程の価格ではないかもしれない。しかし自分は買ってしまった!それでは240ZGの想い出を振り返ってみたい。
 昭和47年(1972)、私が小学2年生の頃に憧れた車がニッサンの当時イメージリーダーカー、フェアレディ240ZGだ。カタログでしか見たことがない私は、カタログが破れるほど見たのを覚えている。速くて、かっこよく、3ナンバー、ノーマルでオーバフェンダー、Zは圧倒的な凄さだった。私は完全に魅力に取り付かれてしまった。小学2年だけどねっ。
 しかし、昭和48年(1973)オイルショックの年を最後に生産中止になってしまった。(アメリカでは240Zを生産していた。)それは結構子供ながらにショックだった。と言うのも、昭和49年オイルショック後の日本車は元気がなく最高速度210km/hを超す車がなくなってしまったのだ。それが結構つまらなかった。しかも、240ZGはまだ本物を見たことなかったので「そりゃないだろう!!」てな感じでショックだったのだ。 以下次回につづく 1999/02/24

フェアレディ240ZGイメージ2
240ZGは空気抵抗係数(CD値)0.390でエアロパーツの走りだ!!

小話2. スーパーカーブームとZ
 小学5年頃(1975)になると憧れの車への世界観は膨大な情報量によって変わっていく、自分も例外なくスーパーカーブームに乗ってしまった。なぜだか分らないが、それが子供というものかもしれない。そんな時期に初めて車雑誌を買った。それが『モータファン』だ。それは世界中の車が全て載っている総合カタログになっていた。あらゆる車の名前を覚えた。その中でも、フェラーリベルリネッタボクサー365GT4BBランボルギーニカウンタックLP400も丁度載っていた。まさにその車達はスーパーである。なにがスーパーかと言えばデザイン(格好)だ!性能も凄まじかった!価格これも半端じゃない!子供ながらに「これが走るのか」と思わず絶叫していた。「だって300km/h出るってカタログに書いてあるんだもん。びびったぜっ。」「しかもカウンタックなんかガルウイング。扉が上に開くんだぜ。」いつの間にやら仲間内でリトラクタブルヘッドライトじゃないとスーパーカーではないということになっていた。日本車ではトヨタ2000GTだけだ。
 多くのモーターショーに行き240ZGの事など完全に忘れて写真を撮りまくった。(友達がそれでホームページを製作すればいいと言うほど写真がある。)それはそれとして、モーターショーで唯一あった日本車は、トヨタ2000GT、トヨタS800とスカイライン2000GTR(ハコスカ)、ホンダS800ぐらいだ。Zの姿がどこにもない。まだZ自体は販売していたからだろうか?「なんでフェアレディ240ZGがないんだよ〜っ。スーパーカーじゃないのかよ〜っ。」相変わらず本物をまだ見たことがないのだ。
 しょうがないので、ニッサンの販売店に行き新車のフェアレディZ(EGI)を見に行った。その時嫌がる店員からフェアレディZ(EGI)のポスターくれって無理やり貰ってきた物を自分の部屋に貼ってみた。だけど、このフェアレディZ(EGI)がどうも嫌いだった。排気ガス規制でパワーダウンしたからだ。(今思えば地球にやさしいんだけど、そんなこと昔の子供は考えていない。)そんなポスターが今、自分の部屋に飾ってあります。なんだか時の流れをしみじみ感じる今日この頃です。
以下第3回につづく 1999/03/02
(写真はスーパーカーブームの頃の名古屋吹上展示会場)
スーパーカーブームフェラーリベルリネッタボクサー365GT4BBのボクサーとは水平対向エンジン様子が、ボクサーが手を出し打ち合うような感じからきているらしい。カタログ上で最高速302km/hだ。ランボルギーニカウンタックLP400は300km/hで、その差2km/hがフェラーリの意地であった。
スーパーカーブーム2会場にはフェラーリ、ランボルギニー、ポルシェ、マセラティ、デトマソパンテーラ、フォード、BMW、アルファロメオ、アルピーヌルノー、アストンマーチン、パンサー、モーガン、アメ車やベンツ、ロールスロイスなどがありました。
Zポスター
 これがそのB全ポスターだ。チョット写真写り悪いけど勘弁して下さい。左上に12Q太ゴシック墨文字で
ラジアルタイヤと、ホイルキャップは注文仕様
右上に日産自動車マークの上に、『
人とクルマの明日をめざす
右下に白文字の英字書体(62Qガラモンドイタリック)で
FARLADY Z 2000cc NISSAN E.G.I. 130PS/6000RPM』ポスターのZは流石にピカピカだ。
 このポスターはボロボロで、セロテープ跡や画びょうの穴がいっぱい有ります。本当は、当時の少年ジャンプの表3に240ZGのポスターが通信販売で載っていた物が欲しかったのだが、900円もしたので買えませんでした。残念。無念。だれか持っている人下さい。
1999/03/26

L24型エンジンはレギュラーガソリン仕様なので他の旧車よりよいよ

小話3. 後から迫るクルマ?
 小学校6年(1976)になってもスーパーカーブームは続いていた。その頃、小学生クラスは1クラス40人位居たのだが、車の事で丁度盛り上がっていた。ひとりの男子が「みんなの家はどんな自動車に乗ってる?」と聞いた。セリカ2000GTリフトバックが1台、トヨタマークツー1台、そして、私の父は日産ブルーバードU。それ以外は軽四やカローラが殆どだ。(豊田市に近いせいかトヨタ車が多い)
 あるスーパーカーフェスティバルの帰り東名高速道路に乗った。もちろん私は運転出来ないので、父のブルーバードの後部座席で座っていた。何か珍しい車が来ないかとキョロキョロとしていて、落ち着きがなかった。その時、父の車は140km/hスピードを出していたにもかかわらず、後から真っ赤な(タイトルバーの様な)色をした車が、丸い大きなヘッドライトを光らせてグングン迫ってくる。「とーちゃん後から速い車が来よ。」「あれはフェアレディ240ZG!!じゃないか?!」「うわっすげぇ。とーちゃんもっとスピード出して」と言ったものの、もう既にブルーバードは160km/hのスピード出ていた。「うぁ初めて240ZG見た。すげぇ。」しかし、真っ赤な車はヘッドライト光らせたまま凄い勢いで迫ってきた。車はなんと240ZGじゃなかった。「違うZじゃない。あれはポルシェ930ターボだ。」『あっ』という間に追越し車線を過ぎて行った。170km/h(坂道下り)で父がポルシェを追うもののポルシェは、はるか彼方に行って見えなくなってしまった。 車を見てあんなにドキドキした事はなかった。やはり走っている車とスーパーカーフェスティバルの様に飾られた車とでは迫力が違うのかと思った。それにしても、本物のフェアレディ240ZGだと思ったら違っていたのはショックだった。今だにフェアレディ240ZGを見てないのだ。
以下、見てくれる人が多ければつづくかも 1999/03/06
 これがポルシェ930ターボだ。丸くて大きいヘッドライトが240ZGと似ている部分で勘違いしてしまった。ちょっと恥ずかしい。しかし、よく私の240ZGを見て近所の小学生が「ポルシェだ。」とか、近所のおばさんが「これフェラーリでしょう。」とか言われてそっちの方が恥ずかしいと思う今日この頃です。 1999/03/28
フェアレディ240ZG横
アンテナはもちろんパワーアンテナで当時一番豪華な車だったのさっ!

小話4. トヨタ2000GTに遭遇
トライアンフ ポルシェ930ターボを見てショックを受けていた私は、高速道路から降りてからも相変わらず何か珍しい車はないかと探していた。そんな時に名四国道(国道23号線)の交差点近くに国道と平行した道路の脇に止めてある赤い車が見えた。早速写真におさめなければと思い父に車を国道の路肩に止めてもらった。トヨタ2000GT後期前(ちょっと危ない)それは赤いトライアンフ(写真上右)だった。写真を撮って満足した私は、交差点近くで何か違和感を感じた。 それは聞いたこともないエンジン音だ。後に振り向くと交差点で右にウイカーを出し、今にも曲がろうとしている一台の白い車が目の中に飛び込んで来た。ピントや絞り、シャッタースピードなど合わせている暇もなく、近くに走り込み夢中でシャッターを切った。それはトヨタ2000GTだ(写真左上下)。トヨタ2000GT後期横まるでUFOの遭遇写真のようになってしまった。豊田市に近いせいか、前期トヨタ2000GTは結構見ていたのだが、今まで見たトヨタ2000GTとどこか違っていた。まだ私は後期のトヨタ2000GTの存在を知らなかったのだ。貴重な体験となり、それ以来トヨタ2000GTもカッコイイと思うようになった。浮気者である。240ZGごめんよ〜っ。 以下小話5へつづくかも 99.3.11

フェアレディ240ZG5
ウインカーレーバー先端のパッシングスイッチでライバルを抜け!!

小話5. 車を見に寄り道

 小学生は学校の下校途中に寄り道してはいけないという決まりなのですが、不真面目な私は遊び優先の為、そんな規則は守らなかった。 友達の兄がフェアレディZを買ったと言うので、下校途中に寄る事にしたのだ。そのフェアレディZはなんとマルーン色(丁度写真上の色)した2/2(ツーバイツーと読む)だった。心の中で「なんだっ2/2か。」ってがっかりしていたが、友達の手前そんな事も言えず、「2シータじゃないね。」「3人乗れないとだめなんだ。」だったらフェアレディZにしなきゃいいのにと思ったが、口には出さずにいた。というのも小学6年生の私は2/2が嫌いだった。要するに実用より格好優先なのである。そんな訳だから大人になるまでポルシェもかっこわりと思っていた。凄く割り切った考えだったのだろうか。それにしても、よく価格の高い(149.8万円)フェアレディZ2/2を買ったなと思った。友達の兄を誉めてあげたい。う〜んすばらしい車道楽だ。(ポルシェ、フェアレディZ2/2のファンの方、済みません。その頃、お茶が嫌いだったけど、今はお茶が大好きな様に、今はポルシェが大好きです。フェアレディZ2/2はちょっとデザインがう〜んって感じですが、すみません。)
 日産ちょっとやばいけど次回つづくかも 99.3.12

 最近ニュースでニッサンの動向が気になる今日この頃です。
 
コンセプトカーでフェアレディ240ZGを今風にしたの出てましたけどあまりデザイン良いと思わないのですが、私だけでしょうか? 180SXの後は結構いいので、その辺を使って前だけポルシェのアレンジの様にフェアレディ240ZGをアレンジ(バンパーの部分変えてさっ)して出せばいいと思うんだけど、フェアレディ160ZGにしてイチローさん宣伝でやればシャレてていいんだけどだめだろうなきっと…
 これがフェアレディZ2by2の横写真なんですけど、みなさんどうでしょうか?でも最近見ませんよね。一体どこへ行ってしまったのでしょうか?今写真で見るとそんなに格好悪くないですね。1999/03/29


フェアレディ240ZG6
枯葉がノーズ〜Fウインドまで流れ舞上る時、君は流線形を体感する

小話6. 技術の日産?
 1976年、日本の車といえばトヨタと日産の2大メーカーである。
 トヨタはDOHCオンパレードのセリカ、マーク2、コロナ、カリーナ、日産はL型エンジン主力にした。フェアレディ、スカイライン、ローレル、ブルーバードが世に出ていた。
 みなさんは「技術の日産」と云う言葉をご存知だろうか?
 私も小学6年生(1976)だったから、あまり詳しく覚えてないが、確かに日産はそう呼ばれていた。日産R380レーシングカーで使用されたエンジン2リットル直列DOHC、GR8型をディチューンし、DOHC4バルブのS20型エンジン生んだ。それを1968年から搭載した市販車が、スカイライン2000GT-R(ハコスカとケンメリ)とフェアレディZ432の3台である。その車達の各レースでの活躍は凄いもので50連勝だとか、負けるとニュースになるくらいだった。
 極限とも言うべきS20型機械式、6気筒、4バルブ、3キャブ、2カムエンジンは高性能を誇っていた。そんな事から日産ファンが多かった様に思う。しかし実際には、トヨタ車の方が多く走っているというはどういう現象だろう。(愛知県だけでなく全国的にだと思う。)
 トヨタは、若者をターゲットにおいたツインカム戦略は凄まじく4気筒だが、その分安く大量生産出来たと思われる、2T-G型(1.6リットルDOHC)や18R-G型(2リットルDOHC)のエンジンをどんどん市販車につぎ込んだ。日産はS20型の存在で技術的に優位に立ちながら、市販車のツインカム化をする気もなく、今だにL20型が主流という呑気というか真面目というか、トヨタを追越せないでいた。日産フェアレディ240ZGファンの私には耐えられなくて「なんで日産ツインカム出さないんだ。」そう思った人が絶対多いはずだ。父と兄の話では「プリンスが開発したエンジン(S20型)だから、日産使わせてもらえなかったんじゃないの」が〜ん。同じ会社にライバルがいた日産は大変だなと思った。それが本当なら、「技術のプリンス」である。本当かどうかは知らないが、それからしばらく、日産の元気のない時代が続いた。「まっいいや昔のZ買ってやる」と真剣に思った。
 小話(小学6年の話)は書くの難しくなってきた。続けるのやんなってきなぁ〜 次回 小話7に続くけど、インプレッションや他の事も載せてみようかとも思う。プロフィールとかリンク集載せて他力パワーとか…ははっ 99.3.13

フェアレディ240ZG7
L型エンジンと言えば改造の入門機だが、L24型を改造する奴はいない

小話7. 車の臭いでカーキチ
 小学生の登校は班で、朝、決まった場所にみんなで集り並んで学校に行く。小学6年生は班長をしなければいけない為、男3人(自分を含む)女1人の中からジャンケンで決めた。運悪く私は負けてしまった。班長をやりたくない私はとにかく逃げた。泣いてでも…そんな訳で、女の子がしょうがなくやる事になった。責任を持つだとか、真面目にやる事が、学校の成績が悪かったので、大嫌いだった。学校の宿題とか夏休みの日誌とかやった記憶がまるでない。昔は逃げるのが上手かった。(どうやってやらなかったか覚えが無いがそういうのは頭が不思議と良かった。)であるから登校する時も別に不真面目でいい。登校途中の朝に丁度、近所に暖気運転中の自動車が2台あったので、それをよく眺めた。三菱ギャラン2000GTO-GSR色はマルーンでエアロパーツが標準でついて白色の暴走ラインが入って正面でいっも止めてあった。もう一台はこれもマルーン色で白色の暴走ラインが入っているセリカリフトバック2000GTだ。セリカはいつも後向きに止めてある。マフラーは以外に小さい穴だ。「ボボッ」とかいって音と煙が出ている。そこに男3人で臭いを嗅いだりして、「この臭いはあんまりよくない。」とか言っていた。(もちろん車は2台ともかっこいい)では、どんな臭いが良いのかと言うと、軽四なんかでよく白煙を出している2サイクルエンジンのやつがいい臭いがするのだ。それを嗅ぐと、いい気持ちって感じで、本当馬鹿なカーキチ野郎だった。Zや240ZGなどがもし登校途中に在ったら一体どうなっていたのだろう?きっと毎日学校行くのが楽しいに違いなかったはずだ。
 今でこそ地球温暖化とか騒いでいるが、昔の自分の感覚では地球は結構デカイっていうイメージがあった為、排気ガス位、大丈夫だろうとか思っていたが、なんだか今じゃ、地球だめじゃんて感じで、ヤバイモノを感じつつも、240ZG乗ってます。月にあんまり乗ってないので勘弁してね。(最近どこにいくにも自転車で、みなさんにせこい人で名が通っている) 以下240ZGの話中々ないけどつづく 99.3.14
フェアレディ240ZG8
ZはGTではないスポーツカーだ。Zは究極を意味すると云われている。

小話8. ワーゲン100台分の価値
 小学6年生の時、教室の机隣の女の子が、車の興味もないのに「白いワーゲンを100台続けて見ると幸せになるって知ってる?」と言う。私は馬鹿にした様に「何それ?」「そのかわり間で赤いワーゲンを見たら1台目からやり直し」「俺は240ZGを1台見れるだけで幸せなの」と言い返したものの、しっかり白いワーゲンを数えだした。教室からは車が見えない。教室の外の廊下から丁度、国道1号線(東海道)が見える。(高学年は校舎の上の階だから見えた)放課の時に数えだし25台目のところで赤いワーゲンを見てしまった。そうすると女の子が「あっ、やり直し」くそっ憎たらしいと思いつつまた数えだした。しかし流石に、世界の大衆車、こんな事が噂になるのは車の中でもフォルクスワーゲン位かもしれない。世界の大衆車と言えばフェアレディZも結構、世界の大衆スポーツカーかもしれないと考えを巡らしている時に、フェアレディ240ZGが走り抜けていった。初めて本物を見た。(ちょっと遠いけど)私は女の子にワーゲンを100台見た程の幸せな顔をしてやった。全然相手されんかったけど…女の子の話ではだいぶん鼻の穴が大きく開くほど興奮していたらしい。 
 
 とこで日産が車以外にも事業をやってるのはみなさんご存知ですか?実はロケットの個体ロケットブースター部分の開発とか宇宙ステーションの実験や月面車の研究など、宇宙開発の技術が車に生かされるのさっ。衛星通信や携帯話など色々やってるらしい。詳しくは知らないけど、そんな日産がルノーとくっいて良いのだろうか。宇宙開発の技術って国家機密ポイでしょう。まっいいか。
 
小話(小学の話)おわり。次回は中話「240ZGの呼び方」(中学の話です)につづくかも、別にスタイル変らんけど 99.3.22